言い切れません
――昼休み。
セリスは言われた通り、寮の管理室へ向かった。
直前までアリシアのことを気にかけていたが、向こうはすでにセリスのことは眼中にないようで、今までほとんど交流のなかった同級生と会話していた。
何を話しているのか気になるが、それは今優先するべきことではない。
管理室ではマルタとローディウス学院長が談笑していた。
ローディウスはセリスに気がつくと、穏やかな笑みでひらひらと手を振る。
「セリス、久しぶりですね。調子はどうですか? 進展はありましたか?」
「報告の通りですわ。ご存じでしょう?」
「あなたの口から聞きたいのですよ。しかし、その焦りも理解しています。アリシア女学生の異変について、マルタから聞きました。突然まるで別人のようになった、と」
「お察しの通り、私はとても焦っています。一刻も早い対応をお願いしたく思います。何か起こってからでは間に合いませんから」
「そうですね……。まずは、情報のすり合わせを行いましょう。あなたはアリシア女学生のことをどれくらい知っていますか?」
「どれくらい……」
言葉を反芻しつつ、考える。
グレイの弟子で、スライムを相棒にしている変わったテイマー。
嘘のつけない正直者で、直感的な行動をとるが、理性がないわけではない。
「一応、その、同室ですので、人間的な部分については詳しいと思います」
「あの子のスライムについては?」
「スライムって……。スライムはスライムでしょう?」
ローディウスは否定的に頭を振った。
「あなたのガルム――ケルベロスは一般的なオオカミですか?」
「いえ、違いますね」
「そう、違う。これは全ての生き物に言えますね。同じように見える生き物でも、多種多様に違っています。あの子のスライムも、皆が一般的に考える広義のスライムとは全く違います。それについては聞いたことは?」
「少しなら。でも、アリシアもよく知らないようだったので、そのままにしていました」
「なるほど。つまり、グレイも何も教えていない、と」
セリスは頭を振る。
グレイがそれを教えていないとは思えない。
「聞いたけれど、興味がなかったのかもしれません。アリシアは個々の特徴にはあまり頓着していないようでしたので」
「だとすれば、今の彼女は、それを含めて変わってしまったと思うわけですね」
「言われてみれば、そうだと思います。今まで興味のなかったことに興味を持つのはおかしくないと思うのですが、一つのことを深く知ろうとする姿勢そのものが、彼女の気質と真反対であるような気がするのです」
「そこに自分の願望が入っていないと言い切れますか?」
「言い切れません。言い切れるわけないじゃないですか」
セリスが思う理想のアリシア像はこれほど勤勉でなくて、その日のことしか考えずに毎日を過ごしている姿だ。
それに憧れがあったり、下に見ていたりということはなく、それがありのままの彼女だと思うからだ。
そしてそうあって欲しいと思うことが、自分の願望でないなど、言い切れるはずがない。
「その上で、彼女の異常を戻してほしいと? あなたがアリシア女学生の自由を奪っているとは考えないのですか?」
「アリシアが直接そう言うのなら受け入れますわ。でも、今回はそうじゃない。外部からの力が加わったようにしか見えなかったのです。だから私は――」
そこまで言って自分の本当の願いに気がついた。
ただアリシアの態度の変化にショックを受けたのではない。
心境に変化があったとしても、親友だと思っていたセリスに一言もないことが悲しかったのだ。
「せめて、理由を知りたい。なぜこうなったのかを知りたい」
「良い解答です、セリス。行動を起こすには、今はまだ情報が足りない。あなたも気がついているように、アレはセイレーンリングとはほぼ無関係でしょう。リングがきっかけではあるでしょうが、同じものではないと私も考えています」
ローディウスの推測にセリスも同意だ。
今の『アリシア』が善であるか悪であるか、判断を下すには情報が足りない。
それが唯一、確かな事実。
「あなたが本当に学友のことを大切に思うのであれば、あのスライムのことを教えるのもやぶさかではありません。どうしますか? 言っておきますが、これはとても大きな秘密です。知ってしまえば知る前には戻れませんよ」
セリスはその言葉の重みを正確には捉えられない。
ローディウスが警告してくれているということは、恐らく価値観が一変する可能性があることなのだろう。
だが、だから何だと言うのだ。
成長も学習も、価値観の変化の一部ではないか。
「……私にとって、アリシアはやっとできた友達なのです。彼女のことをもっと知りたいと思うのは、おかしなことですか?」
「それを決めるのはあなた自身です。あなたがここで身を引き、彼女の変化を受け入れることもできます。彼女がいなくても、あなたの人生の未来にはそれほど影響などないでしょう。しかし――あなたがそのように大人しく保守的な人間であったなら、私もここまで手を貸さなかったでしょうね」
ローディウスは苦笑しながら言う。
まるでセリスの返事をあらかじめ知っていたかのように。
「な、爺さん。言っただろ」
マルタが勝ち誇ったような顔で言い、ローディウスがまた困ったように苦笑する。
「さっきも言ったけどよ、セリスは友達を見捨てない。まあ、まだ見捨てるって状態でもねえけど」
マルタの私情が垣間見えた気がして、セリスは少し安心する。
彼女もアリシアのことを心配していたのだ。
「そうですね。手遅れになったと考えるのは早計です。アリシア女学生は性格の変化こそあれ、攻撃的になったわけではありません。むしろ、何か明確な目的を持ったかのように感じます。そのための道具を集めている段階なのでしょう」
道具、と聞いて図書館で様々なジャンルの本を読み漁る彼女を思い出す。
ローディウスによれば、あれは道具箱を漁っているところなのだと言う。
「必要なものと不要なもの。それを見極めるために貪欲に部品をかき集めている。その先にあるものが完成すればきっと、大きなことが起こるでしょう」
「……ローディウス学院長はいったいどこまでご存じなのですか? 私もまだ一日しか見ていないのですけれど」
「あなたたちより少しだけよく見える目を持っているだけです。心配せずとも教えますよ。マルタ、この部屋を少し借ります」
「へいへい。あたしは仕事に戻らせてもらいますよ。じゃ、セリス。また何かあったら夜中でもすぐ報せろよ」
彼女は喋りながらそそくさと部屋から抜け出す。
同席すればいいのにとセリスも考えたが、アリシアの個人的な情報をそこまで詳しく知る必要はないと考えたのだろう。
そういった配慮のできる人だと、セリスも分かっている。
「――さて、きちんと順序を追って説明しましょう。これが私のパートナーです」
ローディウスのネックレスが淡く白く光り、手のひらに乗るくらいのサイズのフクロウが現れる。
「種族名をアスカラポス。名前はアヴニールといいます」
「はじめまして、アヴニール。彼がいつも学院の敷地内を管理しているのですか?」
学院内では、いつもどこでも、誰かの視線があった。
それが人間のものでないことはセリスの直感で分かっていた。
監視が目的ではなく、危険に対する備えだと認識していた。
その視線の主が、目の前にいる小さなフクロウだと、今分かった。
「ええ。彼は庭師なのですよ。知覚範囲をこの学院の敷地内に留め、情報の蓄積から未来を計算し、起こりえる事象を絞り込む。精度はそれほど良くないので、未来予知と呼ぶには些か大げさですが」
「……よくわかりませんが、その能力でアリシアのことも把握できているのですよね?」
「完全に、とまではいきませんが、概ねその認識であっています。しかし、あくまで表層の知識だけなので、心まではわかりません。こうして話さなければ、あなたがどう感じているかもわかりませんでした」
未来の予測も現在の観測も万能ではない、とローディウスは付け足す。
「あなたも知っている通り、私はこのアヴニールと共にテイマーとして活動をしながら、グレイや、マルタ寮母の父と出会いました。その頃はまだ、セイレーンリングの件はそこまで広まっておらず、噂の範疇だったのですよ」
五十年ほど前になると、まだそこまで被害がはっきりと表に現れていなかったのは、セリスも文献で知っていた。
「話を戻しますね。その頃、人類には悩みの種の五つの厄災と呼ばれる魔物がいました。『終焉の炎帝』と呼ばれたドラゴン、『静寂の魔眼王』と呼ばれたバジリスク、『大地の破砕者』と呼ばれたベヒーモス、『漆黒海域の冥王』と呼ばれたクラーケン、そして『星喰らい』」
ローディウスは一呼吸置いて続ける。
「『星喰らい』を除く四体はすでに討伐されています。この生き残った一体が――マザースライム。その腐食能力を使い、全てを蝕み、際限なく命を貪る者。海底より生まれ出でたアレは、港町を一つ食い尽くし、討伐されました。しかし、不思議なことに、何度倒しても数年が経つと甦るのです。その度に、私たちは様々な手を尽くしてマザースライムを止めました。その時に気がついたことが、アレは死のたびに記憶を失っているということです。だから、私たちは打ち損じたわけではなく、毎回きちんと死んでいて、何らかの理由で子孫が生き残っていたのです」
ここまで言われたらセリスにも話の先が見える。
ラピスの正体がその『星喰らい』なのだと。
「私たちはマザースライムをこの世から消し去ることを諦めました。記憶がなくなるのなら、友好的な関係を築くことも可能だと考えたのです。それを担ったのが『防人』という特殊な能力を持たされた人間です。体内にマザースライムから抽出された極小の魔石を埋め込み、仲間だとは思われなくても、敵ではないと思わせることができました。そして数年間は平和に過ごせていたのです。そう、あのセイレーンリングさえなければ」
「どうしてそこでリングが……」
「セイレーンリングについてはあなたも知っているでしょう。生存本能が第一であり、脅威の排除のためになら何をしてでも動く。結果だけを見れば、リングはグレイを動かすことに成功し、見事にマザースライムを殺しました。しかし、先ほど述べた通り、マザースライムは消滅しない。アリシアを隠れ蓑にし、ラピスとして生まれ変わった」
「でもそれは良いことなのではありませんの? 少なくとも敵ではないのですわよね?」
「そう思っていました。その点についてグレイがしっかりと確認をしています。ただ、ラピスの内側については調べられなかった。恐らく、自身の記憶のコピーをラピスの内に隠していたのです。そしてひたすらに期を待った。表に出て来られる時を待ったのです」
ローディウスが小さくため息をつく。
生まれ変わりを繰り返す内に、記憶の引き継ぎを思いついたのだろうか。
それとも、それを考えるほどに深い恨みを抱えたのだろうか。
自分の手でリングと対峙すると決めたからには何が何でも自分自身を欠片でも残しておく必要がある。
不可能かもしれないが、やるだけやる。
その感情を、セリスは痛いほどに理解できる。
「ということは、マザースライムの目的は復讐なのでしょうか」
ローディウスは小さく頷く。
「そうでしょうね。そのための材料を探しているところです」
「そんな、すぐに止めないと――」
駆け出そうとしたセリスの足が動かなくなる。
ローディウスが何か魔法を使ったようだ。
「いえ、マザースライムの目的はグレイへの復讐です。町を出てグレイの足取りを捕まえるのは彼女には難しいでしょう。彼の隠遁は非常に優れており、私にだってできません。なので、待つはずです。グレイがこの町、もしくは学院を訪れるのを」
「それまで黙って見ているのですか?」
「逆ですよ、セリス。その間、アリシアの身は安全が保証されているのです。マザースライムからすれば、肉体の損傷は何よりも避けるべき事態のはず。一度グレイに敗れているのですから、慎重に行動するはずです。あなたのことを無視しているのは、あなたが計画に全くと言っていいほど、無関係だからですよ」
「私に止められるからもしれないのに、ですか?」
「止められるものなら止めてみろと思っているのかもしれませんね。マザースライムは強力な魔物です。簡単に手を出すことは避けるべきですね」
「じゃあ、どうすればいいんですか? 私は友人が操られているのをずっと黙って見ているのですか?」
「今はこらえてください。時がくるまで、今の生活を続けてください。あなたはあなたでできることをやるのは構いません。しかし、手出しはしないよう、お願いします」
「……その時が来たら、報せてくださいますよね?」
「ええ、約束します」
セリスは頭をくしゃくしゃと掻く。
言葉で言うだけなら容易いが、凄まじい葛藤が胸中を支配している。
大きく深呼吸をして、感情を隠さずに言った。
「ローディウス学院長。私は学院長様のことを信頼しています。その判断が正しいものであると、心の底から信じています。だから、だから絶対に、裏切らないでください」
セリスはそれだけ言うと、ローディウスの顔も見ずに、踵を返して管理室を出る。
そして、人気のない寮の端まで行ってその場に座り込んだ。
これから長い戦いが始まる。
向こうが準備をするというのなら、こちらもそうさせてもらう。
やるべきことを整理して、そのための方法を考えておく。
あれをやっておけばよかった、などと後悔しないために。




