止めるためなら
「……内輪揉めを止めるために兵を出す。」
胃に穴が空きそうなプレッシャーの中、私は池田恒興の重厚な低音を絞り出した。
私の激しい睨みつけに、さしもの久秀もわずかに眉をひそめる。そこに私はさらに言葉を重ねた。
「私に信長様への恨みはない。その信長様が大事にされた息子と甥が、醜く争い。殺し合う姿など見たくはない。」
それは現代人としての私の本心だった。理不尽に殺される津田信澄もかわいそうだし、ここで織田家同士の共食いを見るのは忍びない。何より久秀の言う通り後ろから不意打ちなんて狂った真似をしたら、後で秀吉にどんな目で見られるか分かったものではない。
「……なるほど。」
久秀はしばらく私の顔をじっと見つめていたが、やがて愉しげに喉を鳴らした。
「私への恨み言を並べるかと思えば、まさかの綺麗事とはな。信長公への忠義を盾に、大坂の調停者として名乗りを上げる腹か。だが恒興殿。その綺麗事を通すには『力』がいる。お主にそれが扱えるかな?」
「フン、試してみるがいい。」
ドスの効いた声でハッタリをかますと、久秀は満足したように口元を歪め、今度こそ本当に、すっと気配を消すように部屋の影へと消えていった。
(セ、セーーーーフ……!! 心臓止まるかと思ったわ!)
心の中で激しくガッツポーズを決めた瞬間、入れ替わるようにしてパァンと障子が開いた。家老の伊木忠次に長男の元助。そして次男の輝政が揃って雪崩れ込んでくる。その表情は、主君を失った深い悲しみと、これからの織田家を憂う真剣そのものの顔つきだった。
「殿! 大坂の津田信澄様、いよいよ危うき状況にございます! 織田家がこのまま混迷に陥るのを防ぐためにも、我ら池田家が動かねばなりませぬ!」
「忠次、元助、輝政。兵を出すぞ!」
私が鋭く告げると、三人は一瞬目を見開き、ごくりと唾を飲み込んだ。私は彼らを見据え、言葉を厳かに整えた。
「目的は、信孝様と信澄様の内輪揉めを止めるため。信長様が大切にされた血族同士が相食む姿を、私は見たくない。急ぎ大坂・石山へ向かい、両者を仲裁する!」
「おお……!」
忠次が、歓喜と感銘に震える声を上げた。
「主君亡き今、自らの利ではなく、織田一族の融和と護持を第一に考え、自ら調停に乗り出されるとは……。さすがは信長公の乳兄弟、池田恒興様! なんと深い御器量、なんと高潔なお覚悟か!」
「左様! 織田家への忠義を貫く我が池田の義挙を見せつければ、摂津の国人衆も必ずや我らに従い、織田の盾となりましょう! 直ちに一万の軍勢、発向の準備を!」
元助と輝政も若武者らしく目を輝かせ、純粋な忠義心をたぎらせて部屋を飛び出していった。
(よし。これなら『正義の味方』として大坂に向かえる。不意打ちなんて野蛮な真似をせず、平和的に介入して点数を稼ぐんだ! ついでに津田信澄を助けられれば、歴史の生存ルートも広がる!)
――しかし、現実は非情だった。
いかに池田家臣団が優秀とは言え、一万の大軍を動かすにはそれなりの時間がかかる。
甲冑の擦れる音に軍馬のいななき。そして進軍の足音が響く中、私率いる池田軍が急ぎ大坂・石山へ到着した時には、すでに万事休すの状況だった。
「な、なんだこれは……」
遥か前方に広がる大坂・石山の陣城は、激しく黒煙を吹き上げ、天を焦がさんばかりに炎上していた。
遠目からでもわかる。奇襲を仕掛けられた津田信澄の軍勢は完全に瓦解し、悲鳴と怒号はすでに止み、残されているのはパチパチと木がはぜる不気味な音だけ。
「……終わってしまったか。」
私が馬上で呆然と立ち尽くしていると、戦場の煙の向こうから、返り血を浴びた兵たちを率いて、織田信孝と丹羽長秀の二人が姿を現した。
(やばい、平和的解決なんて生ぬるい状況じゃない。しかもこっちは兵を一万も、完全武装で連れてきてしまった。信澄を助けにきたとバレたら、このままガチの戦闘に突入してしまうんじゃ……!?)
中身一般人の私は恐怖のどん底に叩き落とされ、一万の軍勢の先頭で、冷や汗を滝のように流しながらガタガタと震えていた。しかし、悲しいかな池田恒興の肉体は相変わらずの超強面だ。大軍を率いて無言で立ち尽くし、威圧感を周囲に撒き散らしながら凄まじい形相で震える姿は、信孝たちの目に、あまりにも異様に映った。




