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スダマの鬼  作者:
26/32

1454年

 日が傾き始めた頃だった。

 銀秋は帳場に座り、帳簿を開いていた。

 その隣には、キミコがいる。

 昼までは何人かの客が出入りしていたが、それも少し前から途切れていた。

 通りから聞こえてくる声も、昼間より少なくなっている。

 銀秋は帳簿へ一文字書きつけ、筆を置いた。

「そろそろ閉めるか」

 キミコが伸びをする。

「やっと飯だ」

「食いしん坊か、お前」

「腹が減った」

「分かった分かった」

 銀秋は帳簿を閉じた。

 立ち上がろうとしたところで、外から足音が聞こえた。

 走っている。

 一人ではない。

 銀秋は表を見る。

 何人かの男が、通りの向こうから駆けてきた。

「閉めろ!」

 一人が声を張り上げる。

「店を閉めろ!」

 向かいの店から男が顔を出した。

「何だ」

「一揆だ!」

 銀秋の動きが止まった。

「こっちへ来るぞ!」

 通りがざわついた。

 店から人が出てくる。

 何事かと表へ出てきた者へ、走ってきた男が声を張り上げた。

「徳政を求めて一揆が起きた! こっちへ向かってる!」

 銀秋は黙った。

「銀秋」

 隣から声がした。

「何だ」

「昨日、話していたものか」

「そんなようなもんだ」

「そうか」

 銀秋は立ち上がった。

 表へ出る。

 通りでは、慌ただしく戸を閉め始めていた。

 店先のものを中へ運ぶ者。

 家族を呼ぶ者。

 何が起きているのか分からず、周囲へ尋ねる者。

 その間を、人が走っていく。

 銀秋は通りの先を見た。

 まだ何も見えない。

 だが、遠くから声が聞こえていた。

「銀秋」

 すぐ後ろにキミコがいる。

「たくさんいる」

「どのくらいだ」

「たくさん」

「……そうか」

 銀秋はしばらく通りの先を見た。

 それから店へ戻る。

 表の戸へ手をかけた。

「閉めるのか」

「そうだ」

「壊されないか」

「壊されるかもしれんな」

「なら、閉めなくても同じではないのか」

「開けて待ってるよりはましだろ」

「そうか」

 銀秋は戸を閉めた。

 閂をかける。

 それから、店の中を見回した。

 棚には、預かった品が並んでいる。

 衣。

 器。

 道具。

 どれも銀秋のものではない。

 だが、今は銀秋が預かっている。

 銀秋は帳場へ戻った。

 先ほど閉じた帳簿を手に取る。

 少し考えてから、キミコへ差し出した。

「持ってろ」

 キミコが受け取る。

「なぜ」

「取られたら困る」

 キミコは帳簿を見る。

「私から取れる人間はいない」

「だろうな」

 銀秋は別の帳簿も渡した。

「なくすなよ」

「なくさない」

「破るな」

「破らない」

 さらに一冊を重ねる。

「燃やすな」

 キミコが銀秋を見る。

 銀秋もキミコを見る。

 ふと、キミコの手のひらに灯った紫の炎が頭に浮かんだ。

「……とにかく、それ持ってろ」

「分かった」

 キミコは帳簿を両腕で抱えた。

 外の声が、少しずつ大きくなっていく。

 足音も聞こえ始めた。

「質を返せ!」

 声が聞こえた。

「証文を出せ!」

「借金をなしにしろ!」

 銀秋は戸を見る。

 キミコも同じ方を見る。

「来た」

「そうだな」

 声が近づく。

 やがて、通りを進んでいた人々の姿が見えた。

 先頭だけではない。

 その後ろにも人が続いている。

 棒を持った者。

 鍬を担いだ者。

 何も持っていない者。

 声を張り上げている者もいれば、黙って歩いている者もいる。

 品定めするように、周囲の店を見回しながら進む者もいた。

 そのうち、四十人ほどが銀秋の店へ向かってきた。

 残りはそのまま通りを進んでいく。

 遠ざかっていく者もいれば、別の店の前で足を止める者もいる。

 銀秋の店の前へ来た男が、戸を叩いた。

「開けろ!」

 続いて、後ろから声が上がる。

「質を返せ!」

「証文を出せ!」

「借金をなしにしろ!」

 四十人ほどの人間が、店の前から通りへ広がっている。

 銀秋は動かなかった。

 もう一度、戸が叩かれる。

「開けろ!」

 戸が大きく揺れた。

 キミコがそちらを見る。

「壊れる」

「だろうな」

「止めるか」

「まだいい」

 また戸が叩かれる。

 木が軋む。

 銀秋は戸を見たまま動かなかった。

 やがて、大きな音とともに閂が外れた。

 戸が開く。

 夕暮れの光が店の中へ差し込んだ。

 入口の向こうに、人々が立っている。

 銀秋はその前へ出た。

「何だ」

「質を返せ」

「返さん」

 銀秋はすぐに答えた。

 男の顔が険しくなる。

「徳政だぞ」

「まだ出てない」

「出る!」

「出てから来い」

「ふざけるな!」

「ふざけてるのはお前だ」

 銀秋は入口から動かなかった。

「徳政令が出たなら従う。出てないうちは今まで通りだ」

「こっちは返せなくて困ってるんだ!」

「知るか」

「何だと!」

「俺だってこれで食ってる」

 銀秋は男を見る。

「借りる時に決めただろ。金を返せば質は返す。それまでは預かる」

「返せるならとっくに返してる!」

 後ろから別の声が上がった。

「米を買う銭もないんだ!」

「質に入れたものだって、もう手元には何も残ってねえ!」

「だったら最初からそう言え」

 銀秋が言う。

「待ってくれと言われりゃ待つこともある。大勢で押しかけて全部なしにしろってのは別だ」

「証文を出せ!」

「出さん」

「帳簿もだ!」

「断る」

「質を返せ!」

「金を返せ」

 銀秋は一歩も退かなかった。

 男が前へ出る。

「どけ」

「嫌だ」

「どけ!」

「帰れ」

 男が銀秋の肩を押した。

 銀秋の身体が後ろへ下がる。

 入口が空いた。

「入れ!」

 声が上がった。

 入口にいた者たちが、一斉に店の中へ押し入ろうとする。


「入るな」


 囁くような声だった。

 先頭の者たちの足が、敷居の前で止まった。

「何だ!」

 後ろから人が押し寄せる。

 前にいる者たちの身体が押される。

 それでも、誰一人として敷居を越えることができない。

「押すな!」

「前へ行け!」

「行けねえんだよ!」

 身体をねじ込もうとしても、横から入り込もうとしても、足は店の中へ進まない。

「何だ、これ!」

「質を返せ!」

「証文を出せ!」

 後ろからは、まだ声が上がっている。

 前にいる者たちは進めない。

 その背中へ、後ろの者たちが押しつけられる。

「押すなって言ってるだろ!」

「早く入れ!」

「入れねえんだよ!」

 銀秋も入口を見る。

 その隣で、キミコは帳簿を抱えたまま立っていた。

「キミコ」

「何だ」

「……助かる」

「そうか」

 先頭にいた男が銀秋を睨んだ。

「くそっ!」

 それから後ろを振り返る。

「もういい! 土倉に回れ!」

 銀秋の顔色が変わった。

「待て!」

 男たちが店の前から離れる。

 だが、帰るわけではない。

 店の脇へ回っていく。

 その先には、銀秋の土倉がある。

「おい、やめろ!」

 銀秋が追いかける。

「キミコ!」

 キミコも帳簿を抱えたまま、その後を追った。

 裏手へ回った時には、すでに何人かが土倉の前へ集まっていた。

「開けろ!」

「壊せ!」

 一人が槌を振り上げる。

「やめろ!」

 銀秋が走る。

 槌が振り下ろされた。

 鈍い音が響いた。

 もう一度。

 槌が土倉の扉を打つ。

 木が軋む。

「キミコ! 頼む!」

 キミコが扉を見る。


「壊れるな」


 槌が振り下ろされた。

 大きな音が響く。

 だが、扉は壊れなかった。

 男がもう一度、槌を振り上げる。

 叩きつける。

 扉は動かない。

「……何だ?」

 さらに打つ。

 何度打っても、扉は壊れない。

 さっきまで軋んでいた木が、今はびくともしなかった。

「何だ、これ!」

「貸せ!」

 別の男が槌を奪う。

 力いっぱい振り下ろす。

 鈍い音だけが響いた。

 扉には傷ひとつつかない。

 銀秋が足を止めた。

 土倉の扉を見る。

 それから、キミコを見る。

 キミコは帳簿を抱えたまま立っている。

「……本当に助かる」

「うん」

「何しやがった!」

 一人がキミコへ向かう。

 だが、その顔が見えていないのか、視線はわずかにずれていた。

「お前か!」

 男がキミコへ手を伸ばす。


「触るな」


 その手が止まる。

 キミコは動かない。

 帳簿を抱えたまま、男を見ている。

 別の者が土倉の扉へ手をかける。

「開け!」

 扉を引く。

 開かない。

「何だよ、これ!」

「こじ開けろ!」

 何人かが扉へ集まる。

 引く。

 叩く。

 槌を振り下ろす。

 それでも、扉は壊れなかった。

 一人がキミコを見る。

 その顔は見えていない。

 それでも、そこに何かがいることだけは分かるのか、男はじりじりと後ずさった。

「……俺は、もういい」

「何だよ」

「気味が悪い。俺は帰る」

 男は踵を返した。

 それを見て、もう一人が後に続く。

「俺も帰る」

「おい!」

 二人はそのまま通りの向こうへ去っていった。

 残った者たちは顔を見合わせた。

「どうする」

「どうするも何も、開かねえんじゃ仕方ねえだろ」

「まだやれる!」

「やれるって、どうやってだ!」

 声が重なる。

 それでも何人かは扉の前に残った。

 槌を持った男が、もう一度振り上げる。

 振り下ろす。

 やはり、扉は壊れない。

「くそ!」

 男は槌を地面へ放り出した。

「もういい!」

「他へ行くぞ!」

 それをきっかけに、残った者たちも土倉から離れていった。

 銀秋はその背を見ていた。

 四十人ほどいた一団は、帰っていった者を除き、通りへ戻ると別の人の流れへ混じっていった。

 銀秋はしばらく動かなかった。

 それから、土倉の扉を見る。

 傷はほとんどない。

「……本当に壊れないんだな」

「壊れるなと言った」

「そうだったな」

 銀秋は息を吐いた。

 表へ戻る。

 通りでは、まだ騒ぎが続いている。

 あちこちに人が集まっていた。

 怒鳴り声。

 戸を叩く音。

 何かが壊れる音。

 その中から、聞き慣れた声がした。

「やめろ!」

 銀秋が顔を上げる。

 少し先の酒屋だった。

 戸の前に、別の一団が集まっている。

「開けろ!」

「証文を出せ!」

「借金をなしにしろ!」

 銀秋は眉を寄せた。

 キミコが酒屋を見る。

「銀秋」

「何だ」

「あそこも壊される」

「そうだな」

 銀秋は少し黙った。

 それから、キミコを見る。

「……頼めるか」

「分かった」

 ふたりは酒屋へ向かった。

 すでに戸が何度も叩かれている。

「おい!」

 銀秋が声を上げた。

 何人かが振り返る。

「何だ、お前!」

「邪魔するな!」

「その店から離れろ!」

「何でお前に言われなきゃならねえ!」

「徳政令も出てないのに、好き勝手やってんじゃねえ!」

「うるさい!」

 一人が銀秋へ向かってくる。

「どけ!」

 男が銀秋へ手を伸ばした。


「触るな」


 男の手が止まった。

「……何だ、これ」

 男の顔から、怒気が消えた。

 動かない腕を見て、それからキミコの方を見る。

「何なんだ、お前……」

 一歩、後ずさる。

 キミコはその男の向こうを見る。

 酒屋の戸の前には、まだ何人もの人間が立っていた。


「退け」


 人々の身体が一斉に左右へ動いた。

「うわっ」

「何だ、これ!」

 自分の意思とは関係なく足が動く。

 酒屋の戸まで、まっすぐに道が開いた。

 先ほどまで声を張り上げていた者たちが黙る。

 何人かは、声のした方を見た。

 そのまま、じりじりと距離を取る者もいる。

 銀秋は開いた道を進み、酒屋の戸の前まで行った。

「帰れ」

 誰もすぐには言い返さなかった。

 しばらくして、一人が隣の男を見る。

「……ここはやめよう」

 返事を待たず、その場を離れる。

 それをきっかけに、他の者たちも動き出した。

「別のところへ行くぞ」

「ここにいても仕方ねえ」

 先ほどまで酒屋の前を塞いでいた人々が、ばらばらと通りへ戻っていく。

 中には何度もキミコの方を振り返る者もいた。

 やがて、酒屋の前には誰もいなくなった。

 銀秋は戸を叩いた。

「もう大丈夫だ!」

 少しして、戸がわずかに開いた。

 中から酒屋の男が顔を出す。

「……銀秋」

「怪我は」

「ない」

「ならいい」

 酒屋の男は外を見る。

「助かった」

「礼は後でいい」

 銀秋も通りを見る。

 騒ぎは収まっていない。

 一か所から人が離れても、別の場所で声が上がる。

 店を叩く音。

 何かが割れる音。

 怒鳴り声。

 銀秋は眉間を押さえた。

「きりがないな」

「まだ行くのか」

 銀秋は通りを見る。

 少し離れたところで、また戸が叩かれている。

「あっちも頼む」

「分かった」

 ふたりは再び走った。

 それから何度も、同じことを繰り返した。

 銀秋が止める。

 キミコが言霊を使う。

 人を傷つけることはなかった。

 店へ入ろうとすれば入れない。

 戸を掴めば手が離れる。

 銀秋へ掴みかかろうとすれば、その手も離れる。

 一か所を守っても、別の場所へ人が流れていく。

 いつの間にか、日は沈んでいた。

 通りは暗くなっている。

 松明を持った者が増えていた。

 橙色の火が、あちらこちらで揺れている。

 銀秋はその火をなるべく見ないようにした。

 キミコが銀秋を見る。

「銀秋」

「何だ」

「火がある」

「見りゃ分かる」

「大丈夫か」

「……大丈夫だ」

 銀秋はそう答えた。

 また声が上がる。

 ふたりはそちらへ向かう。

 夜になっても、騒ぎは収まらなかった。

 そのときだった。

 大きな音がした。

 何かが倒れる。

 続いて、誰かが叫んだ。

「火事だ!」

 銀秋の足が止まった。

 顔を上げる。

 通りの向こうが明るい。

 赤い。

 倒れた松明から、店先へ火が燃え移っていた。

 乾いた木を舐めるように、炎が広がっていく。

 銀秋は動かなかった。

 木が爆ぜる。

 赤い光が夜の通りを照らす。

 煙が上がる。

 周囲の声が遠くなった。

 目の前の火だけが見えた。

 燃えている。

 家。

 赤い。

 熱い。

 煙。

「銀秋」

 声がした。

 答えられない。

「銀秋」

 キミコがすぐ隣にいる。

 銀秋は息を吸おうとした。

 うまく吸えない。

 身体が震える。

 炎が大きくなる。

 キミコは銀秋を見る。

 それから、炎へ目を向けた。


「消えろ」


 声は大きくなかった。

 次の瞬間。

 火が消えた。

 燃え上がっていた炎が消える。

 店先を這っていた火も。

 地面へ落ちていた松明も。

 人々の手に握られていた松明も。

 通りに灯っていた火が、一斉に消えた。

 闇が落ちた。

 ほんの一瞬前まで赤く照らされていた通りが、暗闇に沈む。

 誰も声を出さなかった。

 やがて、暗闇の中から声がした。

「……何だ」

「火が」

「消えた……?」

「松明もだ」

 ざわめきが広がる。

 銀秋は荒い息を繰り返していた。

 キミコが銀秋の腕へ手を添える。

「銀秋」

 銀秋は目を閉じた。

「火は、もうない」

 息を吸う。

 まだ浅い。

 もう一度。

 少しずつ、周囲の音が戻ってくる。

 戸惑う人々の声。

 誰かが歩く音。

 暗闇の中で、何かにつまずく音。

「痛え!」

 銀秋は目を開けた。

 本当に、火はなかった。

「……お前」

「何だ」

「全部消したのか」

「うん」

「松明も?」

「火だった」

「……そうか」

「銀秋は火を怖がる」

 銀秋は黙った。

「だから消した」

 暗闇の中で、キミコの手が銀秋の腕に触れている。

 少し離れたところで、誰かが何かにつまずいた。

「痛え! 押すなって!」

 別のところからも声が上がる。

「何も見えねえ!」

 銀秋はそちらを見た。

 それから、キミコを見る。

「……ありがとな」

「うん」

 銀秋はもう一度、通りを見た。

 あれほど騒がしかった人々も、突然落ちた暗闇に戸惑っている。

 足元を探りながら動く者。

 壁に手をついて歩く者。

 その場から動かず、周囲の様子を窺う者。

 先ほどまで燃えていた店先からは、もう炎も煙も上がっていない。

 銀秋はゆっくりと息を吐いた。

 一揆は、まだ終わっていなかった。

 暗闇の中でも、あちらこちらから声が聞こえている。

 銀秋は通りの先を見た。

「まだ続くか」

「銀秋」

「何だ」

「腹が減った」

 銀秋がキミコを見る。

「……今か?」

「ずっと減っている」

「そうだったな」

 昼に飯を食べてから、何も口にしていない。

 キミコは通りを見る。

「もう帰らせてもいいか」

 銀秋は一瞬、黙った。

「……できるのか?」

「できる」

「最初からやれよ」

「頼まれていない」

「……そうかよ」

 銀秋は額を押さえた。

「じゃあ、頼む」

「分かった」

 キミコは通りへ出た。

 暗闇の中には、まだ多くの人間がいる。

 松明を失い、足元を確かめながら進む者。

 店の戸を叩いている者。

 何が起きたのか分からず、周囲と言葉を交わしている者。

 キミコはそれらを見た。


「止まれ」


 声が通りへ響いた。

 人の動きが止まる。

 歩いていた者も。

 戸へ手を伸ばしていた者も。

 振り上げた棒を持っていた者も。

 誰一人、動かない。

 声だけが上がった。

「何だ!」

「動けねえ!」

「何しやがった!」

 キミコはその間を歩いていく。

 銀秋も後を追った。

 棒を握っている者がいる。

 鍬を持った者がいる。

 槌を手にした者もいる。

 キミコは辺りを見回した。


「捨てろ」


 手にしていたものが、一斉に落ちた。

 棒が地面を打つ。

 鍬が転がる。

 槌が石の上へ落ち、大きな音を立てた。

「おい!」

「勝手に手が……!」

 キミコは通りの中ほどまで進むと、足を止めた。

 振り返る。

 暗闇の中に、大勢の人間がいる。


「帰れ」


 人々の身体が動き出した。

「待て!」

「何だよ!」

「足が勝手に!」

 先ほどまで店へ向かっていた者たちが、今度は反対へ歩き始める。

 抗おうとして足を踏ん張る者もいる。

 壁や柱へしがみつこうとする者もいる。

 それでも足は止まらない。

 人の流れが、少しずつ通りから遠ざかっていく。

 銀秋はその光景を黙って見ていた。

 やがて、怒鳴り声も遠くなる。

 通りに残ったのは、捨てられた棒や鍬や槌だけだった。

 静かになった。

 キミコが銀秋を見る。

「帰った」

「……帰ったな」

「飯」

 銀秋はキミコを見る。

 しばらく黙ってから、息を吐いた。

「分かったよ」

「うん」

 キミコは銀秋の隣へ戻った。

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