第二部 第十一話「かっこいい名前」
出発の朝、のはずだった。
東門の前で、アルは三体を見回していた。青は前へ、司書は周囲へ、猫はなぜか地面へ。相変わらず、全員が別方向を向いている。
「よし、行くか」
そう言いかけたとき、背後から、息を切らした足音が追いかけてきた。
「アルさーん! 待ってください!」
受付嬢だった。胸に分厚い台帳を抱えて、髪が少し乱れている。
「出発、少しだけ待ってもらえませんか。お願いしたいことが」
「ええと、また?」
「また、です。……あの、先にこれを」
受付嬢は、台帳をぱらぱらとめくって見せた。びっしりと、細かい字が並んでいる。
「石板が元に戻って、三週間。名前をつけて引き取られた魔物が、もう四十三体になりました」
「え、すごいじゃん」
「ええ。すごいんです。……いろんな意味で」
受付嬢は、困ったように笑った。
町のギルドの掲示板の前は、人だかりだった。
〈名前募集中の魔物たち〉の札が、昔の「処分予定一覧」に代わって、壁一面に並んでいる。ただ、その横に、もう一枚、新しい紙が貼り足されていた。
〈名前は、呼んだ方の責任です。似合うものを選んでください。なお、名前の返品は受け付けておりません〉
「……これ、受付さんが?」
「はい。つい、勢いで」
「w 返品って」
掲示板の前では、冒険者たちが、引き取った魔物の自慢をしている。
「うちのは『デストロイヤー』だ!」
アルは、思わず足元を見た。
デストロイヤーと呼ばれているのは、手のひらサイズのハムスターみたいな魔物だった。丸い目で、じっとこちらを見ている。
「……あれ、かわいいな」
「名前、強そうでしょう!」
「いや、うん。強そうだな。名前は」
司書が、肩の上で、小さく羽を揺らした。
「命名の根拠が、不明だ。観察結果との整合性が、確認されていない」
「いいじゃん、本人たちが気に入ってれば」
「その『本人たち』のうち、片方の気持ちが、誰にも確認されていない」
アルは、ハムスターを見た。ハムスターは、ほんの少しだけ、後ずさった。
「……まあ、そうかもな」
隣では、別の冒険者が、猫くらいの魔物に呼びかけている。
「おい、ヴァルキリー! 来い!」
呼ばれた魔物は、びくっとして、知らんぷりを決め込んでいた。
「ヴァルキリー! ヴァルキリー!」
ごろん、と床に寝転がる。
「……こいつ、ぜんぜん言うこと聞かないんだよな」
猫が、アルの足元から、ちらりとそちらを見た。
「にゃ」
「w お前、なんか言いたそうだな」
「にゃ」
「あー、はいはい」
受付嬢が、声を落とした。
「実は、お願いしたいのは、こういうことなんです。名付けた魔物が、最近、少し落ち着かなくなったと、相談が増えていて」
「落ち着かない?」
「毛が逆立つ、夜中に吠える、物を壊す。最初は、慣れていないだけだと思っていたんですが」
「何体くらい?」
「十一体、です」
アルは、眉を寄せた。
「その十一体、名前はどんなの?」
受付嬢は、台帳をめくった。
「『ドラゴン』『魔王』『デストロイヤー』『ヴァルキリー』……」
「全部、強そうなやつ?」
「……そうですね」
アルは、司書を見た。司書は、羽を一度だけ、静かに揺らした。
「記録する」
「記録しろ」
昼過ぎ。
町の広場に、騒ぎが起きた。
「うわあああ!」
悲鳴と、何かが倒れる音。屋台の天幕が、ばさりと引きちぎられて宙を舞った。
アルたちが駆けつけると、人だかりの真ん中に、灰色の狼が一頭、立っていた。
狼、と言っても、大型犬より少し小さい程度。毛は逆立って、牙を剥いている。ただ、足は震えていて、尻尾は、股の間に巻き込まれていた。
「ドラゴン! やめろ、ドラゴン!」
人垣の向こうから、大柄な男が飛び出してきた。ギルドで「鍵拾い」と笑った、あの冒険者パーティの先頭にいた男だ。
「ボルグさん」
「あ、鍵拾い」
「アルです」
「アルでも鍵拾いでも、どっちでもいい! ドラゴンを止めてくれ!」
ボルグは、必死の形相で、狼に近づこうとする。
「ドラゴン! 俺だ! 落ち着け!」
「グルルル」
狼は、牙を剥いたまま、一歩下がった。
「ドラゴンは、俺が名付けたんだ。強そうだろ。最初は、ちっこくて、頼りなくて、でも名前をつけたら、ぐんぐん毛並みが良くなって、牙も尖ってきて」
「……」
「だから、強くなってるんだ、と思って。思ってたのに」
ボルグの声が、わずかに震えた。
「三日前から、夜、ずっと吠えてる。餌も、あんまり食わない。そして今日、勝手に外に飛び出して」
青が、アルの足元から、ぴょんと跳ねた。
「ねえ、アル」
「うん」
「あの子、こわがってるよ」
「え」
「毛が逆立ってるのに、足が、ぶるぶるしてる。しっぽ、巻いてる」
司書が、静かに言った。
「同意する。攻撃の動作ではなく、威嚇の動作だ。威嚇は、恐怖の表現でもある」
「怖がってる?」
ボルグが、目を見開いた。
「ドラゴンが? まさか。名前は、ドラゴンだぞ」
「ボルグさん、一旦、落ち着いて」
アルが、狼の目を見た。
そのとき、視界の端が、ふっとにじんだ。
狼の頭の上に、文字が浮かぶ。
〈ドラゴン〉
その文字の下に、うっすらと、もう一つ、別の文字が重なって見えた。薄い灰色で、読めない。何かが、そこに、隠れている。
「……」
文字は、すぐに消えた。
アルは、足元の三体を見た。
「青、司書、猫。この狼、石板で見てみよう」
「石板、ここにないぞ」
「ギルドの石板で。連れていけるか?」
「にゃ」
猫が、狼の隣に、すっと近づいた。
猫の背丈は、狼の半分ほどしかない。けれど、猫は、鼻先をちょんと狼の鼻に近づけて、そのまま、じっとしていた。
狼が、ぴたりと止まった。
そして、小さく、鼻を鳴らした。
「……行けるみたいです」
「えっ」
ボルグが、目を丸くした。
夕方、ギルドの訓練場。
石板の前に、狼が立っていた。猫が、その隣に寄り添っている。
「手を、置いてみてください」
受付嬢が、そっと言った。狼は、おずおずと、前足を石板に乗せた。
石板が、ぼんやりと光る。
文字が浮かんだ。
〈ドラゴン〉
その下に、うっすらと、もう一行、重なっていた。
灰色の、読めない文字。それが、〈ドラゴン〉の文字に、ぎりぎりと食い込むように、揺れている。
「……名前が、ぶれてる」
司書が、静かに言った。
「他の十体も、見せてもらえるか」
受付嬢が頷いて、台帳から名前を呼んだ。
一体、また一体。冒険者たちが、自分の魔物を連れて、順番に石板に前足を置いていく。
どの石板の表示も、同じだった。
強そうな名前の下に、読めない灰色の文字が、重なって揺れている。
ガルドが、いつの間にか、後ろに立っていた。
「……全部、同じか」
「ガルドさん」
「報告が入った」
ガルドは、懐から書状を取り出した。
「同じ症状が、東の三つの町で確認されている。名付けた魔物が、落ち着かなくなり、暴れ出す。報告件数は、すでに、七件」
アルは、息を呑んだ。
「七件? この町以外に?」
「ああ。そして、全ての報告に、共通点がある」
ガルドは、書状の一行を指した。
「『名前を呼ぶ人が、その名前を、強さの証にしたがっていた』」
訓練場が、静まり返った。
ボルグが、拳を握りしめて、ゆっくりと口を開いた。
「……強く、したかった」
声が、かすれていた。
「ドラゴンに、強くなって、ほしかった。……俺が、強くなりたかったから」
誰も、何も言えなかった。
狼が、石板の前で、小さく、くうん、と鳴いた。
アルは、足元の三体を見た。青は、いつもより少しだけ静かだった。司書は、羽を畳んで、じっと石板を見ている。猫は、狼の隣から、一歩も動かない。
「……出発は、延期だな」
アルが言った。
「うん」
青が、小さく答えた。
「行こうと、思ってたんだけどな」
「いってみたい、けど」
青は、少しだけ、考えるように体を揺らした。
「この子、ほっといて、いってみるのは、やだ」
「……そうだな」
アルは、笑った。
「全員、同じ意見か」
司書が、ゆっくりと頷いた。
「検証が必要だ」
「にゃ」
猫が、小さく鳴いた。
狼は、石板の前で、ずっと、猫の隣に立っていた。




