後日譚 第三話 日常
双子が双子を産んで数か月。
最初に生まれた子がつかまり立ちをし始めたころ、育児室は大騒ぎだった。
今日の育児を担当するのは千恵、涼子、奈津美。
やはり身体を強化された人間がいると、急な転倒などによるケガも防ぎやすい。
赤子全員が昼寝をはじめ、ようやく落ち着いた、と千恵も奈津美も深く息を吐いた。
涼子は赤子の隣で一緒に横になっている。
絶望的なまでに体力がないようだ。
「やはり矢倉囲いもいいですが穴熊が最強に防御力が高いです。もちろん完成までに時間はかかりますが、それに比例した防御力の高さを持っています。では攻めをどうするかの話になりますが──」
「ねえ涼子。人んちの子を洗脳しようとすんのやめて?」
赤子の耳元でひたすら将棋の話をする涼子。
はたから見れば軽くどころか普通にホラーであった。
千恵の娘、千秋も、母と同じように眉を寄せて迷惑そうである。
「なんでよ。千秋ちゃんも『そうだねー、居飛車穴熊もいいよねー』って顔してるよ」
「してないよ、やめてよ人の子に勝手にアフレコすんの」
涼子は千恵の前でだけは砕けた口調で話す。
同年代というのももちろんあるが、小中高と同じ学校へ通っていた幼馴染だった。
「ほんと仲いいなーお前ら」
「そうですね。涼子とは長いんで」
「はい。小学校からの付き合いです。だけど全然私と勝負をしてくれなくて困っています」
「勝負って将棋とかか?」
「そうです。オセロで白一色にしたらやってくれなくなりました」
「あれはお前が白に黒字で「チエ」って書いたからだよ。舐めプとか許せないから、あたし」
「サプライズのつもりだったんですけどね」
「どんなサプライズだよ」
くつくつと笑う奈津美に「奈津美さんは……」と千恵がなにかを言い淀んだ。
「ん? なんだ?」
「欲しくならないですか。赤ちゃん」
「あー……。んー、そうだなあ」
腕を組んで奈津美が難しい顔をする。
「ミシェルさんの研究進んでるっぽいですよ。あと一年もすれば薬が完成するかもって」
「それは知ってんだけど、やっぱ美香さんに悪い気するしなー。恭平が嫌いってわけじゃないんだけど」
「ん? なんで恭平さん限定なんですか? あたし別に恭平さんの子って言ってないですけど」
「一歩千金二歩厳禁。奈津美さんの反則負けです」
「うるせー!」
ごまかすように奈津美が叫ぶと、赤子のひとりがぐずり始めた。
「あ、やべ」
そう言ってすぐにぐずり始めた赤子の隣に横になり、優しくぽんぽんとその胸を叩き始めた。
泣きそうな顔になっていた赤子は、やがて安らかな顔へと戻り、再び眠りの世界へと旅立っていった。
奈津美はそのまましばらく、その赤子の胸を叩いていた。
「絶対いいお母さんになるよな、奈津美さん」
「うん。そう思う」
奈津美に聞こえない声で二人が話す。
「ところで、なんで千恵ちゃんは奈津美さんをお母さんにしたいの? 千恵ちゃんちのおばさんにちょっと似てるから?」
「おま、なんでそう聞きにくいことも平気でズバズバ言えるかなー。そんなんだからいじめの標的にされたんだぞ」
「別に平気だよ。皆死んじゃっただろうし。で、どうなの?」
「んー、おかんを求めてないって言うと嘘になるのかな。なんてーか、奈津美さんと、仲間というか、友達になりたいのかな。自分でもよくわかんない」
「ママ友ってやつだね」
「違うと思う」
赤子の隣で横になった奈津美がうとうとし始めたので、二人は声のトーンをもう一段落とす。
「私は興味あるよ、赤ちゃん」
「涼子が? なんだよ、将棋しか考えられないように洗脳したいのか?」
「そんなことするわけないじゃん」
「してたじゃん」
涼子の頭は、数分前の自分の行動を都合よく忘れる、よくできたものだった。
きっと将棋などの盤上遊戯に特化し過ぎて回路がショートしているのだろう。
千恵はそう思い、深くツッコむことをやめた。
「で、涼子はなんで子ども産みたいの?」
「やっぱ、みんな幸せそうにしてるから。千恵ちゃんもだけど、愛理さんと結愛さんがあんなに落ち着くとは思わなかったから」
「人って変わるんだよなぁってすごく思ったよな」
「うん。お母さんみたいな顔してた。あ、もちろん赤ちゃんのお母さんなんだけど」
「涼子もそれになりたい、と」
「すこし羨ましいなって」
千恵は涼子の身体を上から下まで眺める。
身長百四十一センチ、体重三四キロ。
見た目だけで言えば年下の優子のほうがよほど年上に見える。
「ん-、涼子はまず身体づくりからじゃないか? 体力もないし。筋トレだよ、筋トレ」
「将棋の駒をひとつ一キロにするとか?」
「ばかじゃないの?」
千恵はそう言うと、服をめくって腹を見せた。
そこには、へそから下腹部までを走る一本の傷跡があった。
「涼子より身体が大きいあたしだってお腹切るしかなかったんだよ。しかも結構危なかったってミシェルさん言ってたし」
「うん。帝王切開でしょ。あのとき、千恵ちゃんほんとに死んじゃうかもって思ったもん」
「ああ、涼子も立ち会ってたんだっけ。すぐに気絶して運ばれたって聞いたけど」
「だって血がいっぱい出てたし……」
涼子が当時のことを思い出して顔を青ざめさせていると「やべ、寝てた」と奈津美が起きてきた。
「わりー。ちょっと寝てたわ」
「大丈夫ですよ。赤ちゃんたちも静かだし。疲れてるならそのままちょっと寝てたらどうです?」
「いや、大丈夫。ちょっと寝たらすげー回復したから。てか赤ん坊は体温高いよな。横にいると眠気誘われるわ」
「ですね。ただ、その体温を感じていると、ああ、生きてくれている、ってすごく思って、心の奥がぽかぽかしてくるんですよね……。生まれてきてくれてありがとう、って」
「おお、これが母性か……」
奈津美は一瞬目の前の年下の少女が、自分より年上なのではないかと錯覚してしまった。
それくらい、今の千恵は母性やら包容力やらが全身から溢れていたのだ。
「ま、それでもひとつ不満というか、わがままな気持ちはあるんですけどね」
「ん? なにが? 聞かせろよ」
珍しく心情を吐露した千恵に奈津美が食いつく。
「やっぱり、隣にはお父さんの恭平さんにいてほしいんですよ。好きな人との大切な子どもの成長を見てもらいたい。好きな人とふたりきりで子育てしたいって」
「あんなでかい狼男の姿になってもか?」
「だからこそですよ。あなたはその姿になっても愛されるんだよ、って教えてあげたい。あたしがその証になりたい。そんなわがままです」
「くっふふ、千恵、お前、意外と乙女だったんだなー。まあ言ってもまだ十七歳か。母になっても恋に恋するお年頃なのは変わんねーな」
乙女心などとうに枯れ果てた奈津美は、千恵の気持ちを理解はできない。
大人になったことで、さらには世界が変わり果てたせいで、打算的な考えが一番最初に出てきてしまうのだ。
「まあ、愛されてるって教える役は美香がいるんだけどな」
だからこんな乙女の心を平気で傷つけるような言葉を、簡単に言えてしまうのであった。
「……わかってますよ。だからあたしはなにも言わないんです」
「千恵ちゃんはいつも我慢してますからね。昔からこうなんですよ。小学生の時だって──」
「うるさいなー、涼子は黙っててよ」
二人のじゃれあいが始まろうとした瞬間、育児室に「アウアー!!」と大きな声が響き渡った。
「やべ! ソフィアが起きちまった!」
「まだ寝てますね……」
「寝ぼけているのでしょうか」
マキシーンの娘、ソフィア。
じったんばったんと床を転がりながら「ウー!!」と怒っている元気な赤子であった。
「夢ん中でなにと戦ってんのかね……」
「静かにさせないと他の子が起きちゃいますよ!」
「私が抱っこしましょう。どれくらいの速度で揺れればいいかは把握してますので」
「涼子は一分も抱っこできないからやめろ!」
育児初心者の新米ママたちが慌てふためく中で、金髪の赤子が「アウア!!」と暴れていた。
一方、金髪の大人はというと、正確に言えばとち狂った真似をしていた。
「よいデスかー? キョーヘーの好きなヒト、皆ボインデース」
百貨店五階、日用品売り場の一角にあるホワイトボードの前で、マジックペンを使いなにやら書いていた。
そこには『キョーヘ、ボイン』と書かれている。
誰が見てもなにやっているんだこいつはと思うこと請け合いである。
教鞭を執るのはマキシーン、その前で真剣な表情でノートを取るのは優子であった。
「ボインデース。いいデスかー? デカチチとも言うマース」
「はい、先生。そうなるにはどうすればいいのでしょうか」
「そうデスネー。Meat食べるマス、Milkもいいネ。あとはいっぱい眠るマス」
「ミート……、ミルク……、眠る……」
優子が聞いたことを忘れないように、ノートへ重要そうな言葉を色分けしながら書いていく。
「ユーコはキョーヘーのBaby欲しいデスか?」
「はい! 早く体を大きくして、美香さんに認めてもらうんです。子どもできるって」
「Hmmm.ユーコ焦るいいナイデス」
「でも……」
「"A new baby is like the beginning of all things - wonder, hope, a dream of possibilities."焦るしてBaby死ぬ。一番ダメデース」
「そうですね……。あと今の言葉の綴りお願いします」
「OK」
ホワイトボードへとマキシーンが文字を書き、優子がそれを写す。
優子が書き終えたのを見てから、マキシーンが「ケッキョクはデスネー」と授業を開始した。
「Baby産むするならオッパイデース。デカパイ、デカチチ、これになると準備カンリョーデスネ」
「お前はなにをしている?」
たまたまそこへ通りがかった山口が、思わず質問をしてしまう。
「Hey、ユーコ見るネ。あれはFlat chest、アレになってはダメヨ」
「悪口を言うな。英語は喋れるぞ」
「先生、綴りはなんでしょうか」
「Oops! Spellはこうデース。F.l.a.t...」
山口の額に青筋が浮かんだ。
「青少年への低俗な指導は控えてもらおうか」
「見マスたカー? このヨーニ、ムネがチーサイと器もチーサイデス。Mosquito bitesとも言うマース。SpellはM.o.s.q....」
「蚊に刺された跡……? ……そういうことか」
優子は懸命にホワイトボードの英語をノートへと書く。
元々勉強が好きな優子は、こうやってなにかを覚えるのが好きなのだ。
しかしマキシーンのこの授業は、覚える必要があるかどうかは微妙なところであった。
「よし。その売られた喧嘩を買おう。胸のでかさが戦力のでかさになるかどうかを教えてやる」
「Huh? Seriously? All right, come on, get a taste of what the Navy SEALs are made of.」
「なにがシールズだ。表に出ろ」
集中して英語の綴りを書いていた優子は、二人がいなくなったことにすら気がつかなかった。
自衛隊とシールズの戦いが佳境に入ったころ、百貨店七階、元スポーツ用品店を改造した道場では、花乃と詩織が戦っていた。
「ダメダメ。遅い。それに攻撃したいとこ見すぎだよ」
「マジッスか? 今の結構全力ッスよ」
「ん-、詩織は真っすぐだから、先の先を取るの簡単なんだよね」
「花乃おねえちゃん、せんのせんってなーに?」
「えっとねー、先の先というのは──」
花乃が詩織へ指導をしていると、恵理奈がいつもやってきては、ジッと眺める。
会話が挟まるまでは黙って二人の動きを見て、わからないことがあれば質問する。
なにかを覚えようとするのが好きなのは、姉妹だからか優子と似ている。
花乃の説明を聞いた詩織は、頭にクエスチョンマークが浮かんでいた。なにもわかっていなかった。
「恵理奈ちゃん、今のわかったッスか?」
「んーと、こっちが動くよーってして、からだに力はいるの見られちゃって、それでやろうとしたときに先にやられちゃう、ってことだと思う」
「ん?? なんスか??」
「ふふっ、恵理奈ちゃんのほうがよくわかってるね。ちょっと恵理奈ちゃんこっちおいで。詩織の前に立って」
花乃に呼ばれた恵理奈は嬉しそうに走ると、詩織の前で構えを作った。
「恵理奈ちゃん、もうちょっと前に、詩織の足触れるくらい、そーそー」
花乃に体の位置を調整された恵理奈は、目の前の詩織を見上げ、真面目な顔を作った。
「よし、じゃあ詩織、恵理奈ちゃんに軽く足を触れてみな。恵理奈ちゃん、先の先だよ。ここだってときに詩織の足を叩いてね。それからしっかり全体を見て。目線とか重心とか。失敗してもいいよ」
「わかった!」
「こういうときは押忍って言うとかっこいいよ」
「おす!」
真剣な顔の恵理奈が詩織を見る。
足だけではなく全体を。
構えた腕、肩、重心の位置、視線の向きは。
言われたことをしっかりと自分の中で反芻し、噛み砕いて吸収する。
困惑した顔の詩織は、ケガをさせないようにしようと心がけ、恵理奈の腹に足を当てようとした瞬間、ポス、と衝撃を受けた。
恵理奈の右の直突きが、太ももへと当たっていた。
「すごい! よくできたね恵理奈ちゃん! それが先の先だよ」
「やるッスねえ~。どうやったんスか?」
「えっと、詩織おねえちゃんのことよく見て、あ、お腹見てるなーってわかって、足あげようとしてちょっとからだがたおれたから、それ見て、今だ! ってやったの」
「へー、動きを読むってこういうことなんスね~。恵理奈ちゃん! もっかいお願いするッス!」
「うん! いいよ!」
恵理奈はにこにこと楽しそうに構えを作り、次の瞬間には真剣な顔で詩織を見ていた。
楽しく、それでもふざけず、真面目に。
その姿勢に感化され、詩織もちゃんと覚えようと意欲的に訓練に取り組んだ。
しばらく『先の先』の特訓を繰り返し、休憩となった。
詩織は恵理奈の先の先は取れるようにはなったが、花乃からはついぞ取ることができなかった。
「やっぱ花乃さんすげえっすよ。無ッスよ、無。予備動作、無ッス」
「むっす」
恵理奈は詩織と一緒に訓練をしたからか、口癖を真似るくらいにまでなついていた。
「まあね。この拠点じゃ自衛隊の人たちとマキシーンの次くらいに強いって自負してるから。昔はお姉ちゃんよりも、お義兄さんよりも強かったんだけどねぇ。今あの二人は規格外だよ」
十代の頃は血気盛んで、絡んできたあげくに自分を男だと勘違いしていた、未来の義兄を半殺しにしたこともある花乃だ。
軽く戦闘狂の血が入っている花乃は、誰かに強さで抜かれることがとても悔しかった。
しかし、その感情とこの拠点の女性を強くしようとする気持ちは別物だ。
悔しくても、自分より強くなれば少なくとも簡単には死なない。
そう割り切れたのは花乃が大人になったからなのだろう。
「花乃おねえちゃんはすごくつよいよね。ウルフマンのひっさつわざできたもん!」
「必殺技? なんスかそれ」
「見てなさい……。『絶・天狼抜刀拳』!! 相手は死ぬ」
「わー! すごいすごい!」
空手のものとは違う独特な、人間にできる限界の動きで繰り出された突きを見て、恵理奈が歓声を上げる。
詩織は「やべーッスね」と少し引き気味であった。
「てかウルフマンはお兄さんのが似てないッスか? あの女児向けアニメのキャラッスよね?」
「うん、恭平おにいちゃんはウルフマンだよ! でも恵理奈は花乃おねえちゃんみたいになりたい」
「え、私みたいに? それはどうして?」
恵理奈が腕を組み「うーん」と考えるそぶりを見せる。
「だってかっこいいし、ひっさつわざできるし、つよいし。あと恵理奈といっしょの女の子だもん。ウルフマンは男の人だよ」
「うーん、恵理奈ちゃん、私の子になってー。かわいすぎる」
「恵理奈はせれなちゃんのおねえちゃんだよ! あとりんちゃんと、ひさえちゃんと、ちあきちゃんと、そふぃあちゃんと──」
恵理奈が拠点にいる赤子の名前を指折り数えながら呼んでいく。
花乃の娘、山下芹那もまた妹なのだという恵理奈の言葉に、花乃は胸の奥がジンとあたたまった。
「恵理奈も花乃おねえちゃんみたいに強くなれるかなー?」
「なるッスよ。恵理奈ちゃん真面目だし、自分よりセンスあるッスから」
「そうだね。私も美香お姉ちゃんも恵理奈ちゃんくらいのときから空手始めたからね」
「じゃあできるようになる? てんろーばっとーけん!」
「できるできる! きちんと努力すれば報われるんだから」
「そッスよ。継続は力なり、ちゃんと自分に返ってくるッスから」
花乃と詩織の言うことをにこにこと嬉しそうに聞いていた恵理奈は、いいことを思いついた、とばかりにぽんと手を打ち鳴らした。
「あ、じゃーねー。恵理奈アグリィ・クイーンになる!」
「アグ? なんッスかそれ」
「アグリィ・ハートに出てくる大人の女性だね。ウルフマンの恋人になる……あっ」
「あっ、そういうことッスか?」
恵理奈はアグリィ・クイーンのすごいところとウルフマンへの愛をつらつらと語っている。
花乃と詩織はお互い顔を見合わせ苦笑いを浮かべた。
「恵理奈ちゃんもちゃんと女の子ってことなんスかねー」
「そうだねー。はあ、お義兄さん、そんときになったらまた取り乱しちゃいそうだよ」
「あの人、鈍感だから気づかないでメロいことしてきそうッスからね」
「ほんとそういうとこだよね」
恭平の知らぬ間に、未来のハーレム候補が増えた瞬間だった。




