第27話「血が作られる時」
喪失は、シンを止めなかった。むしろ掘る力に変えた。
冷たい、と、シン自身思った。テオを失った痛みを燃やして、自分の掘削の燃料にする。だが、それしかシンには、テオを悼む方法がなかった。立ち尽くしても、テオは戻らない。涙を流しても戻らない。ならばテオが遺したものを、最後まで使い切る。それがシンの弔いだった。せめてもの。
テオと二つ並べて取った記録。
シンはそれを独りで突き合わせ続けた。自分の身体の戻り方。テオの身体の戻り方。二つの点。二つの線。夜ごと、頭の中の帳面を開いては並べ、また閉じた。もうテオの囁きは返ってこない。だがテオが残した数字は、まだ語っていた。
シンはこう、記録を並べた。
――大きく抜かれた翌朝。自分は目の前が白く、立てなかった。テオも同じだった。立てなかった。そこまでは、二つの身体は同じに沈んだ。
だが、そこから"戻る"、その時。
自分の身体で、あの軽さがいちばん濃く来たのはいつだったか。棚をめくる。……立てなかった、その翌朝の昼過ぎ。身体がいちばんだるさの底から這い上がろうとしていた、その時刻。ちょうどその時に、あの軽さは来ていた。指先の力の感覚が、いちばんはっきりと宿っていた。
テオの記録はどうか。テオが囁いて渡してくれた言葉をめくる。「昼を過ぎて、やっと動けた」。……その"やっと動けた"時刻。まさにその頃、テオの身体もいちばん忙しく血を戻していたはずだった。
二つの身体。二つの"戻る時刻"。それがあの軽さの濃い時刻と、重なっていた。
そしてある夜、シンは一つの偏りに気づいた。
あの"軽さ"。採血の一瞬に、首の刻印がゆるみ、指先に力の感覚が宿る、あの軽さ。それがいちばん強く来るのは、いつだったか。
これまでシンは、それを"抜かれる、その瞬間"のことだと思っていた。血を抜かれる。その一瞬に刻印がゆるむ。だから軽さは、抜かれる瞬間のものだと。ずっとそこばかりを見ていた。針が刺さる、その一点を。
だがテオの記録と並べて、見比べて、違った。
軽さがいちばんはっきり来るのは、抜かれた"その瞬間"よりも、むしろ、大量に抜かれた"あと"。空になった身体が、失った血を必死に戻そうとしている、その時期だった。
抜かれて数刻。翌朝にかけて。身体が血を作り直している、その最中。……その時期に、あの軽さはいちばん濃く、長く続いていた。自分だけではない。テオもそうだった。大きく抜かれた、その翌朝から昼にかけて、テオの身体がいちばん"戻ろう"としていた、その時。……二つの身体が、寸分違わず同じ偏りを見せていた。
二つ揃えば、偶然ではない。
シンの背筋がしびれた。
――抜かれる、時じゃない。
シンは暗い天井を見上げた。頭の中で、いくつもの棚が音を立てて並び替わっていく。これまでいちばん太い軸だと思っていたもの。"血を抜かれる、その瞬間"。それが少しずれる。もっと後ろへ。針の一点から、その後の長い、戻りの時間へ。
"血が作られている、最中"。
そこに軸が移る。
シンはそれまで、"抜かれる瞬間"の刻印のゆるみばかりを見ていた。だが、本当に何かが強くなるのは、減った時ではない。戻る時だ。血が"減る"時ではなく、血が"戻る"時に、何かが漏れる。空になった身体が、それを埋め戻そうと必死に働く、その最中に。
その夜、サイレント・ルームの闇の中で、シンは声に出した。ほとんど囁きだったが。確かめるように。
「抜かれる時じゃ、ない」シンは言った。「……作られる時だ。血が作られてる、その時に、何かが起きてる。おれの身体の中で。……力が、そこから漏れてる」
ダンは闇の中で、黙って聞いていた。何も言わなかった。だがその沈黙は、いつもの伴走者の沈黙だった。
シンはまだ、"なぜ"は分からなかった。なぜ血が作られると、力が漏れるのか。その因果は見えない。だが"いつ"は掴んだ。相関のいちばん太い一本を、初めてはっきりと掴んだ。掘るべき時刻を。
――血が作られる、その時。
シンは頭の中の帳面のいちばん新しい頁に、その一行を深く刻んだ。テオの記録の隣に。
テオが遺してくれた"もう一つの身体"がなければ。二つの点がなければ。この偏りは見えなかった。一つの身体だけでは、それはただの気まぐれに見えた。テオは消える最後まで、シンに掘るための光を渡してくれていた。知らずに。
シンはその頁を、そっと閉じた。心の中でテオに告げた。無駄にはしない。
掘るべき場所がまた一つ、深く狭まった。抜かれる瞬間ではなく。血が戻る、その時。作られる、その最中。……そこに、この地獄の誰も覗いたことのない何かがある。




