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第二部 第十六話「名付けの作法」

夜明けが、浅瀬の水面を、ゆっくりと白く染めていった。


川原には、ひどく奇妙な光景が広がっていた。


十体の魔物が、それぞれの呼び主と向かい合って、座り込んでいる。膨らみかけた体は、ドンの隣にいたおかげで、少しずつ収まってきている。けれど、頭上の名前は、まだ、軋んだままだった。


その真ん中に、セイラが立っていた。


「最初に、お願いがあります」


セイラは、集まった冒険者たちを、ゆっくりと見回した。


「ここにいる全員に、あの狼と同じことを、していただきます」


「同じこと?」


「魔物の名を、呼び直すのです」


ざわめきが、広がった。


「簡単に言いますが、簡単ではありません。名は、約束だからです。守れない約束を、呼び直すことは、できません」


セイラは、アルを見た。


「アルさん。手順を、教えていただけますか」


「俺が?」


「あなたの仲間が、やっていたことです」


アルは、足元の三体を見た。


青が、ぴょんと跳ねた。司書が、静かに羽を揺らした。猫が、ぺたんと座り直した。


「……分かりました」


アルは、深く息を吸った。


「試す。確かめる。掘る。そして、渡す」


「それは」


「遺跡の扉に、書いてあった言葉です」


アルは、冒険者たちに向き直った。


「順番に、やってみてください。一つずつ、俺たちが、手伝います」


最初は、デストロイヤーだった。


犬ほどの大きさに膨らんだハムスターが、冒険者の前で、じっとうずくまっている。冒険者は、青ざめた顔で、アルを見た。


「な、何をすればいい」


「まず、試す」


青が、ぴょんと冒険者の隣に飛び乗った。


「名前を呼ぶんじゃなくてね、まず、そばにいて、見ててあげるの」


「見てる?」


「うん。この子が、何をしてるか、見てるだけ」


冒険者は、困惑しながら、ハムスターの隣に、腰を下ろした。


しばらく、何も起きなかった。


けれど、ハムスターは、そわそわと、体を揺らし始めた。それから、冒険者の背負い袋に、そっと鼻を寄せた。


「あ」


冒険者が、声を上げた。


ハムスターが、袋の隙間から、小さな木の実を一つ、取り出した。それを、自分の頬の中に、せっせと詰め込んでいる。


「……あ、これ」


「確かめる」


司書が、紙の上の記録を、冒険者に見せた。


「昨日の記録では、この個体は、夜中に、餌箱の中身を、全て、寝床の隅に運んでいる。今、あなたの袋の木の実を取ったのも、同じ行動だ」


「それって」


「掘る」


猫が、ハムスターの寝床の、藁の下を、ちょんと叩いた。


ごそごそと掘り返すと、そこには、小さな木の実と、布の切れ端と、冒険者の落とした銅貨が、ぎっしりと、詰め込まれていた。


「……ためこんでる」


冒険者が、目を丸くした。


「こいつ、ためこむのが、好きなのか」


「そのようだ」


「デストロイヤーじゃ、なかったのか……」


「渡す」


アルが、静かに言った。


「何を約束できますか」


冒険者は、少し考えた。


それから、ハムスターに向き直って、言った。


「……お前の、ためこんだもの、取り上げない」


ハムスターが、ぴくりと耳を動かした。


「ちゃんと、貯める場所を、用意する。……名前は」


冒険者は、司書の記録を見た。


「ためこむ者」


ハムスターの頭上の文字が、ぱきん、と割れた。


〈デストロイヤー〉が、砕けて消える。


代わりに、小さな文字が、すうっと浮かび上がった。


〈ためこむ者〉


ハムスターの体が、しゅるしゅると縮んだ。元の、手のひらサイズに戻って、冒険者の掌に、ちょこんと乗った。


「……できた」


冒険者が、呆然と呟いた。


「できた」


次は、ヴァルキリー。


そして、魔王。


一体ずつ、同じ手順が、繰り返された。


ヴァルキリーは、ひなたぼっこが好きな、のんびりした魔物だった。呼び主は、「毎日、日当たりのいい場所を用意する」と約束して、〈ひなたに眠る者〉という名を渡した。


魔王と呼ばれていた小さな鳥は、高い場所から、周囲を見渡すのが好きだった。屋根の上に陣取って、一日中、通りを眺めている。呼び主は、「一番高い木に、止まり木をつける」と約束して、〈高みから見守る者〉と呼んだ。


一体、また一体。


太陽が、完全に昇りきる頃には、川原に、十体の魔物と、十人の呼び主が、並んで座っていた。


どの魔物の頭上にも、ずれのない、澄んだ文字が、静かに浮かんでいた。


「……終わった」


アルは、ほっと息を吐いた。


「全部、終わった」


隣で、ボルグが、狼の首を撫でていた。


「なあ、アル」


「はい」


「あの名前、毎回呼ぶには、ちょっと長いな」


「ですね」


「普段は、マチ、でいいか。待つ、の、マチ」


ボルグが、狼を見た。


狼は、目をくりくりさせて、尻尾を振った。


「愛称は、検証の必要は、ない」


司書が、静かに言った。


「w 司書、優しいなw」


「事実を述べただけだ」


数日後。


ギルドの訓練場に、石板の前で、セイラが立っていた。


後ろには、ガルド、受付嬢、そして、アルたちがいた。


「結論を、お伝えします」


セイラは、書類を広げた。


「百年前の災厄の、原因について」


誰もが、息を呑んだ。


「原因は、名そのものではありませんでした」


「……」


「原因は、二つ。一つ目は、魔物の性質に合わない名を、強さの証として、呼んだこと。二つ目は、呼んだ者が亡くなったあとに、その名を引き継ぐ者が、いなかったこと」


セイラは、一度、言葉を切った。


「名は、約束です。約束を、守れない名は、居場所をなくす。居場所をなくした名は、主を探して、さまよう」


「それが、暴走」


「はい」


セイラは、静かに頷いた。


「百年前の上層は、名そのものを、悪者にしました。けれど、本当に必要だったのは、名を、呼ぶ者の責任を、教えることでした」


ガルドが、ゆっくりと、口を開いた。


「石板は、元に戻した。数字も、残している」


「ええ。強さの数字は、判断の補助として、有用です。東の三つの町の七件にも、同じ手順を、ギルドを通じて伝えます」


セイラは、石板を見た。


「ただし、名の欄を、先に、見ていただきたい」


受付嬢が、一枚の紙を、掲示板に貼り出した。


〈名付けの作法〉


一、試す  そばにいて、その子が何をするかを見る 二、確かめる 記録と照らし合わせて、思い込みを疑う 三、掘る  その子が隠していること、大切にしているものを探す 四、渡す  約束と一緒に、名を渡す


その下に、小さな字で、付け加えられていた。


〈名前は、約束です。守れるものを選んでください。返品はできませんが、呼び直しは、ご相談ください〉


「……受付さん」


「はい」


「呼び直しは、ご相談ください、って」


「勢いで、書きました」


「w 勢い、強いなw」


セイラが、アルのほうを向いた。


「ギルド上層は、この手順を、公式に採用します」


「え」


「あなた方が、遺跡で読み解き、実際に行った手順です。名を、約束として扱うための、最初の作法」


セイラは、小さく、頭を下げた。


「百年、遅れました。……ありがとうございます」


アルは、少し照れくさそうに、頭をかいた。


「俺は、渡しただけです」


「その『渡す』が、百年、誰にも、できなかったのですよ」


その日の夕方。


ギルドの掲示板の前で、アルは、一人、立っていた。


〈名前募集中の魔物たち〉の札は、少しずつ、減っていた。一枚、また一枚。名前をもらった魔物たちが、それぞれの居場所へ、旅立っていく。


けれど、一番下に、一枚だけ、誰にも触れられていない札が残っていた。


アルは、その札を、じっと見つめた。


〈性質:不明〉 〈見つけた場所:東の森、石柱の上〉 〈連絡先:なし〉


「……この札」


「気づいたか」


肩の上で、司書が、静かに言った。


「森の石柱の上に、もう一体、いた」


「え」


「十一体の輪の外、石柱のてっぺんに、小さな影が、座っていた。私の観測記録の、端に残っている」


「呼び主、いないのか」


「いない。呼ばれていない。名前も、ない」


アルは、札を見つめたまま、黙っていた。


足元の青が、ぴょんと跳ねた。


「ねえ、アル」


「……何だよ」


「行ってみてもいい?」


「どこに」


「石柱のところ。あの子、まだ、あそこにいるかも」


司書が、静かに頷いた。


「検証に値する」


「にゃ」


猫が、アルの足元で、小さく鳴いた。


アルは、札を、そっと壁から外した。


「……今度は、俺たちが、呼ぶ番か」


三体が、それぞれ違う方向を向いた。


青は、東へ。司書は、空を。猫は、なぜか、地面へ。


アルは、苦笑した。


「ほんと、まとまらねえなw」


夕日が、ギルドの石畳を、赤く染めていた。


それでも、三体は、アルの後ろを、ついていく。


仲間だから。


(第二部 完)

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