温度差 ― 本社で一番恐いのは ―
かつてリヒトを厳しく鍛えたレジェンディアの元オフィサー。
あの人物が、再び登場します。
ただし今回は——訓練する場所が、少し違うかもしれません。
——海風が、埠頭を吹き抜けていた。
大洗港。
そこには一隻のクルーズ船が静かに停泊している。
白い船体。
整然としたデッキ。
オーシャンクレストクルーズの船——
サフィール。
レイコは埠頭に立ち、その船を見上げていた。
「……サフィール。」
懐かしい名前を口にした、その瞬間だった。
「レイコ!」
声が飛ぶ。
振り向くと、一人の男がこちらへ駆けてくる。
オーシャンクレストのオフィサー、ヘインズだった。
「無事で良かった!」
レイコは思わず笑顔になる。
「ミスター・ヘインズ!」
「ニューヨークで手紙を受け取って、とても嬉しかったわ!」
船体を見上げながら続ける。
「オーシャンクレストの船たちのことも、心配で仕方なかったの。」
ヘインズは肩をすくめた。
「レイコ、我々は大丈夫ですよ。」
そして少し笑う。
「それより——」
声を落として、こそっと言う。
「私たちは、君が恋人にヤキモチを妬かれてしまうんじゃないかと……」
少し肩をすくめる。
「いつも、そっちの方が心配なんです。」
少し離れた場所で見ていたエディが、そっと目を閉じる。
(……それなんだ。)
フォックス中尉も苦笑する。
(まさにそれです。)
だがレイコは、あっさり笑った。
「皆大好きなんだけどな。」
軽く肩をすくめる。
「でも、ご心配ありがとう!」
ヘインズは笑った。
「それを聞いたら、君の恋人は頭を抱えるでしょうね。」
「我々はとても嬉しいですが。」
レイコは何も言わなかった。
ただ、サフィールの白い船体を見上げていた。
⸻
その頃。
BMM本社では、別の緊張が広がっていた。
エリコ・白鳥・アズナブールは、デスクで電話をかけていた。
相手はマイアミ。
かつての盟友——
エレクトラ。
事情を簡潔に説明する。
ホルムズ危機。
クリスタニア就航。
ロイヤルネイビーからの招待。
そして——
リヒトの船長教育。
電話の向こうで、エレクトラが笑った。
「……面白いわね。」
エリコは腕を組む。
「笑い事じゃないのよ。」
短く言う。
「何とかしてちょうだい。」
エレクトラはさらに笑った。
「いいわよ!」
そして、あっさり言った。
「三日後にこちらを出発するわ。」
少し間。
「そっちでの段取りはお願いするわね。」
エリコは小さく息を吐いた。
「助かるわ。」
電話が切れる。
オフィスの空気は、一瞬で変わった。
社員たちが顔を見合わせる。
「……エレクトラさんが来るんですか。」
誰かが小さく言う。
別の社員が呟いた。
「本気ですね……。」
クルーズ部門の空気は、一気に緊張に包まれた。
レジェンディアの鬼教官が、日本に来る。
それが意味するものは、誰にでも分かっていた。
⸻
エリコはデスクに戻り、もう一度電話を手に取った。
今度は別の番号を押す。
数秒後、明るい声が返ってくる。
「Bonjour?」
ルイだった。
「ルイ。」
エリコが言う。
「どうしたんだい?」
「お願いがあるの。」
エリコは窓の外を見た。
社内では、社員たちが慌ただしく動き回っている。
「うちの社員たち、そろそろ限界なのよ。」
少し間を置く。
「差し入れをお願いできる?」
電話の向こうで、ルイが笑った。
「お安い御用さ!」
軽い声。
「午後のお菓子を持って行くよ。」
エリコは小さく笑った。
「助かるわ。ありがとう。」
電話を切る。
窓の外には、東京湾が広がっていた。
⸻
その頃。
大洗の埠頭では——
レイコがサフィールを見上げている。
そして本社では。
社員たちが、走り回っていた。
三日後。
鬼のエレクトラが、羽田に降り立った。
作中では、新造船クリスタニアの就航準備が進んでいます。
実際のクルーズ会社でも、新しい船が就航する前は本社も現場もとても忙しくなります。
船の最終調整、クルーの配置、訓練、運航スケジュールの確認、寄港地との調整、安全確認やイベント準備など。
さらに世界情勢や燃料価格なども運航計画に大きく影響します。
新しい船が華やかにデビューする裏側では、多くの人が慌ただしく動いています。
海の世界は、思っている以上にたくさんの人の努力で動いているのです。




