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「ご、ごめんねっ」
顔を赤くした西宮が何かに弾かれるように洗面所の扉を閉めた。バタンと大きな音がする。かなり、力強く閉めた様子だ。テンパっている証拠だろう。
などと冷静に分析しているが俺も似たようなものだった。勢いよく風呂に入って扉を閉めた。見られた見られた見られた。どこまで見られたんだ。
心臓がバクバクと大きな音を立てている。額からはじんわりと汗が垂れてきた。
好きな子に裸を見られた。西宮からすれば男の裸を見たくもないのに見たっていう状況だ。嫌な気持ちにさせてしまったに違いない。これで、西宮に嫌われたら最悪だ。頭が痛い。
「……あ、あの。東野くん」
「な、何っ!」
もう一度、西宮が戻ってきたようだ。声を掛けられて思わず声が裏側ってしまった。向こうには俺の姿がはっきりとは見えないというのに湯船にも浸かってしまう。
「あ、その……」
西宮は何か言いにくそうにしている。何を言われるのかドキドキしてきた。
「ほ、本当にごめんね。覗くつもりがあったんじゃなくて、ドライヤーを取りに来ただけで……東野くんがまだお風呂に入ってないって知らなくて。だから、わざと覗こうとしたとかじゃなくて」
なんか、めっちゃ言い訳みたいなのをしてくる。でも、そうか。どこまで見られたか知らないけど、俺が見せたっていう罪悪感を覚えてるように西宮は見てしまったって罪悪感を抱いてるんだよな。だから、必死になって事故だってことを言ってる。
「……ボクのじゃお詫びにならないかもしれないけど、ボクのも……見る?」
「ゲホッゲホッ!」
西宮がとんでもないことを言うもんだから気道にツバが入ってしまった。咳が出る。肺の辺りが痛くなってきたぞ。
「だ、大丈夫……?」
「だ、大丈夫だいじょーぶ……あのさ、西宮。そんな責任感じる必要ないから。のんびりしてた俺が悪いんだし」
そもそもを言えば、西宮が入った後の風呂に俺が入っていいものか悩んだのが原因だ。こんなことになるなら気付かないままさっさと入ってればよかった。
「東野くんは悪くないないよ。いつお風呂に入るかなんて東野くんの自由だもん。洗面所に確認もしないで入ったボクが百パーセント悪い」
「そう思ってるとしても滅多なことを言うもんじゃないよ。それやって、西宮が嫌な気持ちになるなら俺はぜんぜん嬉しくない」
「でも、東野くんと同じ嫌な気持ちにならないと」
「俺は見られたのが嫌って言うより、西宮に嫌な思いさせたんじゃないかって不安になってる」
「……嫌、じゃなかった、よ」
「無理してるだろ」
「む、無理してないよっ。びっくりはしたけど、東野くんの……だったから……」
最後の方はよく聞こえなかった。けど、不安だ。とはいえ、この話を蒸し返していてもキリがない。今は西宮の言うことを信じよう。
「じゃあ、俺の不安は解消されたし、事故だったということでもうこの話は終わりにしよう」
「う、うん……ごめんね」
「謝らなくていいって。別に、見られて減るもんじゃないし。それよりも、ドライヤーの場所、分かる?」
「置いてるの見えてるから」
「それなら、よかった。好きに使ってくれ」
「うん……あの、東野くん」
「ん?」
西宮が扉のすぐ近くまでやって来た。それが分かるくらい扉越しから西宮の人影が見える。何する気だろう。
「責任は取るからね」
「え?」
「じゃ、じゃあ。また後で」
それだけ言い残すと西宮は洗面所を出て行った。
何だったんだ、と湯船に体を沈めながら思っていると洗面所から物を取る音が聞こえてきた。西宮が忘れたドライヤーを取りに来たらしい。また出て行った。
西宮の言葉にはやけに気合いが入っていたような気がする。責任なんて、俺は望んでない。このまま水に流すのが一番なんだから。
「変なこと考えてないといいけど」
湯船から出てバスマットに座る。俺は先に体から洗う派の人間だ。タオルを手にする。あれ、なんか濡れてるな。
いつも、母さんが洗濯して浴室に掛けてくれているタオル。誰も使ってないはずなのに、俺のタオルが既に濡れていた。不思議なことがあるもんだ。
ま、いいか。細かいことは。どうせ、今から水で濡らすんだし。
風呂から上がって部屋着に着替える。ドライヤーはない。まだ西宮が持っていったままのようだ。タオルで頭をぐしゃぐしゃに拭いていく。鏡を見れば髪は寝起きみたいに爆発していた。
ダサい姿を西宮に見せるのは嫌でくしで髪を整えていく。寝癖を直すくらいでしか髪を整えたりしないから、なんだかくすぐったい。
見せられるようになったため、洗面所から退散。リビングに戻ろう。あー、西宮と顔合わせづらいなあ……。どんな顔して西宮に会えばいいんだろう。
ゆっくりとした足取りでリビングに入ると椅子に座っていた西宮と目が合った。西宮も気まずい思いをしているようだ。頬を赤くして、そっぽを向かれた。当然の反応だ。
「あ、やっと、出てきた。ご飯もうちょっとで出来るから今の内に髪乾かしときなさい」
キッチンで晩ご飯の用意をしている母さんから声を掛けられる。
「分かった。今日のご飯、何?」
「チャーハン。西宮さんが野菜切るの手伝ってくれたから助かったよ」
「お世話になってるほんの恩返しです」
「そっか。ありがとうな、西宮」
「う、ううん。あ、はい。ドライヤー」
どうにか西宮との間に出来た気まずさを解消したくて話し掛ければ西宮も答えてくれる。ちょっと、焦ってるようだけど。渡されたドライヤーを手にして洗面所に移動する。
どうやったら西宮と普通に話せるだろ。気にしないでって言っても難しいだろうし。
髪を乾かしながらそんなことを考えていると洗面所に西宮が入ってきた。
「どうした?」
ドライヤーの電源を切って聞く。
「ボクが乾かしてあげる。貸して」
そう言うと西宮は手渡す前にドライヤーを俺の手から取り上げる。そのまま、戸惑っている俺の髪を乾かし始めた。
髪の間に手を入れながら優しい手付きで丁寧に髪を乾かしてくれる西宮。気持ちいい。自分でする場合、適当に風を当てるだけで終わるから新鮮だ。
でも、なんでこんなことになってるんだろう。鏡に反射する西宮は真剣な顔付きをしている。とりあえず、今は西宮にされるがままでいいか。その境地に陥ってから数分。西宮がドライヤーのスイッチをオフにした。
「はい、終わったよ」
「あんがと」
「うん……」
ドライヤーが稼働している間は話さなくてもよかった。話したってうるさくてよく聞こえないし。でも、終わった今は何か話していないと沈黙が辛い。普段はそんな風に感じない。けど、さっきのことがあったから無言でいるとお互いに気を使っているように感じてしまう。
「に、西宮って乾かすの上手いな。めっちゃ気持ちよかった」
「ほ、ほんと?」
「うん。やっぱ、髪の毛長いと乾かすの大変そうだし上手くなったりするんだろうな」
「どうなんだろう。自分じゃ気にしたことなかったよ。でも、東野くんが言ってくれるからそうなんだろうね」
「少なくとも、俺よりは上手いと思うぞ。俺なんて普段は適当に風当てて終わるだけだしな。自然乾燥で済ます日だってあるし」
「ちゃんと乾かした方がいいよ。東野くんの髪、綺麗だから。ツヤツヤしてる」
「そうか?」
鏡で見てみてもよく分からない。ただただ黒いだけだ。
「綺麗で言えば西宮の方がよっぽど綺麗だと思うけどな」
長くて。艶があって。立派な黒髪。女の子らしい視線を奪われる髪だ。
「あ、ありがとう……東野くんはロング派? それとも、ショート?」
「難しい質問だな。極端な話、どっちにも良さがあると思ってるけど、俺は長い方が好きかな」
普段は伸ばしてる女の子がたまーに髪型を変えて、短くしたり、アレンジしてたりするとグッとくるんだよな。西宮がたまにポニテにするみたいに。
「……じゃあ、触る?」
「え?」
「はい」
自分の髪を下から持ち上げるようにして西宮が差し出してくる。別に、触りたいなんてひと言も言ってないんだけど。けど、西宮は本気そうだ。おそるおそる、西宮の手から垂れる髪を同じようにすくい上げるようにしてみる。そのまま、親指の腹で撫でるように擦ってみた。
「ど、どうかな?」
「どうって言われても……さらさらもしてるし、つるつるもしてるから触ってて気持ち、いい?」
女の子から髪の感触について聞かれたのなんて初めてでどう答えるのが正解なのか知るはずがない。ただ、触ってて不快な気持ちにはならない。髪が指に絡んでこないあたり、よく手入れされてるんだと思う。
「そ、そっか……!」
一応、合っていたっぽい。西宮が喜んでるように見える。西宮が喜んでくれるだけで、嬉しいな。
そんなことを思いながら時間だけが過ぎていく。
「えっと、いつまでこうしてたら」
「あ、そ、そうだよね。早く戻らなきゃだよね」
焦ったように距離を取る西宮。もじもじと体を揺らしながらこっちを見ては目を逸らして、を繰り返している。
さっきまで、普通に話せてたのにまた戻ったみたいだ。
こういう時、何を言えばいいのか分からない。何も言わないのが正解なんだろうか。それとも、話をぶり返してちゃんと解決した方がいいんだろうか。
「あの、東野くん」
「な、何?」
「さっきのことだけどね。ボク、気にしないってのは無理。びっくりしたから」
「う、うん」
「でも、それで、東野くんとぎこちなくなったりするのは嫌だからちゃんとする。だから、東野くんも気まずいとか思わないで」
顔をグッと近付けて口にする西宮。目と目がちゃんと合う。大きくて、綺麗な瞳に思わず吸い込まれそうになりそうだ。
「……ずっと、考えてたんだ。西宮とどう接しようって。俺もさっきので西宮と気まずい感じになるのが嫌だったから。でも、そうだよな。気まずい雰囲気出すと余計に気まずくなるもんな」
気まずいものはしょうがない。けど、気まずいからって避けるような態度を取れば、西宮のことが好きなのに西宮との間に溝が出来てしまう。そんなのだけは絶対に嫌だ。
「そうだよ。ボク、東野くんから目を逸らした時に傷ついたもん」
「自分がしたことなのに?」
「東野くんに酷い態度取っちゃったって反省した」
「それは、しょうがないと思うけど」
「でも、それで、東野くんと話すことが減ったりしたくなかったから。だから、話すきっかけが欲しくて」
「それで、髪を乾かしてくれたのか?」
「うん……あと、東野くんに触れたかったから」
「あ、そ、そう」
「うん……ちゃんと、触れる距離にいてくれるって安心したかったんだ」
俺が思っていたよりも西宮はさっきのことで不安になっていたのかもしれない。俺は西宮の手を取った。そして、手を握る。
「……東野くん?」
きょとんと目を丸くした西宮が繋いだ手を見た。
「こうやって繋げば安心だろ。俺、西宮と距離を置いたりしないから」
離れないって分かってもらうため、しっかり手を繋ぐ。すると、西宮も同じように返してきた。そのまま、自分の頬まで手を動かしていく。
「確かに、こうしたら安心だね……えへへ」
西宮は首を傾けると俺の手の甲に自らの頬を当ててすりすりと頬ずりをしながら口にした。そんな西宮に俺は開いた口がふさがらず、何も言えなくなってしまう。
ただ、満足そうな西宮を見ていればそれでいいんだと思った。なんか、幸せ――。
「二人ともー。ご飯出来たよー」
母さんの呼ぶ声がいきなり聞こえてきて、俺と西宮は同じタイミングで肩を震わせた。
「も、戻ろっか」
「そうしよ。西宮はチャーハン好き?」
「うん、好きだよ」
「それは、よかった」
「東野くんは?」
「俺は全料理の中で一番好きだな」
「そうなんだ。覚えておかないと」
そんな他愛のない話を普通に気を使わずに交わしながらリビングに戻った。




