トライアルレース
季節は秋を迎えた。
夏休みの補講を無事終えた僕の体調は万全。気力も十分。
いよいよピングリーヴ市杯のトライアルレースが行われる日になった。
今回のレースは完全に屋外(てゆーか田舎)で行われる。いつもの第○レースみたいなものもなく、このトライアルレースのみ。なんか、エルハローネというより、市民マラソンのレース前、って感じ。
そう思ってしまうほど、簡易テントに設置された控室には、すごい数の精霊でごった返している。
気になる対戦メンバーの中には、リーザが言っていたように、僕よりずっと格上のAランクのエルハも含まれていた。リーザによれば、彼女らはA・Bランクを行き来している程度で、それほどレベルの高い選手じゃないらしいけれど、当然ながら油断はできない。
僕と同じBランクの選手の中は、知っている人がいた。
ぬんらである。一緒に公式のレースで飛ぶのは新人戦以来なので、一言挨拶しようかと思ったけれど、彼女はすごい怖い顔をしていたので、軽く会釈を交わしただけだった。
彼女とはレースや練習でも何度か一緒に飛んで、その実力は知っている。僕と同じかそれ以上。戦績だって三戦二勝。二着一回は、ミレイユに敗れた一戦のみ。レースの出場経験は少ないようだけれど、強敵なのは間違いない。
他にも、給さんと激走した玉子パンおばさんもいた。相変わらず、凄い存在感である。
いよいよレース開始時刻が迫る。
僕たちはテントを出て、スタート時点にずらりと並ぶ。三十人以上いるんじゃないだろうか。けど、何人いようが関係ない。三着までOKだとしても、リーザの言うとおり、このレースに勝てないようでは、ミレイユが出てくる本番に勝てるわけがない。
ぜったいに、勝つ。
レースが始まった。
飛ぶ距離が長いので、僕は少しスピードを抑え気味に飛び出す。いつものように前の方につけたいんだけど。うっ、意外と流れがはやい。
『どうしたの。少し遅れているわよ』
頭の中にリーザの声が響く。今回のレースは召喚士との通信も可能なんだ。
『でも、周りのスピードが速くて』
僕が返すとリーザは、しれっと伝えてきた。
『当然じゃない。これが上位ランクのレースの流れなのよ』
うぅっ。
リーザの言うことはもっともだ。
辛いものは辛いけれど、厳しいのは周りも一緒のはず。
僕は、そう腹をくくって、スピードを上げる。まだ前半なので、スピードを上げれば、ある程度簡単に抜くことができる。まだ順位はあまり関係ないけど、やっぱり前に出るのは気持ちいい。
ちょっと辛いけど――
と内心ぼやいていると、疲れた感じのリーザの声が伝わってきた。
『トキヒサ、ごめんね。流れが速いのは、上位クラス云々じゃないわ。原因は……先頭のせいよ』
『先頭?』
僕は目を凝らして、先頭を確認する。
そこに暴走する二人の精霊の姿が見えた。
「おい、邪魔だババア。引っこんでろっ」
「んまぁ、何て口のきき方ザマしょ。まぁったく、近頃の若い娘というのは、常識を知らないザマスね」
なんて、会話までは聞こえないけど、そんな感じなのは間違いない。
先頭を競うように飛んでいるのは、玉子パンおばさんと、ナジカだった。ていうか、気づかなかったけれど、ナジカも参加してたんだ。
二人がどっちも先頭を譲らなく、抜きつ抜かれつしているため、スピードが上がり、その後ろを飛ぶエルハも距離を離されたくない気持から、やっぱりスピードを上げて……その結果、全体の流れが速くなってしまったのだ。
――なんか、すげえ迷惑な話。
もしかして実は競い合うふりをして、二人で協力してペースを早く見せかけているだけかもしれない。……ってことはないか。
さてさてどうしようか。原因も分かったし、無理してペースを合わせることはないんだけど。けど、スピードを落とせば、当然他のエルハに抜かれるわけで。まだ順位は関係ないにしても、それはやっぱり、しゃく。
仕方ない。このまま行こう。きついのはみんな同じはずだし。
僕はそう決心して、ほうきを持つ手に軽く力を入れた。
しばらく飛んで、そろそろ折り返し地点が近づいてくるうちに、ペースにも慣れてきた。
たぶん、前も少しばててペースが落ち着いてきたのかな。
なんて、考えていたら、いつの間にか、隣にナジカが飛んでいた。
「げっ、あんたもいたんだ」
「……人をゴキブリみたく言わないでよ」
と言ってやる。てっきりナジカのことだから、もっと絡んでくるかと思ったけど、それっきり。さすがに軽口をたたく余裕はないのかな。
特にペース的に問題ないので、ナジカと並んで飛ぶ。しばらく前を向いて飛んでいると、隣からナジカが話しかけてきた。
「……なぁ?」
「なに?」
「お前も、ピングリーヴ市杯をねらってるんだろ?」
「……そうだけど?」
「それに出るには、このレースで三着以内に入ればいいんだろ。だったら、無理して一番にならないで、他の奴に譲ってやってもいいんじゃねーか。たとえば……にも」
「へっ? なに」
今誰かの名前を言ったような。よく聞こえなかったけど。ナジカはそれっきり。レース中だし、気にしていられない。
折り返し地点を曲がる。
ふと気づくと、いつの間にか何人かのエルハに抜かれていた。ナジカに合わせているうちに、ペースが落ちてしまっていたみたい。
僕は慌ててスピードを上げた。
ナジカは、ついてこれなかった。
いよいよ終盤だ。レース前から調子が良かったこともあって、いい感じにスピードが出ている。僕は、ここが勝負どころと判断して、スピードをさらに、少しずつ上げてゆき、スパートの態勢に入る。
さすがに長い距離を、しかもハイペースで飛んでいたせいで、体が重い。思っていたほどの加速が出ない。辛い。
けどばてているのは周りも同じようで、確実に前との差は詰まっている。何人ものエルハを抜き、ついに、先頭の玉子パンおばさんに追いついた。
僕が横に並んだのに気づいて、玉子パンおばさんが、すごい形相でにらんできたけど、大丈夫。僕は気力を振り絞って、彼女をかわす。
このレース、初めて先頭に立った。ゴールはまだ先だけど、周りの皆に勢いは感じられない。これならいけるっ?
そのときだった――
背後にすぅっと気配を感じた。
そして僕がそれを確認する間もなく、まるで僕が後ろに下がっているかのように、誰かが通り抜けて行った。
ぬんらだった。
彼女はいつぞやの「ごめんなさい」もなく、ただ前だけを見て、僕を抜いて行った。
くっ――
僕は先頭に立って一瞬緩んでいた気持ちを引き締めて、スピードをさらに上げる。効果はあった。ぬんらとの差が開かなくなった。けど差を縮めるまではいかない。
息が苦しくなる。手が震え、身体が重い。まずい、ばて始めている。もうもたないっ。
ようやく、空の果てに、光り輝くゴールゲートが見えてきた。あれほど待ちわびていたゴールだけど、今はだめ。まだ先頭じゃない。
それどころか、ぬんらとの差は少しづつだけど、広がってしまっている。
負ける? ぜったい勝つつもりだったのに。
先をゆくぬんらが、ゴールゲートに迫る。彼女がゴールする瞬間を見たくなくて、僕は瞳を閉じた。視界が黒く染まる直前、ぬんらの姿が急に大きくなったような気がした。
――そして、眼を再び開けた時には、ぬんらの姿はなく、僕は一番で、ゴールゲートをくぐっていた。
どーゆーことなのっ?
勝利者インタビューを適当に切り上げた僕は、頭の中でその言葉を反芻しながら、大股で歩き、ぬんらの姿を探していた。
テントの控室を出て、周りを見回して、彼女を見つけた。誰かと話しているようだけど関係ない。僕は肩を怒らして彼女に近づく。
「どーゆーことだよっ」
と言葉を発したのは、僕ではなかった。
木陰で見えなかった「誰か」は、ナジカだった。
「最後のゴール前、力を抜いて技と抜かれただろ」
やっぱり、ナジカにもそう見えたんだ。
僕もそれを聞きたくてぬんらを探していた。こんなんじゃ、納得できない。
ずっと後ろの方にいたナジカに、ゴール前の様子が見えるはずない。ゴールの瞬間は、レース後の映像を見たんだろう。それで感じたのなら、他の人だって、そう思っているかもしれない。
けれど、問い詰められたぬんらが発したのは、説明でもいいわけでもなかった。
「それはこっちのセリフですっ。ナジカさんこそ、どうしてあんな無茶なペースで飛んでいたんです? 普通に飛んでいれば、限りなく不可能性は低く、というより、無いも同然ですけれど、もしかしたら三着ぐらいなら、運が良ければ入られたかもしれなくもないのにっ!」
「…………」
ナジカが押し黙った。
反論されたから、というより、ぬんらの何気に失礼な発言に、ちょこっとショックを受けているようにも見える。
そんなナジカに向け、ぬんらが少し穏やかな口調になって尋ねる。
「もしかして、あんな無茶をしたのは、私のためだったんじゃないですか?」
ナジカがきぐりと身体を震わせた。
――そっか。その言葉で、僕はすべてがわかった気がした。
「ですので、私は――」
「ち、ちげーよっ。あたいはただ普通に飛んでちゃ勝ち目がねーから、いちかばちかの勝負しただけさ。あのババアが邪魔したせいで、失敗したけどな、はは」
ナジカは視線をさまよわせ……僕と目があった。ナジカの顔の動きを見て、ぬんらも、今更ながらに僕の存在に気づいたようだ。
「あっ、トキヒサがなんか用事があるっぽいから、あたいは行くわ。じゃーな」
そう言って、ナジカは逃げるようにどこかへ行ってしまった。当初ナジカが聞いていた、ゴール直前にぬんらがスピードを落とした件については、ぬんらは何も答えていないけれど、彼女の様子からして、その訳を察したのだろう。
二人きりになって、ぬんらが僕を見ながら言った。
「ナジカさんはああ言っていましたけど、私は、ペースを上げるために無理していたと思います」
「……うん」
僕もそう思う。ナジカは意図的にペースを上げた。その結果、どうなったか。
前を飛ぶ僕や玉子パンおばさんも含めほとんどのエルハが、ばてた。しかし、いつものように後ろから飛ぶぬんらは、先頭争いのことなど関係なく飛んでいた。もともと最後に勝負をかけるつもりでいた彼女は、ペースに惑わされることなく、自分のレースをして、最後にスパートをかけた。もうそのころには、僕はばてていて……
ナジカはぬんらを勝たせるためにスピードを上げて飛んでいた。
それは分かった。
「……なのに、わざと負けるようにしたのはどうして?」
「今日のレースはどうしても自分の力で勝ちたかったからです」
ぬんらは迷うことなく、僕の眼をしっかりと見据えて、言い切った。
「ナジカさんには悪いですけど、彼女の力を借りて、勝っても嬉しくありませんので」
「本番も、負けませんから」
ぬんらはそう言い残して、去って行った。
僕はずっと彼女の後姿をずっとみつめていた。
……も、か。




