心配
銀秋の店へ戻った頃には、日が傾き始めていた。
「ただいま」
キミコが店へ入ってきた。
銀秋が帳場から顔を上げる。
「おう」
それから、キミコの手にあるものを見る。
「……何だ、その刀」
「貰った」
「貰ったってお前」
キミコはそのまま店の奥へ入ってくる。
片手には刀。
もう片方の手には、いくつもの野菜や包みの入った籠を提げていた。
銀秋が立ち上がる。
「何だよ、その荷物」
「もらった」
「誰に」
「人」
「何で」
「むかで殺した」
銀秋の動きが止まる。
「……何?」
「大きいむかで」
「何でそんなもん殺してんだよ」
「たぬきに頼まれた」
「またあの狸かよ」
「うん」
「お前ら随分仲良くなったな……」
キミコは抱えていたものを床へ置いた。
そのときだった。
銀秋の目が、キミコの片腕に止まった。
「おい」
「何」
「腕」
キミコが自分の腕を見る。
「これ?」
噛まれた腕だった。
手の甲の傷は大きく裂け、指先から前腕にかけて、皮膚の色がすっかり変わっていた。
青紫とも黒ともつかない毒々しい色が腕一面に広がっている。
傷口の周りはどす黒く腫れ、肘の近くまでまだらな変色が這い上がっていた。
銀秋がすぐに近づく。
「何だそれ!」
「噛まれた」
「何に!」
「むかで」
「さっき殺したって言ってたやつか?」
「うん」
「うんじゃねえよ!」
銀秋は触れようとして、傷のあたりで手を止める。
「毒か」
「たぶん」
「たぶん!?」
「たぬきが毒って言ってた」
「じゃあ毒じゃねえか!」
「そうかも」
「何でそんな平然としてんだよ!」
「少し痛い」
「少しって色じゃねえだろ!」
銀秋は肘の近くまで広がった変色を見る。
「気分悪くねえか」
「悪くない」
「吐き気は」
「ない」
「息苦しくないか?」
「ない」
「痺れは」
「少し」
「痺れてんのかよ!」
「少し」
「お前、その“少し”信用できねえんだよ!」
キミコは自分の腕を見る。
指を曲げる。
「動く」
「動くかどうかの話じゃねえ」
「平気」
「平気に見えねえんだよ」
銀秋の声が強くなる。
キミコは銀秋を見る。
「死なない」
「そういうことじゃねえよ」
「死なないから大丈夫」
「死ななきゃ何でもいいと思ってんのか」
キミコは少し黙った。
銀秋は変色した腕から目を離さない。
「本当に治るんだろうな」
「治る」
「いつ」
「分からない」
「……まあ、分からねえよな、うん」
銀秋は語気を少し弱めた。
「でも治る」
「……」
銀秋は息を吐いた。
それでも心配そうに、キミコの腕を見ている。
キミコはその顔をじっと見た。
「銀秋」
「何だ」
「心配してる?」
「してるよ!」
「そう」
キミコは少し嬉しそうだった。
「何で嬉しそうなんだよ」
「銀秋が心配してるから」
「喜ぶとこじゃねえだろ」
「嬉しい」
「こっちは嬉しくねえよ」
銀秋はそう言ってから、もう一度腕を見る。
「……本当に大丈夫なんだな」
「うん」
「変な感じしたらすぐ言えよ」
「分かった」
キミコは頷いた。
それから、手に持っていた刀を見る。
銀秋もつられてそちらを見る。
「……それ」
「刀」
「見りゃ分かる」
「貰った」
「貰ってきてどうすんだよ」
「使った」
「何に」
「むかで」
「刀で斬ったのか」
「うん。硬かった」
キミコは刀身を見る。
「つまらなかった」
何を言ってるのか分からないというように、銀秋が黙り込む。
「でも腹は柔らかかった」
「待て待て」
銀秋が手を上げる。
「何した」
「最初、斬った」
「うん」
「斬れなかった」
「うん」
「噛まれた。脚でいっぱい抱えられた」
銀秋の顔が引きつる。
「抱えられた?」
「うん」
「お前、それ食われかけてんじゃねえか」
「うえってなった」
「そりゃなるだろ!」
「だから腹から斬った」
「……お前なあ」
「柔らかかった」
「聞いてるだけで嫌になってきた」
「真っ二つにしても動いてた」
キミコは片手の指をうじゃうじゃと動かしてみせる。
「もういい!」
銀秋が額を押さえる。
「もう説明しなくていい」
キミコは自分の腕を見て、少し考えた。
やがて口を開く。
「銀秋」
「今度は何だ」
「見て」
「何を」
キミコは刀を抜いた。
銀秋がその動きを見る。
「おい」
キミコは袖をめくり、毒に侵された腕を前へ出した。
「何する気だ」
「見せる」
「何を」
次の瞬間。
キミコは刀を振った。
腕が落ちた。
床へ転がる。
銀秋が固まった。
「……お前」
キミコは自分の切断面を見る。
そこには、乱霧の腕を斬ったときに見えたような、細いものが蠢く様子はなかった。
キミコは少し身体を傾けて、それを銀秋にも見せる。
「ほら」
「何がほらだ!」
「うじゃうじゃしてない」
「……何?」
「乱霧みたいに」
銀秋はしばらく何も言わなかった。
床に落ちた腕。
片腕になったキミコ。
手に持った刀。
順番に見る。
「分かったから!!」
店の中に声が響いた。
「分かった?」
「分かった! 分かったから自分の腕切って見せんな!」
「でも見た方が分かる」
「分かりたくねえんだよ!」
「乱霧とは違う」
「だから分かったって言ってんだろ!」
銀秋は大きく息を吐いた。
「お前、本当に……」
キミコは少し考えた。
切断された腕を見る。
それから銀秋を見る。
「銀秋」
「何だよ」
「抱きしめて」
銀秋が黙る。
「……何で」
「抱きしめてくれたら治る」
「は?」
「治る」
銀秋はキミコを見る。
さすがに疑っている。
「本当か?」
「うん」
「抱きしめるだけで?」
「うん」
「……そんなことあるか?」
「ある」
キミコは迷いなく答えた。
銀秋はしばらく黙っていた。
それから床に落ちた腕を見る。
またキミコを見る。
「……分かったよ」
銀秋はキミコへ近づいた。
切断された側へ触れないようにしながら、身体を抱き寄せる。
「これでいいか」
「うん」
「本当に治るんだな」
「治る」
キミコは銀秋の胸元へ顔を寄せた。
銀秋の腕が背中へ回る。
抱きしめられたまま、キミコは銀秋から見えない背中側で、そっと紫色の炎を灯した。
小さな炎だった。
床に落ちていた腕へ紫の火が走る。
切断された腕が炎に包まれた。
銀秋は気づかない。
ただ、キミコの身体を抱いたまま、背中をゆっくり撫でている。
「痛くねえか」
「平気」
「本当に?」
「うん」
「無理すんなよ」
「してない」
「そうか」
紫の炎は静かに揺れていた。
やがて床に落ちていた腕が炎の中で形を失う。
同時に、切断面から新しい腕が伸び始めた。
少しずつ形を取り戻していく。
銀秋の背中側で、紫の炎がそれを包む。
キミコは銀秋の胸元へ額を寄せた。
銀秋の匂いがする。
背中を撫でる手は、まだ止まらない。
キミコは少しだけ銀秋へ身体を預けた。
「銀秋」
「ん」
「もう少し」
「何が」
「このまま」
銀秋は少し黙った。
「……治るまでだぞ」
「うん」
キミコは目を細めた。
炎が消える。
腕は元に戻っていた。
前腕を覆っていた毒々しい変色もない。
傷も残っていなかった。
「治った」
キミコが言う。
銀秋が身体を離す。
「見せろ」
キミコは新しく戻った腕を上げた。
指を動かす。
手首を曲げる。
肘も動かす。
「ほら」
銀秋はキミコの手の甲から前腕、肘までを確かめるように見た。
「……本当に治ってる」
「うん」
「色も戻ってるな」
「うん」
「痛くねえ?」
「もう痛くない」
銀秋はようやく息を吐いた。
「……そうか」
「銀秋が抱きしめてくれたから」
「本当にそれで治ったのか」
「うん」
キミコは嬉しそうだった。
銀秋はそんなキミコを見る。
「やっぱ変な身体してんな、お前」
「変?」
「褒めてねえよ」
「そう」
キミコはもう一度銀秋へ近づく。
「何だよ」
「もう一回」
「何を」
「抱きしめて」
「もう治っただろ」
「治った」
「じゃあ何でだよ」
「抱きしめてほしい」
銀秋はキミコを見る。
キミコも銀秋を見る。
少し間が空いた。
「……最初からそれが目的じゃねえだろうな」
「違う」
「本当か?」
「うん」
キミコは目をきらきらさせながら言う。
「もう一回したい」
銀秋は呆れたように息を吐いた。
「甘えん坊だな、お前」
「駄目?」
「駄目とは言ってねえよ」
銀秋はもう一度、キミコを抱き寄せた。
今度は治すためではない。
キミコも両腕を銀秋の背中へ回す。
「これでいいか」
「うん」
銀秋の手が背中を撫でる。
キミコは満足そうに、銀秋の胸元へ額を寄せた。
夕方になった。
いつものように飯を買いに行く。
昼間にもらった野菜も持っていくことにした。
キミコが籠へ手を伸ばす。
それを銀秋が止めた。
「持つな」
「持てる」
「さっきまで腕なかった奴が持つな」
「平気」
「俺が嫌なんだよ」
キミコは銀秋を見る。
「銀秋が?」
「ああ」
「そう」
キミコは手を引っ込めた。
銀秋が野菜の入った籠を持つ。
二人で店を出た。
通りを歩く。
キミコは何も持っていない。
「銀秋」
「何だ」
「重い?」
「これくらい平気だ」
「私が持てる」
「持たなくていい」
「そう」
キミコは少し銀秋へ近づいた。
銀秋は何も言わなかった。
やがて、いつもの店へ着く。
おばちゃんが二人を見る。
「いらっしゃい」
「飯、二人分」
「はいよ」
銀秋は持ってきた野菜を置いた。
キミコが言う。
「おばちゃん。これ、あげる」
おばちゃんが野菜を見る。
「……全部かい?」
「うん」
「こんなにいらないよ」
キミコが野菜を見る。
「いらない?」
「いらないってわけじゃないけどね。うちだけじゃ食べきれないよ」
「じゃあどうする?」
「どうするって、自分たちでも食べな」
キミコが銀秋を見る。
銀秋も野菜を見る。
「食うったってな」
「何だい」
「俺んとこじゃ火使わねえからよ」
「そんなこと知ってるよ」
おばちゃんは呆れたように言った。
「火を使わなくても食べられるようにしときゃいいだろ」
「どうやって?」
「漬けときな」
おばちゃんが野菜を見る。
「塩して、重しして置いとけばいいんだよ」
おばちゃんは野菜の中からいくつか手に取った。
「こういうのなら、適当に切って塩しておけばいい」
「切るのはできる」
「じゃあできるじゃないか」
キミコが聞く。
「すぐ食べられる?」
「少し待ちな」
「どのくらい」
「ものによるよ」
「今日?」
「今日は無理だね」
キミコが少し黙った。
「長い」
「何でもすぐ食べようとするんじゃないよ」
銀秋が笑った。
「お前、衣の時も同じこと言ってたな」
「待つの嫌い」
「知ってるよ」
おばちゃんは少し笑う。
「じゃあ、今日はうちで使う分だけもらっとくよ」
「これだけ?」
「ああ。残りは持って帰って漬けな」
キミコは銀秋を見る。
「銀秋、できる?」
「まあ、切って塩して重し乗せるだけならな」
「私もする」
「お前は今日はその腕使うな」
「……」
おばちゃんがキミコの腕を見る。
「何かあったのかい」
「大百足を殺して、噛まれたらしい。今は治ってるけどな」
「おやまあ」
おばちゃんは用意していた飯を見る。
「妖退治して、野菜も分けてくれたんだ。今日は少し多めにしてやろうかね」
キミコの大きな一つ目が向く。
「多い?」
「少しね」
「どのくらい」
「いつもより少し」
「餅も?」
「飯の話だよ」
「餅は?」
銀秋が横から言う。
「お前、よく食欲落ちねえな」
「腹は減る」
おばちゃんが笑った。
「じゃあ今日は一つつけてやるよ」
「二つ」
「お前はすぐ増やすな」
「二つ欲しい」
「一つ」
「二つ」
「一つ」
キミコは少し考えた。
「分かった」
「今日は随分素直だねえ」
「夕飯も多いから」
「そうかい」
キミコは満足そうだった。
銀秋が横からその様子を見る。
「……お前、今日かなり得してんな」
「うん」
おばちゃんが笑う。
「相変わらず仲が良いねえ」
銀秋はため息をついた。
飯と餅を受け取る。
残った野菜も持ち直した。
「じゃあ帰ったら漬けるか」
「今?」
「今すぐ食うんじゃねえぞ」
「分かってる」
「本当に?」
「待つ」
「お」
「嫌だけど」
「やっぱりな」
二人は店を出た。
帰り道。
銀秋が飯と野菜を持っている。
キミコはその隣を歩いていた。
「銀秋」
「何だ」
「今日、いっぱいもらった」
「ああ」
「夕飯も多い」
「ああ」
「餅もある」
「ああ」
「漬物もできる」
「まだできてねえよ」
「できる」
「まあな」
キミコは少し笑った。
「むかで殺してよかった」
「次は毒牙のあるところ素手で掴むな」
「分かった」
「本当に分かったか?」
「うん」
「怪しいな」
「次は頭掴まない」
「そうしろ」
しばらく歩く。
銀秋はふと、キミコの腕を見る。
キミコは銀秋を見る。
「銀秋」
「何だ」
「心配してる」
「さっきからしてるよ」
「うん」
キミコはまた少し笑った。
「嬉しい」
「だから喜ぶなって」
銀秋はそう言いながら、もう一度キミコの腕を見た。
二人は並んで店へ戻った。




