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スダマの鬼  作者:
33/33

奥方

 銀秋とキミコは、並べて敷いた寝具に横になっていた。

 眠る前の短い口付けを終え、銀秋は既に目を閉じている。

 その隣で、キミコはまだ起きていた。

 昨日、餅屋で聞いた言葉が頭に残っている。

 奥方。

 あの男はそう言った。


 銀秋、お前、奥方が亡くなってまだ――。


 その先は聞けなかった。

 おばちゃんが男を止めたからだ。


 死人を使って、生きてる人間を責めるんじゃないよ。


 何を言っているのか、あの時は分からなかった。

 キミコは少し考えた。

「銀秋」

「ん」

 銀秋は目を閉じたまま答えた。

「奥方って誰?」

 銀秋が目を開けた。

 しばらく何も言わない。

 それから、顔だけをキミコへ向けた。

「……何だ、急に」

「昨日、あの男が言ってた」

「あの男?」

「餅屋にいた」

「ああ」

 銀秋は思い出したらしい。

 また仰向けになる。

 すぐには答えなかった。

 キミコは待った。

「俺の女房だよ」

 やがて銀秋が言った。

「女房」

「ああ」

「一緒に暮らしてた?」

「暮らしてたよ」

「ここで?」

「いや」

 銀秋は天井を見たまま答える。

「ここじゃねえ。別の家だ」

「どこ?」

「ここから、そう遠くねえところだよ」

「今はいない?」

 銀秋は黙った。

 キミコは銀秋を見る。

 しばらくして、銀秋が息を吐いた。

「死んだよ」

「死んだ」

「ああ」

「どうして?」

 また少し、間が空いた。

「火事だ」

 キミコの大きな目が、わずかに動いた。

「火?」

「ああ」

 銀秋はそれ以上何も言わなかった。

 キミコも黙った。


 銀秋は火を嫌う。


 キミコが以前、銀秋の前で炎を出した時もそうだった。

 銀秋は顔色を変えた。

 息が苦しそうになり、炎を消してほしいと言った。

 それからキミコは、銀秋の前では炎を出していない。

「火が嫌いなのは、それ?」

「……まあな」

「そう」

 キミコは口を閉じた。

 銀秋も何も言わない。

 少しして、銀秋が口を開いた。

「子供もいた」

 キミコが銀秋を見る。

「子供?」

「ああ」

「銀秋の?」

「俺の子だよ」

「その子も死んだ?」

「ああ」

「火で?」

「……ああ」

 銀秋の声は、さっきより低かった。

 キミコは黙った。

 外から足音が聞こえた。

 一人分だった。

 ゆっくりと近づいてきて、店の前を通り過ぎていく。

 足音が遠ざかる。

 また何も聞こえなくなった。

「奥方は、どんな人だった?」

 キミコが聞いた。

 銀秋は少し驚いたようにキミコを見る。

「どんなって」

「どんな人?」

「……そうだな」

 銀秋は天井へ目を戻した。

 しばらく考えている。

「よく喋る女だったな」

「よく喋る?」

「ああ。朝から晩まで、どうでもいいことをよく喋ってた」

「何を?」

「何って言われてもな」

 銀秋は少し考える。

「近所の誰それが何をしたとか、今日は何が安かったとか、道で誰に会ったとか」

「銀秋に?」

「ああ」

「毎日?」

「毎日だよ」

「銀秋は聞いてた?」

「聞いてたよ」

「全部?」

「全部じゃねえよ」

「どうして?」

「疲れるだろ」

 キミコは少し考えた。

「聞いてないと怒った?」

「怒ったな」

「どうやって?」

「今の話聞いてたかって聞くんだよ」

「聞いてなかった?」

「聞いてねえ時もあった」

「怒られた?」

「怒られたよ」

「銀秋が悪い」

「お前、会ったこともねえのにあっちの味方すんのかよ」

「聞いてなかったから」

「はいはい」

 銀秋が小さく息を吐いた。

 ほんの少しだけ、笑っているようにも見えた。

 キミコはその顔を見る。

「綺麗だった?」

「ああ」

 銀秋は答えた。

「綺麗だったよ」

「どこが?」

「どこって」

「目?」

「目もな」

「髪?」

「髪も」

「全部?」

 銀秋はキミコを見る。

「全部だよ」

「そう」

 キミコはそれ以上聞かなかった。

 少しだけ間が空く。

「子供は?」

「ん?」

「どんな子だった?」

 銀秋は黙った。

 その顔から、さっきまでわずかにあった笑みが消える。

「……よく泣く子だったよ」

「泣く?」

「ああ」

「どうして?」

「子供なんてそんなもんだろ。腹が減っただの、眠いだの、何だのって」

「銀秋が抱いた?」

「抱いたよ」

「泣き止んだ?」

「俺が抱くと余計泣く時もあった」

「嫌われてた?」

「違えよ」

「でも泣いた」

「女房が抱いたって泣く時は泣くんだよ」

「そうなの?」

「そういうもんだ」

 キミコには分からなかった。

 子供と暮らしたことはない。

 小さな人間がなぜ泣くのかも、よく知らない。

 けれど銀秋がその子を抱いたことは分かった。

 銀秋の腕を見る。

 今は、夜になれば自分を抱く腕だった。

「好きだった?」

 キミコが聞いた。

「子供を?」

「奥方も、子供も」

「ああ」

 銀秋は答えた。

「好きだったよ」

「今も?」

 銀秋は黙った。

 すぐには答えなかった。

 キミコは待った。

 やがて、銀秋が口を開く。

「……ああ」

 低い声だった。

「死んだからって、嫌いになるわけじゃねえよ」

「そう」

 キミコは銀秋を見る。

 銀秋が死んでも、銀秋を嫌いになるわけではない。

 今、銀秋が奥方と子供を好きなままでいるように。

 そう思うと、胸の奥に重いものが残った。

 キミコはしばらく何も言わなかった。

 銀秋も黙っている。

 キミコは昨日のことを思い出した。

「昨日の男は、どうして奥方のことを言った?」

「ん?」

「おばちゃんが怒った」

「ああ」

「死人を使って、生きてる人間を責めるなって言ってた」

「……よく覚えてんな」

「覚えてる」

「そうか」

「何を責めてた?」

 銀秋は少し黙った。

「俺がお前といることだろ」

「私と?」

「ああ」

「どうして?」

「女房が死んで、二年くらいしか経ってねえのに、もう別のやつと一緒にいるからじゃねえか」

 キミコは銀秋を見る。

「一緒にいたら駄目?」

「駄目じゃねえよ」

 銀秋はすぐに答えた。

「じゃあ、どうして?」

「そう思うやつもいるってだけだ」

「銀秋は思わない?」

「思わねえよ」

「本当に?」

「ああ」

 キミコは少し考えた。

「奥方は?」

「何だ」

「私と銀秋が一緒にいたら、嫌?」

 銀秋は黙った。

 天井を見たまま、しばらく何も言わない。

「……分からねえよ」

「分からないのか」

「もう聞けねえからな」

「そう」

「でも」

 銀秋は一度言葉を切った。

「俺がこの先ずっと一人でいろとは、たぶん言わねえよ」

「どうして分かる?」

「長いこと一緒にいたからだよ」

「どれくらい?」

「何年もだ」

「私より長い?」

「そりゃそうだ」

「そう」

 キミコは黙った。

 少しして、また口を開く。

「銀秋は、奥方が好きだった」

「ああ」

「子供も好きだった」

「ああ」

「今も好き」

「……そうだ」

 銀秋は答えた。

 キミコは何も言わなかった。

 銀秋も、それ以上は話さなかった。

 外は静かだった。

 もう人の声も聞こえない。

 銀秋が目を閉じる。

「もういいか?」

「うん」

「そうか」

 それきり、銀秋は黙った。

 キミコはまだ目を閉じなかった。

 隣にいる銀秋を見る。

 手を伸ばせば触れられる。

 今は、銀秋がいる。

 朝になれば一緒に起き、飯を食べ、店で過ごす。

 夜になれば、また隣で眠る。

 キミコは身体を動かした。

 銀秋へ近づく。

 銀秋が目を開けた。

「何だ」

 キミコは答えず、もう少し近づいた。

「キミコ?」

 腕を銀秋の身体へ回す。

 ただ、すぐそこにいる銀秋を抱きしめた。

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