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第43話 ~物語の結末~

 それから一ヶ月後、哀奈の会見が世界中の研究者たちを震撼させ、ミッドガルドを応用した研究が盛んに計画されるようになった。


 しかしその全てを実現させるわけではなく、哀奈が判断して許可した計画のみを通して進められている。


 さらに二ヶ月後、愁翔と心咲のリハビリが完全に終了して、三年近く世話になった病院を退院する運びとなった。



   ◆ ◆ ◆



「愁翔さん、心咲ちゃん。現実世界への完全復帰、おめでとうございます!!」


 とある飲食店の中から溌剌とした声が上がり、次いでクラッカーの音と歓声が上がった。


「お、おぉ……」

「びっくりしたぁ……」


 二人揃って店の中に入ってきた愁翔と音無は、突然の出来事に目を瞬かせて呆然としていた。


「びっくりしたよね? 僕たちで計画してたんだ」


 そう言ったのは嬉しそうな表情を浮かべる青年、不破 優であった。


 彼の手にはクラッカーが握られており、他の面々も一様にそうだった。


 この場にいるのは本郷、不破、灰葉、哀奈、神咲の五人だ。


「おかえりなさい! お二人共!!」


 本郷がクラッカーを放り投げて抱きついてきた。


 音無は微笑んでそれを受け止めたものの、愁翔は動揺してたじろいでしまっていた。


「ただいま、架蓮ちゃん」

「あ、あぁ……」


 音無は優しげな声音でそう答え、愁翔は小さく頷いた。


 返事を聞いた本郷は二人から離れ、その顔に快活な笑みを浮かべた。


「さぁ、主役が来たんだ。祝賀会を始めよう!」


 本郷の歓迎の後、神咲が手を叩いてそう言った。


 そして本郷に手を引かれて愁翔と音無が隣合った席に案内される。


「この中から選べ」


 二人が椅子に腰を下ろすや、灰葉がメニューを差し出してくる。


 そこには十種類程度のソフトドリンクが表記されており、愁翔と音無は数秒黙考した後にメニューの上の同じ位置を指さした。


「仲良いな、お前ら。おーい! さっきの五つと烏龍茶二つ持ってきてくれ」


 灰葉は全く同じものを指さした二人を見て、口角を少しだけ吊り上げて笑った。そして厨房の方へ声を投げかけた。


「あいよ」


 灰葉の声に対して、姿の見えない声の主がハスキーボイスで応じる。


「貸し切ってるみたいだけど、ここの店はなんなんだ?」


 夜七時を回るかきいれ時の時間帯に、現状この店に愁翔たち以外の姿はない。


「あぁ、ここは俺の店だ」


 灰葉は胸に手を当てて堂々と言い切った。愁翔は困惑して口を開けてしまった。


「は……? この二年で店開いたのか……?」

「お前は何堂々と嘘ついてやがんだ」


 愁翔の困惑を断ち切ったのは厨房の中にいたであろうハスキーボイスの主だ。


 彼は百八十センチを優に超える身長に、がっちりとした筋肉に覆われている色黒の大男だった。


 彼はジョッキ七つを載せたトレーを片手で軽々と運びながら、空いている方の手で灰葉を小突いた。


「単にお前が入り浸ってるだけだろ」


 この店の店主であろう彼は、ソフトドリンクが波打つジョッキを愁翔たちの前に置いていきながらそう言った。


「俺が来ねぇとほとんど客いねぇだろ」

「ばっか、深夜は賑わってんだよ」


 彼はジョッキを置き終わると、灰葉の発言を軽くあしらった。


「お二人はどういう関係なんですか?」


 仲の良い様子に、音無が挙手して問いかける。


「舎弟」


 その問に彼が真っ先に言い切る。それに対して灰葉が席から立ち上がって声高に反論した。


「俺がいつしのぶの舎弟になったんだよ!?」

「いつってお前、やんちゃしてた狂犬時代のお前を俺が叩き伏せた時からだろ。たった一撃で沈んじまうんだもんな、歯ごたえなかったぜ」

「っざけんな!」


 灰葉は過去の話をされて憤慨し、猛烈な罵りあいが始まった。


 しかし灰葉の言葉は軽々と流され、逆に忍と呼ばれた彼に言葉のカウンターを受けていた。


「けどよ、お前も丸くなったよな。昔は触れたら噛み付くような奴ばっかとつるんでたのによ」


 忍は黒瞳を細め、愁翔たちを順に眺めてから囁いた。その一声に灰葉の罵りも静まり、小さく頷いた。


「話したと思うけど、こいつらとはたくさんの死線を超えてきた。現実では有り得ないほどのな。だからこの繋がりは何よりも強ぇんだ」


 灰葉の独白のような言葉に、愁翔たちが小さな笑みをたたえる。


 四ヶ月もの期間をあの世界で過ごし、死を覚悟する戦いを幾つも超えてきた。


 たとえあの世界がデータで出来た仮想の世界であったとしても、そこで経験したことは本物であり、余命を消費するだけだった愁翔たちに生き続ける希望を与えたのだ。


「さぁ、飲み物も来たことだし始めようか!」


 ミッドガルドでの出来事を懐古する愁翔たちを、哀奈の声と拍手が現在へと引き戻した。


「そうですね、乾杯しましょうか」


 その言葉に、不破が優しげな笑みとともにジョッキを持ち上げた。


 それを皮切りに他の面々も自身の前に置かれたジョッキに手をかける。

 

 全員がジョッキを持ち上げたのを確認すると、本郷が立ち上がった。


「では改めまして、愁翔さんと心咲ちゃんの現実完全復帰を祝して~……かんぱ~い!!」


「「かんぱ~い!!!」」


 本郷の掛け声とともに全員の声が重なり、ジョッキがぶつかり合う心地よい音が店内に響き渡った。



 それからは忍の凝った料理がテーブルを埋め尽くしていき、愁翔たちが眠っていた二年間に起こった出来事が次々と語られていった。


 現実に帰還した本郷たちの心臓が補助を必要としないほどまで回復したこと。


 ミッドガルドの技術によって日本の科学力が躍進したこと。


 そして本郷が作家目指して文系の大学に進学したこと、不破が介護士になるために専門学校へ進んだこと、灰葉が教師になるために教育学部に進んだこと。


 この二年で世界も人も、着実に先へ進み続けている。


 その長い期間を眠り続けていた愁翔と音無はほんの少しだけ寂しい気持ちになりながら、それらの話を聞いていた。



「そうそう、事件の発端である黒鉄 総司はやっぱり亡くなってたよ……」


 哀奈がスマートフォンの画面を見ながら思い出したようにそう言った。


「黒鉄……」


 最後に五人の前に立ちはだかった彼は、愁翔たちとの激闘の末に消滅した。


 あの時の感覚通り、彼が現実に還ることは無かったのだ。


「でも、つい最近 NIGHTMAREが完結したんだよね」


 哀奈が始めた話題に乗った不破がぽつりと呟いた。


「!? あの作品はミッドガルド事件が始まった頃から休載してたんだろ……?」

「ネット記事を読んだだけだが、なんでも死ぬ前に最終話までの原稿を描きあげていたらしい。真実としては、死ぬ前どころか休載をし始めた頃には全部出来ていたってことになるな」


 愁翔の問いかけに答えたのは神咲であった。彼女の説明によって愁翔はNIGHTMAREが完結できた理由を理解した。


「あいつは自分が死ぬことが分かって……。いや、もう現実に戻る気が無かったのか……」


 愁翔は黒鉄の発言を思い返して小さく呟いた。


 彼は狂的なまでに電脳世界にこだわり、愁翔たちをあの世界に留まらせようとしていた。


 その理由は一体なんだったのだろうか。それは最期の言葉に帰結するのだろうが、今の愁翔には理解が及ばない。


「NIGHTMAREの最後はあの事件の最後と一緒……はっ! お二人はまだ読んでないんですもんね!」


 本郷はNIGHTMAREのラストについて語り始めようとしたものの、未読である愁翔と音無に気を遣って言葉を切った。


「いや、いいよ。聞かせてくれ」


 愁翔はそう言いながら隣の音無に目線を配った。無言で問われた音無は小さく頷いた。


「NIGHTMAREはラストで、主人公たちに世界の仕組みや歴史を教えてくれた夢世界の仲間が裏切ったんです。夢世界自体を創り上げたのが彼で、人間を引き込んでその意識を喰らう為だったんですよ」

「それじゃあまるで……」

「だからあの事件の最後と一緒みたいってことか……」


 本郷の解説に、愁翔と音無は息を呑んで事件と作品の似通った最後に驚愕した。


「彼は事件を最後まで予見してたのだろうな……」


 神咲は顎に手を当てて神妙な表情でそう言った。その言葉によりこの場の面々が一様に思考にふけり始める。


「もう終わったことなんだからどうでもいいじゃねぇか。今は祝賀会なんだ、なんも考えずに楽しめよ」


 そう言うと灰葉はジョッキを仰いで残っていた飲み物をすべて飲み干した。


「あぁ、そうだな……」


 仮想世界ミッドガルドを舞台とした事件はあの日に終結したのだ。


 こうして誰一人欠けることなく現実世界へと帰還することが出来たうえに、あの世界を崩壊させることなく守ることが出来たのだ。


 そして開発者である七咲の意志は哀奈へと受け継がれ、あの世界は本来の用途で普及し始めている。


 あの世界は一般人である自分たちにはもう手の届かないところまで来てしまっているのだ。


 これからミッドガルドを導いていくのは哀奈たち科学者であり、一介の学生である愁翔たちではない。


 それでも、引っかかるものがいくつかあるのは事実だ。


 だがそれに理由をつけて行動するほど、愁翔にはそのひっかかりが明確に理解出来ているわけではなかった。


「ほらよ」


 愁翔が少しだけ寂しい気持ちになっていると、横から忍が新たな料理を運び込んできた。


「凄いな……」

「ホントですね!」


 あまりの豪勢さに愁翔が感嘆の声を漏らすと、隣で本郷が目を輝かせて相槌を打った。



 それからは本郷たちが過ごしてきた学校についての話や、現在の学校生活など学生らしい話に花を咲かせた。


 愁翔と音無は夜間の高校に転校して、高校卒業資格を得ることになるらしい。


 眠っていた二年間の膨大な量の情報を一夜で得て、愁翔と音無は感慨にふけっていた。


「さて、そろそろいい時間だ。お開きにしようか」


 散々飲み食いして語り合った面々には少しだけ疲れの色が見て取れた。神咲のその提案は丁度いいタイミングだった。


「そうですね!」

「もう動けねぇ……」


 本郷が神咲の方を向いて返事をし、途中から大食いチャレンジをさせられていた灰葉が机に突っ伏しながら呟いた。


「じゃあ私は二人を送りに行くから、後はよろしくね」


 哀奈は席から立ち上がりながら上着を手に取った。


「わ、わたしも手伝いますよ」


 愁翔と音無が先に帰されるような流れになっていたため、音無は立ち上がって片付けを手伝い始めようとした。


「ダーメ。今日は二人のためのパーティーなんだから、祝われる側は最後までゲストのままなの」

「あぅ……」


 哀奈は小さく頬を膨らませながら、音無の額を人差し指で突ついた。


「まぁそう言うならいいんじゃないか?」


 額を押さえながら申し訳なさそうにしている音無に、愁翔はそう声をかける。


「そう……だね。今日はこんな会を開いてくれて、ありがとうございました!」

「俺からも、ありがとう」


 音無がぺこりとお辞儀をしながら今日のお礼を言うと、愁翔も小さく頭を下げた。


「お祝いするなんて当たり前ですよ!」

「二年間、待ってたんだからね」

「あぁ、待ちわびたよ」

「まぁお前らはこれからが大変なんだろうけどな」


 二人揃って席を立っている愁翔と音無に対して本郷、不破、神咲、灰葉が順に言葉をかけていく。


「灰葉、お前は急に現実を突きつけるなよ……」

「はっ! お前ならすぐ追いついてくんだろ? けどちゃんと音無の手も引いてこいよ」


 灰葉の信頼は少し荷が重いが、隣に立つ音無とともになら歩めるはずだ。


「愁くんに付いていくのが精一杯かもしれないけど、頑張るよ……」

「心咲、お前は俺を買いかぶりすぎだぞ。現実ではただの引きこもりだったんだからな」


 愁翔は呆れたような笑みをたたえながら、音無の希望を打ち砕きにかかった。


「そんなことないよ。愁くんはあの世界でも、現実でも私の英雄だよ……?」


 音無の発言にこの場の全員が固まった。


 そして本郷と神咲はぼっと顔を真っ赤にし、不破と灰葉は小さく笑っていた。


「おま、何言って……」


 その発言の直撃を受けた愁翔も遅れてその意味を理解し、ほんのりと頬を染めた。


「わ、わたし何言って……!」


 周囲の反応を見て、音無自身も発言を思い返して真っ赤になった。


「……心咲ちゃん、家にお嫁に来な?」

「およ、およ、およ……!?」


 哀奈の追い打ちは音無から思考力を完全に奪い去った。


 彼女は林檎のように顔を染め、目をぐるぐると回していた。


「あー、こんな場所でのろけてんじゃねーよ。行った行った」


 灰葉は呆れたようにしっしと、動物を追い払うかのような動作を二人に向けて行った。


「うるせぇ……! 行くぞ、哀奈、心咲」


 愁翔は灰葉の発言を切り捨て、哀奈と音無の手を引いて店の出入口へと向かって行った。


「えー、面白かったのに」

「調子に乗るな……」


 愁翔は哀奈の手をぎゅっと握って彼女の減らず口を黙らせた。


 音無の方には力をほとんど入れていないが、彼女の上昇した体温が伝わってきて愁翔の方まで熱くなってくる。


「いたたたた! 分かった、分かったから!」


 愁翔は哀奈の降参の声を聞いて、彼女の腕から手を離した。


「今日は愁たちのためにありがとう。あとはよろしくねー!」


 哀奈はドアノブに手をかけながら、席で片付けを始めた神咲たちに声を投げかけた。手を挙げてそれに応じる四人を確認して哀奈はドアを開け放った。


 カランカランというベルの音が心地良く響くとともに、外の寒風が店内に吹き込んできた。



   ◆ ◆ ◆



「もう春のはずなんだけど、やっぱ夜は寒いね~」

「ホントですね……」


 店を後にした三人は少し離れた場所に止めてある哀奈の車へ向けて歩き出した。


「春、か」


 現在二〇二二年三月は寒波の影響で未だに寒い日が続いている。


 来月で四月だというのに、この調子では桜もまともに咲きそうもない。


「なに、愁? 学校行くのが怖いの?」

「あぁ、正直に言うと怖いよ」


 哀奈のおちょくるような発言に、愁翔は大真面目に答えた。


 それに面食らった哀奈は真面目な表情で聞き手に回った。


「心臓が悪くなる以前から人と関わることを嫌ってきたんだ。それに不登校になってからは全くと言っていいほど人と触れ合わなかった。新たに見ず知らずの人間と関わるとなると不安なんだ」


 愁翔は自身の手のひらを見つめながら心の内をさらけ出した。


「それは、大丈夫だと思うなぁ……」


 空を見上げながら小さく呟いた哀奈に対して、愁翔は問いの視線を送った。


「愁はあの世界で心咲ちゃんたちはもちろん、ミッドガルドの住人たちともいい関係を築けたんでしょ? 時々通信で様子を見てきただけでも分かったぐらいに愁は変わったよ」


「俺が、変わった……?」


「ううん、変わったわけでは無いのかもね。 身の回りに大切に思える人がいなかっただけで、愁は大切な人は本当に大切にするんだから」


 出張だったり、帰りが遅い親よりも愁翔と共に過ごす時間が長かった哀奈は、彼の数少ない理解者であった。そんな彼女がそのように評価するのならきっとそうなのだろう。


「それでも不安なら、隣を向いてみればいいんだよ。今度は一人きりじゃない、二人で支え合えるんだよ」


 哀奈の言葉で、愁翔は隣で歩調を合わせて歩く音無の方へ向き直った。


 彼女はマフラーに顔を埋めながら小さく頷いた。


「多分、たくさん挫折すると思う。そのときは引っぱたいてでも立ち上がらせて、手を引いてくれ」

「ひ、引っぱたくのは無理だと思うけど、そのときは立ち上がるまでそばに居るよ。立上がったら寄り添って歩くよ。わたしは架蓮ちゃんみたいに勇敢じゃないからね」


 音無は困ったような笑みを浮かべながら、俯く愁翔の顔をのぞき込んできた。


 愁翔は音無の陽だまりのような優しさに、心の中に渦巻いていた不安を浄化されたような気がした。


「あぁ、頼むよ……」


 これから先にどんな困難が待ち受けているかは誰にも予想出来ない。


 それでも支えてくれる人がいれば前を見据えて歩き続けることができる。


「はぁ……」


 希望を抱いて進む道がこれほどまでにワクワクするものだったなんて、これまでの愁翔には理解出来なかっただろう。


 これまでずっと現実を直視しないように下ばかり向いて歩いてきた。


 けれどそれも今日で終わりだ。


 これからは上を向いて、あの月に届くほど遠くを目指して進んでいこう。


 愁翔は頭上に煌めく月に手を伸ばしながら大きく息をついた。


 その息は冷えきった空気の中で凝固し、真っ白に着色されて空へと登ってすぐに消えた。

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