そんなつもりでは
「……恒興殿。」
静寂を破ったのは、織田信孝の声だった。その顔は、驚きと畏怖。そしてどこか救われたような複雑な色に染まっている。
隣に立つ丹羽長秀も、一万の池田軍を前にごくりと唾を飲み込んだ。
私は必死に。引きつりそうになる顔の筋肉を統御し、池田恒興の重厚な低音で語りかけた。
「……信孝様、そして長秀殿。事情は察しております。四国遠征のために集められた兵たちが、本能寺の報を聞いて瓦解寸前であったのでしょう。」
私の言葉に、信孝の肩がびくりと跳ねた。
「これ以上の離脱を防ぐためには『信孝様についていっても大丈夫。』という証明がどうしても必要だった。そのための格好の標的が、ここ石山にいた……。明智の婿である津田信澄様を討つことで、軍の統制を取り戻そうとされた。違いますか?」
現代人の歴史知識による「答え合わせ」を、さも最初からすべて見抜いていたかのように淡々と告げる。
すると信孝は目を見開き、愕然とした様子で後ずさりした。
「……すべて、すべて見抜かれていたか。池田殿、貴殿には我が軍の窮状も、私の焦りも、何もかもがお見通しだったというわけだな……!」
信孝の身体が震えている。それは怒りではなく、完璧に己の思惑を見透かされたことへの驚嘆と畏怖だった。隣の丹羽長秀も「なんという眼力。摂津にいながら、我が軍の内部事情まで完全に把握しておられたとは!」と、戦慄の表情を浮かべている。
(いや、歴史関連の書籍に書いてあっただけなんだけどね!?)
心の中で激しく弁明する。
私はただ、これ以上ややこしい事態になるのを防ぐため、お前たちの事情は分かっているよと伝えたかっただけなのだ。
「私は……その内輪揉めを仲裁し、お止めするために摂津から馳せ参じたのです。信長様が大切にされた血族同士が相食む姿など、見たくはなかった。……しかし、終わってしまったことは仕方がありません。」
ふぅ、と重々しく息を吐き出す。
本当に仕方が無い。信澄は死んでしまった。だが、これで私の「仲裁作戦」は名目上終了だ。さあ、用件は済んだ。一万の兵を引き連れて、伊丹城へ引きこもり引きこもり……。
そう考えて、私が馬の鼻面を返そうとした、その時だった。
「池田殿!」
信孝が必死の形相で一歩前に踏み出し、私の馬の前に立ちはだかった。その目は、すがりつくような光を宿している。
「ここからは……ここからは、どうか我らに力を貸していただきたい! このままでは、父上と兄上の仇である明智を討つことなど叶わぬ。池田殿、どうか我らと共に、明智光秀討伐に協力していただきたいのだ!」
「……は?」
思わず、素っ頓狂な声が出そうになった。
信孝の言葉に呼応するように、背後に控えていた我が家臣――伊木忠次、池田元助、輝政の三人が、待ってましたとばかりに一斉に声を張り上げる。
「殿! 信孝様直々の要請にございます!」
「織田家への忠義を示す時が来ました! 我が池田一万の軍勢、これより明智討伐の先鋒を務めましょう!」
「お、おい、ちょっと待て!」
止める間もなく、一万の池田軍から「応!!」という地響きのような大歓声が巻き起こった。
信孝と丹羽長秀は「おお、なんという頼もしさか!」と涙を流して感動している。
(違う! 俺は秀吉が『中国大返し』で戻ってくるまで安全圏で待ちたかっただけなのに! なんで初手から明智討伐軍の先陣にされてるんだよーーー!!!)
私の引きつった絶叫は、兵たちの鬨の声にかき消され、歴史の激流は私を乗せたまま、爆速で山崎の戦いへと突き進んでいくのだった。




