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スダマの鬼  作者: 肉
45/52

不足

 祀煙(しえん)の屋敷は、山を降りたところにあった。

 山裾から少し離れた場所。

 人里からも距離があり、周囲には祀煙が張った結界がある。

 結界の内側だけは、外よりも幾分ましだった。

 井戸の水は枯れていない。

 庭の木々も、山の外で見るものほど弱ってはいない。

 屋敷の裏には畑もある。

 それでも、飢饉そのものを消せるわけではなかった。

 屋敷には二十人ほどの女が暮らしている。

 二十人もいれば、毎日の飯だけでも相当な量になる。

 米は減った。

 雑穀も減った。

 芋はまだある。

 肉もある。

 問題は、菜だった。

 屋敷の裏にある畑では、女たちが芋や蕪、菜を育てている。

 結界の中だからか、外の畑ほど酷くはなかった。

 それでも以前のようには育たない。

 葉が小さい。

 育つのも遅い。

 虫に食われたものまで捨てずに使った。




 朝。

 祀煙が廊下を歩いていると、庭先で女が二人、収穫した菜を選り分けていた。

 籠の中には、細い葉が少しだけ入っている。

 一人が葉についた土を払いながら、小さく呟いた。

「菜っ葉、腹いっぱい食べたいなあ」

 隣の女が笑った。

「贅沢言うんじゃないよ。食えるだけいいだろ」

「分かってるけどさ」

 女は菜を持ち上げた。

「肉ばっかり食ってると、青いもん食べたくならない?」

「なる」

「味噌で煮た菜っ葉食べたい」

「私は蕪がいい」

「蕪もいいなあ」

 二人はそんな話をしながら、細い葉を大事そうに籠へ戻した。

 祀煙は少し離れたところで足を止めていた。

 女の一人が気づく。

「あ、祀煙さま」

「何だ」

「今日も山行くの?」

「ああ」

「熊はもういいからね」

「何でだ」

「肉はあるんだよ」

 女は畑を見る。

「できれば、何か青いもん拾ってきて」

「山菜か」

「何でもいいよ。食えるなら」

「あったらな」

 祀煙はそのまま歩き出した。

 肉には困っていない。

 それは本当だった。

 祀煙が取ってくるからだ。




 昼前。

 祀煙は山へ入った。

 今日は一人ではなかった。

 少し後ろを、猟師の男が二人ついてきている。

 一人は以前から何度か肉を捌かせている男だった。

 もう一人は、その男が連れてきた若い猟師だった。

「今日は鹿か?」

 後ろから声が飛んでくる。

「いればな」

「熊は?」

「いてもいい」

「簡単に言う」

 猟師が苦笑した。

 若い方は黙っている。

 祀煙が獣を取るところを見たことがないらしい。

 何度か肉を渡している猟師から話を聞いても、いまいち信じていない顔をしていた。

 三人でしばらく山を歩いた。

 飢饉になってから、人が山へ入ることが増えている。

 木の実を探し、草を摘む。

 食えるものなら何でも持っていく。

 以前なら残っていたものまで、ほとんど見当たらなかった。

 祀煙は辺りを見回した。

「山菜も少ないな」

「ああ」

 猟師が答える。

「人が入りすぎてる。根まで掘ってく奴もいる」

「馬鹿だな」

「腹が減りゃ、来年のことなんか考えられん奴もいるさ」

 祀煙は何も答えなかった。

 さらに奥へ入る。

 やがて、前方で草が揺れた。

 猟師がすぐに足を止める。

「鹿だ」

 小さく声を落とした。

 木々の向こうに、一頭の鹿がいた。

 こちらにはまだ気づいていない。

 若い猟師が弓へ手を伸ばした。

「待て」

 祀煙が言った。

 猟師が手を止める。

 祀煙は鹿を見る。

 ゆっくり片手を上げた。

 若い猟師が怪訝そうに眉を寄せた。

「何を――」

 その時。

 祀煙の袖から、灰色の薄い煙がするりと伸びた。

 淡く頼りなく見える煙だった。

 だがそれは地を這うように進み、木々の間を抜け、音もなく鹿の足元へ辿り着く。

 煙は鹿の身体に触れたかと思うと、必要なところへだけ、すっと形を変えた。

 首筋。

 胸のあたり。

 薄い灰色の煙が、その二か所をやわらかく包む。

 まるで薄布をそっと当てるような、静かなまとわりつき方だった。

 鹿がはっとしたように頭を上げた。

 次の瞬間、祀煙が手を握る。

 鹿の身体が跳ねた。

「……っ」

 若い猟師が息を呑んだ。

 鹿は突然、その場に縫い止められたように止まっていた。

 前脚が宙を掻く。

 後脚で地面を蹴る。

 何度も身体を前へ押し出そうとする。

 蹄が土を削った。

 だが、灰色の煙は離れない。

 首を包んだ煙が喉元を締め、胸に触れた煙が呼吸を押さえる。

 全身を押し潰しているわけではない。

 必要なところだけを、的確に絞めている。

 それでも、一歩も進まない。

 鹿が甲高い声を上げた。

 首を大きく振る。

 身体を捩る。

 逃れようとしている。

 だが、喉を締める煙は外れず、呼吸を奪われた鹿の動きは次第に乱れていく。

「何だ、あれ」

 若い猟師が呟いた。

 祀煙は答えない。

 握った指を少し閉じる。

 鹿の首筋を包んだ煙が、さらにぴたりと沿った。

 鹿の脚が震えた。

 それでもまだ逃げようとする。

 前脚を激しく振る。

 首を振る。

 身体を左右へ捩る。

 地面の土が飛んだ。

 灰色の煙がそのたびに揺れる。

 だが、剥がれない。

 祀煙がさらに指へ力を込めた。

 鹿の身体が大きく震えた。

 前脚が折れる。

 腹が地面についた。

 それでもしばらく脚だけが動いていた。

 蹴る。

 掻く。

 必死に身体を起こそうとする。

 やがて、それもゆっくりになっていく。

 最後に首が一度持ち上がり、そのまま力が抜けた。

 祀煙が手を開く。

 鹿の首と胸元を包んでいた灰色の煙が、するりと薄れて消えた。

「死んでない」

 猟師が鹿へ近づいた。

 鼻先へ手を寄せる。

「……本当だ」

 若い猟師はまだ祀煙を見ていた。

「今、何した」

「捕まえた」

「どうやって」

「どうやってと言われてもな」

 祀煙は鹿の前脚を掴んだ。

 そのまま軽々と持ち上げる。

 若い猟師がまた黙った。

「血を抜けるか」

「あ、ああ」

 いつもの猟師が答えた。

「少し先に水がある。そこでやる」

「頼む」

 祀煙は鹿を担いだ。

 若い猟師がその背中を見ながら、小さな声で隣へ聞いた。

「毎回こうなのか」

「だから言っただろ」

「聞いてたのと見るのは違う」

 祀煙には全部聞こえていた。

 気にせず歩いた。




 別の日には熊を見つけた。

 今度も猟師が一人ついてきていた。

 藪の向こうから大きな身体が現れる。

 熊はこちらに気づくと、足を止めた。

 鼻を動かす。

 それから身体を起こした。

「おい」

 猟師の声が低くなる。

 祀煙は動かなかった。

 熊が唸る。

 前脚を地面へ落とした。

 そのままこちらへ走ってくる。

「祀煙!」

 猟師が下がった。

 祀煙は片手を上げた。

 その袖から、また灰色の薄い煙が流れ出た。

 地を這い、木の根を回り、走ってくる熊へ向かう。

 一瞬遅れて、煙が熊の身体へ触れる。

 すると灰色の薄煙は、巨体の必要なところへだけ、すっと寄った。

 首。

 胸。

 前脚の付け根。

 そこへ薄く張りつくように煙が広がる。

 熊の全身を包むわけではない。

 暴れる力を削ぎ、呼吸を詰まらせ、動きを止めるのに足る場所だけを押さえていた。

 祀煙が手を握る。

 熊の身体が止まった。

 勢いだけが残り、土が前へ飛ぶ。

 熊が吠えた。

 祀煙へ前脚を伸ばすが、届かない。

 首を包んだ煙が喉元を締め、胸の煙が呼吸を詰まらせ、前脚の付け根にまとわりついた煙が動きを鈍らせる。

 熊は身体を左右へ振る。

 後脚で立ち上がろうとする。

 また地面へ落ちる。

 何度も何度も暴れた。

 逃れようとしている。

 太い前脚が空を掻く。

 爪が木の幹を削った。

 低い唸り声が山に響く。

 そのたびに、熊へまとわりついた灰色の煙が揺れた。

 だが、散らない。

 淡い煙とは思えない力で、急所だけを正確に絞め落としにかかっている。

 猟師は弓を構えたまま、祀煙と熊を交互に見ていた。

「……化け物だな」

「熊か」

「お前だよ」

「そうか」

 祀煙は握った指を少し狭めた。

 首元の煙がさらに密着する。

 熊が吠えた。

 さらに激しく身体を振る。

 前脚が地面を抉る。

 それでも祀煙はその場から動かない。

 指をもう少し閉じる。

 熊の動きが鈍くなった。

 暴れる。

 止まる。

 また暴れる。

 次第に間隔が長くなる。

 最後には、荒い息だけが聞こえていた。

 祀煙がさらに少し力を込める。

 熊の身体が崩れた。

 そのまま地面へ横たわる。

 熊の首元と胸を押さえていた灰色の煙が、ゆっくりと薄れて消えていく。

「死んだか?」

「まだだ」

 祀煙が答える。

「殺した方が楽だろ」

「生かしたまま持っていった方がいいんだろ」

「……血抜きするならな」

 祀煙は倒れた熊へ歩み寄った。

「持っていくぞ」

「待て。一人で持つ気か」

「そうだが」

「……もう何でもいい」

 猟師は黙った。

 肉は屋敷へ持ち帰った。

 すべてを持ち帰るわけではない。

 血を抜き、捌いてもらった分として猟師にも渡す。

 残った肉でも、二十人が食べるには十分だった。

 だから肉は足りている。

 問題はやはり、野菜だった。

 祀煙は何度か山へ入り、山菜も探した。

 だが、以前ほど取れない。

 見つけても少量だった。

 屋敷へ帰れば、すぐになくなる。

「今日はこれだけ?」

 籠を覗き込んだ女が言った。

「ああ」

「そっか」

 少し落胆した声だった。

 それでも女はすぐに笑った。

「ありがと。汁に入れるよ」

 その夜。

 大鍋には肉と芋が入っていた。

 そこへ祀煙が持ち帰った山菜が少しだけ散らされている。

 女たちはそれを残さず食べた。

「やっぱり葉っぱ入るとうまいね」

「もっと食べたい」

「また祀煙さまに探してもらいな」

「自分でも探しに行くよ」

 そんな声を聞きながら、祀煙はしばらく鍋を見ていた。




 それから数日。

 祀煙は屋敷と山を行き来していた。

 女たちが食えているかを見る。

 畑を見る。

 水を見る。

 山へ行く。

 獣を取る。

 食える草を探す。

 そんなことを繰り返していた。

 ふと、銀秋のことを思い出したのは、その日の夕方だった。

 縁側に座っていた祀煙は、庭を見ながら考えた。

 兄様は大丈夫だろう。

 兄様が食べ物に困って死ぬ姿は、どうにも想像できない。

 だが、銀秋は人間だ。

 人間は、飯を食わなければ痩せる。

 さらに食わなければ動けなくなる。

 その先は死ぬ。

「……大丈夫か、あいつ」

 祀煙は立ち上がった。

 兄様がいるから平気だろう。

 そう思いながらも、一度気になると確認したくなった。

 身体が灰色の煙へ変わる。

 煙は庭を這い、空へ上がった。




 銀秋は帳場に座っていた。

 客はいない。

 表の戸は開いている。

 通りを歩く人間も、以前より少なくなっていた。

 店の奥ではキミコが座っている。

 銀秋は帳簿へ目を落としていた。

 その時。

 戸口から、灰色の煙が流れ込んできた。

「――っ!」

 銀秋の顔色が変わった。

 煙は低く床を這った。

 戸口から次々と入ってくる。

「何だ!?」

 銀秋が立ち上がった。

 煙は床を覆い、帳場の足元を回り、柱へまとわりついた。

 銀秋がさらに一歩下がる。

「おい、キミコ!」

「何?」

 店の奥からキミコが顔を出した。

 銀秋は煙を指した。

「何じゃねえよ!」

 煙が一か所へ集まり、膨らむ。

 人の形になる。

 やがて、見覚えのある男がそこに立っていた。

 銀秋はしばらく黙った。

「……お前かよ」

「久しぶりだな」

「ふざけんな!」

 銀秋が怒鳴った。

「普通に戸から入れ!」

「戸から入っただろ」

「煙で入ってくんなって言ってんだよ!」

「早いからな」

 銀秋の顔が引きつった。

「……っ! この野郎! そういう話じゃねえよ!」

 祀煙は気にした様子もない。

 店の奥を見る。

 キミコがこちらへ歩いてくる。

「祀煙」

 祀煙の表情が少し変わった。

「兄様」

 すぐに姿勢を正す。

「お久しぶりです」

「うん」

「お変わりありませんか」

「ない」

「それならよかった」

 銀秋が横から口を挟む。

「こいつにはずいぶん態度違うな、お前」

「兄様とお前が同じなわけないだろ」

「腹立つな」

 祀煙は銀秋を見る。

 そのまま少し目を細めた。

「……お前」

「何だよ」

 祀煙が近づく。

 銀秋が眉を寄せる。

「痩せたな」

「そうか?」

「痩せた」

「食ってるよ」

 祀煙は銀秋の前へ立った。

 顔を近くから見る。

 頬を見る。

 顎を見る。

 銀秋が顔を逸らした。

「近えよ」

 祀煙は気にしない。

 片手で銀秋の頬を掴んだ。

「おい」

 顔を左右へ向ける。

「やっぱり痩せた」

「触んな!」

 銀秋が手を払おうとする。

 祀煙はその前に手を離した。

 今度は両手を銀秋の肩へ置く。

「肩も細くなった」

「だから触んなって」

 そのまま肩から腕へ手を滑らせる。

 上腕を掴む。

 揉む。

「前より肉がない」

「揉むな!」

 銀秋が腕を引く。

 祀煙はようやく腕を離した。

 次は銀秋の胸へ手を置いた。

「おい」

 そのまま胸板を押す。

 鎖骨のあたりも触る。

 脇へ手を回す。

「おい!」

「やっぱり薄くなってる」

「だから何でそんな触るんだよ!」

「どれくらい痩せたか見てる」

「見りゃいいだろ!」

「触った方が分かる」

「分からなくていい!」

 祀煙の手が脇腹へ移る。

 着物の上から、遠慮なく身体の厚みを確かめる。

「脇も落ちてるな」

「やめろ!」

 銀秋が身体を捩った。

 祀煙は今度は腰へ手を回した。

 両側から掴む。

「細くなった」

「離せ!」

 銀秋が祀煙の腕を叩いた。

 祀煙はようやく少しだけ身体を離した。

「ちゃんと食ってるのか」

「食ってる!」

「何を」

「芋とか、山菜とか、肉とか!」

 祀煙がキミコを見る。

「本当ですか、兄様」

「食べてるよ」

「量は?」

「私と同じくらい」

「なら大丈夫そうですね」

「俺の言うことは信用しねえのかよ」

「兄様の方が信用できる」

「帰れ」

 祀煙はまた銀秋を見る。

 そして懲りずに腹へ手を伸ばした。

「もういいだろ!」

 銀秋がその手を掴んだ。

「腹も見せろ」

「嫌だよ!」

「骨が浮いてないか見る」

「見せねえ!」

 その横から手が伸びた。

 キミコが祀煙の腕を掴んでいた。

「祀煙」

「はい、兄様」

「銀秋にべたべたしないで」

 祀煙はキミコを見る。

「痩せ具合を確認していただけです」

「べたべたしてた」

「申し訳ありません」

 祀煙は素直に銀秋から手を離した。

「もう触りません」

「うん」

 銀秋が自分の着物を整える。

「最初から触らせんなよ」

「祀煙だから」

「どういう意味だよ」

 祀煙は店の奥へ視線を向けた。

 食べ物らしいものがいくつか見える。

「まあ、食えてはいるようだな」

「だから言ってんだろ」

「兄様がいらっしゃるから、大丈夫だろうとは思っていました」

 キミコが祀煙を見る。

「祀煙は?」

「俺も問題ありません」

「女たちは?」

 祀煙は少し黙った。

「肉はあります」

「肉」

「はい。鹿や熊を取っています。猟師に捌かせて、その分け前として一部を渡しています」

「いっぱいある?」

「肉だけなら」

「じゃあ大丈夫?」

「いえ」

 祀煙は首を振った。

「野菜が足りません」

 キミコが祀煙を見る。

「野菜?」

「屋敷には今、二十人ほどいます」

「ふうん」

「畑でも育ててはいますが、今年はあまり出来がよくありません。結界の外よりはましですが、それでも二十人で食べるには足りません」

「何が足りないの?」

「菜や蕪ですね。芋はまだあります」

 祀煙は少し考える。

「今朝も、屋敷の女が菜っ葉を腹いっぱい食べたいと言っていました」

 キミコは黙った。

 少し考えている。

「山菜は?」

「取れるだけ取っていますが、山にも人が入っていますから。以前ほど残っていません」

「そう」

 キミコは何もないところへ手を伸ばした。

 それから止まり、また少し考えた。

「祀煙、こっち来て」

「はい」

 祀煙は言われるままにキミコについていく。

 店の奥。人目につかない場所で、キミコは再び何もない空間に手を伸ばし、爪を立てた。

 白い空間が開く。

 祀煙が目を向ける。

「兄様?」

 キミコは中へ腕を入れた。

 何かを掴む。

 引っ張り出す。

 どさっ。

 床へ山菜が落ちた。

 祀煙がそれを見る。

 次に芋。

 また山菜。

 栗。

 胡桃。

 さらに芋。

 次々と床へ積まれていく。

「…………」

 銀秋も店の奥に来て、それを見ていた。

「お前、まだそんなに持ってたのか」

「あるよ」

 キミコはまた白い空間へ手を入れた。

 山菜。

 芋。

 木の実。

 どさどさと積み上がる。

 祀煙が床とキミコを交互に見る。

「兄様」

「何?」

「どれだけ持っていらっしゃるんですか」

「いっぱい」

「……」

「まだあるよ」

「まだ」

「うん」

 キミコはさらに出そうとした。

「兄様、もう十分です」

「足りる?」

「十分です」

「二十人だよ」

「これだけあればしばらくは食えます」

「そう」

 キミコはようやく手を止めた。

 白い空間が閉じる。

 床には山菜や芋、栗、胡桃が山になっている。

 キミコはそれを見る。

「持って行って」

 祀煙がキミコを見る。

「よろしいんですか」

「うん」

「兄様たちの分は」

「まだある」

「……そうですか」

「女たちに食べさせて」

「ありがとうございます、兄様」

 キミコは少し黙った。

 床の食べ物を見る。

 それから祀煙を見る。

「あと」

「はい」

「女たちに、ごめんって言っといて」

 祀煙が黙った。

 何のことかは、すぐに分かった。

 以前、キミコが屋敷へ来た時のことだ。

 女を食おうとした。

 屋敷の中でも暴れた。

 祀煙は少しだけ目を細めた。

「分かりました」

「うん」

「伝えておきます」

 キミコは床に積まれた食べ物を見る。

「菜っ葉食べたい人にも、いっぱい食べさせて」

「そうします」

 祀煙は笑った。

「喜びますよ」

「ならよかった」

 祀煙が銀秋を見る。

「それじゃあな」

「待て」

「何だ」

「帰るなら普通に帰れよ」

 銀秋が念を押した。

 祀煙は少し考えた。

「兄様、それでは」

「うん」

「また来ます」

「おい」

 祀煙の身体が、一気に灰色の煙へ崩れた。

「うわっ!」

 銀秋が本気で飛び退いた。

 灰色の煙が一気に店の中へ膨らむ。

 床から天井近くまで広がり、銀秋の視界を覆った。

「キミコ!」

「大丈夫」

「――!」

 銀秋が声にならない悲鳴を上げる。

 煙が渦を巻く。

 床を這い、積まれた山菜や芋、栗や胡桃を包み込んでいく。

 それらも煙の中へ消えていった。

 やがて灰色の煙が戸口へ流れ出していく。

 最後の煙が外へ抜ける。

 店の中に静けさが戻った。

 銀秋はしばらく戸口を見ていた。

 身体が固まっている。

「…………」

 キミコが銀秋を見る。

「帰った」

「……」

 銀秋はようやく息を吐いた。

「……何なんだよ、あいつ」

「祀煙」

「……きょうだい揃って、全く」

 銀秋は戸口まで歩いた。

 外を見る。

 もう煙はどこにもいない。

 それを確認してから店の中へ戻る。

「来る時も怖えし、帰る時も怖えよ」

「そう?」

「そうだよ!」

「煙なだけだよ」

「俺は怖えんだよ!」

 銀秋が喚く。

「それに、人間が目の前で煙になるのを『煙なだけ』で済ませられるか!」

「祀煙は人間じゃない」

「余計怖えよ!」

 キミコは少し考えた。

「次来たら、普通に歩いて来るように言う」

「絶対言えよ」

「うん」

「絶対だぞ」

「分かった」

 銀秋はまだ戸口を気にしている。

 しばらくしてから、もう一度外を覗いた。

 何もいない。

 そこでようやく帳場へ戻った。

「……心臓に悪い」

 小さく呟いた。

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