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群青の記憶  作者: 上辻樹
第四章「フーデッド・ホラー」
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約束でな


イグナートは前の晩から寮へ戻っていない。

夜通し町に滞在し、周囲を探っていた。

保護者懇談会の前日――最もグレイと遭遇できる可能性の高い時間だったからだ。


イグナートの知っている『隻眼の大鷲』なら、夜間に町へ忍び込み、朝まで潜み、夜明けと共に学院内へ向かうだろう。

他人の目は可能限り避けるという予測だ。

ただでさえ、この町への滞在期間と訪問回数が多いのだから、素性が知れ渡る前に身を隠すのは自然だろう。


――しかし、その予想は全て外れた。

『隻眼の大鷲』グレイは、人混みの中を堂々と歩いてきた。

その眼帯と白髪、決してしっかりとした足取りではない。

なのに、それを周囲に悟らせない。


人間の視界には入っているのに、その存在に気がつけない。

そんなことが可能なのだろうか、と考えるも目の前で見せられては信じるしかない。

身を隠す能力が極限まで高まれば、すでに隠れる必要などないのだ。


「……あー、ちょっと、失礼」


イグナートはグレイの前に立ちはだかって頭を掻きながら行く手を塞ぐ。


「この先には行かせられねえんだわ。約束でな」


「……そうか。で、俺にどうしろと?」


困惑する様子もなく、グレイは言う。

まるで日常的にこんなアクシデントを経験しているかのようだ。


「俺に勝てば通れる。それ以外、聞きたいことはあるか?」


「いや、ない。外行くか? こんなところでやることはあるまいよ」


町中での戦いを想定していたが、町の外でやろうと提案され、イグナートは肩すかしをくらった気分になった。

踵を返すグレイに、イグナートはしばし呆気にとられる。


伝説のテイマーとはこういうものなのか。


「背後から撃たれるとは考えないのか?」


歩き始めてから、イグナートは耐えきれずに聞く。


「そりゃだってお前、俺と戦いたいんだろ? そんなやつが不意打ちするか?」


「俺が勝ち方にこだわらない人間かもしれないだろ」


「それならそれでいい。俺も勝ち方にこだわらなくてよくなる」


背中越しに顔だけを向けて、グレイはそう言った。

その目を見てもまだ、闘争心のようなものは感じられない。

それなのに、凄まじい威圧感があった。

襲えば返り討ちにあうと予感させるだけの眼力がある。


イグナートはA級テイマーと何度か戦ったことがある。

勝負がつく前に止められることも多く、実際に勝ったことは少ないが、それでも負けることを恐れたことはない。

しかし今になって、感じたことがないほどに勝負を避けたがっている自分がいることに気がついた。


負けるのが怖いわけではなく、戦いたくないと思ったのは初めてだ。

この直感の正体が何なのか、確かめずにはいられない。


雪の積もる街道を少し歩き、開けた草原地帯へ辿りつく。

町からそう離れてはおらず、すぐ戻る気のようだ。


「なんでだ?」


イグナートは聞く。

対峙するグレイは眉をひそめた。


「なんで戦う理由を聞かない?」


「……今までもよくあったからな。俺が誰だか知ってるから仕掛けてきたんだろ?」


「いや、そうじゃない。腕試しじゃないことも察してるんだろ?」


「まあな。でも、お前の個人的な事情まで俺が考えてやらないといけないのか? 例えばお前の母親が病気で死にそうだから俺を殺したい、とかか? 俺は理由がないと戦ってやらないほど冷たくはないし、理由次第で負けてやるほど優しくもないぞ」


風が吹き始める。

グレイを取り巻くように、雪の結晶が舞い上がって、きらきらと輝く。


イグナートは最初から全力を出すつもりだった。

ルベルナを召喚すると同時に魔力を放出し、熱を体内に留め、皮膚を硬質化させる。

ドラゴンの眼を持ってしても、グレイの相棒であるはずの『大鷲』がどこにいるのかわからない。


「ルベルナ、一気にいくぞ」


「わかりました、イグナート」


地を蹴り、素早くグレイの懐に入る。

今までの経験から、見た目の年齢を考慮せず襲える。

老人の姿をしているからといって、中身までそうだとは限らない。


イグナートが正面から殴りかかると、グレイはそれを最小限に動いて躱した。

後方からはルベルナの炎が迫る。

グレイが手で払うと、炎は瞬く間にかき消えた。


イグナートはその動作を見逃さず、逃げられないであろう角度から、指を横腹へ突き刺すつもりで振るう。

しかし、なぜか表面を滑り、イグナートは勢いのまま地面に倒れ込んだ。


グレイが倒れたイグナートの方を見たのと同じタイミングで、ルベルナが突進する。

しかしそれもグレイに触れることなく横に逸れて、ルベルナも勢いを殺すためにその場に止まらざるを得なかった。


「どういう魔法だ!?」


イグナートは飛び起きてルベルナの傍に引く。

グレイの周囲に見えない壁のようなものがあり、それが攻撃の向きを滑るように変えている。

全く理屈が不明だが、弟子であるところのアリシアが姿を消す術に長けていたことから、その応用であることは察しがつく。


加えて未だ姿を見せない『大鷲』から推測するに、彼の周囲には見えない風の防御壁があるのだろう。

違和感を覚えないほどに薄く、そして強力な空気の壁によって、グレイに触れられないのだ。


「卑怯だな!」


「お前の肉体強化もそうだろう」


やっていることは同じ。

魔物の特性を借りて行使しているに違いない。

しかしその練度が桁外れだ。


「そろそろ始めるか? 俺もこの後の予定があるからな」


グレイがゆっくりと眼帯を外す。

隻眼であったなら、もう片方は潰れているのだろうと勝手に勘違いしていた。


その白濁した瞳が黒く変化し、黄色の縁取りが現れる。

突風が吹き荒れたかと思うと、彼の頭上に大きな鷲が現れた。


「紹介しておこう。俺の相棒のロック鳥――アルフライラだ。今からお前に攻撃する。避けるか防御するかしろよ」

「そんなこと言われなくても――――」


直後、イグナートの肩から腹部にかけて袈裟に切られ、血が吹き出た。


「イグナート!」


ルベルナの叫び声が響く。


「攻撃するって言っただろ」


意識ははっきりしている。

傷は浅い。

衝撃で倒れかけたが、なんとか膝をついてグレイの方を睨む。


「風の刃か」


「よくわかったな。わからずに死ぬやつの方が多いのに。しかし、お前もなかなかやるな。その肉体じゃなかったら死んでたぞ」


傷は塞がりかけているが、今のが軽い一撃であったことが身体と頭に刻み込まれている。

本気なら真っ二つになっていただろうことが、はっきりと理解できる。


「殺すことに抵抗ないんだな……」


「まだ学生のつもりか? 外の世界じゃお前を守ってくれるルールなんて存在しねえのに」


「俺のことを知っていたのか……」


「まあ、有名だろ。お前も」


二発目の風の刃はイグナートにも見えた。

来ると備えていたから、微かな空気の揺らぎに反応できた。


しかし、避けられるほどの速さではない。

腕を上げて防御するのが精一杯だ。

幸い、切られてもこの肉体には強力な再生能力がある。

だから大丈夫、だと思っていた。


間髪入れずに放たれた連続した風の刃は、イグナートの同じ傷口を執拗に狙い続けた。

まだ治りきっていない場所で防御するわけにもいかず、数秒を待たずに全身がズタズタになり、草原に積もった雪を赤く染めていた。


傷は治るが、血を流しすぎている。

血液だけはどうにもならない。


思考が鈍る。

動かなければ避けられない。


「で、もうすぐ死ぬが、どうする?」


グレイの問いかけに、イグナートは言葉に詰まる。

結局死ぬ覚悟などしていないのだろう、と言いたげな表情をしている。

舐められている。

しかし、それくらいに実力差があるのだ。


「……それを、俺が決めて、いいのかよ」


「いや、死なずに済む方法を何か考えていたのかと思ってな」


こうなった時点で勝敗は決している。

それが分からないわけではない。

グレイは敗北を受け入れ、口を開く。


「俺の役割は時間稼ぎだった。まあ、できれば勝ちたかったが、見ての有様だな」


「そこまでして時間を稼いでお前に何の得があった?」


「あの『隻眼の大鷲』と戦えたんだ。これ以上の報酬があるか?」


「……お前、大馬鹿だな」


呆れたように笑うグレイを他所に、イグナートは仰向けに倒れ込んだ。

期待以上の強さだった。

アリシアとやった時よりも勝負にならなかった。


「――あんたに聞きたいことがあった。マザースライムをなんで生かしておいたんだ?」


「お前、なぜそれを……」


驚いているその表情を見て、イグナートは僅かに勝ち誇る。


「経緯なんてどうでもいいだろ。災厄の一つを生かしておいても良いことなんてないはずだ。アリシアに更生させようとしたのか?」


「はあ……。全く、誰が教えたんだか。アレは死ぬたびに別個体として生まれ変わる……っていうのは言い訳だな。そこまで知っているならもう大まかな説明は聞いているんだろ。マザースライムと対峙した時、俺はセイレーンリングに操られていた。ただ、俺に残ったリングの残滓は少し特殊な状態でな。災厄の連中と敵対していて、その時の記憶がそのまま残っている。リングの生存本能の原則に反しているからだろうな。マザースライムを倒した直後、リングの影響が急激に弱まった。俺の自我が戻った時に残っていたのはアリシアと次の世代のマザースライムだ」


「じゃあ、ラピスはなんで生きてんだよ」


「名前をつけることでマザースライムだと認識できないようにした。それにあのスライムはアリシアと深く繋がったおかげで、マザースライムの危険な性質が消えている――はずだったんだがな……。お前を見てるとダメだったみたいだな」


「まだわかんねえよ。つーか、そのためにアリシアについていたのか?」


「両親が目の前で死んだガキ置いていけるわけねえだろ。俺にも情くらいあるわ」


そりゃそうか、とイグナートは納得する。

偉大なテイマーでも人間なのだと安心した。


「で、お前は何のための時間稼ぎだったんだ?」


「あー、今、そのマザースライムとセリスが戦ってる。その結果待ちだ」


「アリシアは?」


「俺もよくわからん」


セリスから一通りの説明は受けたが、理解できるような内容ではなかった。

魔力汚染の話にイグナートは興味がない。

ルベルナなら代わりに聞いていただろうが、今はイグナートの負傷の影響で疲弊している。

とても冷静な話し合いをする状況ではない。


「だから、もうしばらく待っていてくれよ」


「セリスが死ぬぞ」


「死ぬつもりないだろ。少なくとも何か方法を考えているみたいだったぞ。俺とは違ってな」


勝ち目がないなら、他の人間の手でも借りていたはずだ。

しかし彼女が頼んだのはグレイの足止めのみ。

他者を巻き込まずに被害を最小限に留めるつもりだったのかもしれないが、一対一で勝てる見込みがなければそのような作戦はとらないだろう。


この場合の『勝利』はアリシアの人格を取り戻すということだ。

つまり、セリスはその手段を思いついている。

そこに割って入っても邪魔にしかならない。


「俺でもあんたでもダメらしい。難しいよな」


「やれやれ。お前ら、学生のくせに小難しいことやりすぎだ」


「育ち盛りなんだよ。許してくれ」


話しているうちに失血による疲労を実感し始めたイグナートが静かに目を閉じると、グレイの小さなため息が聞こえた。

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