↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
スダマの鬼  作者:
15/32

浮気者

 刀が、振り下ろされた。

 祀煙(しえん)は身を捻る。

 刃が頬を掠めた。

 畳が裂ける。

 キミコが刀を引き抜いた。

 祀煙は一歩、後ろへ引く。

 速い。

 そう思ったときには、キミコはもう目の前にいた。

 刀が横薙ぎに振られる。

 祀煙はわずかに身を逸らした。

 刃が髪を掠める。

 その腕へ手を伸ばす。

 だが、キミコが退いた。

 刀が返ってくる。

 祀煙は腕を上げた。

 刃が、腕を浅く斬った。

 袖が裂けた。

 遅れて、皮膚に赤い線が浮かぶ。

 キミコは傷を見た。

 祀煙は後ろへ引いた。

 距離が開く。

 キミコは追ってこなかった。

 ただ、刀を下げたまま祀煙を見ている。

 藤色の瞳が、楽しそうに細められた。

「当たった」

 嬉しそうな声だった。

 祀煙は裂けた袖を見る。

 血が滲んでいる。

 傷は浅い。

 だが、今の一撃を、避けきれなかった。

「……お前」

 祀煙が顔を上げる。

「強いな」

 キミコは瞬きをした。

「そうか」

 にこりと微笑む。

「ならば、もう少し遊ぼう」

 刀が持ち上がる。

 祀煙も構え直した。

 次の瞬間。

 キミコが消えた。

 祀煙は横へ跳ぶ。

 直後、背後の壁が崩れた。

 木片が舞う。

 キミコはその向こうに立っていた。

「逃げるのか?」

「……違う」

 祀煙は、キミコを見ていた。

「見ているだけだ」

 キミコは少し黙った。

 それから、笑う。

「そうか」

 その声と同時に、再び地面が弾けた。

 キミコが踏み込む。

 今度は、祀煙も退かなかった。

 刃が迫る。

 祀煙は紙一重で躱し、キミコの懐へ入る。

 肩を掴む。

 そのまま、床へ叩きつけた。

 畳が沈む。

 だが、キミコは倒れたまま笑った。

 身体を捻る。

 祀煙の腕が外れた。

 キミコはその勢いのまま立ち上がる。

 刃が翻る。

 祀煙は後ろへ退いた。

 刃が衣を裂く。

 間を置かず、キミコが追う。

 刀が振られる。

 祀煙は避ける。

 返す。

 また避ける。

 互いの間に、何度も刃が走った。

 部屋の柱が削れ、障子が破れる。

 畳には幾筋もの傷が刻まれていく。

 祀煙はキミコの動きを追っていた。

 速い。

 力もある。

 だが、それだけではない。

 キミコは、戦いながら変わっている。

 初めはただ刀を振っていた。

 それが、祀煙の動きを見て、少しずつ変わっていく。

 刀を振る角度。

 踏み込む位置。

 間合い。

 すべてを覚えている。

「……厄介だな」

 祀煙が呟く。

 キミコが笑った。

「褒めているのか?」

「ああ」

「嬉しい」

 キミコは楽しげに、刀を構え直す。

 祀煙の袖から、血が一滴落ちる。

「……」

 キミコの視線が、その血を追った。

 そして、ふと顔を上げる。

「女がいる」

 祀煙の目が細くなる。

「……何?」

「お前の中から、女の匂いがする」

 祀煙は答えなかった。

 キミコは、じっと祀煙を見つめている。

「一人じゃない」

「……」

「何人もいる」

 祀煙の表情が、わずかに変わった。

「お前のところには、女がいるのか」

「いない」

 間を置かず、祀煙は答えた。

「嘘だな」

 キミコの目が細くなる。

「何人いる?」

「知らん」

「嘘だ」

 キミコは笑った。

「なら、見に行こう」

 キミコはそう言うと、刀を下ろした。

 祀煙が眉を寄せる。

「待て」

 キミコは答えなかった。

 壊れた壁を抜ける。

 祀煙も追う。

 壁の向こうへ出た。

 だが、キミコの姿はもうなかった。

 祀煙は周囲を見渡す。

 いない。

 祀煙は舌打ちした。踵を返す。




 その途中。

 道端に、女が倒れ込むように座っていた。息を切らしている。

 先ほどの女だった。

 祀煙は足を止める。

「……祀煙、さま……」

 祀煙は答えず、女を抱き上げた。

 足元から、煙が立ち上る。

 煙は瞬く間に身体を包んだ。

 次の瞬間、祀煙の姿はその場から消えた。




 祀煙は、屋敷の庭に立っていた。

 腕には、先ほどの女を抱えている。

 いつの間にか、日は傾いていた。庭を長い影が横切っている。

「ここにいろ」

 祀煙は女を屋敷の中へ下ろした。

 この屋敷には、何年も前から祀煙が結界を張っている。

 害意のある人間から女たちを隠し、自分以外の妖の類を中へ入れないためのものだった。

 女が顔を上げる。

「祀煙さま……?」

 祀煙は答えず、外へ目を向けた。

 そのときだった。

 ——何かが、結界に触れた。

 屋敷を囲むように張られた結界が、大きく揺れた。

「……?」

 女たちが不安そうに顔を見合わせる。

 祀煙は庭へ出る。

 結界の向こう。

 夕暮れの道に、ひとりの鬼が立っている。

 藤色の瞳が、こちらを見ていた。

 キミコは結界へ手を伸ばした。

 指先が触れる。

 白い指が、黒く変色した。

 それでも、手は離れない。

「……無茶をする」

 祀煙は目を細めた。

 キミコはさらに手を押し込んだ。

 空気が軋む。

 結界が大きく揺れた。

 何もないはずの空間に、ひびが走る。

 祀煙は息を吐き、一歩踏み出す。

「……引いてくれないか」

 キミコは祀煙を見る。

「嫌だ」

 さらに力を込める。

 結界が、砕けた。

 見えない壁が崩れ、キミコが庭に入ってくる。

 祀煙はすぐに振り返った。

「全員、奥の部屋へ」

 女たちが動き出す。屋敷の中へ駆けていく。廊下を走る足音が重なった。

 祀煙も庭を離れ、縁側へ上がった。

 その向こうから、キミコが歩いてくる。

 祀煙は、その前に立った。

「……何人いるんだ」

 キミコが呆れたように呟く。

 祀煙は答えない。

 キミコは廊下の奥を見る。

 女たちは、その視線を感じると、怯えたように身を寄せ合った。

 誰も、キミコの顔を見ようとはしない。

 そのまま、次々と部屋の奥へ駆け込んでいく。

 それから、祀煙を見る。

「……」

 刀が、静かに持ち上がる。

 祀煙も構えた。

 次の瞬間、キミコが踏み込んだ。

 刃が迫る。

 祀煙は躱した。

 そのまま一歩踏み込み、キミコを押し返す。

 キミコの背が柱へぶつかった。

 柱が軋む。

 キミコはすぐに身体を起こした。

 再び踏み込む。

 刃が走る。

 祀煙は身を捻った。

 刃が柱を削る。

 刀が返る。

 祀煙はそれを躱す。

 何度も刃が走る。

 それでも、ふたりの位置はほとんど変わらなかった。

「……」

 キミコは祀煙を見る。

 そして、再び刀を振り上げた。

 そのときだった。

「祀煙さま!」

 背後から声がした。

 廊下の奥から、女が駆けてくる。

 逃げ遅れたのだ。

 祀煙は振り返らず、目を細める。

 キミコは刀を構える。

「戻れ!」

 女が足を止める。

 キミコが踏み込んだ。

 祀煙は立ちはだかる。

 刃が走った。

 次の瞬間。

 祀煙の腕が、床に落ちた。

 血が、板張りの床へ落ちていく。

 女は声にならない悲鳴を上げ、立ち尽くす。

 祀煙は残った片手で女を押しやった。

「中へ」

 女は涙をこらえながら頷く。

 祀煙はキミコへ向き直った。

 肩口から、灰色の煙が立ち上っている。

 キミコは、落ちた腕を見た。

 それから祀煙を見る。

 口元に笑みが広がる。

「あはは」

 けらけらと、子供のように笑った。

 祀煙が一歩踏み出す。

「……調子に乗るなよ」

 残った片手を握る。

 指先に、力が籠もった。

 祀煙が、手首を捻った。

 キミコの身体が、わずかに揺れた。

 肩が、沈む。

 刀を握った腕が、肩口から引き千切れた。

 刀が音を立てて板張りの床に落ちる。

 血が、廊下へ散った。

 キミコは目を見開き、自分の肩を見下ろした。

 それから、床に落ちた二本の腕を見て、目を細める。

「……お揃いだ」

 祀煙は答えない。

 キミコは、床に落ちた刀を見た。

 刃こぼれだらけだった。もう使えない。

 そのとき、廊下の奥で、何かが動いた。

 斬り裂かれた障子の隙間から、女たちがこちらを覗いている。

 怯えた顔が、いくつも並んでいた。

 誰も声を上げない。

 キミコはそちらへ目を向ける。

 女たちはびくりと身を引いた。

 すぐに身を隠した。

 キミコは何も言わなかった。

 ただ、祀煙へ歩み寄る。

 祀煙が眉を寄せる。

 キミコは残った手を伸ばし、祀煙の頬に触れた。

 黒く変色した指が、肌に触れる。

 次の瞬間。

 唇が重なった。

 ほんの一瞬だった。

 キミコは離れる。

 藤色の瞳が、細められる。少しだけ、口を尖らせた。

「この浮気者」

 それだけ言うと、キミコは踵を返した。

 夕闇の中へ歩いていく。

 祀煙は、何も言わなかった。何も言えなかった。

 やがて、その姿が闇に紛れる。

 祀煙は、しばらくその場に立っていた。

 やがて、深く息を吐く。

「……何だったんだ」

 そのまま背後の柱へ背を預け、ずるりと座り込んだ。

 残された廊下には、灰色の煙が静かに漂っていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。