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スダマの鬼  作者:
22/32

おばちゃん

「……随分と大きな目だねえ」

 女はそう言って、キミコの顔をしげしげと眺めた。

 銀秋が女を見る。

「……見えるのか」

「何がだい」

「こいつの顔だ」

 女は銀秋へ目を向けた。

「見えるよ」

「目もか」

「見えてるよ」

 女は再びキミコを見る。

「こんなに大きいんだからねえ」

 銀秋は黙った。

 朝から銀秋の店には何人もの客が出入りしていた。

 キミコのすぐそばを通った者もいる。それでも、その顔を見て騒いだ者はいなかった。

 ここへ来るまでの道中も同じだった。

 昼を過ぎた通りには多くの人が行き交っていた。キミコとすれ違った者も、すぐそばを通り過ぎた者もいる。それでも、誰一人として足を止めなかった。

 キミコが店先で花や菓子を眺め、反物の前に立ち止まっていても、その顔を見て驚く者はいなかった。

 キミコに聞けば、見える者には見えるのだという。

 銀秋はもう一度、女を見た。

「……本当にいるんだな」

「何がだい」

「見える奴だよ」

 キミコが銀秋を見る。

「いると言った」

「そうだけどな」

 疑っていたわけではない。

 ただ、実際に自分以外の人間がキミコの顔を見ているのは、これが初めてだった。

 女は銀秋とキミコを交互に見る。

「何だい。私に見えるのがそんなにおかしいのかい」

「いや。今日、他に見える奴がいなかったからな」

「そうかい」

 女はそれ以上気にした様子もなく、またキミコへ目を向けた。

 キミコも女を見返している。

 しばらく、二人は互いの顔を見ていた。

 先に目を逸らしたのは女だった。

「それで、飯だったね」

「ああ」

 銀秋が答える。

「いつものを二人分頼む」

「はいはい」

 女はキミコを見た。

「昨日から二人分だったのは、この人の分かい」

「ああ」

「へえ」

「何だ」

「何でもないよ」

「その顔で言うな」

 女は笑いながら奥へ引っ込んだ。

 銀秋は小さく息を吐いた。

 キミコは女の消えた方を見ている。

「あの人間は銀秋を知っているのか」

「ああ」

「いつから」

「昔からだ」

「昔とはいつだ」

「覚えてない」

「長いのか」

「長いんじゃないか」

 キミコは少し考えるように黙った。

 やがて、その目が軒先へ向く。

 台の上には、丸い餅がいくつか並べられていた。

 キミコが一歩近づく。

「これは何だ」

「餅」

「もち」

「ああ」

 キミコは餅を眺めた。

「食えるのか」

「食い物だ」

 キミコが手を伸ばす。

 銀秋はその手首を掴んだ。

「触るな」

「なぜ」

「売り物だ」

「食えるのだろう」

「銭を払えばな」

 キミコは自分の手首を掴んでいる銀秋の手を見る。

 銀秋が手を離すと、キミコは餅へ目を戻した。

「銭を払えば食える」

「そうだ」

「銀秋」

「買わないぞ」

 藤色の目が銀秋へ向く。

「まだ何も言っていない」

「言う前に分かる」

「食いたい」

「やっぱり言っただろ」

 キミコは再び餅を見る。

「飯を頼んだんだから、それまで待て」

「餅も食いたい」

「さっき菓子を食っただろ」

「食った」

「もういいだろ」

「これは食っていない」

「……お前な」

 キミコは餅を見ている。

「食いたい」

「これから飯だぞ」

「分かっている」

「だったら待て」

「餅は飯ではない」

 銀秋はしばらくキミコを見た。

「そういう問題じゃない」

 キミコは納得していない様子だったが、もう手は伸ばさなかった。

 ただ、台の上の餅をじっと眺めている。

 そのとき、通りから声がした。

「おばちゃん!」

 キミコが顔を上げた。

 一人の子供が駆けてくる。

 そのまま店先まで駆け寄り、並んだ餅の前で足を止めた。

「おばちゃん、餅くれ!」

「大声出さなくても聞こえてるよ」

 奥から女の声が返ってきた。

「銭は持ってるのかい」

「ある!」

 子供が握っていた手を開く。

 掌の上には銭があった。

 キミコはその銭を見る。

 やがて女が奥から戻ってきた。

「ほら、見せてみな」

 子供が銭を差し出す。

 女はそれを受け取ると、台の上から餅をひとつ取った。

「ほら」

「ありがとう!」

 子供は餅を受け取ると、その場で一口かじった。

 そのまま通りへ駆けていく。

 キミコはその後ろ姿を目で追った。

 子供が人の間へ紛れ、姿が見えなくなる。

 それから、女を見る。

「おばちゃん」

 女が振り返った。

「なんだい」

「餅をくれ」

 銀秋がキミコを見る。

 女は一瞬きょとんとして、それから笑った。

「私もおばちゃんかい」

「違うのか」

「いや。違わないけどねえ」

「お前、今の子供の真似しただろ」

 銀秋が言う。

「あれがそう呼んでいた」

「だからってお前まで呼ぶな」

「なぜ」

「なぜって……」

 銀秋が言葉に詰まる。

「いいじゃないか」

 女が笑いながら言った。

「おばちゃんでいいよ」

「分かった」

 キミコは女へ向き直った。

「おばちゃん」

「はいはい」

「餅をくれ」

「銭は?」

 キミコが黙った。

 女が手を差し出す。

「さっきの子も払ってただろう?」

 キミコはその手を見る。

 それから、自分の着物へ目を落とした。

 銭は持っていない。

 少しして、銀秋を見る。

「銀秋」

「嫌だ」

「銭をくれ」

「さっき菓子を買ってやっただろ」

「餅は買ってもらっていない」

「飯もこれから食うだろ」

「食う」

「ならいらない」

「餅も食う」

「食わなくていい」

「食いたい」

「我慢しろ」

 キミコは黙った。

 銀秋を見つめる。

 銀秋は目を逸らした。

「銀秋」

「駄目だ」

「銭」

「駄目だ」

 キミコは何も言わなくなった。

 ただ、銀秋を見ている。

 しばらくして、銀秋が顔をしかめた。

「……見るな」

「見ているだけだ」

「それをやめろ」

 キミコはやめない。

 銀秋はしばらく耐えていたが、やがて懐へ手を入れた。

「……一つだけだぞ」

 女が吹き出した。

「甘いねえ」

「うるさい」

 女が餅をひとつ取り、キミコへ差し出す。

「ほら」

 キミコは受け取った。

 掌に載せ、しばらく眺める。

 指先で押すと、餅が柔らかくへこんだ。

「柔らかい」

「遊んでないで食え」

 キミコは餅を口へ運んだ。

 一口かじる。

 ゆっくりと噛む。

 銀秋はその様子を見ていた。

「どうだ」

「うまい」

「そうか」

 キミコはもう一口食べる。

 やがて、手の中から餅がなくなった。

 空になった掌を見る。

 それから、台の上に残った餅を見る。

「もう一つ」

「駄目だ」

「まだある」

「あるな」

「食える」

「食えるな」

「銀秋」

「駄目だ」

 キミコは銀秋を見る。

 銀秋も見返した。

「駄目だからな」

 今度は銀秋も目を逸らさなかった。

 しばらく見つめ合う。

 やがて、キミコが先に餅へ目を戻した。

 そこへ女が包みを持ってきた。

「ほら。二人分」

「ああ」

 銀秋は包みを受け取り、飯と餅の分をまとめて払った。

 女は銀秋を見て、それからキミコを見る。

「明日も二人分でいいのかい」

 銀秋は一瞬、答えなかった。

 隣からキミコの目が向く。

「ああ」

 銀秋は包みを抱え直した。

「しばらく二人分で頼む」

「そうかい」

 女はそれ以上、何も聞かなかった。

「行くぞ」

 銀秋が歩き出す。

 キミコもその後をついていく。

 数歩進んだところで、キミコが足を止めた。

 振り返る。

「おばちゃん」

「なんだい」

「明日も餅を食う」

「勝手に決めるな」

 銀秋は振り返らずに言った。

 背後から、女の笑い声が聞こえた。

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