第42話 ~トラオム・ヘルツ~
長い長い夢を見ていた気がする。
細かくは覚えていないが、俺の大切な人たちが懸命に強大な何かに立ち向かい、傷ついていた。
俺にはそれを見ていること以外、一切出来なかった。
だがその無力感に打ちひしがれていたのは俺だけではなかった。
ずっと隣に寄り添ってくれていた彼女も心の中で葛藤していた。
長い夢の中で、俺はずっと彼女と一緒だった。姿も声も認識出来ないが、彼女は俺にとって大切な人だったはずだ。
何もかも不透明な感覚の夢の中で、彼女が隣にいるということだけがはっきりと認識できていた。
体感でいえば一年以上、そんな夢の中に俺たちはいた。
永久にも思える時間の中で、俺が正気を保てたのは彼女の存在あってこそであった。
そんな時間の檻から解き放たれたのは突然のことであった。
◆ ◆ ◆
気が付くと俺は見覚えのない天井の下で目を覚ました。いや、視界はぼやけにぼやけているため真っ白なそれが天井なのかすら分からない。
「#♪&☆…!」
「&♡&♪☆?!」
そんな判然としない俺の視界の中に、二つの人影らしき何かが入ってきて、聞き取ることの出来ない声を上げた。いや、これも自身の耳が上手く機能していないためであろう。
真上で俺に言葉を投げかけてくる誰かは泣いているようであった。
はっきりとした感覚ではないが、俺の頬に何かが落ちて流れている。
俺は言葉を紡ごうとしたものの、全く喉が言うことを聞かない。
それどころか指一本動かすこともままならないのだ。
数分経ってだいぶ感覚になれてきた頃、俺が寝ている部屋に、新たに三つの声が転がり込んできた。
「し……さ…!? こ…ちゃ…!?」
「め……た…か!?」
「め……て…よ!」
相変わらず何を言っているかは理解出来ないが、言葉を文字として変換できる程度には耳も脳も感覚を取り戻しつつあった。
その三人はひとしきり俺に向かって何かを伝えると、俺から離れて隣の空間に移動していった。
そこでようやく自分の隣にも俺と同じように寝ている人間がいることに気が付いた。
そしてその人物に目の焦点を合わせると、全身が暖かさに包まれた。
何故だろう。
五感すべてが曖昧な状態で不安しか無かった俺の身体に、熱として希望が溢れてくる。
その熱は俺の身体に留まり続けることが出来ずに、瞳から雫としてこぼれ落ちた。
それと同時に俺はすべてを思い出した。
今の今まで自身が誰なのかすら理解出来ていなかったが、初めの二人と後から入ってきた三人、そして俺と同じように隣で横になっている人物に関わることで激流のように記憶が溢れてきたのだ。
俺は黒井愁翔。
人工心臓を移植された、余命わずかの高校二年生だった。
ある日、仮想世界ミッドガルドに囚われ、四ヶ月ほどその中で戦い続けた。
そして現実世界に戻る大門を前に、それまで仲間であったクロウ=ロードライト、いや黒鉄 総司との激闘を繰り広げた。
その末に大門は崩壊し、ミッドガルド自体も崩壊を始めた。
本郷 架蓮、灰葉 鋭、不破 優の三人は何とか帰還したものの、俺と音無 心咲はミッドガルドに取り残されてしまったのだ。
絶望に打ちひしがれる中、俺の中にいた『彼』ことミッドガルドの開発者である七咲 慎と、音無にだけ知覚出来ていた黒乃 沙耶が力を貸してくれた。
そして世界を再構築して現実世界へのコンソールを復旧させたものの、七咲たちの配慮で、現実世界で余命わずかの俺たちの意識はミッドガルドに保存されることになった。
そして俺たちの意識は今の今までミッドガルドに封印されていたのだ。
きっと体感した通りの長い年月を経て、今に至るのだろう。
こうして俺たちが巻き込まれたミッドガルド事件はようやく幕を閉じた。
◆ ◆ ◆
「「二年……!?」」
車椅子に座って食堂で昼食を取っていた愁翔と音無は、声を揃えて驚愕した。
目覚めてから一週間程度、ようやく視覚や聴覚を完全に取り戻したものの、まだまだほかの事は補助がなければままならない状況だ。今も看護師の補助を得ながら昼食を摂っている。
「二年って……。私たちの人工心臓はそんなにもつものだったんですか?」
音無は自身の胸に手を当てながら心底不思議そうに呟いた。
「ううん。本来であれば二人の人工心臓はあの時点でほぼ限界だったんだよ。でもそれは独立して稼働させていればの話。病院の大型機械で機能の大部分を受け持っていたから負担がかからなかったの」
ミッドガルドで世界再構築直後に気を失った音無は、そのことを初めて知ったのだ。
愁翔は薄れゆく意識の中で七咲の話を聞いていたため、彼の思惑を理解していた。しかし二年も経っていたということには驚きを禁じ得なかった。
「そして今二人の胸の中で動いているのはミッドガルドの技術を用いた新たな人工心臓。 延命目的だったこれまでのものとは違って、完全に独立して稼働する半永久的な人工心臓なの」
「そうなると俺たちの寿命はどうなるんだ……?」
哀奈の説明を受けた愁翔は一つの可能性を思い浮かべて、呟くように問いかけた。
心臓が半永久に稼働するのならば、寿命の長さは跳ね上がる。
それも普通の心臓を持つものよりも遥かにだ。それは倫理上、人間が超えていい領域ではない。
「人工心臓が動き続ける限り永遠、という訳では無いよ。この新たな人工心臓、【トラオム・ヘルツ】は移植された個人の健康状態を反映してその役目を終える。つまり心臓だけが寿命の基準にはならなくて、他の臓器や筋肉の耐久度に機能を合わせていくの」
現在自分たちを生かしている人工心臓の高度さを理解して、愁翔と音無は絶句した。
ミッドガルドという世界を応用することによって、それほどまでの技術を再現することが可能なのか。
「それを作ったのって誰なんですか?」
「あ、私たちだよ」
音無の問いかけに、あっけらかんと哀奈が答えてみせる。
「は……?」
「あ、ごめんごめん。直接的に作ったのは私じゃないよ」
あんぐりと口を開けてしまった愁翔に対して哀奈が弁明する。
それでも実の姉がこれほどの開発に関わっていることに驚愕していた。
「哀奈さんって学生なんじゃ……?」
「何言ってるの、小咲ちゃん。あれから二年経ってるんだから社会人二年目だよ」
哀奈は愁翔と音無の二人を見ながら軽く笑ってそう言った。
「同じ歳になっても、やっぱりあの背中には届かないよ……」
哀奈は遠くを見つめて囁くように言った。愁翔には彼女が想起している人物を直感的に理解した。
「七咲 慎の後輩ってのは哀奈の事だったのか」
「うん、彼は私の尊敬する先輩だった。それと、愁翔のドナーだった人なんだよ」
愁翔はその事実に愕然として、ミッドガルドでの彼の姿を思い返した。
彼があの世界でだけではなく、現実世界でも自分のことを生かしてくれていたということを理解して愁翔は小さく打ち震えた。
「俺は、あの人に伝えられなかった……」
愁翔はミッドガルドでの最後の記憶を思い返して拳をぎゅっと握った。
あの時、意識が途絶する前にありがとう、と言葉にして伝えられなかったのだ。
「大丈夫、あの人は解ってくれたはずだよ……」
哀奈は慈しむような表情で愁翔を見つめて小さく微笑んだ。
「哀奈、こんなところにいたのか」
愁翔と音無の背後から、凛とした女性が哀奈に声をかけた。
「神咲さん」
「やぁ、愁翔くん。二人とも容態はどうだい?」
哀奈の親友で、愁翔のカウンセラーであった神咲 鈴は愁翔と音無に笑いかけた。
「えぇ、少しずつですがこっちの感覚を取り戻してきてますよ」
「私はまたまだ慣れないよ……」
「はは、愁翔くんの適応力が高すぎるだけで心咲ちゃんが普通だよ」
神咲が落ち込む音無をフォローする。
確かに愁翔は自身の手を使って食事をし、時折補助してもらっている。しかし音無はまだ手をうまく使えないため全てを補助してもらっているのだ。
「で、鈴ちゃん。どうしたの?」
「あぁ、本題を忘れていた。会見の日程の打ち合わせをしたいという人たちから連絡が入っていたぞ」
「はぁ……。いやだなぁ、会見なんて緊張しまくりだよ……」
哀奈はため息をついて頭を抱えた。
「会見……?」
「あぁ、うん……。ミッドガルドの技術を利用した新たな人工心臓についての会見。 実用化に成功したから学会で発表しないとならないんだ……」
なるほど。確かにあの技術を応用して現実世界が発展するのならば、公表せざるを得ないのだろう。
こうして愁翔たちが生き長らえていることがその一端だ。
「だけど、あの世界に住んでる人たちはどうなるんですか……?」
「それは大丈夫だよ。なぜだか分からないけど私たちが接続できるのはあの浮島だけなの。飛び降りるわけにもいかないし、心咲ちゃんみたいに竜とか出せないしねぇ~」
聞くところによると大門をどう弄っても現実としか繋がらないらしい。
そのうえ哀奈たちでは竜を呼び出すような大魔法は行使できないようだ。
「人工心臓と電脳世界の親和性が高いのが大きいけど、心咲ちゃんの想像力も相当影響してるんだよね」
「私は英雄譚とかが大好きで、その中で敵として扱われている竜が味方だったらっていつも考えてたんです……」
音無はぼそぼそと自分が幼い頃に考えていた夢想を語った。
「それだけで竜なんて召喚できるかなぁ……」
哀奈はこめかみに手を当てて困った顔でそう言った。
「哀奈、打ち合わせ」
話が逸れていく哀奈の頭を軽く小突いて、神咲がため息をついた。
「あうぅ……分かったよ……。じゃあ愁と心咲ちゃん、リハビリ頑張ってね」
「あぁ」
「はい」
哀奈は頭を抑えながら立ち上がり、そう言い残して二人の前から去っていった。
「なんか、歴史的な技術の当事者になっちゃったんだね……」
「あぁ、ミッドガルドは現実の未来を一足飛びに飛躍させるほどの発明だ。その第一の結晶が俺たちの胸の中にあるんだからな……」
愁翔は新たな人工心臓が拍動する自身の胸に手を当てて小さく呟いた。




