私にやらせてください
アストレイラはそれほど降雪量の多い地域ではない。
しかし、そうは言っても、耐寒用の服や靴がないと、あっという間に全身が雪まみれになってしまう。
セリスは北の生まれで、雪には慣れている。
豪雪地帯ではなかったが、雪かきをしなければ馬車が走れなくなるくらいの地域だった。
その経験から、防寒具の備えもしすぎて損はないだろうと考えて、実家からオコジョの毛皮を縫い付けた純白の外套を持ってきていた。
今にして思えば、軽率そのものだ。
こんなもの、強盗に入ってくれと言わんばかりの高級品である。
しかし、ここがどういう学院であったか思い出す。
貴族の皆はそれぞれ高価な装飾品を身につけている。
傍目には分からないような素材で作られた衣服など当然のように着ている。
この学内でならそれほど目立たないだろうとセリスは考えて、これを羽織った。
そして、寮から一歩外に出て、周囲の視線が一気に集まったのを感じて、すぐに部屋へ戻り、鍵のついたクローゼットへしまった。
(ま、まあ、氷の魔法のおかげで私自身は寒さに強いし、あとで町に買いに行くことにしましょう……)
わずかに肌寒さを感じる普通の外套を身に纏って、出発し直す。
今日は休日で、授業はない。
しかし、明日に面談の日――作戦決行を控えている。
最後にできることや、確認をしておくべきだと考えた。
未だにグレイは見つからない。
すでに町へ来ているだろうが、上手く隠れているようで、イグナートにも怪しい人影は見つけられないようだった。
ローディウスとマルタには現状の報告を定期的に行っている。
セリスのやりたいことも具体的に伝え、結論から言えば、ふたりの手は借りないことにした。
正確に言えば、セリスが生命の危機に陥らない限り、手助けはしないよう頼んだ。
そして実際、今のアリシアを受け入れることも選択肢として考えている。
初めはその驚きとショックから拒絶したが、時間と共に、ローディウスの言葉が心に染み込んできた。
自分の理想を押しつけているだけなのではないか、と自問自答するには十分な時間があった。
そして、そのうえで、覚悟をした。
アリシアの変化が不可逆なものであるならば、きっぱりと諦め、袂を分かつ覚悟だ。
執着もせず、後悔もしない覚悟。
別れとなるか、再会となるか、考えただけでも胸が張り裂けそうになる。
マルタにそれを相談すると、成長痛のようなものだと言われた。
人は誰でも、人生のどこかで大きな決断を迫られる。
永遠に続くものなどない。
それは人間同士の関係でも同じことなのだと言われた。
「――マルタさんはお父様とは良好な関係なのですか?」
グリフォネア学院に入ると決まった日、セリスは何気なく聞いた。
マルタの過去の話はあまり聞いたことがない。
ローディウスと仲の良い父親を通して今の関係があるのだとしたら、決して悪いものではないだろうと予想していた。
「あー……。あたしの父親は死んでんだ」
「ご、ごめんなさい。私、そんなことを……」
「いや別に、この年齢になって悲しいなんて言うつもりはないぞ。二十年くらい前だな。まあ、お前にも話したことなかったが、あたしの父親もリングの被害者だ」
「お父様も、リングに操られたのですか?」
「いや、操られたのはグレイだ。止めようとしたんだろうな。仲間の急変に驚いて、凶行を止めようとした。そして、ろくに反撃できず、死んだ。こうしてみると、今のお前と状況が似ているな」
「それは、どっちに、ですか?」
「お前も死ぬ気なのか? あたしにだよ。ローディウスも一緒の場所にいて、父を助けられなかったことを悔やんでいる。だから、お前を殺させはしない。絶対にな」
彼女の言葉には重みがあった。
複雑な感情と、乗り越えてきた障害の数が今の彼女を形作っている。
リングにもグレイにも怒りを覚えていないように見えるまで、どれだけの困難があっただろう。
過去への執着を捨て、未来に進むことの難しさを、セリスは誰よりも知っている。
だから、彼女のことを最も尊敬しているのだった。
――しんしんと降り積もる雪は、柔らかく、優しい。
校庭が白くなるほどは降っていないが、今後の天気次第では軽く積もるだろう。
校内を散歩しながら、頭の中を整理する。
なぜだかわからないが、歩いている時の方が思考がまとまりやすい。
椅子に座ってそれができる人がきっと、書記官や写字生のような職になれるのだろう。
マザースライムとの戦闘は恐らく避けられない。
言葉で説得できればとも考えていたのだが、他の生徒とのやりとりを見ていても、マザースライムはコミュニケーションの表層をなぞるだけで会話をする気が全くない。
まるで外からの刺激による変化を拒絶しているようだった。
言い換えれば頑固ともとれるその姿勢は、説得の難しさと共に、彼女の中に思考の芯があり、それを守るための鎧を纏っているような感覚を覚える。
グレイを殺すという確固たる目的を決して曲げないことの証明にも思えた。
それは、セリスがセイレーンリングに対して抱いている感情と同じものなのだ。
他人にどう言われても行動に移すだろう。
だからこそ、力づくでしか止められない。
その場合、どうするべきかとずっと考えていた。
――アリシアには一度全力を出して負けている。
それも、『星喰い』と呼ばれるほどの強力な腐食能力を有していない、通常のラピスを相手にだ。
もしもマザースライムがそれ以上に強かった場合、考える間もなく死ぬかもしれない。
(きっとマルタさんやローディウス学院長は割って入りますわよね……)
彼女たちにも作戦のことは話しているが、セリスが絶対に勝つと言い張って聞かなかっただけだ。
対応するなら負けてからだ、と。
校内を一周し、セリスは寮へ戻った。
何気なく管理室を覗くと、手にマグカップを持ったマルタがこちらに気がついて声をかけた。
「お前、こんなに寒いのにそんな格好で……」
「いえ、まだ平気ですわよ。中に入ってもよろしいですか?」
マルタは「おう」とだけ返事をして席に戻る。
部屋の中はサラマンダーの熱で仄かに温かい。
住処にしている黒い薪ストーブは煌々と輝いていた。
「この子、本当に寒い季節が苦手ですのね」
「ああ、魔力で無理矢理動くこともできるが、基本的には変温動物だからな。寒いと動きが鈍る」
「暖めてあげることはしないのですか?」
「変に暖めると代謝機能が狂うんだよ。高くても低くても、安定させておくのが大切なんだ」
「なるほど……」
ヘビやカエルは代謝の落ちた身体を維持するために冬眠をする。
急に温度を上げたり下げたりすれば、その機能にも弊害が出るだろう。
「――で、対策思いついたのか? アレと戦うんだろ?」
「正直、今のところ勝算は五分といったところですわ。マザースライムは私のことをかなり格下だと考えているようですから、それを逆手にとれたら、と」
「油断につけこむか。だが、向こうも遊びじゃないんだ。初手から殺しにくるぞ」
「そういう相手とたくさん戦ってきたのでわかっています。私は目的の前のただの障害、時間をかける敵ではない。だから出し惜しみせず、一瞬で倒そうとするでしょうね」
「腐食の力は聞いただろ。一撃でも耐えられないぞ」
「むしろ、それで来てもらえると助かります。いつ使われるかわからない方がやりにくいので」
アリシアに対する自分の思考が、友人から敵へと切り替わったのを感じる。
マルタと話してわかったが、無意識に手加減しようとしていた。
相手がアリシアでないことは理解していたはずなのに、まだどこか彼女に『アリシア』を期待していた。
「ありがとうございました。マルタさんのおかげで私も考えがまとまりましたわ」
「本当に手伝わなくていいのか?」
「ええ、私にやらせてください。自信が沸いてきました」
「なかったのかよ」
マルタが冗談めかして笑う。
その後、セリスは時間を潰すために夕方まで図書館に籠もった。
マザースライムのことを調べるために何度も読んだ本を、また読み返す。
手がかりを探しているわけではなく、見落としがないかを再確認していた。
そして、準備は万全だと思い、部屋へ戻りながら、ふと考える。
アリシアは、どう思うだろう。
自分の手で親しい人間を殺めてしまったら、たとえ人格が心の内に残っていたとしても、二度と戻っては来られないだろう。
いや、それよりも、殺そうとしたこと自体を気に病むのではないだろうか。
部屋へ戻ると、アリシアが帰ってきていた。
普段、どこで何をしているのかは知らない。
気にしないよう努力していた。
しかし、彼女の顔を見ると、やはり胸が締めつけられる。
「……アリシア、あなたは……」
不意に口をついて言葉が出る。
本当にグレイを殺そうとしているのか聞きそうになったのをぐっとこらえる。
アリシアは笑みを浮かべているものの、その表情の裏には明らかな侮蔑が見えた。
言ってしまうか迷っているうちに、彼女はさっさと寝入ってしまった。
消化不良なもやもやとした感情を抱えたまま、セリスも寝床につく。
明日は、面談の日だ。
恐らく、グレイも姿を現す。
彼女もそれを待っている。
(絶対に止めてみせる)
強い決意で不安を拭いながら、セリスも眠りについた。




