10-01:ティキ、助けに来たぞ!
ティキは最初スチュアートハイウエイを南下していたが、アールドゥンダで西に折れて、エアーズロックに向かった。
アールドゥンダから八十キロも来たところで道は二股に分かれる。
この分岐点の近く、二本の道に挟まれる形で一軒のホテルが建っている。道路に面した所にガソリンスタンドと軽食堂、左奥の立木に囲まれた所に六室ほどの宿泊施設があり、その前庭と思しき所にテーブルを並べて食事が出来るようになっている。前庭をカギ型に囲んで孔雀の小屋が並び、その一角に櫓を組んでタンクが上げられ、風車が一基、砂塵を巻き上げて風が吹くたびに乾燥した音を立てて水を汲み上げている。
この国の僻地にありふれたホテルのたたずまいに彩りを添えるように、タンクの縁にはここを格好の水場と心得て、原色鮮やかな鳩位の大きさの鳥が群れをなして止まっている。止まる場所にあぶれた鳥は、八方からタンクを支えているワイヤーに止まろうとするのだが、勾配が急すぎる為に下にずり落ちてしまう。そうするとまた上の方に止まり直すのだが、これが外目にはまるで滑り台で遊んでいるように見える。
ここから南にはシンプソン砂漠と大ヴィクトリア砂漠、北はタナミ砂漠と大サンディ砂漠、西にはギブソン砂漠が展開している。
それならここは砂漠ではないのかと言えば、見えるものは真っ平らな赤茶色の大地と雲ひとつない大空、それにやたら大きな太陽ばかり。二股道の北側の道は、この先三十キロの所にある高さ四十メートル程の丘を避けるための迂回路だったが、今ではこの丘を切り拓いて真っ直ぐ西に延びるルートが作られている。このルートがもう一方の南側の道だ。つまり二本の道は結局この先六十キロのところで合流するのである。
ティキはこのホテルの前に車を停めると、スタンドの横の公衆便所に歩いて行った。壁いっぱいにキャンプ・ファイヤーの準備をする男のイラストが描かれたその公衆便所には、一方の入口にロミオ、他方にジュリエットと書かれている。ティキは一度ジュリエットの方に消えてから慌ててロミオの方に入り直した。
道はどこまでも一直線に延び、地平線上で点になっている。その点の更に先に砂煙が上がってから、その下に黒い点が現れ、それが大型バスであることが分かるまでにたっぷり三十分はかかるのだ。こんな所でなら三十キロ離れたって尾行できるさ、ツギオは心の中で呟いた。
「ツギ、出掛けるだ」
濡れた手を上下に振りながらティキが小走りにやって来た。
三時間程行くと砂丘群にぶつかった。道は右に左に砂丘を縫って蛇行する。そんな所を五、六分も走ったろうか、突如前方が開けたかと思うと、巨大な岩山、エアーズロックが忽然とその全容を現した。長さ三・二キロ、幅二・四キロ、周囲九キロ、地上二百五十メートル、世界最大の一枚岩は大地と同じ赤茶色をしていた。
エアーズロックの東側一帯にはホテルや売店やキャンプ場などが点在し、この一帯の入口にエアーズロック・オルガ山国立公園を管理するレンジャーの事務所が建っている。ティキはその事務所を素通りして一キロ程先のモーテル赤砂亭の前に車を停めた。
部屋数はせいぜい十室の平屋、三時間前に通った二股道のホテルと大差ない構えだが、スプリンクラーの水の飛び散る芝生の一角には直径十メートル程のアルミ製円型プールがあった。
ティキはここで長い休憩を取った。彼らが再びそこを出発しようとしたのはそれから四時間も経った後だった。ティキは出掛けにまたトイレに走った。二十分程で出て来たティキにツギオが話しかけた。
「ヨボヨボの人お腹壊してます。それ多分、神経性下痢です。この仕事、あなたに重すぎるせい」
しかしティキは一言も答えず車を更に西に進めた。車がエアーズロックの南から西に回り込んだ時、前方に奇怪な形の山が見えて来た。その山は実は三十以上の巨大な岩の集まりで、最大のオルガ岩は高さ五百四十一メートルに達する。
彼らがオルガ山の西のティキのテントに到着したのは、それから四時間も経った時だった。
そこには小さな湧水があって、鬱蒼とまでは行かないが樹木が茂り、日中は心地よい日陰を作っている筈だったが、もう日はとっぷり暮れて、彼のテントのあたりにはランプの灯がちらちらしている。人影がひとつ、小さな女の子のようだった。
ワイプルダンヤ、シロ―、それにライケン氏の三人はティキを見失うことよりも接近し過ぎて気付かれないように注意しなければならなかった。エアーズロックから西に向かうティキの車を見ながら、苦々しげにライケン氏が言った。
「誰か、ティキにもう少し急ぐように言って来てくれないか。夜になったらせっかくの砂煙も見えなくなってしまう」
しかしワイプルダンヤはにやりと笑って、
「そんな心配は要りませんよ。もう僕には奴のテントがどこにあるか、はっきり分かりましたから」
と、こともなげに言ってのけた。ここから西に行くとなれば行き先は決まってるさ、そこ以外にキャンプの出来るところなんかありはしない、ワイプルダンヤは一人頷いた。
ティキから二時間遅れでエアーズロックを出発した三人はオルガ岩の東でジープを停めた。月もなく、あたりは闇につつまれていた。
「ここからは歩いて行こう。足音はたてないように。こんな人里離れた所では、ちょっとした音でも遠くまで聞こえてしまうんだ」
夜道になってシロ―と運転を代わっていたワイプルダンヤが、ジープを降りた。
「ここから少し登ったところに狭い抜け道があるんだ。そこを通って行けば気付かれずに接近できる。御互いに離れないよう手を繋いで行こう」
「なんか滑りやすそうな岩だけど」
シロ―は闇を透かし見た。
「そう見えるだけだよ。なめらかな一枚岩が続いているようだけど、表面は結構ざらざらしてるんだ」
ワイプルダンヤが先頭に立った。続いてシロー、最後尾にガソリン入りのポリ缶を持ってライケン氏。三人は一メートル先も見えない岩の坂道を登り始めた。こんな所にも僅かな水を頼りに草木が茂っているのだろう、風が吹くたび左下の方でカサコソと木の葉の触れ合う音がした。
進むにつれて道はますます狭くなり、ついには体を横にしなければ進むことも退くことも出来なくなってしまった。足元では時折彼らに踏まれた枯草が音をたてた。上を見上げると、岩と岩の間の細長い空に、びっくりする程大きな星が輝いていた。突然何かがシロ―の足をかすめた。思わず彼の手に力が入る。
「蜥蜴だよ、心配いらない」
シロ―の不安を察してワイプルダンヤがささやいた。しかし彼の声があまり小さかったので、シロ―はこの言葉をライケン氏の耳元で繰り返さなければならなかった。
それは長い時間だった。シロ―もライケン氏も狭い抜け道を通り抜けて前方に焚火の火が見える頃には、もう日の出も近いのではないかと思った程だった。
三人はそれから岩陰や木の幹を利用しながら、ほとんど這うようにして焚火に接近した。焚火の回りには三つの大きな影と一つの小さな影が見える。それに程遠からぬ所に車が一台。彼らの話し声は五十メートルも離れた岩陰に潜む三人の耳にもはっきりと聞きとれた。三人は闇の中で頷きあった。
ワイプルダンヤはライケン氏が持って来たポリ缶を受け取ると音もなく岩陰を離れた。ライケン氏は十字を切り、シロ―は焚火を睨み据え、耳をすませた。
「そんじゃツギ、そろそろ話して貰うべえか、ヤクの隠し場所をよう」
「ヨボヨボの人、カミーユ返してくれる言いました」
ツギオは後ろ手に縛られた腕に力を込めて縄を緩めようと、空しい努力を続けていた。
「馬鹿こくでねえ、こんな夜中に娘っ子一人でどうやって帰るだ」
「それ考えること、あなたの仕事です。こんなに遅くなったの、あなたの責任です」
「何を言い出すかと思やあ、埒もねえ。おめえもカミーユも暫くここにいて貰わねばなんねえ、ヤクが無事に戻るまではな」
「その場合、私何も話しません。話してクスリ戻った時、あなた私を殺します」
そんな押し問答が十分も続いていた。
「ティキ、いい加減で痛え目にあわしてやるべえよ」
フランクが焦れて脇から口を挟んだ。
「ちょっくら待つだ。なるたけ手荒なことはやりたくねえだァに」
「そんじゃティキ、おめえならどうするだ」
「まあ、しめえにゃ痛え目見せるども」
「それ見せ、そんだば早いとこやっつけるだ」
そう言うとフランクはへらへら笑いながらツギオに近付き、腹にアッパーカットを食わせた。ツギオは唸り声を上げて横倒しになった。
「どうだ、ちっとんベ気が変わったべえ」
ツギオは唇を噛みしめてフランクを睨んだ。
「ワシが痛めつけるつうのはそったらことではねえだ」
「そんだばどうやる気だあ」
「そこの娘っ子の方よ。ワシが痛え目見せるつうのは。ツギ、おめえの性根がすわってるつうことは誰だって認めねえ訳にゃあいかねえだ。一人でここまで来ただからな。そんでもってこそ、おめえの仲間にも申し開きが立つつうもんよ。だどもおめえがこれ以上突っ張らかってりゃ、可哀想だどもそっちの娘っ子が泣きを見るのよ。ほれ、こんで少しは話し易くなったべ」
ティキは殆んど額がぶつかり合う程に近付いて言った。ツギオはティキの下腹を頭突きで突いて、
「あなた死ぬこと、私の願い」
と呻いた。
「どうやら話す気になっただな。御互いに手間が省けて結構なこった」
ティキはそう言ったなり、暫く下腹を押えていたが、及び腰で立ち上がると焚火から遠ざかって行った。
「ティキ、どけ行くだ」
「ちょっくら一人で考えごとして来るだ」
ティキは下腹を押えながら、もぞもぞと小声で言った。
闇の中でワイプルダンヤが動いた。彼は大きく迂回してティキの前方に出ると、草むらに身を潜めた。ティキは草を踏み分けるようにして適当な場所を探していたが、やがて焚火から五十メートル程の窪地にしゃがみこんだ。




