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スダマの鬼  作者:
28/32

呪い

 朝から、店には客が来ていた。

 銀秋は帳場に座り、差し出された文書を眺めている。

 向かいには、一人の男が座っていた。

 キミコは銀秋の隣から、その文書を覗き込んだ。

 何が書かれているのかは分からない。

 文字は少しずつ覚えているが、まだ読めないものの方が多かった。

「これでいいか」

 男が尋ねた。

「ああ」

 銀秋は文書を畳んだ。

「待ってろ」

 立ち上がり、店の奥へ向かう。

 棚の前で足を止めると、並んだ包みの中から一つを取り出した。

 キミコはその様子を目で追った。

 銀秋が戻ってくる。

 包みを男の前へ置いた。

「ほら」

 男は包みを開き、中を確かめた。

 ほっとしたように息を吐く。

「助かった」

「なくすなよ。次に持ってきても、同じだけ貸せるとは限らねえぞ」

「分かってるよ」

 男は包みを抱え、立ち上がった。

 キミコが男を見る。

「金は」

 男が足を止める。

「何だ?」

「銀秋から借りた金だ。返さないのか」

「おい」

 銀秋が口を挟んだ。

 男は少し困ったように銀秋を見る。

「いいんだよ」

 銀秋が言った。

「だが、貸したのだろう」

「そうだが」

「なら返すものだ」

「今回は返さなくていい」

 キミコは銀秋を見る。

「なぜだ」

「そういう決まりになったんだよ」

「誰が決めた」

「偉い奴ら」

「銀秋より偉いのか」

「俺より偉い奴なんざ腐るほどいる」

 男が小さく笑った。

 キミコの一つ目が、そちらを向く。

 男の笑いが止まった。

「お前は金を返さず、預けたものも持っていくのか」

「だから、そういう御触れなんだよ」

「銀秋には聞いていない」

「キミコ」

 銀秋が名前を呼んだ。

 キミコは黙った。

「いいから行け」

「あ、ああ」

 男は包みを抱え直し、店を出ていった。

 キミコは、その背中を見ていた。

 男が通りへ出る。

「……呪われろ」

 小さな声だった。

 銀秋が振り向く。

「おい」

 キミコは何も言わない。

「今、何した」

「何もしていない」

「しただろ」

「……」

「何した」

 キミコは銀秋から目を逸らした。

「少し、呪った」

「少し呪ったって何だ」

「少しは少しだ」

「解け」

「嫌だ」

「キミコ」

「銀秋の金だ」

 キミコが銀秋を見る。

「金を返していない。それなのに、銀秋が預かっていたものまで持っていった」

「そういう決まりだって言っただろ」

「私は決めていない」

「お前が決めることじゃねえよ」

「銀秋も決めていない」

「そうだよ」

「なら、なぜ銀秋が損をする」

 銀秋は口を閉じた。

 キミコはまだ、男が去った方を見ている。

「銀秋の金なのに」

「だからって、人を呪うな」

「なぜだ」

「気に入らねえからって人を呪ってたら、きりがねえだろ」

「だが、銀秋が損をした」

「それはもういいんだよ」

「私はよくない」

「解け」

「嫌だ」

「キミコ」

 少し強い声だった。

 キミコは銀秋を見る。

 それから、ぷいと顔を逸らした。

「知らない」

「あ、おい」

 立ち上がる。

 そのまま表へ向かう。

「どこ行くんだ」

 キミコは答えなかった。

「おい!」

 そのまま店を出ていった。

 銀秋は追わなかった。

 開いた戸の向こうをしばらく見てから、頭を掻く。

「……ったく」

 帳場へ戻った。




「それで、ここへ来たのかい」

「うん」

 キミコは餅屋の隅に座っていた。

 女は呆れたようにキミコを見ている。

「銀秋が怒った」

「そりゃ怒るよ」

 キミコが女を見る。

「なぜだ」

「人を呪ったんだろう?」

「少しだ」

「少しでも呪いは呪いだよ」

「死なない」

「そういう問題じゃないよ」

「怪我もしない」

「じゃあ、どんな呪いなんだい」

 キミコは少し考えた。

「何もないところで転ぶ」

「……ほかには」

「鳥の糞が落ちる」

「……」

「物を落とすこともある」

 女は黙った。

「それだけかい」

「それだけだ」

「地味だねえ」

「だが嫌だろう」

「そりゃ嫌だけどね」

 女は苦笑した。

 キミコは膝を抱える。

「銀秋の金なのに」

「まだ言ってるのかい」

「銀秋は損をした」

「商売してりゃ、損することくらいあるよ」

「ない方がいい」

「そりゃそうだけどねえ」

 女は並べていた餅へ目を戻した。

 しばらくして、またキミコを見る。

「あんた、銀秋のことが随分と大事なんだねえ」

 キミコが顔を上げる。

「大事?」

「違うのかい」

 キミコは少し考えた。

「分からない」

「そうかい」

 女はそれ以上、何も言わなかった。




 昼を少し過ぎた頃だった。

 餅屋の前に銀秋が現れた。

 キミコはすぐに気づいた。

 だが、そちらを見ない。

「いるか」

「いるよ」

 女が答えた。

 銀秋が中を覗く。

 キミコは壁の方を向いていた。

「何してんだ、お前」

 返事はない。

「飯食うぞ」

 キミコの目が少し動いた。

「腹減ってねえのか」

「……減った」

「じゃあ行くぞ」

 キミコは動かない。

 銀秋は息を吐いた。

「まだ怒ってんのか」

「銀秋が怒った」

「怒られることしたからだろ」

 キミコが銀秋を見る。

「お前も怒ってるじゃねえか」

「怒っていない」

「じゃあ帰るぞ」

 少しして、キミコは立ち上がった。

 その様子を見ていた女が、銀秋を呼び止める。

「あんた、この前のお礼はしたのかい」

「礼?」

「一揆の時だよ。この子、随分働いたんだろう?」

「ああ」

「店も守って、ほかの店まで助けて回ったって聞いたよ」

「そうだな」

「何かしてやったのかい」

「した」

 女が少し意外そうな顔をする。

「何を?」

「餅」

「……餅? うちの?」

「五つ」

 女は黙った。

「あの五つ?」

「ああ」

「それで済ませたのかい」

「こいつ、喜んで食ってたぞ」

「そりゃ餅は喜ぶだろうけどねえ。あれだけ働いてもらって、それだけかい」

 銀秋はキミコを見た。

 キミコも銀秋を見ている。

 言われてみれば、確かにそうだった。

 一揆の夜、キミコは店を守った。

 それだけではない。

 酒屋へ行き、近くの質屋へ行き、火まで消した。

 キミコは餅が欲しいと言った。

 だから五つ買った。

 嬉しそうに食べていたから、それで礼を済ませたつもりになっていた。

「……確かに、少なかったか」

「今頃気づいたのかい」

「私は餅でよかった」

 キミコが言った。

 女は苦笑する。

「この子がそう言ってくれるから済んでるんだよ」

 銀秋はもう一度、キミコを見た。

「……そうだな」




 餅屋を出たあと、ふたりは並んで通りを歩いた。

 昼時で、人通りは多い。

 キミコは銀秋の少し後ろを歩いていた。

「朝の呪いは解いたのか」

「解いた」

「いつだよ」

「餅屋にいる時」

「なら先に言え」

 銀秋は頭を掻いた。

「まだ怒ってんのか」

「怒っていない」

「嘘つけ」

 キミコは答えなかった。

 銀秋は前を向いたまま言う。

「あれくらいじゃ、店はどうにもならねえよ」

「だが金は減った」

「減ったな」

「なら損をした」

「したよ」

「やはり」

「商売ってのは、いつも得するわけじゃねえんだ」

 キミコが銀秋を見る。

「貸した金が全部返ってくるとも限らねえ。質に入ったもんが全部金になるわけでもねえ。今回みたいなこともある」

「それでいいのか」

「よくはねえよ」

 銀秋は前を歩きながら続ける。

「だが、あれくらいで傾くほど危ねえ商売してねえ」

「本当か」

「本当だ」

 キミコは疑うように銀秋を見る。

「信じてねえな」

「金が減った」

「……分かったよ」

 銀秋が足を止めた。

「来い」

「どこへ」

「いいから」

 歩き出す。

 キミコは少し遅れて、その後を追った。




 銀秋が入ったのは、絹物を商う店だった。

 キミコは中を見回した。

 畳まれた反物がいくつも並んでいる。

 色も柄も、それぞれ違う。

 白いものもあれば、目を引くほど鮮やかなものもある。

「何をするんだ」

「衣を買う」

「銀秋のか」

「お前のだよ」

 キミコが銀秋を見る。

「私の?」

「ああ」

「なぜ」

「この前の礼」

 銀秋は並んだ反物へ目を向けた。

「餅五つじゃ足りなかったらしいからな」

「私は餅でよかった」

「俺がよくねえんだよ」

 キミコは黙った。

「好きなの選べ」

 銀秋が言う。

 キミコは反物を見る。

 端から一つずつ眺めていく。

 色の濃いもの。淡いもの。文様の入ったもの。

 どれも、普段身につけている白い着物とは違っていた。

 しばらく眺めていたが、手を伸ばさない。

「どうした」

「分からない」

「何が」

「どれがいいのか」

「好きなのでいいだろ」

 キミコはまた反物を眺めた。

 それから、銀秋を見る。

「銀秋が選んで」

「俺が?」

「うん」

「お前が着るんだぞ」

「銀秋が似合うと思うものがいい」

 銀秋はキミコを見た。

 キミコも銀秋を見ている。

「……分かったよ」

 銀秋は反物へ目を向けた。

 一つを手に取る。

 少し広げてから、戻す。

 別のものを見る。

 鮮やかな色だった。

 キミコへ目をやり、また戻した。

 何本か見比べる。

 やがて、一つの反物に手を伸ばした。

 淡い紅色だった。

 鮮やかな紅とは違う。

 少しくすんだ、柔らかな色をしている。

 絹の地には細かな草花の文様が入り、光の当たり方によって、うっすらと浮かんで見えた。

 銀秋は反物を見る。

 それから、キミコを見る。

 艶のある黒髪。

 白い肌。

 顔の中央にある、大きな藤色の目。

「これだな」

 キミコが近づいてくる。

「これか」

「ああ」

 キミコは銀秋の手にある反物を見た。

 指先で、そっと触れる。

「綺麗だ」

「気に入ったか」

「うん」

「じゃあ、これにするぞ」

 銀秋は店の者を呼んだ。

 反物を渡し、仕立てを頼む。

 話をしている途中で、銀秋はもう一度キミコを見た。

「袖、少し長くできるか」

 店の者が頷く。

 キミコが銀秋を見る。

「長くするのか」

「ああ」

「なぜ」

「その方がお前には似合うだろ」

 キミコは少し黙った。

 それから、反物を見る。

「そうか」

 寸法を取られることになった。

 キミコは言われるまま腕を広げる。

 肩から腕へ、身体の寸法を測られていく。

 銀秋は少し離れたところから、その様子を眺めていた。

 やがて、すべて終わった。

「行くぞ」

 銀秋が表へ向かう。

 キミコは動かなかった。

「何してる」

「衣は」

「まだだよ」

「どこにある」

「今から仕立てるんだ」

 キミコは反物を見る。

「今は着られないのか」

「着られねえよ」

「いつできる」

「何日かしたらだ」

「……そうか」

 キミコはもう一度、反物を見た。

「できたら取りに来る」

「忘れんなよ」

「忘れない」

 ようやくキミコが銀秋のところへ来る。

 ふたりで店を出た。

 通りへ戻ると、銀秋は歩き出した。

 キミコが隣を歩く。

 しばらくして、キミコが口を開いた。

「銀秋」

「何だ」

「ありがとう」

「……ああ」




 翌日。

 キミコは、昨日の店へ行った。

「できたか」

「いえ、まだです」

「そうか」

 キミコは帰った。


 その翌日も行った。

「できたか」

「まだですねえ」

「そうか」


 その次の日も行った。

「できたか」

 店の者は、もう驚かなかった。

「もう少しですよ」

「いつできる」

「明日には」

「本当か」

「ええ」

「分かった」

 キミコは帰った。




 翌日。

 キミコは朝から店へ行こうとしていた。

「待て」

 銀秋が呼び止める。

 キミコが振り返った。

「何だ」

「まだ店開いてねえだろ」

「もうできている」

「できてても店が開いてなきゃ受け取れねえよ」

 キミコは表を見る。

「いつ開く」

「もう少し待て」

「昨日、明日にはできると言っていた」

「今日にはなったけどな」

 キミコはしばらく表を見ていた。

 それから、帳場のそばに座った。

 少しして、また銀秋を見る。

「もういいか」

「まだだ」




 仕立て上がった小袖を受け取り、店へ戻ると、キミコはすぐに着替えた。

 銀秋は帳場に座っていた。

 帳簿を開き、筆を動かしている。

「銀秋」

「ん?」

 顔を上げる。

 銀秋の手が止まった。

 キミコが立っていた。

 仕立て上がった小袖を身につけている。

 淡い薄紅色が、艶のある黒髪によく映えていた。

 袖は、普段のものより長い。

 キミコが腕を持ち上げる。

 長い袖が、ゆるりと揺れた。

「似合っているか」

 銀秋はキミコを見た。

 自分で選んだ色だった。

 似合うと思ったから選んだ。

 それでも、実際に身につけた姿を見ると、すぐには言葉が出なかった。

「……似合ってるよ」

 キミコはしばらく銀秋を見ていた。

「そうか」

「ああ」

 キミコは自分の袖を見る。

 少し長く仕立てられた袖を持ち上げる。

 淡い紅色の絹が、するりと手の上を滑った。

 それから、何かを思い出したように顔を上げる。

「銀秋」

「何だ」

「前の衣を捨てたい」

「前の?」

「持ってきた衣だ」

 銀秋は少し考えた。

 すぐに思い当たる。

 キミコがここへ来た時に持っていた、何枚もの衣。

 女たちから奪ったものだと、あとになって聞いた。

 洗ってもいない。乾いて黒ずんだ血が、今も残っている。

「あれか」

「うん」

「捨てるって、お前な」

 銀秋は眉を寄せた。

「血、どうすんだよ」

 あれだけ血のついた衣を、そのまま表へ捨てるわけにもいかない。

 見つかれば、何があったのかと騒ぎになる。

 キミコは銀秋を見る。

「分からない」

「分からないじゃねえよ」

「でも、もういらない」

 銀秋は黙った。

 キミコはもう一度、自分の袖を見る。

 薄紅色の袖を指先でつまむ。

「これは銀秋が選んでくれた」

「ああ」

「だから、もういらない」

 銀秋はキミコを見た。

 キミコはそれ以上、何も言わなかった。

 ただ、新しい小袖の袖を触っている。

「……分かったよ。捨て方は俺が考える」

「うん」

「勝手にその辺に捨てるなよ」

「分かった」

 キミコは素直に頷いた。

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