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スダマの鬼  作者:
32/33

 あれから、しばらく経った。

 銀秋とキミコは、毎晩口付けをしてから眠るようになった。

 夜になれば店を閉め、飯を食べる。

 それからふたりで座敷へ入り、同じ寝具へ横になる。

 少し話をする日もあれば、すぐに眠る日もあった。

 顔を寄せ、唇を重ねる。

 短い口付けだった。

 銀秋からすることもあれば、キミコからすることもある。

 それから離れて、眠る。

 いつの間にか、それが毎晩のことになっていた。

 それ以外は、以前と変わらない。

 朝になれば銀秋は店を開ける。

 客が来れば商売をする。

 キミコはその隣にいたり、店の奥で好きなように過ごしたりしている。

 昼になれば二人分の飯を買いに行き、店へ戻って食べる。

 夕方になれば店を閉める。

 そんな日が続いていた。




 その日は、朝から客が多かった。

 店を開けて間もなく、一人目の客が来た。

 銀秋がその相手をしているうちに、次の客が表に立った。

 一人が帰れば、また一人。

 普段なら客足が途切れることもあるが、今日はなかなか途切れない。

 銀秋は朝からほとんど帳場を離れていなかった。

「これじゃ、これだけだな」

 銀秋は預かった品を男の前へ置いた。

「もう少し出ないか」

「出ない」

「そこを何とかならないか」

「ならねえよ」

 男は品を見る。

 銀秋を見る。

 しばらく考えてから、諦めたように息を吐いた。

「……分かった」

「ああ」

 銀秋は銭を用意した。

 男が帰る。

 すぐに、表で待っていた次の客が入ってきた。

 キミコは銀秋の隣に座っていた。

 朝から何度も似たようなやり取りを見ている。

 客はまだ途切れない。

 表の通りから聞こえてくる人の声も、朝よりずっと増えていた。

 キミコは銀秋を見る。

「銀秋」

「何だ」

「腹が減った」

「ああ」

 銀秋は新しい客が持ってきた包みを開いた。

 中の品を取り出す。

 キミコは待った。

 銀秋は品を手に取り、確かめている。

「銀秋」

「分かってる」

「飯」

「俺も腹減ってるよ」

 銀秋は表を見た。

 まだ一人、客が待っている。

「……今日は出られそうにねえな」

「飯は?」

「食うよ」

 銀秋は少し考えた。

「お前、取ってきてくれるか」

「私が?」

「ああ」

 銀秋は銭を取り出した。

「頼む」

 キミコは差し出された銭を受け取った。

「いつもの?」

「そう」

「わかった」

 キミコは立ち上がった。

 銀秋はすぐに客へ向き直る。

 キミコもそのまま店を出た。

 通りには多くの人が行き交っていた。

 荷を担いだ男が歩いている。

 店先では商人が客と言葉を交わしている。

 人の間を、子供が駆けていった。

 キミコはその中を歩く。

 餅屋までの道は、もう覚えている。

 いつもの道を進み、角を曲がる。

 しばらくすると、見慣れた店が見えてきた。

 キミコは店先まで歩いていく。

 おばちゃんが顔を上げた。

「おや。今日は一人かい」

「うん」

「銀秋は?」

「客が多い」

「忙しいのかい」

「うん」

 キミコは銀秋から渡された銭を差し出した。

「二人分」

「あいよ。いつものだね」

「うん」

「ちょっと待ってな」

 おばちゃんは銭を受け取った。

 二人分の飯を用意し始める。

 キミコはその場で待った。

 おばちゃんは手を動かしながら、キミコを見る。

「銀秋とはうまくやってるかい」

「うん」

 キミコは頷いた。

「毎晩、口付けをしている」

 おばちゃんの手が止まった。

 キミコを見る。

「……そうかい」

「うん」

「毎晩かい」

「毎晩」

「へえ」

 おばちゃんは少し笑った。

「随分仲良くなったもんだねえ」

「仲がいい」

「そうだよ」

 おばちゃんはまた手を動かし始めた。

 キミコはその様子を見ていた。

 しばらくして、口を開く。

「おばちゃん」

「何だい」

「仲がいいと、他には何をする」

 おばちゃんの手がまた止まった。

 振り返る。

「……あんたねえ」

「何だ」

「銀秋としたいんだろ?」

「うん」

 キミコはすぐに答えた。

 おばちゃんは少し黙った。

「だったら、銀秋に聞きな」

「銀秋に?」

「そうだよ。私に聞くことじゃないよ」

「わかった」

 キミコは頷いた。

 少しして、おばちゃんは二人分の飯を包んだ。

「ほら」

「ありがとう」

「あいよ」

 キミコは包みを受け取った。

 そのまま店を出る。

 来た道を戻った。

 店へ着くと、まだ客がいた。

 銀秋は帳場に座っている。

 キミコが入ってくると、銀秋が顔を上げた。

「帰ったか」

「うん」

「そこ置いといてくれ」

 キミコは二人分の飯を置いた。

 銀秋はまた客へ向き直った。

 キミコはその隣へ座る。

 しばらくして、客が帰った。

 だが、表で待っていた男がすぐに入ってくる。

 キミコは置かれた包みを見る。

「先に食ってていいぞ」

 銀秋が言った。

 キミコは銀秋を見る。

「銀秋は?」

「これが終わったら食う」

「待つ」

「腹減ってんだろ」

「減っている」

「なら食えよ」

「一緒に食べる」

 銀秋がキミコを見る。

 少しして、笑った。

「……そうか」

「うん」

 キミコは包みから目を離した。

 そのまま銀秋の隣で待った。




 夜になった。

 店を閉める頃には、銀秋はすっかり疲れていた。

 夕飯を食べ終え、ふたりで座敷へ入る。

 銀秋は寝具へ横になった。

「あー……疲れた」

 キミコもその隣へ入った。

「今日は客が多かった」

「多かったな」

「明日も多い?」

「知らねえよ。今日だけだろ」

「そう」

 銀秋は横を向いた。

 キミコも銀秋を見る。

 顔を寄せる。

 唇が触れた。

 少しして離れる。

 いつもの口付けだった。

 銀秋は目を閉じようとした。

「銀秋」

「ん?」

「聞きたいことがある」

「何だ」

「口付けの他には、何をする」

 銀秋が目を開けた。

 キミコを見る。

「……何の話だ」

「仲がいい人間がすること」

「何だよ、急に」

「昼に聞いた」

「誰に」

「おばちゃん」

 銀秋は黙った。

「……何を言った」

「銀秋と毎晩口付けをしていると言った」

「お前なあ……」

 銀秋は片手で顔を覆った。

「何でそんなこと喋るんだよ」

「うまくやっているかと聞かれた」

「それで口付けの話までしたのか」

「うん」

「……そうかよ」

 銀秋は息を吐いた。

「それで?」

「他には何をするか聞いた」

「何て言われた」

「銀秋としたいなら、銀秋に聞けと言われた」

 銀秋はしばらく黙った。

「……それで俺に聞いてんのか」

「うん」

「したいのか」

「うん」

「俺と」

「うん」

 返事に迷いはなかった。

 銀秋はキミコを見る。

 キミコも銀秋を見ている。

「……口付けより、もっと触ったりする」

「どこを?」

「いろいろだ」

「いろいろではわからない」

「そうだろうな」

 銀秋は頭を掻いた。

「衣を脱いだりする」

「うん」

「普段は触らないところにも触る」

「うん」

「身体を重ねる」

「なぜ?」

「……そこからか」

「知らない」

「そうだよな」

 銀秋は息を吐いた。

 それから、一つずつ説明した。

 衣を脱ぐこと。

 互いの身体に触れること。

 口付けよりも、もっと近くなること。

 キミコは黙って聞いていた。

 分からないところがあれば尋ねた。

 銀秋も、そのたびに答えた。

 やがて説明を終える。

「……分かったか」

「うん」

 キミコは少し考えた。

「したい」

 銀秋が黙った。

「……今の聞いてか」

「うん」

「お前なあ」

「銀秋としたい」

 キミコは銀秋を見る。

「銀秋は?」

「俺は……」

 銀秋は言葉に詰まった。

「したくない?」

「そうは言ってねえよ」

「したい?」

 銀秋はすぐには答えなかった。

 やがて、息を吐く。

「……したいよ」

「なら、する?」

「待て」

「何だ」

 銀秋は身体を起こした。

「こういうのは、口付けとは違う」

「うん」

「途中で嫌になるかもしれない」

「うん」

「そうしたら、そこでやめる」

「わかった」

「痛かったり、怖かったりしても言え」

「うん」

「我慢するなよ」

「しない」

「俺が嫌だと言ってもやめる」

「うん」

「どっちかが嫌なら、それで終わりだ」

「わかった」

 銀秋はまだ何か言いたそうに、しばらくキミコを見た。

「……本当に俺としたいんだな」

「うん」

「本当にいいんだな」

「私は銀秋としたい」

 キミコはもう一度言った。

 銀秋は目を伏せた。

 少しして、手を伸ばす。

 キミコの頬に触れた。

「……分かった」

 キミコが銀秋へ近づく。

 銀秋はその顔を見た。

 それから、ゆっくり顔を寄せる。

 唇が重なった。

 いつもの口付けだった。

 けれど、今夜はすぐには離れなかった。




 翌日の昼。

 客足が途切れたところで、銀秋は帳簿を閉じた。

「飯、取りに行くか」

「うん」

 ふたりで店を出た。

 昨日と同じ道を歩く。

 通りには人が行き交っている。

 店先から声が聞こえ、荷を抱えた男がふたりの横を通り過ぎた。

 銀秋はいつものように歩いていた。

 ふと、袖に何かが触れた。

 横を見る。

 キミコが銀秋の袖をつまんでいた。

 銀秋はその手を見る。

 キミコは何も言わない。

 銀秋も何も言わなかった。

 ふたりはそのまま歩いた。

 やがて餅屋へ着く。

 店には、他にも飯を受け取りに来た客がいた。

 おばちゃんがふたりに気づいた。

「いらっしゃい」

「ああ」

「今日はふたりかい」

「昨日が忙しかっただけだ」

「そうかい」

「いつもの二人分、頼む」

「あいよ」

 おばちゃんは飯を用意し始めた。

 ふたりはその場で待つ。

 おばちゃんが、ふとキミコの手を見た。

 銀秋の袖をつまんでいる。

 それからキミコを見る。

 銀秋を見る。

 もう一度、キミコの手を見る。

「……赤飯でも炊こうか?」

「は?」

 銀秋が顔を上げた。

 キミコもおばちゃんを見る。

「赤飯?」

「ああ」

「何だ、それ」

「めでたい時に食べるもんだよ」

「めでたい?」

「そうだよ」

 キミコは少し考えた。

「今日はめでたいのか」

「さあねえ」

 おばちゃんが笑った。

 銀秋はその顔を見る。

 少しして、何かに気づいたようにキミコを見た。

「……お前、昨日何喋った」

「毎晩銀秋と口付けをしている」

「それは聞いた」

「他には何をするか聞いた」

「それも聞いた」

「銀秋としたいと言った」

「そこまで言ったのかよ」

「うん」

 おばちゃんが笑った。

「笑うな」

「いいじゃないか」

「何がだよ」

「別に?」

「絶対分かって言ってるだろ」

「何のことだかねえ」

 キミコは二人を交互に見る。

「赤飯はうまい?」

「ああ、うまいよ」

「食べたい」

「じゃあ今度炊いてやろうか」

「うん」

「炊かなくていい」

 銀秋がすぐに言った。

「なぜ」

「いいから」

「食べたい」

「普段の飯でいいだろ」

「赤飯も食べたい」

「お前なあ……」

 銀秋は息を吐いた。

 そのやり取りを見ていた客の男が、口を開いた。

「銀秋、お前、奥方が亡くなってまだ――」

「こら!」

 おばちゃんが男を睨んだ。

「死人を使って、生きてる人間を責めるんじゃないよ」

「いや、俺はそんなつもりじゃ――」

「だったら、なおさら言うんじゃないよ」

 男は口を閉じた。

 銀秋は何も言わなかった。

 キミコは男を見る。

 それから、おばちゃんを見る。

 最後に、銀秋を見た。

「?」

 銀秋はキミコを見なかった。

 おばちゃんは二人分の飯を包んだ。

「ほら」

「ああ」

 銀秋が受け取った。

「……ありがとな」

「あいよ」

 銀秋は店を出た。

 キミコもその後を追う。

 ふたりで来た道を戻った。

 キミコは銀秋の袖をつまんだままだった。

 銀秋は何も言わなかった。

 ふたりはそのまま、店へ帰った。

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