おやすみなさい
収穫祭の日の夜。
セリスは校内を適当に歩き、夜風に当たりながら、昂ぶった感情を冷ましていた。
嬉しくて、寂しくて。
部屋でじっとしていると、色んなことを考えて、感情がぐちゃぐちゃになる。
これ以上泣き顔を見せたくなかった。
しばらく歩いていると、遠くに橙の灯りが見えた。
寮母のマルタがサラマンダーを従えて、校門の隅で煙草を吸っていた。
こんなところで吸ってもいいのだろうか、と少し疑問に思うも、セリスは愛想よく挨拶をする。
「こんばんは、マルタさん」
「おう、どうした? 門限がないって言っても、夜更かしはあまり感心しないぞ。――目、どうした? 泣いたのか?」
「ええ、あまりにも、楽しくて」
「そうか。お前は、余計にそうだよな」
マルタは優しく微笑んでセリスの頭を撫でる。
「こんなに楽しい気持ちになったのは久しぶりのことで、この先も同じくらい楽しいことがあるのか不安になります」
「毎年同じくらい楽しめばいいんじゃないか?」
「今年あったことが来年もあるとは思っていませんので」
「それもそうだな……」
満天の空を眺め、何か事情のありそうな顔でマルタは呟いた。
「まあ、なんだ。お前も何か困ったことがあったら相談しろよ。自分だけで解決しなくてもいいんだからな」
「……そうですわね。私も、最近になってようやくそう思えるようになりましたわ」
「な? 学校って、良いところだったろ?」
セリスがこの学校へ来たのは偶然だった。
休暇中にセリスの故郷へ旅行に来ていたマルタから薦められ、渋々通うことに決めたのだ。
やるからには手を抜かない主義であるセリスは、見事入学時に好成績を残し、首席を取るに至った経緯があった。
「ふふ、確かに、来て良かったと思いますわ。学校へ来なければ、もっと早くに挫折していたでしょうし」
自分で気がついたものも、気がつかなかったものも、壁はいくつもあった。
特に情報について己のみで探すのはかなり難しかった。
学校の図書館がなければ半分以上は見落としていただろう。
「リング探しは続けるのか? 一応あたしも報告は受けてる。もう無いかもしれないんだろ?」
「ええ。たとえ見つからなかったとしても、きっと、生涯探し続けるでしょう」
「そうか。探さなくてもいいようになればいいな」
「そうですね。その通りだと思います」
リングに対するセリスの感情は穏やかなものだった。
今までのように、憎しみを瓶に閉じ込めたような煮えたぎる情熱を今は感じていない。
それは恐らく、エルネスト先生との一件で感情が発散されたからだろう。
しかし、本当にこの世から消えていたとしても、研究することは無駄にはならない。
後の世で似たようなことが起こった時に、きっと役に立つはずだ。
「もう帰るのか?」
「そうですね。ルームメイトが心配するといけませんから。ごきげんよう」
「ああ、あの”不良娘“にもよろしくな」
聞き慣れない単語に首を傾げつつも、セリスはマルタと別れて帰路についた。
部屋に向かってほの暗い廊下を歩き、自室の扉へ手をかけた時、ふと、胸騒ぎがした。
この中で何か起こっているような、直感的な不安だ。
足下にガルムを控えさせ、そっと扉を開く。
――言葉が出なかった。
いや、正確には一瞬呼吸を忘れた。
部屋の中はまるで深い湖の底のように、暗い青色に包まれていた。
その謎の光が天井から降り注いでいるとは思えず、アリシアへ目をやると、彼女は瞬き一つせずに、じっと空中を見つめていた。
「あ、アリシア……?」
尋常ではない状態に、セリスはやっとの思いで声をかけた。
アリシアがラピスと深く繋がっている時、その瞳が紺色に変わるのは知っている。
しかし、今は水底から見上げた水面のようにきらきらと輝いている。
「────セリス? どうしました?」
少しの沈黙の後、まるで何もなかったかのように光は消え、アリシアはそう答えた。
「な、何よ、今の……」
「何って――ああ、眠っていました。疲れたみたいです」
「眠るって、あなた、目を開いていたわよ」
「そうですか。確かに、陸上では目を閉じますものね」
妙に噛み合わない会話をすると、彼女は思い出したように急にベッドへ横になった。
「おやすみなさい」
「……ええ、おやすみなさい」
呆気にとられるセリスを置いて、彼女は今度こそ目を閉じて眠りについた。
彼女の言う通り、セリスも疲れているのだろうか。
自身の影の中に隠れていたガルムを魔石へと戻し、横になる。
(まるで別人みたい……)
嫌な予感が脳をよぎる。
リングのことを考えるのは当然だ。
だからこそ、これがリングのせいでないと確信を持てる。
アレはもっと狡猾で、別人だとバレないように振る舞うからだ。
少なくとも、堂々と魔法を使うようなことはしないだろう。
それに、魔力の匂いは間違いなくアリシアとラピスのもので、他の者の匂いや気配はない。
勘と情報、どちらを信じるか悩んでいるうちに、セリスも眠りについた。
眠る前にそんなことを考えていたからか、久しぶりにあの日の悪夢を見た。
わけもわからないまま倒れていく家族。
父の姿をした化け物。
時間と共に痩せ細っていく身体。
何もわからなければここまで痛烈に記憶に残ることはなかっただろう。
強い血の臭いと悪意の臭いと、そしてセイレーンリングの圧迫感のある魔力。
まだ幼かったセリスはガルムの魔石を胸に抱いて、ただ事が終わるのをタンスの中に隠れて待った。
父のオオカミも鼻が利くが、見つからなかったのはただ時間が足りなかっただけだった。
あと五分でも父の身体が保っていれば、セリスも八つ裂きにされていたに違いない。
屋敷の至るところに火が放たれており、火事に見せかけて皆殺しにしようとしていたのはセリスにも分かった。
その後のことは、あまりよく覚えていない。
夢なら尚更おぼろげだ。
ハッと目を覚ますと、すでに朝日が昇っており、汗ばんだ額を拭う。
(寝た気がしないわ……)
悪夢を見ると、どっと疲れる。
いつだって気がつくと朝になっている。
小さなため息をつきながらアリシアの方を見ると、すでにベッドは綺麗に整頓されており、彼女の姿はそこにはなかった。
いつもなら、セリスが起こして朝の支度を一緒にしているのに。
昨晩のことを見間違いだと思いたかったがどうもそうではないらしい。
アリシアの中で何か変化が起こったことは疑いようがない。
しかしそれが、良いものなのか悪いものなのか、セリスには判断がつかない。
取り返しのつかないことになる前に、何かしなくては。
マルタの頼もしい顔が浮かぶ。
しかし何の証拠もない状態なのに、相談すべきなのだろうか。
もしかしたら勘違いかもしれない。
最低でも妙な事が起こっているという証拠は必要だろう。
でなければ、無駄に手を煩わせることになってしまう。
考えなくてはならないことはたくさんあるが、まずは観察から始めようとセリスは朝の支度を始める。
セリスに勘づかれていると向こうは知っているのだから、早々おかしなことはしないはずだと、逸る気持ちを押し殺し、自分に言い聞かせた。




