第四十三話 奪われたもの
百貨店を出て少しして、俺はあることを思い出した。
「ああ、そうだ。……ウオオオォォォン!!」
シロへと『駅ビルで騒ぎ、危険、近づくな』という意味で遠吠えを送ると、『わかった、集まれ』という意味の遠吠えが返ってきた。
百貨店の方からはか細く高い声で『またね』ときなこが遠吠えを返してくる。
横から目を丸くした美香が「ちょっと、いきなりびっくりするじゃない」と肩を叩いてきた。
「その恭平の犬と会話する能力とか、やっぱり私たちより一段上の力よね」
「そうだな。犬ってさ、思ったよりもいろんなこと考えてておもしろいなって思ったよ」
「私たちの子にもその能力が引き継がれてるのかしら?」
「どうだろう。あったら楽しそうだ。それだとシロたちに子守頼めるな」
「いいわね。……はやく迎えに行きましょう」
「ああ、すぐに行こう」
我が子を取り返す。
美香も俺も心は一つだった。
しかし焦ってはいけない。
俺たちが失敗して仲間の誰かの命が失われることはあってはならないのだ。
駅ビルまでの道で遭遇した変異体は、自衛隊四人の連携で音もなくあっという間に処理されていった。
「一対多ならいくらでも戦えます。怖いのは群れが押し寄せたときですね」
そう語る小池さんはとても頼りがいがあった。
しばらくそうして歩いていくと、駅ビルが見えてきた。
正面入り口は巨大なシャッターが下ろされており、駅構内の様子はうかがえなかった。
しかし駅ビル前のロータリーには見えるだけでもたくさんの変異体がいる。
地下駐車場の変異体たちをおびき寄せたら、こいつらまでやってくる。
今のうちに排除してしまうべきなのではないか。
「大丈夫デース。こっちトラップしかけるするマス。来ても少しネ」
マキシーンが大量の荷物の中から爆薬やら地雷のようなものやらをてきぱきと仕掛けていく。
最終的に有刺鉄線と地雷原ができあがり、戦場もかくやという様相となった。
「それじゃあ皆、よろしく頼みます」
「はい、お任せください」
敬礼をしながら小池さんがそう言うと、自衛隊全員が一糸乱れぬ動きでザッと敬礼をくれた。
俺は敬礼の正しいやり方がわからないので頭を深く下げて返した。
隣を見れば、美香も同じようにしていた。
返せないくらいの借りがこの人たちにはできている。
いつかきっちり返さねば。
駅ビルへの侵入組全員がビルの裏手の地下駐車場入り口まで移動する。
身を隠してから無線機へ「準備できました」と送ると、『行動開始』と小池さんの声が聞こえた。
同時に銃声が響く。続いて爆発音。変異体の唸り声。
物陰から覗いてみると、地下駐車場のスロープをたくさんの変異体が群れをなして走っていた。
百体以上いるのではないか。
押しつぶされ、殺されてしまうのでは。
不安から強く握りしめた拳へ、美香が優しく手を重ねた。
「……よし。全部いなくなったようだ。急ごう」
たくさん響いていた銃声はまばらにしか聞こえなくなっている。
誰かが倒れて銃を撃てなくなったわけではない。
自衛隊員四人の攻撃力は、銃よりも近接戦闘の方が上だというだけの話だ。
「では、僕のあとをついて来てください。こっちです」
吉岡を先頭にして隊列を組み、素早く移動する。
地下駐車場には破壊された車両がいくつもあった。
物陰に変異体はいないか。奇襲されないか。
五感をフルに使って警戒する。
しかし変異体はすべて陽動におびき出されたようで、なにもいなかった。
物資搬入用の入り口が近づいてきた。
すぐ近くのエレベーターは扉が開いたままになっている。
ここから見せしめで変異体にされた人が落ちてきたのか。
シャフトから鳴る風の音が少し不気味に聞こえた。
「ここです。今、開けますので」
吉岡がポケットから鍵を出し開錠する。
物資搬入用の通路は、横幅二メートルほどと少し狭かった。
全員が入りドアが閉まると、わずかに聞こえていた銃声や爆発音がさらに小さくなった。
ここまでは順調だ。
吉岡は、地下の変異体さえやり過ごせれば、あとは遭遇しても数体程度だろうと言っている。
変異させられた者はホールへ落とされるか、各テナントへ詰め込まれ、シャッターを閉じて閉じ込めているとのことだ。
においで確認しても嘘は言っていない。
しかし、もし吉岡の知らない情報があったら?
もし吉岡がここから逃げたあとに、なにかが変更されていたら?
そういったことで窮地に陥る可能性もある。
吉岡の言うことすべてを信じ切ることはしない。
地下通路はとても静かだった。
俺たちが動くときに出る音が、とんでもなく大きな音だと錯覚するほど静まり返っている。
強化された聴覚に集中すると、俺たちの移動音に異音が紛れているのが聞こえた。
続いて嗅覚にも少し焦げたような変異体独特のにおいが感じ取れた。
「いるぞ。突き当り。右だ」
「あたしらに任せときな」
奈津美と明穂、詩織が前に出て弓を構える。
狙いは曲がり角に定められていて、微動だにしていない。
一七五ポンド、約八十キロの張力の弓を引いたまま固定している三人の膂力は、とんでもないことになっていた。
俺も引いてみようとしたが、矢をうまく掴めなかったので諦めた。
「来た……」
現れた赤黒い肌の変異体は、頭が異様に大きかった。
変異体たちは、変異した母体の肉を埋め込まれた場所によって変異のしかたが変わる。
ミシェルは『進化の可能性が』となにやら云々言っていたが俺にはわからない。
わかるのは、こいつは頭に肉を埋め込まれたのだということだ。
そいつは頭を大きく左右に振り、壁へとぶつけながら勢いよく走ってきた。
あんなに動く頭を狙うのは難しい。
奈津美たちも狙いやすい胴へ矢を放っていく。
瞬く間に体中から矢を生やした変異体へ近づき、その首を落とす。
こいつらは頭さえ落とせば死ぬ。
それはいくら変異しようとも、普通の生き物と変わらない不変のルールのようだった。
「しかしすさまじい威力だな……」
変異体の腹から背まで貫通した矢を見て呟く。
数秒の間にひとり五本くらいは矢を放ったのではないか。
変異体から矢を引き抜く奈津美たちを見てとても頼もしく感じた。
「うい」
「ん」
「ッス」
三人はうまくいって嬉しかったのか、拳を軽くぶつけていた。
「よし、行こう」
変異体の死体を超えて突き当りまで進む。
「ここは右です。左はホールにつながります。大量の変異体がいますので、右の階段から十階の病院まで向かいます」
耳を澄ませると左の通路の先から唸り声や足音がいくつも聞こえた。
たしかに五百以上はいるかもしれない。
信者だけでこの数にはならない。
どこから攫ってきたのか。
どれだけの人間が犠牲になったのか。
改めてこの教団をつぶす理由が一つ増えた。
俺たちの子を取り戻し、このようなことは終わらせるんだ。
階段をのぼっていく。
変異体に感づかれるかもしれない不安から、誰も声を発さない。
そんな不安とは裏腹に、特になにごともなく十階のフロアへたどりつく。
ここまで案内をしてきた吉岡の様子を観察すると、安堵や歓喜、緊張のにおいがした。
変異体が多数いたら、嘘と判断した俺が殺しにかかると思っているのだろうか。
ホールへ続くドアの前で聞き耳を立てる。
物音はしない。
ゆっくりとドアを開けていく。
がらんとしたホールがあるだけだった。
中央は吹き抜けになっており、エスカレーターがある。
それをぐるりと囲むように通路が作られている。
通路には各種さまざまなテナントが並んでいるようだが、そのすべての入り口にシャッターが下ろされていた。
シャッターの向こうにはなにかが蠢く気配がする。
吉岡の言っていたように、変異体が詰め込まれ閉じ込められているのだろうか。
吹き抜けから階下を覗く。
たくさんの変異体がいる。
あれに気づかれたら一巻の終わりだ。
できるだけ音を出さずに行動しなければ、と胆に銘じた。
「ここです。この中に偽の母がいるはずです」
吉岡に案内された病院のテナントにもシャッターが下ろされている。
変異体に気づかれないように小声で話す。
「どうやって開ける? ぶち破るのか?」
「ちょっと待ってください」
吉岡がシャッター脇にあるパネルをいじると、テナント入り口のシャッターが動き出した。
ガシャン、という音のあとに、ガラガラと断続的に音が鳴る。
階下の様子を窺っていた鈴鹿が「まずいまずい!」と小声で叫んでいた。
「来てる……! 何匹か上がってきてるよ!」
「どうする、弓で倒すか? 音は多少するけど」
「いや、まだ気がついた様子ではない。音に誘われたようだが途中で止まるかもしれん」
「そうだといいけどねー」
ここからは時間との勝負だ。
一刻も早く母体を殺し、子どもを取り返す。
「ここです、この奥に──」
部屋の奥にある扉が、案内しようとしていた吉岡ごと吹き飛んだ。
ごろごろと転がってきた吉岡は、奇跡的に無傷だ。
「ギョアアアァァ!」
「なにあれ……!」
そこから現れたのは多数の手足を持ち、異様に腹が膨らんだ、まさしく異形と呼べるものだった。
「おい、起きろ! あれがそうか!」
「そうです! 偽の母……あんな形ではなかったけど」
「そうか、もういい。離れてろ」
「はい!」
クジラ包丁を握る手に力が入る。
「恭平! 気づかれた! 走ってきてるぞ!」
「足止めしてくれ!! 頼む!」
「あいよ!」
奈津美たちが階下の変異体へと弓矢を放つ。
俺の隣には美香がおり、ステップを踏んでいる。
鈴鹿は俺たちや奈津美たちの両方を援護できる位置に陣取り、銃を構えている。
「美香、あいつの腹には気をつけてくれ。中にいるかもしれない」
「そうね、絶対助けましょう」
「ああ……」
同時に駆け出す。
美香が足の一本を蹴り千切り、こちらを捕まえようと伸ばしてきた腕を俺が切り落とす。
肉が蠢くと、すぐに新しい手足が生えてくる。
「再生能力もあるわ」
「首を落とすしかないな」
「首、ね。見当たらないけど、どこにあるのかしら?」
「あの腕が生えている中心じゃないか。頭らしきものがある」
「なら腕が邪魔ね」
「そうだな」
走り出し、異形の後ろへ回り込み、挟み込む形にした。
美香が手足を蹴り千切り、そちらに意識が向いたら俺が切り落とす。
振り回される腕は距離を取ってかわしていく。
再生速度よりも腕を減らす速度の方が早い。
このままいける。
焦らず急げ。
何度目かの腕の振り回しを回避したとき、体に衝撃を受け吹き飛ばされた。
ガラスを突き破り通路を滑る。
ガラン、と俺の横にクジラ包丁が転がった。
見れば切り落とした腕をこん棒のように持っていた。
そんな知恵があったかよ。
「恭平! しまっ──」
俺に気を取られた美香が、異形の腕に捕まる。
「ぐぅ、はな、せ……!!」
「美香……!!」
口の中からゴポリと血が溢れた。
肋骨が折れ肺に刺さったか。
俺の再生能力はそこまで早くない。
すぐに治せ。美香が危険だ。
「美香さん!!」
ドゴンと衝撃音が響く。
鈴鹿が膝立ちで銃を構えていた。
その銃口から白煙がのぼっている。
異形を見れば腕の中央にあった頭が吹き飛び風穴があいていた。
やったか。
「恭平! 大丈夫!?」
「あ、あ、大丈夫だ。すぐに、治る」
これくらいの傷なら数分で治る。
俺も異形に引けを取らないくらいの化け物だな。
「美香、子どもを」
「今やるわ!」
「恭平! もうすぐそこまで来てるぞ! 矢もつきそうだ!」
「俺の投げ槍は」
「もう使った!」
パイプ投げ槍も使い切り矢もなくなる。
しかしもう子どもも取り返せる。
鈴鹿に奈津美たちの援護をしてもらい、美香の元へ。
慎重に異形の胎をナイフで裂いていた。
俺も手伝い異形の胎を開いていく。
「え、嘘……。どういうこと……?」
「いない……」
異形の胎の中はがらんどうだった。
どうなっている。
あいつ、嘘をついたのか。
頭に血がのぼる。
「おい!! 吉岡!! どういうことだ!!」
「ひっ」
吉岡はすぐ下にまで迫った変異体に怯えた様子だった。
嘘をついているようには見えない。
なにか予期せぬことが起きたのか。
「恭平! どうした!」
「子どもは!? 見つかったの!?」
「いない! いないんだ!!」
「どういうことッスか!!」
エスカレーターの前で三人が変異体を突き飛ばし、のぼってこれないように奮闘している。
鈴鹿の銃声が響く。
美香は呆然としている。
するとガシャン、と不吉な音が響いた。
続いて、ガラガラという音。
吹き抜けの下、階下のフロアから順にテナントのシャッターがあがっていく。
俺たちがいるフロアのシャッターもあがる。
そして変異体たちが現れた。
まずい。
俺や美香たちはともかく鈴鹿はほぼ一般人と変わらない体だ。
捕まったら殺される。
鈴鹿を守るため横へ移動する。
まだ変異体はここまできていない。
変異体は今もテナントから溢れ続けている。
「恭平! どうする! どうしたらいいの!」
「落ち着け、大丈夫だ鈴鹿、俺が守る」
数体の足の速い変異体が来た。
蹴り飛ばし、爪を伸ばして首を刈る。
鈴鹿の持っている銃の弾が尽きた。
ハンドガンでは変異体に効いていない。
どうする、どうしたらいい。
美香は未だに異形の横で膝をつき項垂れている。
頼む、美香。
立ってくれ。
「山下さん! あそこです! 上にシャッターの制御パネルがあります!」
吉岡が指差すのは奥にあるエレベーター。
しかし通路の途中に変異体がいてたどり着けないようだった。
「美香! 美香頼む! 行ってくれ! このままじゃじり貧だ! 行ってくれ!!」
このままシャッターを下ろさない限り、変異体は増え続ける。
「美香! 立て!! 子どもを救うんだろ!!」
「……恭平! わかった、待ってて!」
立ち直った美香が通路にいる変異体を一撃で粉砕していく。
その後ろを吉岡がついていく。
エレベーターが下りてくる電気が灯った。
鈴鹿のすぐそばまで変異体が迫っている。
爪で腕を払い首を飛ばす。
すぐにもう一体が来る。
横目で美香を見る。
エレベーターに乗り込む。
その後ろになにやら見たことのある赤い注射器を持った吉岡。
それを、美香へと刺した。
力が抜け倒れる美香を、吉岡が支えるようにして抱く。
「お前っ!! なにをしているんだ!! 吉岡!!」
「なに? 真なる母を迎え入れているんだ」
「美香さん!? クソっ!!」
鈴鹿の放った弾丸が吉岡の胸に赤いシミを作った。
しかし静かに笑ったまま、美香を抱きかかえる腕は離さない。
「きょ、うへい……」
美香が震える腕を伸ばす。
「美香!!」
その姿は、エレベーターの扉が閉まり見えなくなった。




