第22話「空振り」
夏が来て、去った。
窓のない施設の中で、それでも夏は匂いと湿りで分かった。残渣スープの饐えがいちばん強くなる季節。石の壁にうっすらと汗が滲み、寝床の藁が蒸れて饐えた。看守たちの機嫌が暑さで悪くなり、鞭の音がいつもより頻繁に廊下に響いた。そういう小さな徴のひとつひとつを、シンは頭の中の暦に書き込んで、夏を数えた。
そしてその夏のあいだじゅう、シンは掘り続けていた。
――そして、何も出なかった。
毎日、一つだけ条件を変えた。食う量。眠る長さ。採血のあと、じっとしているか、動くか。翌朝の身体を観察する。棚に分けてしまう。並べて見比べる。ダンに教わったとおりに、律儀に、一日も欠かさずに。
だが答えは、浮かんでこなかった。
棚を並べても、点は散ったままだった。たまに、線が引けそうに見える朝もあった。多く食った翌日、確かに軽い。よし、と思う。頭の中で細い線を引きかける。だが次の同じ日に、それは裏切られた。同じだけ食って、重い。前よりひどく動けない。ぬか喜びと裏切り。その繰り返しだった。掘っても掘っても、鍬の先にはまた、同じ固い土があるだけだった。
それでもシンは、一つだけ学んだことがあった。
自分では揃えているつもりの条件が、揃っていない。それははっきりした。だが"何が"揃っていないのかが分からない。見えない変数がいくつも、盤面の裏で動いている。その見えない手の数さえ掴めない。掘るほどに、分からないことが増える。それがこの一年の、いちばん確かな収穫だった。……皮肉な収穫だった。
秋に入る頃、シンは背がまた伸びていた。
寝床に横たわると、以前より足が藁の端に近い。腕を上げれば、指先が記憶より遠くに届く。声もまた少し低くなった。時おり、自分の声が自分のものでないように掠れて裏返った。子どもの身体が少年の身体へ、確かに変わっていく。抜かれても抜かれても、この身体は律儀に育っていた。
だが身体だけが変わっていく。掘っているものは、一向に形を持たない。
その落差が、シンを静かに蝕んだ。
――一年、近くやった。
十一歳の春に掘り始めた。それから夏を越え、秋に入った。頭の中の帳面には、記録が山のように積み上がっている。なのに、そのどれ一つとして"これだ"という確かな一本にはなっていない。積み上がったのは砂粒ではなく、外れの山だった。
焦りがある。
だが焦りよりも深いところに、もっと重いものが沈んでいた。徒労という感覚だった。やってもやっても、進んでいる気がしない。自分はただ、暗い土を無意味にかき回しているだけではないか。掘るべき鉱脈など、はじめからどこにもないのではないか。……そういう声が、飢えた夜にはいっそう大きく囁いた。
その夜、サイレント・ルームの闇の中で、シンはめずらしく弱音をこぼした。
「……何も、出ない」シンは低く言った。「一年やった。掘っても掘っても、何も出てこない。おれは掘る場所を間違えてるのか。それとも――はじめから、掘るものなんてなかったのか」
ダンはしばらく黙っていた。落ちくぼんだ目を、闇の中でじっと天井に向けたまま。
それから、ふ、と息を漏らした。笑いに似た息だった。
「掘るってのはな」ダンは言った。「――外し続けることだ」
シンは顔を上げた。
「掘り当てるまでは、外し続ける。それ以外のやり方はない」ダンの声は静かだった。「一発で当てる奴なんていない。いたら、そりゃ掘ったんじゃない。たまたま当たった穴に落ちただけだ。運だ。運は二度目は来ん。……お前がやってるのは、それとは違う。外して、外して、外した数だけ"ここではない"って場所が消えていく。消えた分だけ、正解の隠れてる場所が狭くなる。それが掘るってことだ」
外した数だけ、正解に近づく。
シンはその言葉を噛んだ。
「俺も昔、掘った」ダンは遠くを見るように言った。声に初めて、彼自身の過去の匂いが混じった。「いろんなものをな。人を。仲間を。……信じる相手を。片端から外した。この男は大丈夫だと思った奴に裏切られた。あの女は敵だと思った奴に、最後、助けられた。外し続けて、外し続けて――気づいたら、俺は独りだった」
シンはその言葉の裏に、ダンの語られない何かが沈んでいるのを感じた。潰されたという、あのクラン。信じる者を見誤ったという、あの。だが、それを問いはしなかった。ダンもそれ以上は語らなかった。今は自分の、外れの山の話だった。
「外れに耐えられん奴から、消えていく」ダンは言った。「掘るのをやめちまう。楽になりたくてな。……外れの山を見るのが、怖くなる。自分の無能の証みたいで。だから捨てる。捨てて、また同じ穴を掘る。永遠に抜け出せん」
シンは頭の中の帳面をめくった。外れの山が、そこにあった。"食えば戻る――外れ"。"眠れば軽い――外れ"。"動けば早い――外れ"。外れ。外れ。外れ。並べれば、それは確かに、自分の無能の山のように見えた。
一瞬、シンの手がその山を崩そうと動きかけた。
だが、止めた。
「……いい」
シンは暗い天井に向かって言った。
崩さなかった。むしろその山の隣に、また新しい鍬を突き立てるように、頭の中で新しい頁を開いた。
「何年でも、外してやる」シンは静かに言った。「外れの山がどれだけ高くなっても、いい。……その山のいちばん上に、いつか正解が乗る。それまで、おれは掘るのをやめない。……時間なら、ここには腐るほどある」
闇の中で、ダンが小さく頷いた気配がした。満足げな気配だった。
秋が深まっていく。石の壁の汗が乾き、空気にまた、冷たさの棘が戻り始める。また、冬が近い。弱い者からまた、静かに死んでいく季節が。
シンはその冬も、掘るつもりだった。外れの山を抱えたまま。
――砂粒を、一つずつ。何年でも。




