↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
スダマの鬼  作者:
7/31

必要

 それから祀煙(しえん)は、食事を運ぶ役目を自分で引き受けるようになった。

 以前ならば、人間に任せていたことだった。

 決められた時間に膳を運び、座敷牢の前に置く。それだけの役目。

 けれど、あの日、その役目を担う人間はいなくなった。

 廊下に残された膳。板張りの床に残った血の跡。

 祀煙は、人間が死んだことを悲しんだわけではない。

 ただ、届けるべきものが届かなかった。そのことが、気に入らなかった。

 だから、自分が運ぶことにした。

「珍しいことをするのね」

 渡殿の方から、声がした。祀煙は足を止める。

 庭に面した渡殿に、乱霧(らんぎり)がいた。

 華美な衣を纏った女の鬼。

 深い緑、紫、紅。鮮やかな色を重ねた衣には、金糸の刺繍が施されている。髪には、翡翠を連ねた飾り。

 二本の角には、翡翠と金細工の飾りが施されていた。四つの瞳と同じ、深い緑色が朝日を受けて光る。

 その装いは、人間の職人に作らせたものだった。けれど、乱霧は人間を好いているわけではない。

 ただ、美しいものを好むだけだった。

「自分で膳を運ぶなんて」

 乱霧の視線が、祀煙の手元へ落ちる。

「人間にさせればいいでしょう」

「できる者がいない」

 乱霧は少し黙った。

「……そう」

 祀煙が歩き出そうとする。

「随分と妙な言い方ね」

 足を止める。

「何がだ」

 乱霧は祀煙を見る。

「もう、誰も手を出さないでしょう」

 乱霧は続ける。

「あれを見て、また同じことをする者がいるとは思えない」

「……」

「それでも、自分で運ぶのね」

「必要だからだ」

 迷いのない答えだった。

 乱霧は眼を細め、しばらく祀煙を見ていた。

 その言葉を予想していたような、けれど、どこか確かめるような視線だった。

 そして、わずかに息を漏らす。


「必要だから動く」


「必要だから選ぶ」


「必要だから切り捨てる」


 四つの瞳が、祀煙を見る。

「お前はいつも、それで終わらせる」

 責めるような声ではなかった。

 ただ、長く祀煙を見てきた者だけが持つ、静かな確信があった。

「それ以外に何がある」

 祀煙は答えた。乱霧は否定しなかった。

 ただ、興味深そうに眺めていた。

 祀煙が何かを隠しているわけではないことを、乱霧は知っていた。

 本当に、それで納得しているのだ。

 暫しの沈黙。

 庭から風が抜ける。

 木々の葉が揺れる音だけが、二人の間に残った。

 ふと、乱霧が口を開く。

「あの鬼を潰したときは、少し驚いたわ」

 祀煙の表情は変わらない。けれど、その言葉の先に何が続くのかを待っていた。

「お前が一族の者を手にかけるとは思わなかった」

「必要だった」

 短い答え。

 乱霧が小さく笑う。

「また、それ」

 乱霧はわずかに口元を緩める。

 眉を下げ、悲しみに暮れているような顔を作ってみせる。

「ああ、かわいそうに」

 わざとらしい声だった。

「一族の鬼が一匹、潰されてしまった」

「……」

「悲しいことね」

「思ってもいないことを」

 乱霧は答えなかった。ただ、口元に浮かべた笑みは消えなかった。

 祀煙の言葉に、怒りも疑いもない。

 本当に、必要だったから。ただそれだけだと思っている。

「ねえ、祀煙」

「何だ」

 乱霧はすぐには続けなかった。視線を、祀煙の持つ膳へ落とす。

「お前は、いつまでそれを必要だと言い張るつもり?」

 祀煙は眉を寄せる。

「何の話だ」

 乱霧は答えず、膳を見つめた。

「食べもしないものを」

 わずかな間。

「毎日運ぶというのに?」

 祀煙は答えなかった。

 ほんの僅かな沈黙。けれど、乱霧はそれを見逃さなかった。

「必要だからだ」

 返ってきた答えは、いつもと同じだった。

 乱霧は何も言わなかった。

「もう行く」

 祀煙は歩き出した。

「ええ」

 乱霧は渡殿に残った。

 座敷牢に向かっていく背中を、静かに見送る。




 自分でも気づいていないものを。

 いつもの言葉で片付けようとしている。

 それが、ひどく可笑しかった。

 乱霧はわずかに目を細めた。

 面白い。

 そう思った。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。