11-01:エアーズロックで決戦だ
その晩九時過ぎ、彼らの部屋へやって来たハガサに浮かない顔でシロ―が言った。
「奴のトイレの世話には音を上げましたよ。それで下痢止めを飲ませることにしました」
「口惜しいわね。それじゃ下痢も治ってぴんしゃんしてるって訳ね」
ハガサは小首を傾げて肩をすぼめた。
「ぴんしゃんって程じゃないんですが、食欲がないって言ってましたから。まあ多少は参ってるんでしょう」
「それだけが唯一、僕らがお医者じゃないっていう証拠みたいなものです」
ワイプルダンヤが苦笑して付け加えた。
「ところで、がっかりしている暇はありませんよ。明日の朝にはスマート一家が大挙してやって来るんです。私たちを捕まえにね」
ハガサはソファーに座り直して話し始めた。
「私たち、つまり私とライケン夫人とエレンの三人は、今朝からずっと、ここへ来るのには必ず通るだろう場所を張っていてスマート一家を見付けたんです。そして彼らの借り切っていた観光バスを尾行しました」
「ええ、知っています。ライケン夫人から電話で聞きました。エレンがどうしても手伝うって言い張っているって」とシロ―。
「彼女、カミーユの件に責任を感じていて、それと、ツギオを誤解していたことも申し訳なかったと。いくら上司が弁護士同士の付き合いで頼まれたからって私立探偵に協力してツギオの日記帳を掠めるなんてやらなきゃ良かったって凄く後悔していましたよ。そう言えば日記帳を取ってったのは、あのお巡りさんかと思ってましたが」
「それ、最初の時ですね。日記帳なくなったの二回ありました。二回目僕たち召使いやってたとき。盗るチャンスあったの人、エレンかな分かってました」
ツギオが改めて日記帳事件の話をした。
「そうだったの。……とにかくそれで、彼らの話を聞いたんです」
「聞いたって、盗聴器もなしにですか」
「ええ、確かに聞きましたよ。アリススプリングスからこちらへ来る途中に、孔雀のいるモーテルがあるでしょ。ほら、ロミオとジュリエットの公衆トイレのある。私たち、そのジュリエットの方に二時間も入っていたのよ。壁の上の方に隙間があるものだから、向こうの話し声が良く聞こえるの。彼ら、入れ替わり立ち替わり入って来て、色々話してくれましたよ。あの人たち、あんな時にもお喋りを止めないんですねえ、かえって口が軽くなるみたいだわ」
「それで彼らは何て言ってたんですか」
「彼ら、とんでもないことを思い付いたらしいのよ。ツギオの仲間がAB社のツアーの中にいることは間違いない。誰なのか何人いるのかも分からないから、それならいっそバスの乗客全部やっつけてしまおうと決めたんですってよ」
「うわ……明日の朝やって来るってのもその時話してたんですか」
「いいえ、彼らは大急ぎで出発する気でいたんですよ。ティキが何か喋らなかったかって、そのことをひどく気にしていましたからね」
「それなのにどうして?」
「私たち、彼らのバスのタイヤに太い釘を何本も打ち込んでおいたんですよ。彼らが夕食をしている間にね。彼らは自動車屋さんに電話しましたが、もう六時を過ぎていたでしょ。ホテルにいるなら朝まで待って下さいってことになってしまったようなの。渋々ホテルに部屋を取ってましたよ」
「それで、ライケン夫人やエレンは今どうしてますか」
「キャンプ場で皆に事態を説明しています。他の人たちもどこかに隠れて貰わなきゃならないでしょ」
ハガサは壁の地図を熱心に眺めていたが、ため息をついた。
「隠れるって言っても周り中砂漠ですね。……いっそバスに乗って砂漠中走り回って貰おうかしら」
この時、ホテルの前庭が急にざわめき始めた。ワイプルダンヤがカーテンを細めに開けて覗いてみると、そこには三十名余りの男女が集まっており、ライケン氏と押し問答をしているところだった。
「ライケンさん、何故会わせて貰えないんですか。あなたたち一家のご友人に」
バートが彼らを代表してライケン氏に食い下がった。
「会わせない訳じゃないんです。ただ君たちを大変な危険に晒すことになる。それを心配しているんですよ。奴らは朝までは動きが取れない。だから今なら逃げ切れる可能性が高い」
「そのことはエレンの説明で十分分かっています。相手が拳銃を持った四十人の無法者だということも。でもあなたたちは、戦うつもりなんでしょう。それで僕らもやって来たんです」
「それはありがとう。私の友人たちも、君たちの話を聞けばきっと勇気づけられます」
「ライケンさん、僕らはあなた方を励ましに来たわけじゃあない。一緒に戦うつもりでやって来たんですよ。ですから早くほかのメンバーに会わせて下さい。危機は迫ってるんでしょう。すぐに集まって明日の作戦の打ち合わせをしなければ」
「……分かりました。ただ君たちの知らない事実もありますし、彼らの先遣隊はもうこの付近にいるでしょう。ですから、こんなに多勢で集まっているのは危険です」
「それならこうしましょう。僕らの代表を何人か選びます。他の人にはサロンに行っていて貰います」
「そうしていただけますか。それなら代表は二、三人にして下さい。それから他の人たちも、ことは秘密を要するのでよろしく。ことによったらサロンにはその先遣隊の何人かがいるかも知れません」
ツアーの乗客たちは、バート、ガス、それにエレンを代表に残して三々五々サロンに去って行った。代表三人とライケン氏は足音を忍ばせてツギオたちの部屋に入った。
「あっ、ツギオ、お前さん」
部屋に一歩踏み込んだガスはそう言ったきり立ち尽くした。
「ツギオ、やっぱりあなただったのね」
「やっぱりって、エレン、気が付いていたの」
とハガサ。
「だって変な誘拐事件だったでしょ、脅迫状も来ないし。あれからあなたは急に秘密めいた行動を取り始めるし、それにツギオと同じ名前の日本人が現れたり。カミーユとハガサ、それに同名の日本人。全部ツギオに結び付くことばかりですもの」
「これでライケンさんが皆に会わせたがらなかった訳が分かりましたよ」とバート。
「今ここで混乱が起こることを恐れていたんです。それにこれは最初からツギオに係わる事件なので、だからツギオと親しい僕ら……あ、もう一人のツギオだったこの彼はシロ―、僕はワイプルダンヤといいます……だけで戦うつもりだったんです」
ワイプルダンヤが言った。
「でもスマート一家はツアーの乗客全員を狙っているのよ。だったら問題は、はっきりしているわ。一緒に戦うしかないのよ。いずれにしてもライケンさんのお手伝いをすることに変わりはないもの」
エレンはきっぱりと言い切った。
「でもエレン、問題はそれほど単純じゃないんだよ。敢えて言うけど、ツギオは麻薬の密輸の件で警察に追われているんだ」
「知ってるわ、でも私は……」
何か言いかけたエレンを手で制して、バートが続けた。
「君の言いたいことは分かるよ。彼は真犯人じゃないかも知れない。でもそれは君の意見だろう。僕はこの際皆にもう一度聞いてみなけりゃならないと思うんだ。ツギオと一緒に戦うか、バスに乗って砂漠の中に逃げ出すか。まだその余裕はあるんだよね?」
「うん、チャンスはある。ここから一度カーテンスプリングに戻るんだ。例の二股道のエアーズロック側の分岐点近くにある集落だよ。そこから西オーストラリア州のウィルナまでギブソン砂漠越えのルートがあるんだ。そこなら車でも走れそうだ。奴らがカーテンスプリングまで先発隊を送ってなければこれは成功するだろう」
ワイプルダンヤが地図を示しながら答えた。
「他に方法がないんなら仕方がないかも知れないけど、そういう手もない訳じゃないんだよね。だから他の連中にも自分でそれを決める権利があると思わないかい。少なくとも僕は、ツギオの件を伏せたままでは、他の連中に何も説明できないよ」
ツギオは大きく頷きながら聞いていた。バートはさらに続ける。
「ツギオ、誤解しないでくれよ。僕は他の連中の権利について言ってるんだ。これは僕が君を密輸犯だと思っているかどうかということとは別の問題なんだ。その証拠に、僕は喜んで君と一緒に戦うからね」
「よしっ、そうこなくちゃ、漢がすたるぜ」
ガスが歓声をあげて拍手した。
「エレン、あなたに異存はないでしょ」
ハガサが言うとエレンはツギオの顔を見ながら頷いた。
「勿論よ」
「それでは、私たちの作戦を説明して貰いましょう。他の人たちもそれを知りたいでしょうから」
ハガサに促されてワイプルダンヤが立ち上がった。
「相手の人数は四十四人か四十五人です。今日ハガサ達が数えた時は四十二人だったけど、それに先発した何人かが合流する筈だから。僕らは本隊と別働隊の二隊に分かれます。別働隊は機動力を生かして本隊の援護をするんだけど、体調をライケンさんにお願いします。本隊は皆に異存がなければ僕が指揮します。本隊と別働隊の連絡には手旗信号とモールス信号を使いたいんだけど、誰かいませんか」
「ドイツ人のハインツが子供の頃少年団に入っていたそうだから、知ってるんじゃないかな」
とライケン氏が言うと、ガスがそれに続いた。
「例の働き者のボーイ・スカウトもいるじゃないか」
「それじゃ二人に聞いて貰えますか、一緒に来るかどうか」
「合点だ、上手くおだてとくよ」
「本隊には戦闘部隊を三班作ります。長期戦に備えて、この三班でローテーションを組むんです。本隊には他に救護、見張り、監守の各班を作ります。バート、君は医学生だよね」
「うん、そうだよ」
「それで君には救護班を見て貰います。もっとも君のところでは空腹も治療して貰わなきゃならないんで良い助手を選んどいて欲しいんだ」
「監守って何をするの」
エレンが質問した。
「ティキの見張りと尋問。ハガサ、あなたにお願いできますね」
「いいですとも。走り回ったり重いものを持ったりするんでなけりゃ何でも結構」
「見張りはシロ―がやります。……次に装備ですが、まず大量の小石が要ります」
ワイプルダンヤの言葉にバートが心細げな顔をした。
「何だって、拳銃に小石で向かうって、冗談だろう。本気じゃないって言ってくれよ」
「いや大真面目だよ。僕らの主戦武器は小石さ。でも心配することなんてないんだ。僕らに陣地がどこにあるかを訊いたら元気になるよ」
「分かった! おいらに言わしてくれ」
ガスが身を乗り出した。
「エアーズロックのてっぺんだろ」
「その通り。あの岩山に登るルートは一つしかありません。所々に鎖の付設してあるルートです。その他は絶壁になっていて何の手掛かりもないノッペラボウの岩山です。そのルートというのがこうです。最初に急な長い登りがあってひと息に三百メートル以上登ります。それからは登ったり下ったりで、最後に頂上に行き着く訳です。僕らが陣取るのは最初の坂を登りきったところで、ここをA地点と呼びましょう。A地点からは下り坂になりますがこの下りきったところをB地点、ここに本部を置きます。次の谷底をC地点とします。戦闘班の守備線は勿論A地点です。ここから小石を投げ落とすんです。拳銃の有効射程はたかだか百メートル、僕らの小石の威力は遠くなればなるほど強くなります」
「それを聞いて大分気が楽になって来た。でも小石なんてどこに落ちてるんだい。周り中砂だらけじゃないか」
と心配の抜けきらないバート。
「それも探しておいたよ。風化で岩山から剥落した岩が下に落ちて割れ、剥落の激しいところの下には小石がごろごろしてるんだ」




