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決断

「……ん? あれ、何だか向こうの陣が騒がしくない?」

私が本陣から目を凝らすと、明智軍の数万の兵が一斉に足並みを揃え、こちらへ向かって進軍を開始するのが見えた。

久秀のデマで自壊するどころか、むしろ「退路を断たれる前に、目の前の池田を叩き潰して活路を開く!」とばかりに、死に物狂いの凄まじい気迫で突っ込んできている。完全に逆効果、ハチの巣をつついて狂暴化させた状態だ。

「ちょっと久秀!! 話が違うじゃないか!! 光秀の軍、腰を抜かすどころか機先を制してゴリゴリに攻めてきてるよ!?」

「ほう、流石は光秀。孤立無援の恐怖に直面し、乾坤一擲の勝負に出ましたか。いやはや、我が意を得たり! これでこそ追い詰めた甲斐があるというもの!」

「我が意を得てんじゃないよ!! 完全にキレさせてるじゃん!! ほら見てよ、あの先頭の騎馬武者たちの目が血走ってるよ!?」

胸を張って嬉しそうに頷く爆弾オヤジの胸ぐらをつかんで揺さぶりたい衝動に駆られていると、本陣の幕を荒々しく押し開けて、屈強な男たちがドカドカと踏み込んできた。

「殿!! 機は熟しましたな!!」

大声を上げて入ってきたのは、我が池田家の筆頭家老、伊木忠次である。その後ろには、私の息子である元助と輝政の二人、さらには高山右近と中川清秀までが、ギラギラとした目を輝かせて控えていた。

「え? 機? なんの機?」

「お戯れを! すでに京の町から『羽柴・織田の連合軍、背後より明智を包囲せぬとす』との大噂が、我らの陣にも届いております! これぞ殿が仕掛けられた大計!」

伊木忠次が興奮冷めやらぬ様子で拳を握りしめる。

「明智は完全に退路を失い、焦って全軍で突撃してまいりました。これを正面から叩き潰せば、明智光秀を討ち取った大功は、羽柴でも信孝様でもなく、すべて我が池田家のもの! 殿、これより明智との一大決戦、どうか突撃のご決断を!!」

「父上! 我ら兄弟が先陣を切り、光秀の首を取ってご覧に入れます!」

息子たちまでが血気盛んに刀の柄に手をかけている。いやいや、待ってほしい。それは久秀が撒いた真っ赤な大嘘なんだ。後ろには誰もいないんだよ。

「いや、みんな落ち着いて? 秀吉はまだ道中だし、信孝様は部屋の隅で泣いてるから、後ろには一兵たりとも……。」

「ハハハ! 恒興殿、摂津衆を代表してこの高山右近、中川清秀、すでに命を捨てる覚悟はできております! 明智勢は、まさに恐怖に慄く泥船! 殿の『突撃』の一言があれば、我ら一気呵成に敵の本陣まで突き抜けてみせましょう!」

神がかった笑顔で十字架を握りしめる高山右近と、鼻息を荒くする中川清秀。彼らの耳には、私の正論など一文字も届いていないようだった。

周囲を見渡せば、家臣も、息子も、味方の国衆も、全員が「信長公の無念を晴らすのは今ですぞ!」と言わんばかりの狂信的な熱い視線を私に注いでいる。そして皆の見えない所から「さあ、どうされます? 天下を奪うのは今ですぞ。」松永久秀の囁きが……。

(……ああ、もうダメだ。ここで『実は全部デマだから退却しよう。』なんて言ったら、味方に首をハネられる。歴史の修正力か何だか知らないけれど、外堀がコンクリートで完全に埋められてる……!)

胃のあたりにズシリとした重みを感じながら、私は深く息を吐き出した。

現代人としての保身や、秀吉を待とうという甘えは、地響きを立てて迫る明智軍の足音にかき消されていく。

逃げ道はない。なら、やるしかない。

私はゆっくりと立ち上がり、腰の刀の鯉口を切った。その瞬間、本陣の空気がピリリと張り詰める。

「よろしい。伊木、元助、輝政。そして高山、中川!」

私の声に、男たちが一斉に居住まいを正した。

「敵は死に物狂いだ。……全軍に告げよ。これより明智本陣へ突撃する。遅れるなよ!」

「「おぉぉぉーーーーっ!!」」

本陣を揺るがすほどの鬨の声が上がった。

こうして、秀吉のいない山崎の地で、池田恒興の運命を決める大決戦の火蓋が切って落とされたのだった。

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