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スダマの鬼  作者:
21/31

見える人

 昼を過ぎた頃、客足が途切れた。

 銀秋は帳簿へ最後の一文字を書きつけると、筆を置いた。

「腹減ったか」

 藤色の一つ目が銀秋へ向く。

「減った」

「そうか」

 銀秋は帳簿を閉じた。

「飯にするぞ」

 銀秋は立ち上がった。銭を持ち、表へ出る支度をする。

 キミコはまだ座っている。

「何してる。行くぞ」

「私もか」

「お前をここに置いていけるか」

「なぜ」

「質物に触るだろ」

「触らない」

「朝から何度触った」

「……」

「行くぞ」

 少しして、キミコは立ち上がった。

 銀秋は表の戸を閉め、ふたりで通りへ出た。

 昼の日差しが通りを照らしていた。

 朝よりも人通りが増えている。行き交う人々の声に、商いの声が混じっていた。荷を背負って歩く男がいれば、籠を抱えた女もいる。道の端では品物を並べている者がおり、その前で足を止める客もいた。

 銀秋は慣れた道を歩いていく。

 少しして、隣にいたはずの気配がなくなった。

 銀秋は足を止める。

 振り返った。

 キミコは少し後ろに立っていた。

「キミコ」

 呼ぶと、一つ目が銀秋へ向いた。

「何してる」

「見ている」

 キミコの視線を追う。

 道沿いの店先に、赤や白、淡い紫の花が並んでいた。

 キミコはその前に立ち、じっと花を眺めていた。

「花がどうした」

「祀煙がくれた」

「誰だ、それ」

「弟だ」

 銀秋はキミコを見る。

「お前、弟がいるのか」

「うん」

 キミコは再び花へ目を向けた。

 花びらの一つ一つを見るように、大きな目がゆっくりと動く。

「また遊びに行こうかな」

「行ったらいい」

 銀秋は何気なく答えた。

「でも前は女がたくさんいた」

「……」

 銀秋は黙った。

「弟のところに?」

「うん」

「随分もてるんだな」

「浮気者だ」

「浮気?」

「女をたくさん囲っていた」

「……誰から浮気してるんだ」

「私だ」

「お前から?」

「そう」

「……そうか」

 銀秋はそれ以上考えるのをやめた。

 再び歩き出そうとする。

「腕も千切られた」

 足が止まった。

 振り返る。

「腕?」

「うん」

「誰に」

「祀煙に」

 銀秋はキミコの両腕を見る。

 当然のようについている。

「今あるじゃないか」

「生やした」

「……」

 銀秋はしばらく何も言わなかった。

「どんな兄弟だ」

 キミコが銀秋を見る。

「仲はいい」

「腕を千切られて?」

「お揃いにした」

「……もういい。行くぞ」

 銀秋は歩き出した。

 キミコもついてきた。

 しばらくふたりで歩く。

 また、足音が一つ消えた。

 銀秋はそのまま数歩進んだ。

 それから立ち止まる。

「……キミコ」

 振り返る。

 今度は菓子だった。

 キミコが店先に並んだ菓子を見ている。

 銀秋は戻っていった。

「今度は何だ」

「菓子」

「菓子がどうした」

 キミコは並んでいる菓子から目を離さない。

「これも祀煙が持ってきた」

「また弟か」

「うん」

「お前の弟、いろいろ持ってくるんだな」

「花と菓子を持ってきた」

「へえ」

 銀秋も菓子を見る。

「好きなのか」

「分からん」

「食ったことないのか」

「ない」

 銀秋がキミコを見る。

「持ってきたんだろ」

「うん」

「食わなかったのか」

「持っていた」

「持ってただけ?」

「うん」

「何でだ」

 キミコは答えなかった。

 銀秋は、菓子を見つめたままのキミコを見る。

「食いたいのか」

「分からん」

 銀秋は息を吐いた。

「食ってみたいか」

 少し間があった。

「食べてみたい」

 銀秋は懐へ手を入れた。

「一つくれ」

 店の者へ銭を渡す。

 受け取った菓子を、そのままキミコへ差し出した。

 キミコが見る。

「ほら」

「私にか」

「俺が食うと思ったのか」

 キミコは手を伸ばした。

 菓子を受け取る。

 すぐには食べなかった。

 手のひらに載せ、しばらく眺めている。

「……食わないのか」

「見る」

「さっき食べてみたいって言っただろ」

「食べる」

 キミコは菓子を口へ運び、一口かじった。

 銀秋は歩き出しかけて、足を止めた。

 キミコはゆっくりと噛んだ。

「どうだ」

「甘い」

「そりゃ菓子だからな」

 もう一口食べる。

 しばらくして、キミコが言った。

「うまい」

「そうか」

 銀秋は小さく笑った。

「よかったな」

 キミコは残った菓子を食べながら、銀秋の後についてくる。

 今度はしばらく止まらなかった。

 人の流れの中をふたりで進む。

 やがて銀秋は、また隣が静かになったことに気づいた。

 見る。

 いない。

「……またか」

 振り返る。

 少し離れたところで、キミコが反物を眺めていた。

 銀秋は額へ手をやった。

「キミコ」

 キミコが振り向く。

「何だ」

「それはこっちの台詞だ」

 銀秋はキミコのところまで戻った。

 店先には何本もの反物が並んでいる。色も柄も様々だった。

 キミコの大きな目が、その間を行き来している。

「綺麗だ」

「そうだな」

 銀秋は嫌な予感がした。

 キミコが一つを指す。

「これが欲しい」

「駄目だ」

 即答した。

「なぜ」

「高い」

「銀秋は金を持っている」

「俺の金だ」

「さっきは菓子を買った」

「あれと一緒にするな」

「何が違う」

「値が違う」

 キミコは反物を見る。

「欲しい」

「駄目だ」

「綺麗だ」

「それは分かった」

「欲しい」

「二回言っても駄目だ」

 キミコが銀秋を見る。

 藤色の大きな目が、じっと向けられる。

 銀秋も見返した。

「そんな顔しても駄目だからな」

「どんな顔だ」

「……買わないからな」

「なぜ」

「だから高いんだよ」

 キミコはもう一度反物へ目を向けた。

 名残惜しそうに、しばらく眺める。

 銀秋は待った。

「……行くぞ」

「分かった」

 ようやくキミコが反物から離れた。

 銀秋の隣へ戻ってくる。

「衣なら、お前もう山ほど持ってるだろ」

「違う」

「何が」

「あれは持っていない」

「全部欲しがる気か、お前」

「綺麗だからな」

 歩き出す。

 今度は銀秋も、ときどき隣を確かめながら歩いた。

 キミコは何かが目に入るたび、そちらへ大きな目を向けている。

 それでも、もう足を止めることはなかった。

 しばらくして、銀秋は一軒の店の前で立ち止まった。

「着いたぞ」

 キミコが店を見る。

「ここか」

「ここだ。いつもここで飯を頼んでる」

 銀秋が中へ声をかける。

「いるか」

「あいよ」

 奥から女の声がした。

 やがて、一人の女が姿を見せる。

 年嵩の女だった。

 銀秋の姿を見ると、慣れた様子で口を開く。

「あら、銀秋さん。今日は遅かったねえ」

「客が来てた」

「そうかい。いつもの?」

「ああ。それと今日は二人分頼む」

「二人分?」

 女が首を傾げる。

「昨日もだったねえ。誰か泊まりに来てるのかい」

「……まあな」

 銀秋が少し横へ視線を向けた。

 女もそれを追う。

 そこで初めて、キミコを見た。

 白い着物をまとった青年が、銀秋の隣に立っている。

 艶のある黒髪。

 顔には、藤色の切れ長の目がひとつ。

 女は黙った。

 キミコも女を見返している。

 しばらく、その大きな目を眺めてから、女は口を開いた。

「……随分と大きな目だねえ」

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