19
西宮がいる場所まで足音をなるべく消しながらそっと近付く。二人には気付かれないようにしながら覗き見る。どう見ても西宮と一緒にいる男の人は西宮よりも背が大きい。
っていうか誰? 西宮に何の用?
別に、西宮が誰と何をしていたっていいはずなのにどうしてだか目が離せない。
「なんで来たの!」
「いいじゃないか、来たって。問題ないだろ」
「そうだけど……ボクが恥ずかしいのっ!」
何やら言い争いをしている。二人は言い争いをする間柄らしい。どういう関係なんだ。あー、くそ。そわそわする。
「恥ずかしいって酷いなあ。俺達の仲なのに」
「あの、西宮に何か用ですか?」
男の方が西宮に手を伸ばしたのを見たのと同時に俺の体が動いていた。
「え、東野くん!?」
俺には気付いていなかったようだ。西宮が目を丸くして驚いている。男の方はといえば、納得したように手を叩いた。
「ん、ああ。違う違う。な、日向」
男が西宮の肩に手を置いた。西宮を名前で呼ぶしマジで誰なんだ。
「分かったから触らないで、お兄ちゃん」
「……え、お兄ちゃん?」
西宮は肩に置かれた手を払い除けて確かにそう言った。お兄ちゃん、と。つまりだ。この人は西宮のお兄さんということだ。
「どうも。日向のお兄ちゃんです」
西宮のお兄さんが笑い掛けてくる。反射的に俺は頭を下げた。
「あ、ど、どうも。西宮にはいつもお世話になってて……あ、東野です」
「そんなに畏まらなくていいよ。顔を上げてくれ」
「お兄ちゃんの言う通りだから。顔を上げて、東野くん」
二人から言われたので顔を上げる。俺よりも背が高い二人を前にすると圧みたいなものを感じてちょっと怖い。西宮なんて怖いとはかけ離れた優しさだってのに。
「それにしても、君に会えてよかった。俺が今日来たのは東野くん。君に会うためだったんだ」
「え、俺ですか?」
「東野くんに変なこと言ったりしたりしないでよ」
「変なことは言わないし、するつもりもないわい。ちょっと質問したいだけ。家では仲良いのになーんで外に出ると冷たいのかなあ……あ、反抗期か?」
「友達にお兄ちゃんと仲良しなところ見られるのが恥ずかしいの。ていうか、家では仲良いとか言わないで!?」
「本当のことだろ?」
ああ、やっぱり、西宮は家族と仲が良いんだな。前から知ってたけど、こうして目の前で見せられると微笑ましい。
「東野くんもあんまり見ないで……って、すっごくニコニコしてる」
「いや、西宮って本当に家族と仲が良くて楽しそうだなって。新しい西宮の一面を知れた気がして嬉しいよ」
「あ、あんまり知ってほしくない、かも……」
「悪いことじゃないと思うけど」
「そうだよなあ。悪いことじゃないよなあ」
「お兄ちゃんは黙ってて」
「おっと、酷い。じゃあ、本題に入ろうか。日向。ちょっとこっち来て」
「何なの……?」
不服そうに西宮はお兄さんの側に寄る。すると、お兄さんは西宮を俺に紹介するように手を向けた。
「東野くんに聞こう。ここにいる日向は俺の妹だ」
「はあ」
「女の子だっ!」
「お兄ちゃん!?」
「知っていたか?」
当たり前のこと聞いてきた西宮のお兄さんに俺は戸惑った。そんなこと聞かれるまでもない質問だ。ふざけてるのかとも思った。
けど、お兄さんの目は真剣だ。きっと、知ってるんだ。西宮が。自分の妹が男の子扱いされていることを。だから、俺が西宮のことをどう見てるのか聞いている。
「知ってるも何も西宮は女の子ですよ」
誰に何を聞かれても俺の答えは変わらない。西宮は女の子だ。西宮にも。西宮のお兄さんにも。俺の言うことはいつまでも変えるつもりがない。これでお兄さんに安心してもらえるかは分からないけど。
「百点満点中、百二十点の解答だ」
シンプルでよかったらしい。西宮のお兄さんは歯を見せて笑った。その隣で西宮が頬を赤くしながら目を細めていた。
「あの、どうして俺に聞いたんですか? 西宮なら俺以外にも友達がたくさんいる訳だし」
「そんなの簡単だよ。他の人の言葉なんてどうでもよくて、君の言葉が聞きたかったからだ」
「な、なんで」
「なんでって……そりゃあ、日向が東野くんのことを――っ!?」
突然、西宮のお兄さんの横腹に西宮の拳が突き刺さった。わりと大きな音がしたし、結構本気の西宮パンチだったのかもしれない。お兄さんも横腹を押さえている。
「も、もう行こっ」
西宮が焦ったように背中を押してきた。一刻も早くこの場を去りたいようだ。
「お兄ちゃんも早く帰ってよ」
「やっぱり、反抗期か……」
「違うから!」
そう言い残して西宮が立ち去る。俺は西宮に背中を押されて無理やり足を動かされた。そうして西宮のお兄さんが見えなくなると西宮が隣に並んだ。
「ほんとにお兄ちゃんは……」
ぶつぶつと文句を言っている。こんな西宮を見るのは初めてだ。家族の前でしか見せない顔というやつだろう。
「お兄さんのこと放っておいて大丈夫?」
「いいのいいの。お兄ちゃんが悪いから」
「そ、そうなんだ」
「体育祭の話をした時も見に来るなんて言ってなかったのに急に来たんだよ。普通、高校生の妹の体育祭をお兄ちゃんが見に来る?」
「高校生ともなればあんまり来ないとは思うな」
何となく小、中学校の頃は我が子の頑張りを見ようと見に来る保護者が多い。しかし、高校生ともなればそんな保護者も少なくなるように感じる。現に見に来ている保護者の数はそう多くなく、俺のところは来ていない。
「まあ、でも、西宮のこと気にしてくれてると思ったから優しいお兄さんじゃん」
「……仲は良い方だから」
「見てて分かったよ」
「あー、恥ずかし。この話はもう終わりね」
「了解」
西宮が続けてほしくないならこれ以上は何も言わないでおく。
「そういえば、東野くんはなんであんな場所にいたの?」
「暇だったからぶらぶらしてたんだ。そしたら、西宮が知らない人といたから気になって」
「どうして気になったの?」
「そりゃ、西宮に何かあったら嫌だからな。相手は西宮よりも背が大きかったし、誰なのか知らなかったから」
それが、まさか、西宮のお兄さんだったとは本当に思いもよらなかった。かなりの衝撃だった。相手が西宮のお兄さんって知らなかったから西宮が手を出されそうって勘違いして飛び出したし。
「ボクのこと心配してくれたんだ。でも、東野くんの知らない人とボクが会うのってたぶんこれからもあることだと思うけど……その度に心配ってしてくれる?」
「え、何その質問?」
「どうなのかなって」
そんなのこれから先もずっと起こることだ。西宮は俺よりも友達が多いんだから。そして、俺がその全員を知ることは一生ない。
なのに、西宮がそんな人達と会う度に心配なんてしていたらキリがない。というか、心配していい立場なんだろうか。
「難しそうな顔してるね」
「だって、考えないといけないこと色々あるだろ。そういうのなんか気持ち悪いかもだし。そもそも、何を心配するのかって話だし」
「じゃあ、今回は何を心配したの?」
「何って……」
そうだ。俺は何を心配してたんだろう。西宮が危険な目に遭うかもしれないことか。いや、違う。それもあるけど、本当のところは別だ。想像してしまったんだ。
「に、西宮が告白されてるんじゃないかって」
「ボクが告白?」
「こんなに可愛いんだから一目惚れしたってパターンがあったって普通だろ」
「かわっ……んんっ。じゃ、じゃあ、仮に。仮にだよ。ボクが告白されることの何が東野くんの心配になった、の……?」
「西宮に彼氏が出来たら今以上に西宮と話す機会が少なくなるんじゃないかって。ただでさえ、西宮には友達が多くて、俺はその内の一人だから西宮に構ってもらえる時間が減れば寂しいなって……」
ああ、これだったんだ。自分で口に出して腑に落ちた。俺は西宮に構ってもらえなくなるのが嫌なんだ。一人でいる方が気楽だと思ってるはずなのに、そんなこと思うなんて俺の中で西宮がよっぽど大きな存在になっているらしい。
「そ、そんなこと思ってたの……」
「西宮の心配をしてるようで、俺は自分のことばっかり考えてたらしい。なんかごめん」
「い、いいよ。予想外の収穫があったし」
「収穫?」
「こ、こっちの話だから気にしないで。それに、心配しなく大丈夫だよ。ボクだって東野くんと話す機会が少なくなるのは嫌だもん」
「あ、だからって、西宮に彼氏を作ってほしくないとか思ってるんじゃないんだ。きっと、これから西宮はかなり人気になるだろうから好きだってやつがたくさん現れるだろうし」
「どうして分かるの?」
「男子の勘」
教室での男子の反応や北上の様子を見ていればそんなこと簡単に予想出来る。けど、実際に男子の西宮を見る目が変わり始めているとは教えたくなくて誤魔化した。何で教えたくないんだろう。
「東野くんの勘、か……でも、当たっても意味ないよ。好きな人以外とはそういう関係になりたくないし。ボクみたいなのが何を偉そうに言ってんだって話だけど……でも、そうだから」
真っ直ぐと俺の目を見て口にする西宮。その姿に妙に体が熱くなる。
「そ、そっか。西宮は真っ直ぐなんだな」
「そうだよ。ボクにはよそ見なんてしてる余裕だってないし」
ずっと変わらず俺の目を捉える西宮から目を逸らせず、見つめ合うような形になる。こうして改めて直視するとやっぱり、西宮は顔も可愛いと思い知らされる。透き通った黄金色の大きな瞳にすっと整った鼻筋。白雪のような白い肌。
食い入るようについ視線が引き込まれているとピストルが鳴り響く音がした。突然の大きな音に我に返る。新しい競技が始まったようだ。心臓がどくどく鳴っている。
「戻って観戦しよっか」
「……あのさ。西宮さえよかったら、もうちょっとここで見ていかないか」
クラスに戻ったらきっと西宮はクラスメイトに囲まれて話せなくなる。さっきの二百メートル走で一位になったんだ。みんなが褒め称えにくるだろう。
そんな光景を俺は少し離れたところから眺める。それだけなのは嫌で。ほんの少し。あと少しだけでいいから。西宮と話していたい。
「じゃあ、あそこ行こ」
笑顔を浮かべた西宮が指差したのはグラウンドにある大きな木の下。木陰になっていて涼しそうだ。
木の下まで移動して西宮と横並びのまま座る。
「さっきの二百メートル走。凄かった。一位、おめでとう」
「ありがとう。一緒に走った子もすっごく速かったから負けそうになったよ。でも、勝てて嬉しかったな」
「俺も西宮が一番になった時は自分のことのように嬉しかった。西宮スゲーって興奮した」
「ふふ。たぶん、東野くんがくれたシュシュのおかげだと思ってるんだ。服の中に髪の毛を入れてたら勝負に集中出来てなかったと思うから。何よりすっごく走りやすいしね」
ポニーテールにした後ろ髪を指差してアピールしてくる西宮。その際、半袖と腕の隙間から服の中が見えた。脇が目に入った瞬間、俺は急いで視線を逸らした。
「どうしたの?」
「いや、何でも……」
袖の長さは十分あるとはいえ、西宮の腕の細さを考慮すれば隙間が出来てしまうのも納得。それを西宮本人が自覚してないのが問題だ。無防備にも程があるぞ。まったくけしからん。
「……もしかして、変?」
「そんなことない。似合ってる」
不安そうな声がしたから慌てて西宮を見れば西宮は知ってたよ、とでも言いたそうに頬を緩めて笑っていた。俺の答えは筒抜けだったみたいだ。
「東野くんっていつでも答えを変えないでくれるよね。分かってても嬉しくなる」
「だって、本当のことだし……そ、そう言えばなんだけど、シュシュをみんなの前で使うの無理したりしてないか?」
「してないよ。もしもね。もし、笑われたっていいんだ。ボクは東野くんに見てもらえたらそれだけで嬉しいから」
膝を丸めた上に頬を乗せてこっちを見てくる西宮に無性に保護欲のようなものが掻き立てられる。やっぱり、西宮は顔だけじゃない。言動も仕草も可愛いくてキュンキュンさせられる。頬が熱い。
「二人三脚、頑張ろうね。ボク、絶好調だから」
「頼もしいよ」
西宮と一緒なら何でも出来そうな気がした。




