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スダマの鬼  作者: 肉
37/52

心配

 銀秋の店へ戻った頃には、日が傾き始めていた。

「ただいま」

 キミコが店へ入ってきた。

 銀秋が帳場から顔を上げる。

「おう」

 それから、キミコの手にあるものを見る。

「……何だ、その刀」

「貰った」

「貰ったってお前」

 キミコはそのまま店の奥へ入ってくる。

 片手には刀。

 もう片方の手には、いくつもの野菜や包みの入った籠を提げていた。

 銀秋が立ち上がる。

「何だよ、その荷物」

「もらった」

「誰に」

「人」

「何で」

「むかで殺した」

 銀秋の動きが止まる。

「……何?」

「大きいむかで」

「何でそんなもん殺してんだよ」

「たぬきに頼まれた」

「またあの狸かよ」

「うん」

「お前ら随分仲良くなったな……」

 キミコは抱えていたものを床へ置いた。

 そのときだった。

 銀秋の目が、キミコの片腕に止まった。

「おい」

「何」

「腕」

 キミコが自分の腕を見る。

「これ?」

 噛まれた腕だった。

 手の甲の傷は大きく裂け、指先から前腕にかけて、皮膚の色がすっかり変わっていた。

 青紫とも黒ともつかない毒々しい色が腕一面に広がっている。

 傷口の周りはどす黒く腫れ、肘の近くまでまだらな変色が這い上がっていた。

 銀秋がすぐに近づく。

「何だそれ!」

「噛まれた」

「何に!」

「むかで」

「さっき殺したって言ってたやつか?」

「うん」

「うんじゃねえよ!」

 銀秋は触れようとして、傷のあたりで手を止める。

「毒か」

「たぶん」

「たぶん!?」

「たぬきが毒って言ってた」

「じゃあ毒じゃねえか!」

「そうかも」

「何でそんな平然としてんだよ!」

「少し痛い」

「少しって色じゃねえだろ!」

 銀秋は肘の近くまで広がった変色を見る。

「気分悪くねえか」

「悪くない」

「吐き気は」

「ない」

「息苦しくないか?」

「ない」

「痺れは」

「少し」

「痺れてんのかよ!」

「少し」

「お前、その“少し”信用できねえんだよ!」

 キミコは自分の腕を見る。

 指を曲げる。

「動く」

「動くかどうかの話じゃねえ」

「平気」

「平気に見えねえんだよ」

 銀秋の声が強くなる。

 キミコは銀秋を見る。

「死なない」

「そういうことじゃねえよ」

「死なないから大丈夫」

「死ななきゃ何でもいいと思ってんのか」

 キミコは少し黙った。

 銀秋は変色した腕から目を離さない。

「本当に治るんだろうな」

「治る」

「いつ」

「分からない」

「……まあ、分からねえよな、うん」

 銀秋は語気を少し弱めた。

「でも治る」

「……」

 銀秋は息を吐いた。

 それでも心配そうに、キミコの腕を見ている。

 キミコはその顔をじっと見た。

「銀秋」

「何だ」

「心配してる?」

「してるよ!」

「そう」

 キミコは少し嬉しそうだった。

「何で嬉しそうなんだよ」

「銀秋が心配してるから」

「喜ぶとこじゃねえだろ」

「嬉しい」

「こっちは嬉しくねえよ」

 銀秋はそう言ってから、もう一度腕を見る。

「……本当に大丈夫なんだな」

「うん」

「変な感じしたらすぐ言えよ」

「分かった」

 キミコは頷いた。

 それから、手に持っていた刀を見る。

 銀秋もつられてそちらを見る。

「……それ」

「刀」

「見りゃ分かる」

「貰った」

「貰ってきてどうすんだよ」

「使った」

「何に」

「むかで」

「刀で斬ったのか」

「うん。硬かった」

 キミコは刀身を見る。

「つまらなかった」

 何を言ってるのか分からないというように、銀秋が黙り込む。

「でも腹は柔らかかった」

「待て待て」

 銀秋が手を上げる。

「何した」

「最初、斬った」

「うん」

「斬れなかった」

「うん」

「噛まれた。脚でいっぱい抱えられた」

 銀秋の顔が引きつる。

「抱えられた?」

「うん」

「お前、それ食われかけてんじゃねえか」

「うえってなった」

「そりゃなるだろ!」

「だから腹から斬った」

「……お前なあ」

「柔らかかった」

「聞いてるだけで嫌になってきた」

「真っ二つにしても動いてた」

 キミコは片手の指をうじゃうじゃと動かしてみせる。

「もういい!」

 銀秋が額を押さえる。

「もう説明しなくていい」

 キミコは自分の腕を見て、少し考えた。

 やがて口を開く。

「銀秋」

「今度は何だ」

「見て」

「何を」

 キミコは刀を抜いた。

 銀秋がその動きを見る。

「おい」

 キミコは袖をめくり、毒に侵された腕を前へ出した。

「何する気だ」

「見せる」

「何を」

 次の瞬間。

 キミコは刀を振った。

 腕が落ちた。

 床へ転がる。

 銀秋が固まった。

「……お前」

 キミコは自分の切断面を見る。

 そこには、乱霧(らんぎり)の腕を斬ったときに見えたような、細いものが蠢く様子はなかった。

 キミコは少し身体を傾けて、それを銀秋にも見せる。

「ほら」

「何がほらだ!」

「うじゃうじゃしてない」

「……何?」

「乱霧みたいに」

 銀秋はしばらく何も言わなかった。

 床に落ちた腕。

 片腕になったキミコ。

 手に持った刀。

 順番に見る。

「分かったから!!」

 店の中に声が響いた。

「分かった?」

「分かった! 分かったから自分の腕切って見せんな!」

「でも見た方が分かる」

「分かりたくねえんだよ!」

「乱霧とは違う」

「だから分かったって言ってんだろ!」

 銀秋は大きく息を吐いた。

「お前、本当に……」

 キミコは少し考えた。

 切断された腕を見る。

 それから銀秋を見る。

「銀秋」

「何だよ」

「抱きしめて」

 銀秋が黙る。

「……何で」

「抱きしめてくれたら治る」

「は?」

「治る」

 銀秋はキミコを見る。

 さすがに疑っている。

「本当か?」

「うん」

「抱きしめるだけで?」

「うん」

「……そんなことあるか?」

「ある」

 キミコは迷いなく答えた。

 銀秋はしばらく黙っていた。

 それから床に落ちた腕を見る。

 またキミコを見る。

「……分かったよ」

 銀秋はキミコへ近づいた。

 切断された側へ触れないようにしながら、身体を抱き寄せる。

「これでいいか」

「うん」

「本当に治るんだな」

「治る」

 キミコは銀秋の胸元へ顔を寄せた。

 銀秋の腕が背中へ回る。

 抱きしめられたまま、キミコは銀秋から見えない背中側で、そっと紫色の炎を灯した。

 小さな炎だった。

 床に落ちていた腕へ紫の火が走る。

 切断された腕が炎に包まれた。

 銀秋は気づかない。

 ただ、キミコの身体を抱いたまま、背中をゆっくり撫でている。

「痛くねえか」

「平気」

「本当に?」

「うん」

「無理すんなよ」

「してない」

「そうか」

 紫の炎は静かに揺れていた。

 やがて床に落ちていた腕が炎の中で形を失う。

 同時に、切断面から新しい腕が伸び始めた。

 少しずつ形を取り戻していく。

 銀秋の背中側で、紫の炎がそれを包む。

 キミコは銀秋の胸元へ額を寄せた。

 銀秋の匂いがする。

 背中を撫でる手は、まだ止まらない。

 キミコは少しだけ銀秋へ身体を預けた。

「銀秋」

「ん」

「もう少し」

「何が」

「このまま」

 銀秋は少し黙った。

「……治るまでだぞ」

「うん」

 キミコは目を細めた。

 炎が消える。

 腕は元に戻っていた。

 前腕を覆っていた毒々しい変色もない。

 傷も残っていなかった。

「治った」

 キミコが言う。

 銀秋が身体を離す。

「見せろ」

 キミコは新しく戻った腕を上げた。

 指を動かす。

 手首を曲げる。

 肘も動かす。

「ほら」

 銀秋はキミコの手の甲から前腕、肘までを確かめるように見た。

「……本当に治ってる」

「うん」

「色も戻ってるな」

「うん」

「痛くねえ?」

「もう痛くない」

 銀秋はようやく息を吐いた。

「……そうか」

「銀秋が抱きしめてくれたから」

「本当にそれで治ったのか」

「うん」

 キミコは嬉しそうだった。

 銀秋はそんなキミコを見る。

「やっぱ変な身体してんな、お前」

「変?」

「褒めてねえよ」

「そう」

 キミコはもう一度銀秋へ近づく。

「何だよ」

「もう一回」

「何を」

「抱きしめて」

「もう治っただろ」

「治った」

「じゃあ何でだよ」

「抱きしめてほしい」

 銀秋はキミコを見る。

 キミコも銀秋を見る。

 少し間が空いた。

「……最初からそれが目的じゃねえだろうな」

「違う」

「本当か?」

「うん」

 キミコは目をきらきらさせながら言う。

「もう一回したい」

 銀秋は呆れたように息を吐いた。

「甘えん坊だな、お前」

「駄目?」

「駄目とは言ってねえよ」

 銀秋はもう一度、キミコを抱き寄せた。

 今度は治すためではない。

 キミコも両腕を銀秋の背中へ回す。

「これでいいか」

「うん」

 銀秋の手が背中を撫でる。

 キミコは満足そうに、銀秋の胸元へ額を寄せた。




 夕方になった。

 いつものように飯を買いに行く。

 昼間にもらった野菜も持っていくことにした。

 キミコが籠へ手を伸ばす。

 それを銀秋が止めた。

「持つな」

「持てる」

「さっきまで腕なかった奴が持つな」

「平気」

「俺が嫌なんだよ」

 キミコは銀秋を見る。

「銀秋が?」

「ああ」

「そう」

 キミコは手を引っ込めた。

 銀秋が野菜の入った籠を持つ。

 二人で店を出た。

 通りを歩く。

 キミコは何も持っていない。

「銀秋」

「何だ」

「重い?」

「これくらい平気だ」

「私が持てる」

「持たなくていい」

「そう」

 キミコは少し銀秋へ近づいた。

 銀秋は何も言わなかった。

 やがて、いつもの店へ着く。

 おばちゃんが二人を見る。

「いらっしゃい」

「飯、二人分」

「はいよ」

 銀秋は持ってきた野菜を置いた。

 キミコが言う。

「おばちゃん。これ、あげる」

 おばちゃんが野菜を見る。

「……全部かい?」

「うん」

「こんなにいらないよ」

 キミコが野菜を見る。

「いらない?」

「いらないってわけじゃないけどね。うちだけじゃ食べきれないよ」

「じゃあどうする?」

「どうするって、自分たちでも食べな」

 キミコが銀秋を見る。

 銀秋も野菜を見る。

「食うったってな」

「何だい」

「俺んとこじゃ火使わねえからよ」

「そんなこと知ってるよ」

 おばちゃんは呆れたように言った。

「火を使わなくても食べられるようにしときゃいいだろ」

「どうやって?」

「漬けときな」

 おばちゃんが野菜を見る。

「塩して、重しして置いとけばいいんだよ」

 おばちゃんは野菜の中からいくつか手に取った。

「こういうのなら、適当に切って塩しておけばいい」

「切るのはできる」

「じゃあできるじゃないか」

 キミコが聞く。

「すぐ食べられる?」

「少し待ちな」

「どのくらい」

「ものによるよ」

「今日?」

「今日は無理だね」

 キミコが少し黙った。

「長い」

「何でもすぐ食べようとするんじゃないよ」

 銀秋が笑った。

「お前、衣の時も同じこと言ってたな」

「待つの嫌い」

「知ってるよ」

 おばちゃんは少し笑う。

「じゃあ、今日はうちで使う分だけもらっとくよ」

「これだけ?」

「ああ。残りは持って帰って漬けな」

 キミコは銀秋を見る。

「銀秋、できる?」

「まあ、切って塩して重し乗せるだけならな」

「私もする」

「お前は今日はその腕使うな」

「……」

 おばちゃんがキミコの腕を見る。

「何かあったのかい」

「大百足を殺して、噛まれたらしい。今は治ってるけどな」

「おやまあ」

 おばちゃんは用意していた飯を見る。

「妖退治して、野菜も分けてくれたんだ。今日は少し多めにしてやろうかね」

 キミコの大きな一つ目が向く。

「多い?」

「少しね」

「どのくらい」

「いつもより少し」

「餅も?」

「飯の話だよ」

「餅は?」

 銀秋が横から言う。

「お前、よく食欲落ちねえな」

「腹は減る」

 おばちゃんが笑った。

「じゃあ今日は一つつけてやるよ」

「二つ」

「お前はすぐ増やすな」

「二つ欲しい」

「一つ」

「二つ」

「一つ」

 キミコは少し考えた。

「分かった」

「今日は随分素直だねえ」

「夕飯も多いから」

「そうかい」

 キミコは満足そうだった。

 銀秋が横からその様子を見る。

「……お前、今日かなり得してんな」

「うん」

 おばちゃんが笑う。

「相変わらず仲が良いねえ」

 銀秋はため息をついた。

 飯と餅を受け取る。

 残った野菜も持ち直した。

「じゃあ帰ったら漬けるか」

「今?」

「今すぐ食うんじゃねえぞ」

「分かってる」

「本当に?」

「待つ」

「お」

「嫌だけど」

「やっぱりな」

 二人は店を出た。

 帰り道。

 銀秋が飯と野菜を持っている。

 キミコはその隣を歩いていた。

「銀秋」

「何だ」

「今日、いっぱいもらった」

「ああ」

「夕飯も多い」

「ああ」

「餅もある」

「ああ」

「漬物もできる」

「まだできてねえよ」

「できる」

「まあな」

 キミコは少し笑った。

「むかで殺してよかった」

「次は毒牙のあるところ素手で掴むな」

「分かった」

「本当に分かったか?」

「うん」

「怪しいな」

「次は頭掴まない」

「そうしろ」

 しばらく歩く。

 銀秋はふと、キミコの腕を見る。

 キミコは銀秋を見る。

「銀秋」

「何だ」

「心配してる」

「さっきからしてるよ」

「うん」

 キミコはまた少し笑った。

「嬉しい」

「だから喜ぶなって」

 銀秋はそう言いながら、もう一度キミコの腕を見た。

 二人は並んで店へ戻った。

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