後日譚 第一話 市役所にて
駅ビルでの戦いから幾ばくかの年月が経ったころ、恭平は市役所の避難所を中心としたコミュニティへとやってきた。
今日はミシェルが作り出したゾンビ避けの薬の定期配達の日であった。
駅ビルの一件から今まで市役所にやってきていなかった恭平は、薬のほかに酒や嗜好品なども持って市役所にやってきたのだった。
「おーい、開けてくれー」
この姿になって初めて百貨店の仲間以外のところへ姿を現す。
事前に説明はしていたものの、恭平は少しだけ緊張していた。
バリケードの上で見張っていた数人が、恭平の姿を見て慌てて中へと報告をしに走っていく。
定期配達が来たと伝えるのか、それとも敵が来たと伝えるのか。
恭平は逃げ出したくなる気持ちを抑え、入口に立っていた。
百貨店の仲間たちはこの姿を好意的にとらえてくれる。
それは恭平の人となりを知っているからだ。
最近は美香を筆頭に拠点の女性たちのおかげで『自分は怪物だ』という思いを抱かなくなっていた。
だが、あまり恭平のことを知らない人からしたらどう見えるのか。
胸中が不安と緊張でいっぱいになってしまい『帰りたい』という思いが頭をよぎったころ、入口の大型車が動きだした。
現れたのは職人の恰好をした佐藤であった。
「うわー! 山下さん! 久しぶり! マジで狼になっちゃってんじゃん!!」
「あ、ああ、佐藤くん、久しぶり。あの、俺のこと、怖くないの?」
「え? だって山下さんでしょ! 子どもを守るために変身したって聞いたけど、かっけーじゃん! 足とか超でっけーし!」
「あ、あはは、ありがとう」
佐藤の以前と変わらない反応に、恭平の目元が潤む。
「とりあえず入って入って、積もる話もあるしさ」
「え、俺入って大丈夫? 他の人とか」
「皆山下さんに会ってみたいって言ってたからへーきっしょ。ほらヨシオんとこに子どもいたじゃん。あいつもウルフマン好きだから喜ぶと思うよ」
「そっか……」
佐藤の職人仲間たち、市役所にいた元役人たち、その家族。
皆の顔を知ってはいるが、そこまで話したことはない。
それなのになぜこうも好意的なのか。
恭平は不思議そうに首をかしげると、佐藤のあとに続き市役所へと入っていった。
まずはこの市役所を取り仕切る人のもとへ向かおうと、好奇の視線に晒されながら市役所内を進む。
恭平の鍛えられた聴覚は、こそこそ話す内容まですべて聞こえてしまう。
「ほらあの人が……」
「え、本当に狼だ」
「不思議ねえ」
「ママ見てー」
「えっ? すごいわね……」
「お前行けよ」
「やだよ、お前が行けよ」
注目されることが苦手な恭平は、その巨大な体を小さく丸めて歩く。
その耳は倒れ、尻尾は力なくしょげていた。
市役所の執務室、そこには恭平が見たことのある人物がいた。
避難してすぐに、市役所内でのあれこれを案内してくれた担当者だった。
名前は古田昇、佐藤の叔父だとあとから聞いた。
「どうも、山下さん。お久しぶり、ということであってますよね?」
「そう、ですね。この姿なので、以前の俺がわからないと思いますけど」
「覚えておりますよ。女子高生と小学生、それと奥様と避難していらっしゃいましたね」
「おお、そうです。それです。その節はお世話になりました」
「いえいえ、こちらこそ。悪漢退治をのみならず、支援物資までいただきまして、感謝の念に堪えませんよ」
「悪漢退治ですか?」
ゾンビや変異体のことを言っているのだろうか。
恭平が首をかしげるのを見て、古田さんはにやりと笑った。
「女子高生を襲っていた悪漢です。あのとき、ああいった輩にはほとほと参ってました」
「ああ、あのときの……」
双子を襲っていた男たち、足腰が立たなくなるまで痛めつけた彼らは、きっとその後の市役所へのゾンビ侵入パニックで命を落としたことだろう。
それでも恭平に後悔はない。
当時も今も恭平の中にあるのは『弱者を食い物にするやつは殺してもいい』という価値観だった。
「それでは長々と引き留めて申し訳ありません。それと畑作りを始めましたので、収穫できましたら持っていってください」
「ありがとうございます。こちらもじゃがいもなどを量産しているようなので、今度持ってきます」
「ほう、それはいいですね。こちらはブロッコリーやキャベツなどを中心に植えるつもりですので交換と──」
「おじさんおじさん、それはまた今度でいいっしょ。下で皆が山下さんに会いたいって首長くしてんだけど」
「おっと、失礼。それでは山下さん。またいらしてください」
「はい、ありがとうございます」
古田が差し出した手を握った恭平は、思ったよりも長く手を握られていることを不思議に思った。
古田が恭平の手のひらにある肉球の感触に衝撃を受けて固まっていたなど、恭平は知らなくていいことであった。
執務室を出た恭平は、待っていたとばかりに押し寄せた人の波に揉みくちゃにされた。
佐藤の静止など聞かずに矢継ぎ早に恭平へと話しかける人々。
尻尾を掴まれ耳を撫でられ、腕に抱きつかれ尻を撫でられ、恭平の精神はみるみるすり減っていった。
少し人の勢いが落ち着いたころ、佐藤くんの「山下さんを困らせんな!」という一喝で、人々は正気に戻り、恭平へ一言二言謝罪を言って去っていった。
恭平の耳は倒れ、尻尾は股の間にしまわれている。
感情が勝手に耳と尻尾を動かしてしまうことを、恭平は少しだけ恥ずかしく思っていた。
佐藤が煙草を吸いに行きたいというので恭平もついていくことにした。
喫煙所には誰もおらず閑散としていて、人の波に晒されたばかりの恭平にはありがたかった。
「山下さん、煙草は? 持ってる?」
「ん、それがこの姿になってさ、においにすごく敏感になっちゃって、やめたんだ」
「え!? ちょっと、はやく言ってよー、火つけちゃったじゃん」
慌てて煙草を消そうとする佐藤を手で静止し、恭平は風上に立つことで煙から逃れた。
「それに子どもも生まれたしね。煙草は子どもによくないでしょ」
「おー! そうだよ! 美香さんとの子、絶対かわいいだろうなー。将来強くなりそうだわ」
笑いながら話す佐藤だが、恭平はきまりが悪そうに「えっとね」と口を開いた。
「美香との、子どもじゃないんだよな……」
「え? なんだよそれ、浮気? ないわー、山下さん、そりゃだめだよ」
「だよねえ……。でも産みたいって言われたらもう拒否しきれなくてさ……」
「まあこんな世界になっちゃったから重婚とか不倫とかないんだろうけどさ。でも美香さんは? なんて説明したのよ?」
「美香公認なんだよ、むしろ美香が推奨する立場っていうか」
「どゆこと? え? あ、そういう趣味? いや、俺も人の性癖にあれこれ言うのよくないと思うけど、ちょっとやばくない?」
「まあ、いろいろあってね……」
恭平はばつが悪そうに口をつぐんだ。
「でも、拠点にいる、俺の子の母親たちのことは、子どもたちも含めて全力で守る覚悟はあるよ」
「そっか、まあ山下さんが納得してんのならいいのかな。……ん? たちって、何人いるのよ?」
「あー、えーと、まあ、美香を入れて、九人いる」
「九人……?」
「そう、俺の子の母親がってこと」
「母親が、九人……だと……」
「それと、子どもは双子が二組産まれる予定らしいから、十一人になったりして」
「じゅ、じゅういち……」
佐藤の開いた口がふさがるまで、しばらくの時を要した。




