05-01:白昼夢の島
十二月三十日、一行はブルースハイウエイをマッケイに向かっていた。窓の外には延々と砂糖黍畑が続いている。
「それでそんなに日焼けしてるのね」
エレンが、バスの通路越しにツギオとガスとの雑談に割り込んできた。
「安い切符買うこと出来ました。そしてフィリピン通って来ました」
ツギオが強い訛りのある英語で答える。
「それじゃツギオ、お前さん日焼けでそんな色してるのかい。おいらまた、日本人は皆そんなかと思ってたよ」
下町言葉で驚いて見せるのはガス。
「するてえとお前さん、例の飛行機に乗ってたんじゃないかい」
「例の飛行機?」
「クリスマスイブにマニラから麻薬をしこたま持ち込んだ奴がいたってえ話さ。新聞に載ってたろ」
「それなら私も読んだわ。確かドイツ名前の男だったわよね」とエレン。
「往生際の悪い運び屋でさ、麻薬は自分のものじゃないって言い張ってるんだと。誰かがこっそり奴のバッグに入れたんだとか言って」
「とんでもないサンタクロースがいたって訳ね。でも、そんなことってあるのかしら」
「それが、あってもおかしかないんだよな」
ガスが得意げに鼻をうごめかした。
「何も知らない奴に持たしとけば税関でおたつく気遣いはなし、よしんば見つけられたところで我が身は安泰。後で取り返すのは素人相手の楽な仕事って塩梅だろ……それがこんな事になっちまって、そろそろどっかのブッシュの中で、ドジなサンタのセメント詰めが出来上がってる頃かも知れねえな」
「オーケイ、我々は今夜マッケイの近くに泊まります。明日はいよいよデイドリーム島ですが、バスはそこまで行けません。荷物は全て舟に積んで持って行きます。皆で手分けして手際よくやって下さい。働き者のデニスに任せ切らないよう、くれぐれもお願いします。なお、デイドリーム島では二組のお客様が飛行機でやって来て合流しますので、その分のテントも張っておいて下さい」
ラークがこう言うと、一番前の空席でカメラに望遠レンズを付けて構えていた赤帽デニスが後ろを振り向き嬉しそうに手を挙げた。
「奴にはやりたいようにやらしときゃいいんだよ。どうせ家に帰れば、日曜たんびに近くの公園の掃除とかやってるに違いないぜ」
アンディが隣のバジルにこっそり言った。
「そうともさ、やっぱしボーイスカウトは真っ先してしとのやりたがんねえ事をやんなきゃなんなかっぺ」
バジルがデニスの口真似で相槌をうった。
バスはロックハンプトンの町に入っていた。ラークはここで十時のお茶がてら本社への定期連絡をすることに決めていた。彼は紙ばさみに挟んだ書類を持ってミルクバーに入り、ハインツ、アンディ、バジルの三人は街角に見付けたパブへと向かって行った。
エレンは外に出ず、自分の席で葉書を書いているようだった。ツギオは昨日書き忘れた日記を書くことにした。ローズが通りしなにちらりと視線を落とすと、興味を持ったらしくかがみ込んだ。
「あ、これ日本語でしょ。レッド早く、来てごらんなさい。まるで速記文字みたいだから」
レッドは二個のコップに水を入れて持ってくると、一個をローズに渡した。
「ツギオ、これ日記だね。ここに書いてあるのは日付だよね、僕らが書くのとは日と月の位置が逆になっているけど」
「そう、こいつ昨日の分。回りの人に全然分からない言葉書くの、凄く楽しいこと分かった。それで毎日書く決めたです。ほらね、ご当人目の前に悪口書いていたとしても、君のようにただ笑って見ているだけ」
ツギオはレッドを見上げてにっこりした。
ちょうどその時、バスの入口で、デニスが大声で喚き始めた。「おら、もう我慢なんね」と彼は言っていた。
「そ~れのことですか。そ~れは言いましたね。あなたが~ワタッシと一緒に寝ようと……ノンノン、つまり、一緒のテントにしようと言った時で~すね」
中年太りのジョルジュが、ひどいフランス語訛りで答えた。
「最初っから言ったって。お前なぁ寝相が悪いなんてもんじゃなかっぺよ。イビキはでっけえし、暴れはするし、おら何べん蹴っ飛ばされたか分かんね」
「そ~んなに怒らないで下さい。ワタッシも~好きでやっているのじゃございませんですぅ~」
ジョルジュは語尾を長く引っ張って小指を傾けた。この仕草はますますデニスを挑発したようだった。
「そうでもなかっぺ。ありゃ好き勝手な寝相つうもんだ。そりゃあ最初のうちゃあまだ良かっただ、イビキだけだったかんな。それがだんだん酷くなって来て、昨夜なんかおっ魂消た。いきなり頭蹴っ飛ばされたんで目ぇ覚ましてよ、そのまんまじっとしてたら次は胸でそん次は鳩尾、おら、あんまし肝煎ってなんねから、こっちからも蹴っ飛ばしてやったっけが、ウンでもスンでもありゃあしず。あん時こっちが寝返り打ってお前に背中向けたからいいようなもんの、そのままにしてたらそん次はどこ蹴っ飛ばされたか、思っただけでもぞっとすら」
「そ~れは困りましたね。そ~れでは今夜から、テントの外で寝ることに致しましょうか~」
涼しい顔で答えるジョルジュに、デニスは一段と声を荒くした。
「お前の荷物がおらちのテントん中にあるうちゃ安心なんね。んだっぺよ。何をやってっかは知んねけんど、夜っぴてほっつきまわった挙句、十二時前に帰った例はありゃあしず。そいでこそこそ手前の荷物引っかき回すでねえか。おら大概あれで目え覚ますだ。お前、何だって寝る前に自分の荷物数え直さなきゃなんねんだ。そいじゃまるきし、おらの手癖疑ってるみてえでねえか。おらそこまでされて一つテントにいる訳にゃいかね」
「そ~れは御免なさいでございますね~。そ~れではどう致しましょう~か」
「今夜から別っこのテントにすっぺ。おらこれからラークに言ってくっから」
ジョルジュは随分ひどく言われたにもかかわらず、なぜか明るくにこやかに同意していた。デニスはそのままミルクバーの方へ歩いて行き、ジョルジュはしばらくステップに立っていたが、やがてバスに乗り込み自分の席に座った。
「彼、寝不足なのにあれだけ働いてたんだねえ。まさに驚異的だ」
とレッド。四人は声をひそめて笑い出した。しばらく間をおいてから、レッドとローズはバスを降り、どこかへ散歩に出かけて行った。ジョルジュの横を通る時、ちらりと彼の方を見て笑いを噛み殺したのが背中からもはっきり見て取れた。
入れ違いにジェーン、やや遅れてヒゲなしとケンが談笑しながら帰って来た。ツギオは再び日記をつけ始めた。
「どこ~かでツギオを見ませんでしたか~」
目敏く三人を見付けたジョルジュが声を掛けた。
「いや、見なかったね」とケン。
「ヒゲなしさん、あなたは?」
「知らないね。あのチビの日本人には興味ないんだ。ハガサがどうして彼とウマが合うのか不思議だよ」
彼はそっけなく答えると、最前列の自分の席に座った。
「彼女、日本に住んでたことがあるんですって」
ジェーンが言葉を挟んだ。エレンとツギオは後方の座席に深く身を沈めていたので、彼らからは見えてないらしい。
「僕だったら、その国にいたことがあるってだけじゃ、そこの住人まで好きになれないと思うけど。それに彼って何だか胡散臭いよ。彼の言うことは何処まで信じていいんだか」
「なんて酷いこと言う人なのっ」
思わず呟いて後部座席から立ち上がりかけたエレンを、ツギオが手を伸ばして止めた。
「もう少し聞いていますこと、興味あると思いますです」
ツギオは余裕の笑みを浮かべていた。前方ではジェーンが世慣れた調子でブルースをたしなめている。
「そこまで言うことないでしょう。それじゃ身も蓋もないわ。それは彼にも色々変わった所はありますけど、仕方ないことだわ。なんてったって外国人なんだもの」
「僕が言ってるのは言葉だとか習慣の違いとか、そんなことじゃないんだ。彼、シドニーでもゴールドコーストでも、皆と一緒に泳ぎに来なかったし、夜だっていつも一人で何処かへ行っちゃうだろう」
何か言いかけたジェーンを手で制して、彼は言葉を続けた。
「彼、僕らとは付き合いたくないんじゃないのかな。きっと何か僻みか偏見を持ってるんだよ」
この時、ツギオの座席の窓ガラスをコツコツ叩く者がいた。見ると、ワイプルダンヤが、バスの横の歩道でぴょんぴょん跳ねていた。窓が高いうえに彼がシートに深く掛けていたので、そうしないとよく見えないという訳だ。ツギオは日記帳を座席のポケットに突っ込むと、大きな伸びをして立ち上がった。前方の席にいた四人が一斉にぎょっとして彼を見た。ジェーンが声をあげた。
「ツギオ、あなたそこにいたの。……ハガサが探していたわよ」
「そうですか、でもちょっとここ通りにくいかったでしたので」