選択
その夜、一族は宴を開いていた。渡殿に立つ祀煙は、南庭を見下ろしていた。
月明かりに照らされた庭。その中央では、鬼たちが酒を酌み交わしていた。
大妖を討った祝いだった。庭には料理が並べられ、笑い声が響いている。
人間の作った酒。
人間の織った衣。
かつて山を棲み処としていた鬼たちは、今では人の世から得たものに囲まれていた。
祀煙は、静かにその光景を見ていた。
この庭は、かつて自分が生まれた場所だった。
煙の中から生まれた場所。
キミコが生まれた場所。
乱霧が生まれた場所。
けれど、今そこにあるのは、鬼たちの宴だった。
「見事なものだったな」
「これほどの大妖を仕留めるとは」
鬼たちは上機嫌だった。
その傍らには、生贄として捧げられた人間たちがいる。彼らは身動き一つせず、視線を落していた。
恐怖で顔を歪める者。
震えを押し殺す者。
何もかも諦めたように目を閉じる者。
その姿を、祀煙はただ眺めていた。
人間を喰らうこと。それ自体は、珍しいことではない。この一族にとって、人間も獣も変わらない。
命あるものを喰らう。それだけのことだった。
「まだ残っているではないか」
一匹の鬼が、人間に目を向ける。
「腹は満たされているが」
口元を歪めた。
「せっかくだ。もう少し楽しめばいい」
鬼は、人間の前へ歩み寄った。逃げることのできない相手を見て、面白がるように嗤う。
周囲の鬼たちも、それを止めることなく、むしろ囃し立てるようにして眺めていた。
それは、必要な行為ではなかった。ただ、相手が怯える姿を見て、楽しんでいた。
楽しむ。その言葉だけが、妙に耳に残った。
祀煙は、ゆっくりと目を伏せた。
今まで、自分は何度も言ってきた。
必要だから。それで十分だと。
鬼を潰したときも、座敷牢へ通い続ける理由も、膳を運ぶことも。
すべては必要だからと、そう言えば終わった。
そこに疑問を持ったことはなかった。
けれど、今、目の前にいる鬼たちは、必要だからではなく、己の欲のままに動いている。
それでも、誰ひとり迷わない。
自らの行いを疑うこともない。
祀煙は、初めて思った。
必要という言葉は、自分が思っていたほど、確かなものではなかったのかもしれない。
翌朝。
祀煙は、座敷牢の前に立っていた。手には、一輪の花を持っている。
いつもの役目のためではなかった。
格子の向こうを見る。キミコは、いつものように静かにそこにいた。
祀煙はしばらく何も言わなかった。ただ、目の前にいる存在を見つめていた。
ずっと、これは大切にしなければならないものだと、そう思っていた。
けれど、なぜそう思うのかを、考えたことはなかった。
必要だから。それだけで十分だと思っていた。
けれど今は違う。
自分がここにいる理由を、己の意思ではないものにしたくなかった。
やがて、呼びかける。
「姉様」
返事はない。それでも構わなかった。
「私は、ここを出ます」
静かな声だった。けれど、その言葉には確かな意思があった。
理由を説明するつもりはなかった。誰かに許しを求めるつもりもなかった。
ただ、伝えるべきだと思った。
「姉様」
祀煙は格子の中に花を置く。
「また会う日まで」
それだけを告げる。
祀煙は背を向けた。
朝の光が、長い廊下を照らしていた。
もう、振り返らなかった。




