第10話「掘れと言われて
冬が明けても、白い地獄は白いままだった。
外の季節がどうであれ、窓のない施設に春は届かない。石の壁は、冬のあいだ溜め込んだ冷えを、まだ手放さずにいた。それでも、歯の鳴る音は少しずつ減っていた。冬を越せなかった子が、それだけ消えたということだ。
シンは越えた。
そして、ダンの言葉を抱えていた。
"魔力は生まれで決まる"――それが嘘かもしれない、という疑い。答えはダンにもない。掘るのはお前だ、とあの老人は言った。お前の、その血で、と。
だが。
「……掘れって言われても」
その夜、サイレント・ルームの中で、シンはぽつりと言った。あの静寂の中は、何を話しても外へ漏れない。だからシンは正直に吐いた。
「どこを掘るんだ。どうやって。……おれにはわからない」
嘘はそこら中に埋まっている、とダンは言った。だが、地面のどこを掘れば、その嘘が出てくるのか。鍬も地図もない。ただ「掘れ」とだけ言われて、シンは途方に暮れていた。
ダンはしばらく黙っていた。
それから、乾いた声で笑った。
「いい質問だ」ダンは言った。「"どうやって掘るか"を訊けたなら、お前はもう半分、掘り始めてる」
シンは顔を上げた。
「教えてやる。といっても、剣の振り方じゃない。もっと地味なやつだ」ダンは痩せた指を一本立てた。「まず、"こうじゃないか"と当たりをつけろ。当てずっぽうでいい。それを"仮説"と呼ぶ」
「かせつ」
「そうだ。次に、その当たりが正しいかどうか、"試す"。同じことを、条件を変えて何度もな。一度うまくいっても、まぐれかもしれん。だから何度も試す」ダンは二本目の指を立てた。「そして、いちばん大事なのがこれだ」
三本目の指。
「"覚えろ"。試した結果を全部、覚えておけ。うまくいった時、いかなかった時。その時の条件。頭の中に帳面を作れ。そして、その帳面を"見比べる"。うまくいった時といかなかった時、何が違ったか」
仮説。試す。覚えて、見比べる。
シンはその四つを頭の中で繰り返した。
「それが"掘る"ってことだ」ダンは言った。「思いつきで闇雲に土を掘り返す奴は、何も見つけられん。だが、"ここに何かあるはずだ"と当たりをつけて、掘って、外れて、また当たりをつけ直す奴は、いつか掘り当てる。宝でも、真実でもな」
シンは黙って聞いていた。
それは、これまでシンがなんとなくやってきたことに、名前を与える言葉だった。スープの塊がいつ回ってくるか。看守がいつ苛立つか。シンは見て、覚えて、見比べていた。ただ、それをどこに向けるかを決めていなかった。手当たり次第に、目の前のものを覚えていただけだ。
「わかったか」ダンは言った。「で、だ。お前はどこを掘る」
シンは答えられなかった。
嘘はたくさんある。だが、そのどれから手をつければいいのか。看守の嘘か、施設の嘘か。それとも、この世界そのものの嘘か。あまりに大きすぎた。六歳の――いや、もう七歳になっただろうか。どちらにせよ、小さな子どもの手には、この世界はあまりに広すぎた。
「わからないなら、教えといてやる」ダンは静かに言った。「掘るなら、まず"いちばん近くにある不思議"からだ」
「いちばん近く……」
「そうだ。遠くの、でかい嘘から掘ろうとするな。潰される。手の届く、すぐそばの、小さな"なぜ"から掘れ」ダンの落ちくぼんだ目が、暗がりの中でシンをまっすぐ見た。「お前にとって、いちばん近い不思議はなんだ。毎日、必ず起きること。お前のすぐそばで」
シンは考えた。
毎日、必ず起きること。すぐそばで。
――採血だ。
毎朝、腕から血を抜かれる。あの太いものが身体の奥を這っていく感覚。そして、その一瞬に、首の痣がわずかにたわむ。あの、意味のわからない感覚。
シンがそれに思い当たった顔を見て、ダンはほんの少し目を細めた。
「気づいたか」ダンは言った。「採血のときの、あの妙な感じ。お前もあるだろう」
シンは頷いた。
「あれを掘れ」ダンは言った。「あれは、俺もずっと前から気づいてた。何かある、とな。だが、俺には確かめられなかった。血が操れんからだ」
ダンは痩せた手を軽く持ち上げた。あの、結界を張る手。だが、その手は血には届かない。
「お前は違う。お前は血を、数ミリとはいえ動かせる。はずれの、ゴミの力だとお前は言ったな。だが、その"数ミリ"を持ってるのは、この施設で、たぶんお前だけだ」ダンの声が低く響いた。「俺が確かめられなかったものを、お前なら確かめられるかもしれん。採血の、あの一瞬に何が起きてるのか。それを掘れ」
シンの胸の奥で、何かが静かに灯った。
はずれの力。血を、数ミリ。誰にも価値を見出されなかったその力が、もしかしたら、この、いちばん近い不思議を掘るための、たった一つの鍬なのかもしれない。
まだ、何もわからない。掘って何が出るのかも、そもそも何かが出るのかどうかも。
だが、掘る場所は決まった。
「……やってみる」シンは言った。
声は小さかった。だが、掠れてはいなかった。
ダンはそれ以上、何も言わなかった。ただ、指を床から離す。消えていた音が房に戻ってくる。魔石の唸り。遠い呻き。滴る水。いつもの、白い地獄の音。
その夜、シンは頭の中に、新しい帳面を一冊用意した。
表紙には名前もない。ただ、これからそこに書き込むもののことを、シンは決めていた。
採血のこと。血のこと。そして、あのたわむ一瞬のこと。
明日の朝も、鉄を叩く音が房から房へ近づいてくるだろう。腕をまくられ、針を刺されるだろう。
これまでは、ただ耐えるだけの時間だった。
だが、明日からは違う。
シンは暗い天井を見上げて、そっと右手の指を握った。血を数ミリ動かすだけの、その手を。
――掘ってやる。
いちばん近くの、この不思議から。




