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第31話「名前」

 その夜から、シンの掘り方が変わった。


 これまでは、ただ見ていた。採血の窓の、あの軽さを。血が戻る時の、身体の様子を。記録し、並べ、待つ。だが、十三歳のあの夜、シンは決めた。見るだけでは終わらせない。こちらから、働きかける。


 だからシンは、待ち構えるようになった。


 大きく血を抜かれた、その翌朝。空になった身体が、失った血を必死に作り直そうとする、その時期。これまでで、いちばん"軽さ"が濃くなる時。……そこに、シンは全神経を注いだ。数ミリしか動かせない血の感覚を、限界まで研ぎ澄まし、自分の身体のいちばん奥を、内側から覗き込む。


 誰も、覗いたことのない場所を。


 血が、作られている。


 それは、奇妙な感覚だった。骨の芯の、暗く熱い場所で、何かがひどく忙しく働いている。抜かれて減った血を埋め戻そうと、身体の全部が、そこへ力を注ぎ込んでいる。……そして、まさにその"作っている"最中に。


 あの、力の感覚が、湧いていた。


 シンは、息を止めて、それを見つめた。


 これまで、シンはそれを"漏れる"と呼んでいた。血が戻る時、何かが身体の隙間から漏れ出してくる、と。だが――違った。内側から、いちばん近くで見て、シンははっきりと分かった。


 漏れているのでは、ない。


 ――作られているのだ。


 血を作る、その働きそのものが、この"力"を生んでいる。血が生まれる、まさにその瞬間に、力もまた生まれている。二つは、別々のものではない。同じ一つのことの、表と裏だった。


 シンの頭の中で、三年分の砂粒が、音を立てて、一つの形に組み上がった。


 採血のゆるみ。食べても活かせない身体。妙に粘る身体。戻る時の軽さ。刻印が血に応えること。……ばらばらだった、すべての"なぜ"。その中心にあったもの。その"漏れ"の、本当の名前。


 ――魔力は、血が作られる時に、生まれる。


 魔力とは、造血だ。


 シンは、暗い天井を見上げたまま、しばらく動けなかった。


 あまりに、単純だった。あまりに、大きすぎた。この一行を掴むのに、三年近く、毎晩掘り続けてきた。なのに、掴んでみれば、それはたった一つの、短い言葉だった。……だが、その短い言葉は、この世界の根っこを、ひっくり返すものだった。


 なぜなら――この世界の誰もが、"魔力は生まれで決まる"と信じているからだ。


 貴族は、魔力を多く持って生まれる。奴隷は、少なく生まれる。それは、変えようのない天の采配。生まれた瞬間に器の大きさは決まっていて、あとは一生、その中で生きるしかない。……それが、この世界のいちばん揺るがない"当たり前"だった。額の鑑定印は、その"生まれ"を測る道具だった。


 だが、もし、魔力が、血を作るたびに生まれるものなら。


 血は、作れる。毎日、身体が作っている。……ならば、魔力もまた、作れるのではないか。増やせるのではないか。生まれで決まってなど、いないのではないか。


 "当たり前"の顔をした、いちばん大きな嘘。


 それが、いま、シンの手の中で、静かに罅割れた。


 その夜、サイレント・ルームの闇の中で、シンはダンに、それを打ち明けた。声を殺し、掴んだばかりの言葉を、一つずつ慎重に。


 魔力は、血が作られる時に生まれる。だから、魔力は増やせるかもしれない。……そう、告げた。


 ダンは、長いあいだ黙っていた。


 それから、闇の底で、ふ、と息を漏らした。それは、これまでシンが聞いたことのない、震えた息だった。


「……そこまで、行ったか」ダンは、掠れた声で言った。「俺は、"血を抜かれると、力が揺れる"。そこまでしか分からなかった。何十年、生きても。……お前は、その先へ行った。なぜ揺れるのか。その、答えまで」


 ダンの落ちくぼんだ目が、暗がりの奥で、濡れたように光っていた。


「血を操れる、お前だけが行ける場所だった」ダンは言った。「俺は、外から感じることしかできん。お前は、内側から確かめられる。……だから、お前が掘り当てた。この地獄の誰も――たぶん、この世界の誰も辿り着けなかった場所に」


 シンは、その言葉を静かに受けた。


 誇らしさは、なかった。ただ、途方もなく遠いところまで来てしまった、という静かな感覚だけがあった。答えは、もう、この地獄の誰も持っていない。ダンも。看守も。白衣たちも。……自分だけが、それを握っている。


 だが。


 シンは、自分の右手を、暗がりの中でじっと見つめた。血を、数ミリ動かすだけの、その手を。


 名前は、分かった。真理は、掴んだ。……なのに、この手は、昨日と何も変わっていない。相変わらず痩せて、小さく、数ミリの血しか動かせない。額の烙印も、首の番号も、消えていない。魔力が増やせると分かっても、シンはまだ、一ミリも強くなっていなかった。


 真理と、力の間には。まだ、深い谷があった。


「爺さん」シンは、静かに言った。「……分かった。ようやく、名前が分かった」


 シンは、拳を握った。


「でも、名前を知っただけじゃ、何も変わらない。魔力が、血から作れると分かった。……なら、ここから、どうやって"増やす"んだ」


 その問いに、ダンは答えなかった。答えを、持っていないからだ。


 ここから先は、また、シンが独りで掘る番だった。


 ――名前は、掴んだ。次は、それを力に変える。


 十四歳を目前にした、白い地獄の中で。世界の誰も知らない真理を握った、痩せた奴隷の少年は、次の、もっと深い坑道へ、鍬を振り下ろそうとしていた。


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