骨くらいは拾ってやる
アストレイラの町にもちらちらと雪が降り始めた。
灰色の空から降る小さな雪の結晶は、セリスの手のひらに乗ると、すぐに体温で溶けていく。
セリスはベンチに座って人を待っていた。
約束の時間をすでに五分ほど過ぎている。
しかし、放って帰るわけにもいかず、ただじっと待っていた。
「――よう」
背後から聞こえた声に、セリスは振り返った。
「イグナートさん、遅いですわよ」
セリスが頬を膨らませると、イグナートは悪びれる様子もなく、へらへらと笑った。
「そう言うなよ。俺も急いで来たんだ」
「いえ、イグナートは先ほどまで眠っていました。私が起こさなければここへ来なかったでしょう」
すかさず魔石の中のルベルナから訂正が入り、イグナートは顔を顰める。
「そんなことより、だ。俺にこんなことを任せたのはどういうことだ?」
「必要だからですわ、先輩」
彼には学院の外、町全体の監視をお願いしていた。
知らない人間の出入りだけでなく、装飾品や魔力にまで注意を払うよう、セリスは頼んでいた。
彼はアリシアの状況を聞いても簡単には協力してくれなかったが『褒美』を用意することで何とか話を聞いてもらった。
「先輩の眼でなくては、不穏な気配までは察知できません」
「けどよ、収穫は無しだぜ」
「無いことが吉報ですのよ。マザースライムは仲間を呼び込むことをしなかったことがほぼ確定するのですから」
外へ何かしらの方法で連絡を飛ばしたとしても、外から中へ入ってくれば、ドラゴンの眼を持つイグナートを掻い潜ることは不可能だ。
つまり、マザースライムに仲間はいない。
注意すべきはその動向のみでよくなり、それはローディウスが見張っている。
「本当にもうすぐなのか?」
「ええ。私の見立てでは、グレイ様は必ず保護者面談の日に現れます。保護者としての責任感とは少し違うかもしれませんが……」
「あんな形だけの行事、来るやつの方が珍しいぞ」
地方の貴族が学院までわざわざ足を伸ばすわけがない。
そんなことは前提として、子の様子を知りたい親向けに作られた制度らしい。
不参加の場合のみ連絡が必要なため、グレイがこの町に訪れなくても、参加の意思表明は済んでいる。
「マザースライムも周囲の人たちと情報のやりとりをして、その現状を把握していると考えられますわ。グレイ様のことをより深く知っているアリシアの記憶があるのなら、来ると予想するはず……。いえ、確実にそう考えます」
「両方のことを知ってるのはお前だけだから、俺はそれを信じるしかない。だが、俺としては『星喰い』のアリシアと戦いたいが」
「絶対にダメです。殺し合いがしたいのなら他所でやってください」
イグナートは肩をすくめる。
「俺はもうすぐ卒業だから、何しようが影響ないけどよ、お前はいいのか? 卒業した後に行きたい進路もあるだろ?」
「私は自分の手で進路を作れますのよ。この学院卒業の証を持って誰かの所へ行くつもりもありません」
「俺が言うのも変だが、優秀なテイマーの所に従事するのも悪くないぞ」
「ほんと、先輩にだけは言われたくありませんわね。卒業後、どうなさるおつもりなのですか?」
「天才テイマーらしく、治安維持のために動くさ」
「王国軍には入らないのですか?」
「俺が? 冗談だろ。俺は弱いやつを殺したいんじゃない。強いやつと戦いたいんだ」
戦争となれば、強い弱いに関係なく、命は等価値となる。
それは彼の求める闘争とは違うのだろう。
それに、共同生活の強制に耐えられるとも思えない。
「俺が今まで会ったA級テイマーは全員変なやつだった。お前も素質がある。アリシアもな」
「それ、褒めていませんわよね」
「目標がないなら、A級を目指せ。A級になることで得られる恩恵と社会的な立場の保証は何物にも代え難いぞ。何をするにも、それからで遅くない」
「先輩って、きちんと考えていらっしゃったのですね……」
「俺のこと何だと思ってるんだ。いいか? 人間の社会は人間が回しているんだ。当たり前のことすぎて、皆が忘れている。より有利な条件を目指すことを怠け、場当たり的なことだけをこなすのは努力じゃない。その先にあるのは停滞と衰退だ。それでいい奴もいるだろうが、お前らは違うだろ」
「……私はともかく、アリシアはそっちかと」
「そうか? いやでもあいつ、生き方にこだわりがなさそうだったもんな」
「ええ、『今』の価値が高すぎて、過去と未来の価値が低い。変わった人間です」
「……じゃあ、周囲のやつが価値を上げてやらねえとな」
「はい。そうですね」
しばしの沈黙の後、イグナートが我慢していた言葉を形にしたかのような小さな炎をぽっと吐き出す。
「……あーあ、あんなのに乗っ取られるなんて、つまんねえな」
「本音ですね」
「まあ、なんだかんだアリシアのことは買っていたからな。魔力汚染ってのはそれくらい強力なんだな」
「ええ、人間の知能の高さを逆手にとられるような仕組みですわ。ルベルナさんももしかしたら、対象になるかもしれませんわね」
「だってよ、ルベルナ」
「そうなったら、イグナートがなんとかしてくれるでしょう」
「楽観的だな。ま、なんとかするが」
二人のやりとりは、お互いを心の底から信用しているからのものだ。
そこには心配も不安もない。
「もしかすると、私たちも、契約している魔物から少なからず影響を受けているのかもしれませんわね」
「これだけ長い時間一緒にいて影響を受けないのは無理だろ。お前にとってあのケルベロスは家族なんじゃないのか?」
「家族……」
イグナートの言葉に少し考える。
そんなこと、想像したこともなかった。
もしかすると、ガルムも何か言葉にしていないだけで、思っていることがあるかもしれない。
それを知るには、まだセリスの技量では難しいことなのだろう。
「話が長くなったな。それで、これからのことだが、そろそろ接触するのか?」
「ええ。そのつもりですわ。ですが、ローディウス学院長にも指示を仰いで、慎重に行きます。まだ敵対しているとは限りませんから」
「会話の後、即戦闘なんてこともあり得るぞ」
「望むところです。でも、最初の一撃はもらうつもりですわ。それを開戦の狼煙とします」
それが何を意味するか、イグナートはすぐに理解したようだ。
「――死ぬぞ」
「かもしれませんわね。しかし私の方から先に手を出すことは絶対にできません」
「……やれやれ。まあ、骨くらいは拾ってやるよ」
「埋葬は故郷へお願いしますわ」
「洒落になってねえよ。じゃ、今日は帰るわ。寒いしな。これからもできるだけ見回りは続けるが、あまり期待するなよ。アリシアは俺のことを知っている」
「ええ、感謝いたします。知られているからこそ、抑止力になるのですわよ」
イグナートは返事をすることなく、手を振りながら去っていった。
残されたセリスは再びベンチに深く座り直す。
決行の日は、確実に近づいていた。




