仲
あれから、しばらく経った。
銀秋とキミコは、毎晩口付けをしてから眠るようになった。
夜になれば店を閉め、飯を食べる。
それからふたりで座敷へ入り、同じ寝具へ横になる。
少し話をする日もあれば、すぐに眠る日もあった。
顔を寄せ、唇を重ねる。
短い口付けだった。
銀秋からすることもあれば、キミコからすることもある。
それから離れて、眠る。
いつの間にか、それが毎晩のことになっていた。
それ以外は、以前と変わらない。
朝になれば銀秋は店を開ける。
客が来れば商売をする。
キミコはその隣にいたり、店の奥で好きなように過ごしたりしている。
昼になれば二人分の飯を買いに行き、店へ戻って食べる。
夕方になれば店を閉める。
そんな日が続いていた。
その日は、朝から客が多かった。
店を開けて間もなく、一人目の客が来た。
銀秋がその相手をしているうちに、次の客が表に立った。
一人が帰れば、また一人。
普段なら客足が途切れることもあるが、今日はなかなか途切れない。
銀秋は朝からほとんど帳場を離れていなかった。
「これじゃ、これだけだな」
銀秋は預かった品を男の前へ置いた。
「もう少し出ないか」
「出ない」
「そこを何とかならないか」
「ならねえよ」
男は品を見る。
銀秋を見る。
しばらく考えてから、諦めたように息を吐いた。
「……分かった」
「ああ」
銀秋は銭を用意した。
男が帰る。
すぐに、表で待っていた次の客が入ってきた。
キミコは銀秋の隣に座っていた。
朝から何度も似たようなやり取りを見ている。
客はまだ途切れない。
表の通りから聞こえてくる人の声も、朝よりずっと増えていた。
キミコは銀秋を見る。
「銀秋」
「何だ」
「腹が減った」
「ああ」
銀秋は新しい客が持ってきた包みを開いた。
中の品を取り出す。
キミコは待った。
銀秋は品を手に取り、確かめている。
「銀秋」
「分かってる」
「飯」
「俺も腹減ってるよ」
銀秋は表を見た。
まだ一人、客が待っている。
「……今日は出られそうにねえな」
「飯は?」
「食うよ」
銀秋は少し考えた。
「お前、取ってきてくれるか」
「私が?」
「ああ」
銀秋は銭を取り出した。
「頼む」
キミコは差し出された銭を受け取った。
「いつもの?」
「そう」
「わかった」
キミコは立ち上がった。
銀秋はすぐに客へ向き直る。
キミコもそのまま店を出た。
通りには多くの人が行き交っていた。
荷を担いだ男が歩いている。
店先では商人が客と言葉を交わしている。
人の間を、子供が駆けていった。
キミコはその中を歩く。
餅屋までの道は、もう覚えている。
いつもの道を進み、角を曲がる。
しばらくすると、見慣れた店が見えてきた。
キミコは店先まで歩いていく。
おばちゃんが顔を上げた。
「おや。今日は一人かい」
「うん」
「銀秋は?」
「客が多い」
「忙しいのかい」
「うん」
キミコは銀秋から渡された銭を差し出した。
「二人分」
「あいよ。いつものだね」
「うん」
「ちょっと待ってな」
おばちゃんは銭を受け取った。
二人分の飯を用意し始める。
キミコはその場で待った。
おばちゃんは手を動かしながら、キミコを見る。
「銀秋とはうまくやってるかい」
「うん」
キミコは頷いた。
「毎晩、口付けをしている」
おばちゃんの手が止まった。
キミコを見る。
「……そうかい」
「うん」
「毎晩かい」
「毎晩」
「へえ」
おばちゃんは少し笑った。
「随分仲良くなったもんだねえ」
「仲がいい」
「そうだよ」
おばちゃんはまた手を動かし始めた。
キミコはその様子を見ていた。
しばらくして、口を開く。
「おばちゃん」
「何だい」
「仲がいいと、他には何をする」
おばちゃんの手がまた止まった。
振り返る。
「……あんたねえ」
「何だ」
「銀秋としたいんだろ?」
「うん」
キミコはすぐに答えた。
おばちゃんは少し黙った。
「だったら、銀秋に聞きな」
「銀秋に?」
「そうだよ。私に聞くことじゃないよ」
「わかった」
キミコは頷いた。
少しして、おばちゃんは二人分の飯を包んだ。
「ほら」
「ありがとう」
「あいよ」
キミコは包みを受け取った。
そのまま店を出る。
来た道を戻った。
店へ着くと、まだ客がいた。
銀秋は帳場に座っている。
キミコが入ってくると、銀秋が顔を上げた。
「帰ったか」
「うん」
「そこ置いといてくれ」
キミコは二人分の飯を置いた。
銀秋はまた客へ向き直った。
キミコはその隣へ座る。
しばらくして、客が帰った。
だが、表で待っていた男がすぐに入ってくる。
キミコは置かれた包みを見る。
「先に食ってていいぞ」
銀秋が言った。
キミコは銀秋を見る。
「銀秋は?」
「これが終わったら食う」
「待つ」
「腹減ってんだろ」
「減っている」
「なら食えよ」
「一緒に食べる」
銀秋がキミコを見る。
少しして、笑った。
「……そうか」
「うん」
キミコは包みから目を離した。
そのまま銀秋の隣で待った。
夜になった。
店を閉める頃には、銀秋はすっかり疲れていた。
夕飯を食べ終え、ふたりで座敷へ入る。
銀秋は寝具へ横になった。
「あー……疲れた」
キミコもその隣へ入った。
「今日は客が多かった」
「多かったな」
「明日も多い?」
「知らねえよ。今日だけだろ」
「そう」
銀秋は横を向いた。
キミコも銀秋を見る。
顔を寄せる。
唇が触れた。
少しして離れる。
いつもの口付けだった。
銀秋は目を閉じようとした。
「銀秋」
「ん?」
「聞きたいことがある」
「何だ」
「口付けの他には、何をする」
銀秋が目を開けた。
キミコを見る。
「……何の話だ」
「仲がいい人間がすること」
「何だよ、急に」
「昼に聞いた」
「誰に」
「おばちゃん」
銀秋は黙った。
「……何を言った」
「銀秋と毎晩口付けをしていると言った」
「お前なあ……」
銀秋は片手で顔を覆った。
「何でそんなこと喋るんだよ」
「うまくやっているかと聞かれた」
「それで口付けの話までしたのか」
「うん」
「……そうかよ」
銀秋は息を吐いた。
「それで?」
「他には何をするか聞いた」
「何て言われた」
「銀秋としたいなら、銀秋に聞けと言われた」
銀秋はしばらく黙った。
「……それで俺に聞いてんのか」
「うん」
「したいのか」
「うん」
「俺と」
「うん」
返事に迷いはなかった。
銀秋はキミコを見る。
キミコも銀秋を見ている。
「……口付けより、もっと触ったりする」
「どこを?」
「いろいろだ」
「いろいろではわからない」
「そうだろうな」
銀秋は頭を掻いた。
「衣を脱いだりする」
「うん」
「普段は触らないところにも触る」
「うん」
「身体を重ねる」
「なぜ?」
「……そこからか」
「知らない」
「そうだよな」
銀秋は息を吐いた。
それから、一つずつ説明した。
衣を脱ぐこと。
互いの身体に触れること。
口付けよりも、もっと近くなること。
キミコは黙って聞いていた。
分からないところがあれば尋ねた。
銀秋も、そのたびに答えた。
やがて説明を終える。
「……分かったか」
「うん」
キミコは少し考えた。
「したい」
銀秋が黙った。
「……今の聞いてか」
「うん」
「お前なあ」
「銀秋としたい」
キミコは銀秋を見る。
「銀秋は?」
「俺は……」
銀秋は言葉に詰まった。
「したくない?」
「そうは言ってねえよ」
「したい?」
銀秋はすぐには答えなかった。
やがて、息を吐く。
「……したいよ」
「なら、する?」
「待て」
「何だ」
銀秋は身体を起こした。
「こういうのは、口付けとは違う」
「うん」
「途中で嫌になるかもしれない」
「うん」
「そうしたら、そこでやめる」
「わかった」
「痛かったり、怖かったりしても言え」
「うん」
「我慢するなよ」
「しない」
「俺が嫌だと言ってもやめる」
「うん」
「どっちかが嫌なら、それで終わりだ」
「わかった」
銀秋はまだ何か言いたそうに、しばらくキミコを見た。
「……本当に俺としたいんだな」
「うん」
「本当にいいんだな」
「私は銀秋としたい」
キミコはもう一度言った。
銀秋は目を伏せた。
少しして、手を伸ばす。
キミコの頬に触れた。
「……分かった」
キミコが銀秋へ近づく。
銀秋はその顔を見た。
それから、ゆっくり顔を寄せる。
唇が重なった。
いつもの口付けだった。
けれど、今夜はすぐには離れなかった。
翌日の昼。
客足が途切れたところで、銀秋は帳簿を閉じた。
「飯、取りに行くか」
「うん」
ふたりで店を出た。
昨日と同じ道を歩く。
通りには人が行き交っている。
店先から声が聞こえ、荷を抱えた男がふたりの横を通り過ぎた。
銀秋はいつものように歩いていた。
ふと、袖に何かが触れた。
横を見る。
キミコが銀秋の袖をつまんでいた。
銀秋はその手を見る。
キミコは何も言わない。
銀秋も何も言わなかった。
ふたりはそのまま歩いた。
やがて餅屋へ着く。
店には、他にも飯を受け取りに来た客がいた。
おばちゃんがふたりに気づいた。
「いらっしゃい」
「ああ」
「今日はふたりかい」
「昨日が忙しかっただけだ」
「そうかい」
「いつもの二人分、頼む」
「あいよ」
おばちゃんは飯を用意し始めた。
ふたりはその場で待つ。
おばちゃんが、ふとキミコの手を見た。
銀秋の袖をつまんでいる。
それからキミコを見る。
銀秋を見る。
もう一度、キミコの手を見る。
「……赤飯でも炊こうか?」
「は?」
銀秋が顔を上げた。
キミコもおばちゃんを見る。
「赤飯?」
「ああ」
「何だ、それ」
「めでたい時に食べるもんだよ」
「めでたい?」
「そうだよ」
キミコは少し考えた。
「今日はめでたいのか」
「さあねえ」
おばちゃんが笑った。
銀秋はその顔を見る。
少しして、何かに気づいたようにキミコを見た。
「……お前、昨日何喋った」
「毎晩銀秋と口付けをしている」
「それは聞いた」
「他には何をするか聞いた」
「それも聞いた」
「銀秋としたいと言った」
「そこまで言ったのかよ」
「うん」
おばちゃんが笑った。
「笑うな」
「いいじゃないか」
「何がだよ」
「別に?」
「絶対分かって言ってるだろ」
「何のことだかねえ」
キミコは二人を交互に見る。
「赤飯はうまい?」
「ああ、うまいよ」
「食べたい」
「じゃあ今度炊いてやろうか」
「うん」
「炊かなくていい」
銀秋がすぐに言った。
「なぜ」
「いいから」
「食べたい」
「普段の飯でいいだろ」
「赤飯も食べたい」
「お前なあ……」
銀秋は息を吐いた。
そのやり取りを見ていた客の男が、口を開いた。
「銀秋、お前、奥方が亡くなってまだ――」
「こら!」
おばちゃんが男を睨んだ。
「死人を使って、生きてる人間を責めるんじゃないよ」
「いや、俺はそんなつもりじゃ――」
「だったら、なおさら言うんじゃないよ」
男は口を閉じた。
銀秋は何も言わなかった。
キミコは男を見る。
それから、おばちゃんを見る。
最後に、銀秋を見た。
「?」
銀秋はキミコを見なかった。
おばちゃんは二人分の飯を包んだ。
「ほら」
「ああ」
銀秋が受け取った。
「……ありがとな」
「あいよ」
銀秋は店を出た。
キミコもその後を追う。
ふたりで来た道を戻った。
キミコは銀秋の袖をつまんだままだった。
銀秋は何も言わなかった。
ふたりはそのまま、店へ帰った。




