第32話「増やす」
名前を掴んだ翌日から、シンの頭の中は、一つの問いで埋まっていた。
魔力は、血が作られる時に生まれる。ならば――血を、たくさん作らせれば、魔力は増える。
理屈は単純だった。あまりに単純で、拍子抜けするほどだった。血は毎日、身体が作っている。抜かれては戻し、また抜かれては戻す。その"戻す"働きが力を生んでいる。なら、その働きを、もっと大きく、もっと激しくしてやれば。器は、広がるはずだ。
問題は、その"どうやって"だった。
これまで、シンはただ見てきた。血が抜かれたあと、身体がどんな順番で、どんな速さで、それを戻していくか。翌朝のふらつき。戻る時の軽さ。……観察してきたのは、いつも、身体が"勝手に"やることだった。シンはその様子を外から眺めていただけだ。
だが、今度は違う。
――見るんじゃない。作らせるんだ。
シンは初めて、自分の身体の造血に、こちらから手を突っ込もうとしていた。
その夜、採血のあと。身体が血を戻し始める、その時期を待って、シンは試みた。数ミリしか動かせない血の感覚を、骨の芯の、あの暗く熱い場所へ、そっと向ける。血を作っている、その流れを、内側からほんの少し、後押ししてみる。
もっと、作れ。もっと、急げ。
……身体は、応えなかった。
いや、応えはした。だが、シンが望んだ形ではなかった。無理に流れを押すと、こめかみの奥がずきりと痛んだ。押し続けると、今度は胃の底から酸っぱいものがせり上がってくる。めまいがして、暗い天井が、ぐるりと回った。……血が増える気配は、まるでなかった。ただ、身体が、押されることを嫌がっていた。
シンは一度、手を引いた。
荒い息を、ゆっくりと整える。
――そう、簡単じゃないか。
考えてみれば当たり前だった。造血は蛇口ではない。ひねれば、じゃあじゃあと血が出てくるわけではない。身体には身体の都合がある。作るべき時に、作るべき量だけ作る。その加減を、外から"もっと作れ"と押しても、身体はただ、悲鳴を上げるだけだった。
それでも、シンは諦めなかった。
押し方を変える。強く、弱く。速く、ゆっくり。血を向ける場所を変える。骨の芯の、どこを、どう押せば、造血が応えるのか。……一つずつ条件を変えて、試す。ダンに教わった、あの掘り方で。今度は観察ではなく、介入の掘り方で。
だが、何日試しても結果は同じだった。
押せば、身体は嫌がる。めまいと、吐き気。増えるどころか、消耗するばかり。……シンは、壁に突き当たっていた。真理は掴んだ。増やせるはずだ、とも分かっている。なのに、その最初の一歩で、身体は頑として言うことを聞かなかった。
その夜、サイレント・ルームの闇の中で、シンはダンに正直に打ち明けた。
「増やせるはずなんだ」シンは低く言った。「血を、たくさん作らせれば、魔力は増える。でも……身体が、言うことを聞かない。もっと作れ、と押しても、めまいと吐き気が来るだけだ。……どうすれば、身体は、余分に血を作る」
ダンは、しばらく黙って聞いていた。
それから、暗がりの中でゆっくりと言った。
「増やす、か」ダンの声には、あの、面白がるような響きが戻っていた。「……いいか、小僧。身体ってのは、ケチだ。余ってりゃ、作らん。今あるもので足りてるうちは、指一本、動かさん。……身体が必死になって血を作るのは、どんな時だ」
シンは、口をつぐんだ。
「足りて、初めて、必死に作る」ダンは言った。「無くなって、初めて、慌てて埋めようとする。……お前は、いつ、いちばん血を作った? もっと作れと押した時か? それとも――」
言葉が、途中で止まった。
だが、その先を、シンはもう掴んでいた。
もっと作れと押した時では、ない。……いちばん血を作ったのは。いちばん激しく、身体が造血に力を注いだのは。――大きく抜かれた、あとだ。空になった、あの時だ。身体が、失った血に慌てて、必死に埋め戻そうとした、あの時。
シンの目の奥に、光が点った。
――押すんじゃ、ない。
空に、するんだ。
増やしたいなら、まず、減らす。身体を極限まで空にして、"足りない"と悲鳴を上げさせる。そうすれば、身体はこちらが押さなくても、勝手に、全力で血を作り始める。……その、勝手に作り始めた流れに、そっと手を添えてやればいい。
答えは、"もっと"ではなかった。"もっと減らす"、だった。
「……そういうことか」シンは、掠れた声で呟いた。
ダンは、闇の中で、静かに笑った気配がした。
「掘り方が、見えてきたな」
シンは、暗い天井を見上げた。次に掘るべき場所が、はっきりと見えていた。
――壊して、作る。
それは、危険な道だった。自分の身体を、わざと限界まで空にする。だが、そこにしか、増やす道はない。……やるしかない。シンの覚悟は、もう、決まっていた。




