後日譚 第四話 平和な日々
「ワン!」
「ん、どうしたきなこ。なにかを見つけたか」
「オン! ワン!」
「んー、なんだ、すまん、俺は山下さんと違ってお前の言葉がわからん」
「クウーン……」
「俺の言ってることはわかるのか。すまんな、きなこ」
「ワン!」
荒れた幹線道路の上を、小柄だが筋骨隆々な男と、巨大な白い犬が歩いていた。
小池ときなこであった。
小さな白い毛玉だったきなこは、今では父親のシロに引けを取らないくらいの立派な体躯へと成長した。
百貨店にいたころは皆に抱きかかえられてご機嫌だったきなこだが、ここまで大きくなった今では、抱っこをしてくれるのは菊間くらいになっていた。
それを少し不満に感じるも、「やっぱあいついいやつ」と思うきなこなのであった。
「もう少しで着くぞ」
「オン?」
「ん? 疲れたか?」
「ワン!」
「んー、走り回っているから元気と伝えたいのだな」
「オン!」
道中、小池はしきりにきなこへ話しかける。
任務中や職務中などは寡黙で物静かな小池だったが、オフの日は意外と喋るのだった。
きなこが人語を理解しているということもあるが、小池自身が犬好きだということも大きな理由のひとつだろう。
小池の家族が見つかった。
山口や斎藤、菊間が連日、血眼で探し回った末のことだった。
「ワオン? クウーン」
「なんだろうか。お腹が空いたか?」
「アン!」
「違うのか。ふーむ、山下さんがいてくれればわかるのだが」
困った顔を浮かべながらも、小池は楽しそうに道の先を見る。
妻と娘が見つかったのは、日本海側のとある県の自衛隊基地であった
約五百キロの道のりを、小池は自分の足だけで、十二時間ちょっとかけて踏破していた。
山を越え谷を越え、時には家々を飛び越え、並んで走るきなこも楽しげであった。
「きなこはこれが三回目になるか。ちゃんと娘には加減するように伝えてあるから、今度こそ心配するな」
「クゥーン……」
小池はとんでもない距離を週一で往復している。
妻と子にこの距離を歩かせるのは酷であるし、私情で輸送ヘリを使うことも自分の矜持が許さない。
ならば自分が行けばいい、と少し脳筋よりの考えの持ち主であった。
その週一の家族の団らんに、きなこが「行きたい!」と言い出したことがきっかけで一緒に行くことになった。
一度目の訪問は、きなこもまだ小さく体力のない頃だったので、小池のリュックに入れられたり抱きかかえられたりしながらの移動であった。
白い毛玉だったころのきなこを見つけた小池の娘は、父親から受け継いだ犬好きの血に耐えられず狂喜乱舞し、きなこを抱っこしては撫で繰り回した。
それがきなこには軽いトラウマになっていたのだ。
父親から厳重注意を受けた娘は、二度目のきなことの邂逅で、自動車より大きな白い犬を見て、再び狂喜乱舞。
一日中きなこを抱きしめて離れなかった。
体躯も大きくなったことで迫られる恐怖感は減り、トラウマこそなくなったものの、きなこは少しだけげんなりした。
小池は好きだが小池の娘はちょっと苦手なきなこなのであった。
やがて目的地の基地が見えてきた。
基地周辺の危険生物は小池が排除しているので安全性は上がっているが、それでも強固なバリケードを築き、鋭い眼光で隊員が見張りをしていた。
「あ、小池さんだ! 小池さんが来たぞ!」
「隊長、おはようございます!」
「おはよう。お前らの隊長ではないんだがな」
隊員に敬礼を返し、苦笑いする小池。
変わってしまった世界でも、自衛隊の機能はかろうじて生きていた。
幕僚長を含め、上層部の大半が死ぬかゾンビになったことで、全国規模の命令系統はとうに崩壊している。
以降は各基地、各部隊がそれぞれの判断で動き、民間人救出と保護という大雑把な方針だけが残った。
小池は『特殊作戦群第二中隊対テロ小隊第三分隊』の隊長をしていた。
隊員は小池含め十人。
そのうち菊間、山口、斎藤以外の隊員は、小池の判断で二つの班に分かれ、別の場所で活動している。
彼ら特殊部隊に助けられた一般隊員も多かった。
インフラの維持、整備、それらの護衛。
避難所やコミュニティの防衛。
隊員の家族の救出。
やることは多岐に渡っていた。
特殊部隊の隊長をしていて、週に一回やってくる超人。
それが、この基地にいる隊員たちの小池に対する共通認識だった。
入口の隊員がゲートを開けると、きなこをともなって小池が中へと入っていく。
「撫でてえ~」
「ほんとな」
きなこを見送った隊員たちが、そう呟いていた。
基地に新たに作られた居住エリアのプレハブに、小池の妻と娘は住んでいた。
「佳子、来たぞ」
「あなた。いらっしゃい」
ここは自分たちの家ではない。
帰宅時の挨拶をすることもなく、あくまで仮住まいとして使っている。
「佳乃は」
「さあ。隊員に混ざって訓練をしているのかもしれません」
小池の妻、佳子。そして娘の佳乃。
この二人が、小池に残された唯一の家族だった。
他の親族は、すべて死亡と変異が確認されている。
「いないか。せっかく今日はきなこを連れてきたというのに」
「きなこちゃん、さらに大きくなりましたか?」
「ああ。頼めば背中に乗せてくれるかもしれん。乗りたいか?」
「あら、まあ。それは、嬉しいですね」
「きなこを探してくる」
そう言って小池は足早に外へと出ていった。
小池一家は、揃いも揃って犬好きなのだった。
きなこは小池の家族が住むプレハブの横でのんびりと日向ぼっこをしていた。
小池が「お願いがある」と真剣な顔で頼み込むと、「オン!」と快諾した様子だった。
「おほほっ! きなこちゃん、早いわ! おほほほっ!」
「いいなあ、お母さん。てかあんなに笑ってんの私初めて見たよ」
「佳子は昔からああだぞ。よく笑う」
走るきなこの背にまたがった佳子が、テンション高く、しかしどこか上品に笑い声をあげていた。
それを父と並んで眺めていた佳乃は、次は自分も乗る、と固く心に誓った。
きなこの背に乗れて満足した佳子が「きなこちゃん、もういいわ」と言うと、人の言葉を理解しているきなこは素直に足を止め、佳子が降りやすいように地面へと伏せた。
それに感激した佳子がきなこの頭を二度、三度……。四度、五度、六度と撫でてから降りていった。
佳乃が待ってましたとばかりに突撃すると、きなこは一度「ワン!」と吠えた後、逃げ出してしまった。
逃げられても、嫌がられても、佳乃は嬉しそうに笑いながら追いかける。
父からの忠告など、すでに頭の中には残っていないのだろう。
「ふう、幸せでした。あなた、ありがとうございますね」
「ああ。山下さんなら、きなこや他の犬の言葉がわかるんだがな」
「山下さん……。以前あなたが言っていた人ですね」
「そうだ。俺を、この体にしてくれた、恩人だ」
Mウイルスに感染したことにより身体能力や索敵能力が上がり、小池の行動範囲は広がった。
そのおかげで妻子の情報を見つけ、実際に再会することができた。
恭平は小池に返しきれない恩義があると思っている。
だが小池にとっても、恭平は人生そのものを変えてくれた恩人なのであった。
「一度、お会いしてきちんとお礼を言わないといけませんね」
「そうだな。しかしどう移動するか。脅威は減ったが、それでもお前たち二人には酷な道のりだ」
「おほほ、疲れたらあなたに背負ってもらうか、きなこちゃんに乗せてもらいますよ」
「……それがあったか」
百貨店の拠点では、大きくなったきなこの兄妹たちが子どもを背に乗せて一緒に遊ぶ光景がよく見られていた。
中にはそのまま背中で寝てしまう子どももいたくらいだ。
あの安定した背中なら、妻を任せてもいいかもしれない。
小池は次に来るときは、大勢の犬たちと一緒に来ようと決意した。
「来週、引っ越しをする。最低限必要な荷物だけをまとめておいてくれ」
「あら、急ですね。きなこちゃんに荷物を持ってもらうのですか?」
「ああ。きなこの他にも八匹いる。どうにか頼み込んで来てもらって、お前と佳乃を乗せてもらう」
「おほほ! それは楽しそうです」
そして家族一緒に暮らす。
そのための準備はしてある。
百貨店にほど近い場所に、建売住宅がいくつか建っている。
そのうちのひとつ、誰も住んだ形跡のない家を選び、掃除や整備をしてあるのだ。
いつかここで家族と一緒に住めたら。
そう恭平にぽろりとこぼしたら、部下だけでなく百貨店の人間全員が、嬉々として手伝ってくれたのだった。
「しかし、山下さんを見たら二人は驚いてしまうかもしれん」
「お世話になった人のことを悪く思うわけはありませんよ」
「そうではなくてな。山下さんは、でかいワンちゃんになってしまったのだ」
「……すみません。もう一度言ってもらえますか?」
「ワンちゃんだ。とてもでかいワンちゃんになってしまったのだ」
「おほほっ……。あなた、まだ日は高くのぼっていますよ」
「寝言ではない。実際に俺も人外の力を得ているだろう」
以前、佳子と再会した小池は、嬉しさのあまり自分が得た人外の力を説明しようとして、やったことがある。
狭い六畳の部屋の中で、佳子と佳乃が触れようとするのをすべて避ける、というものだ。
強化された動体視力、反射神経、フットワークを使い、ぬるぬると動きながらすべてを避けた小池。
しかし妻と娘からの反応は「虫みたいで気持ち悪い」という辛辣なものだった。
その後、六階から飛び降り、見事に五点接地転回法で着地して見せたところ、佳子から「二度とやらないでください」と怒られるのであった。
「人外、人外とおっしゃいますが、あなたはきちんと人ですよ」
「そうか」
「そうです。その力を使って日夜、人を助けているではないですか。私の自慢の夫です」
「そ、そうか」
「はい。惚れ直すというものです」
「……そうか」
妻の真っすぐな言葉に照れてしまい、小池が視線をあちこちへとむけた。
その視線の先には、娘が楽しそうにきなこを追いかけまわしていた。
小池の妻、佳子と、その娘、佳乃。
二人がたくさんの巨大な犬に囲まれて狂喜乱舞するまで、あと七日。
一方、黒犬たちの背に乗った赤子が落ちないかとハラハラしながら見守っている直美の元へ、香織がやってきた。
手には珠子謹製のサンドイッチ弁当があった。
「直美、お疲れ~。お弁当持ってきたよ」
「ありがとー。でも待ってね、この子たち寝てはいるんだけど、落ちちゃうかもだから、すぐそばにいないと危なくて」
「大丈夫でしょー。ワンちゃんたち、うまいことバランスとってくれるし。ね、大丈夫だよね」
「ワフ」
香織の言葉に「任せろ」と言わんばかりに返事をする黒犬。
きなこの兄弟たちであった。
ここには五匹がいて、それぞれ二人の赤子を背に乗せてゆっくりと歩いたり、ふせたりしながら子守をしていた。
恭平に「うちの子たちと仲良くしてくれ」と言われ、犬たちなりに考えた結果、背中に乗せようとなったのだ。
直美たちがいるのは百貨店横にある元コインパーキングだった。
現在は恭平によりアスファルトがすべて撤去され、芝生が植えられた公園になっている。
そこは子どもたちが遊ぶだけでなく、大人や犬たちも集まる憩いの場だった。
香織が柔らかな芝生へ座り、ランチョンマットを広げる。
あたたかい紅茶を水筒からカップへ注げば、ピクニックのような昼食の場ができあがった。
秋分も過ぎ、冬の気配がすぐそこまで近づいている。
真夏の暑さも収まり、少し涼しくなってきたこの季節が、香織は好きだった。
夏もエアコンを使う人が減ったせいか、以前ほどの暑さを感じることもなく快適ではあったが、それでも秋が深まるこの時期が好きなのだ。
「ほら、直美。ご飯食べよー」
「うん……。ほんとに大丈夫かな。皆に任されてるのに、目を離したらダメな気が……」
「大丈夫だって。ワンちゃんたちもわかってくれてるみたいじゃん。皆ふせしてくれてるし」
「あ、気を使わせてごめんね? 赤ちゃん落とさないなら好きに動いてください」
「はは、なんで敬語なの」
黒犬たちは直美に言われてもふせた姿勢のまま鼻をひくつかせるだけだった。
二人の昼食のほうが気になるらしい。
「あ、ダメダメ。今日のツナサンドには玉ねぎも入ってるし、チキンサンドにはアボカド入ってるし。君たちが食べたらお腹壊しちゃうよ? またげーってしたくないでしょ?」
「クゥーン……」
香織は獣医学部に在籍中にゾンビパニックが発生し、正確にはまだ獣医ではない。
しかし恭平に保護されてから、拠点で猛勉強をし、今では獣医と言っても過言ではない知識を身につけていた。
そもそも普通の獣ではないシロやきなこなどの巨大な犬を相手にしている。
手探りの中、それでも命を守るために懸命に仕事をこなした。
黒犬たちの中にも香織のおかげで命を救われたものが何匹もいる。
怖いし痛いことをするけど信頼できる人。
それが巨犬たちから見た香織であった。
珠子の美味しい料理に舌鼓を打ち、あたたかい紅茶を飲んだことで、身体から力が抜けていく。
秋麗の空の下、優しく温もりのある日差しに包まれていると、眠気に襲われあくびが出てしまう。
赤子を放置して眠るわけにもいかず、辺りを見回しながら意識を覚醒させようとしていた直美に、「あ、見て」と香織が声をかけた。
「ほら、斎藤さん来たよ。あの人大きいから遠くでもわかるね」
「ほんとだ。久しぶりに見たね」
斎藤をはじめ、ウイルス感染により変異し強化された自衛隊員たちは、東奔西走の忙しさであった。
東にゾンビに囲まれたコミュニティがあれば、行ってすべてを蹴散らして。
西にはぐれた親子がいれば、行って探して見つけだし。
南に全滅しそうな部隊があれば、行って抱えて救出し。
北に怪しい集団がいれば、行って潜入し調査する。
雨にも負けず、風にも負けず、ゾンビにも負けない。
丈夫な身体を持ち、安心させるようにいつも静かに笑っている。
そんなものに斎藤はなっていた。
「ア、ドウモ、ナオミサン。本日はお日柄もヨク、イイ天気デス」
「おつかれさまです、斎藤さん。あ、中に用事ですか? 菊間さんは今日は屋上で明穂さんの畑を手伝うって言ってましたよ」
「ア、イエ」
「ちょっとちょっと、私もいるよ、斎藤さん。こんにちは」
「ああ、香織さん。こんにちは」
誰がどう見ても、目的は丸わかりであった。
この男は緊張してうまく話せない。
そして直美は、あまりにも鈍感すぎる。
香織は決意した。
この恋、私がどうにかしてやろう、と。
「そんで? 直美と話しに来ただけ? その手に持ってるケースはなに?」
「ア、ア、コレ、ツマラナイデス」
斎藤はそう言いながら、強化ポリマーでできた百二十センチほどの黒いケースを直美へと差し出した。
不思議そうな顔で受け取った直美は、丁寧にケースを開けていく。
中にあったのは、一挺の黒いボルトアクションライフルだった。
「え!? これ、ブレーザーのR8!?」
「はい。ブレーザー、R8アルティメットXです。ほらマガジン10発でしょう?」
「わっ、ほんとだ! バイポットもつけられるんですね!」
「サプレッサーも用意してあります。スコープも」
「おー、九倍までいけるやつですね! かっこいいです! いいなー」
「直美さん、前に欲しがっていましたから探して見つけてきました」
「えっ、私のために!?」
こいつ、銃関係の話だったら平気で話せるな?
自分はいらなかったのでは?
そう香織が思ったときだった。
「ありがとうございます!」
そう言い花の咲いたような笑顔を見せる直美。
それだけでも斎藤には致命傷であった。
さらに直美に手をぎゅっと握られると、「アッ」という叫びを最後に白目を剥いて気絶してしまった。
こりゃだめだ、やっぱり私が橋渡ししてやらないと。
香織が心にそう誓った。
斎藤と直美。
二人の子どもが生まれるまで、あと三年。




