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少女とスライム、テイマーを目指して  作者: 上辻樹
第三章「スリーピー・ホロウ」
29/30

逃がすものか

アリシアは自身の胸の内が握りしめられたような閉塞感を覚え、拳を強く握った。


(グレイさんを殺せ? どうして?)


すぐに聞き返さなかったのは、彼女の敵意を鋭敏に感じ取ったからに他ならなかった。

この夢の中のような空間で対峙している状況は、どちらが有利なのか見定めなくては。

行動を起こすべきかどうか一瞬躊躇ったのをマザースライムも感じたのか、言葉を続ける。


「私はもとより、あなたも無関係ではありませんよ」


「……信じるとでも?」


「あなたの警戒も理解できます。しかし、精神による繋がりの強固なこの地で秘事は無意味。あなたが胸の内にて困惑していることを私は感じています。同じように、私が心の底よりあの男を嫌悪していることを、あなたも感じているはずです」


彼女の言う通り、自分自身の感覚が嘘を否定している。


「……じゃあ、説明してもらえますか?」


「私から聞かなくても、見たいと思えば見られるはずです」


「いえ、あなたの口から聞きたいんです。その中に嘘を感じたら、迷わず敵対します」


アリシアが本当に知りたいのは過去の確執ではなく、彼女に悪意があるかどうかだ。

正直に言えば、あの性格のグレイが誰かに殺したいほど恨まれていても不思議はない。


今回のことでセイレーンリングに関わっていたことも分かったことで、さらにその候補は広がる。

何があったとしても驚きはしないだろうと思っていた。


「私の口から語るに当たり、齟齬があってはならないので、記憶をお見せします。偽りがあれば察せることでしょう」


言葉で聞きたかったのに、とむくれるも、彼女はアリシアを無視して空間を過去のものへと作り変えていく。

間違いなく両親がいたころの風景だ。

彼女の記憶が再生されていく。


マザースライムは森の奥の小さな泉に住んでいて、両親と大変仲が良かったようだ。

この辺りはグレイからも聞いている。

知能の高いスライムと交易を行っていたと。

人間を代表して知能の高い魔物と交渉を行う職業を『防人』ということは聞いていたが、こうして実際に見ても想像していたものとあまり変わらなかった。


記憶の映像とはいえ、動いている両親を見ても何の感慨も沸かなかった──沸かせてはいけないと強く考えたのは、まだこの記憶に不信感を持っていたからだ。

自分にとって都合のいい映像で感情を揺さぶられているかもしれない、と少しでも思っているうちは、恐らく大丈夫だと考えていた。


自分がこの映像に現れていないところを見るに、両親はマザースライムに自分を接触させなかったのだと分かる。

アリシアもまた、マザースライムのことは記憶にない。


映像は途切れることなく続いた。

どれが重要な情報かはアリシアにはわからないが、マザースライムはどうやら全てを見せるつもりのようだった。

森は何度も季節を巡り、そしてやがて、異変が訪れる。


初めは、嫌な雰囲気のようなものだった。

ぬるい風が森を吹き抜け、何かにずっと見られているような、湿り気のある感覚。

アリシアにはそれが何かすぐにわかった。

アルフライラ――――グレイの気配だ。


グレイの眼帯の下は視界をアルフライラと共有しており、彼は空と地上の両方から同時に情報を得ることができる。

そして隠密技術の高さから、それを相手に知られずに探ることができる――はずだ。


だが、今こうしてグレイの気配を強く感じられるのは、アリシアがその手管を知っているからなのだろうか。

それとも、単純にまだそこまで技術がなかったのだろうか。

いくつもの可能性を考えていたが、そんなことより、とすぐに思考を現状の推理へと切り替える。


「どうして、ここに?」


今までの記憶の中にグレイはいなかった。

この日、この瞬間、突然出現した。


そして到底、仲間に入れてもらおうというような、友好的な魔力の雰囲気ではない。

今までに見た狩りや訓練での勝負とも少し違う。

背筋が凍るような、もっと悪いことのように感じる。


記憶の中のマザースライムは慌てて泉を飛び出し、森の中を走った。

自分を見ている謎の気配から逃れるようにあらゆる動物へと姿を変えつつ動いていたが、どうしても逃げられない。


(もしもグレイさんなら、この程度の擬態じゃ逃げられない。足跡と魔力が漏れすぎてる)


ずっと泉で暮らしていたスライムは、他者から逃げ慣れていない。

だから、いずれ追いつかれるのは時間の問題だった。


時折吹き付ける突風が彼女の身体を細かく切り裂いた。

その度に傷口を再生していたが、段々と弱っていくのを感じる。


ラピスもそうだが、形を変えるのは魔力も身体の水分も消耗する。

それを知っているアリシアだからこそ分かる。

森を抜けるころには、身体の回復はできてもあと二回といったところだった。

彼女はまっすぐにアリシアの家へと向かった。

それが家だと知っていたわけではなく、痕跡を辿ったのだろう。

その中で、アリシアを偶然見つけ、ラピスの卵を託し、そしていよいよ姿を見せたグレイと相対する。


彼は意外にも今とあまり変わらない容姿をしていた。

十年くらいではそれほど変わらないのだろうか。

しかし、纏う魔力は信じられないほど邪悪で、悍ましいものだった。


そして、今、この記憶に僅かな嘘を感じ、アリシアは言う。


「待ってください。何を隠したんですか?」


「……嘘をついたわけではなく、咄嗟に、見ない方がよろしいかと判断しました。ここだけは言葉で説明します。あなたの両親が、空高くから落とされ、殺されました。その姿は凄惨であり、見るべきではありません」


「優しいんですね。でも、全てを見せると言ったのはあなたですよ」


マザースライムのためらいを感じるも、アリシアは一歩も引かない。

グレイからは両親の死だけは聞いたが、どうやって死んだかは聞かされていない。

真実を知る最後のチャンスだと思った。


「私は今、感じたことのない困惑と躊躇いを感じています。どうして、見る必要のないものを、見たいと思うのですか?」


「あなたにとって不要でも、私にとって必要なんです。あなたも人間社会で暮らせば理解できるようになりますよ」


「……そうですか。では――」


ドシン、と地面を響かせる音が響き、マザースライムが小屋から慌てて飛び出すシーンへと映像が変化する。

地面に横たわっていた――否、すでに人の形状を保てていないほどに潰れた肉塊が両親のそれであると認識する。

胃の辺りが気持ち悪くなるが、野生の獣に食い散らかされた肉片と同じだと無理矢理納得させ、気持ちを落ち着かせる。


「――人間の交渉役は先に殺しておいた。これで心残りもないだろ」


風に乗って聞こえるのは確かにグレイの声なのだが、そこに姿はない。

そして、一瞬の攻防の後、彼女は敗れ、そして死んだ。


マザースライムはグレイと直接会っていないのだ。

だから、さっき現れたグレイの姿はアリシアの記憶から再現された『現在のグレイ』の姿だったのだろう。

しかし、それならば、もうひとつの疑問が浮かぶ。


「なんで、この犯人がグレイさんだと断定できるのですか?」


「あなたを通して、ずっと見てきました。私の感じた魔力の気配にはあの男とは別の物も混ざっていましたが、実行犯が彼であることには間違いありません」


「それは、セイレーンリング?」


「私には確かめる術がございませんので。しかし、その可能性は高いかと」


この頃まで操られていたのか、それとも今もまだ操られているのか。

それはアリシアにもわからない。


「単刀直入に申し上げます。あなたの両親を殺害したのは、彼です。その彼に、復讐したいとは思わないのですか?」


「なかなかはっきり言いますね……。私も正直に答えますけど、全く思いません。断言できます」


「……それは、なぜ?」


「生物が生物に殺されるのは、自然の摂理ですから。マザースライムさんこそ、私の内で刺激を受けるうちに、人間の道理に毒されてしまっているのではないですか?」


「しかし、親を殺されて黙っているなど……!」


「では、ラピスも同じことを思うでしょうか? あなたの敵を討ちたいと、感情的になって考えるでしょうか」


よく考えなくてもわかることだ。

アリシアの立場とラピスの立場は同じで、親をグレイに殺された。


しかしそれは、自分たちには関係がないことなのだ。

アリシアもラピスも、グレイの支援無しには生きていけなかった。

その行動には偽善や贖罪の意味もあったのかもしれない。

だが、自分たちにとっての関係性はそれだけなのだ。

復讐心と義憤を燃やすには、まるで薪が足りない。


「それは、アレは、知能が低いから……」


「私の家族に、何か言いました?」


アリシアのひりついた声に、マザースライムは口を噤む。


「私は、私がグレイさんを懲らしめるべきだと思えばそうします。ラピスだってそうです。今はまだ、これを見ただけでは、そこまで思いません。私の両親や、あなたがグレイさんよりも弱かっただけのことです」


こんな返しが来るとは想像もしていなかったのだろう。

マザースライムはそれから少し何も語らず、ゆらゆらと揺れていた。


「――じゃあ、そろそろ出て行ってもらえますか? 夢の中でまで疲れたくないんですよ」


アリシアのはっきりとした拒絶に、マザースライムはそれまでの丁寧な態度を一気に崩した。


「……逃がすものか」


次の瞬間、アリシアとラピスはマザースライムの伸ばした触手に捕まっていた。


「お前たちがやらないのなら、私がやる」


「ここで私たちを殺せば、できるんですか?」


「いいえ。最初に申した通り、今のこの空間はあなたがセイレーンリングの仕組みを理解したが故に発生したもの。そして、私もまた、仕組みを理解しています。アレには遠く及びませんが、繋がりの深いラピスとあなたなら、造作もない」


「何を――」


聞くまでもなく、アリシアたちはマザースライムの身体に飲み込まれ、深い海の底のようなところへと沈ませられた。

同時に、耐え難い眠気が襲う。


(これはダメだ! 乗っ取られる!)


脳裏に浮かぶのは、セリスの説明してくれた『人格は川である』ということ。

支流ごとまるごと飲み込むほどの濁流には、抗う術がない。

消え入りそうになる意識を必死につなぎ止めながら、同じく沈められたラピスを強く抱きしめる。

何も見えない暗闇の中で、二人はただ、じっとこらえるしかなかった。

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