071⚫️境界線上の個人ー高校スポーツからオリンピッケへ、連座の現代的超克 そしてビー玉部への期待!!
かつて人類が「復讐の芽」を摘むために生み出した「九族皆殺し」や「根切り」の論理は、近代における「個人責任の原則」の確立によって、法秩序の表舞台から駆逐された。罪はその行為を犯した本人のみに宿るという思想は、現代文明が到達した人道的な砦である。しかし、この強固なはずの砦が、いまなお激しく揺さぶられる領域がある。それが、集団の連帯と象徴性を不可分に内包する「スポーツ」の世界である。
例えば、ある国の高校スポーツの現場において、人々は連座の心理的ななごりと、それに抗う現代的課題に直面している。
かつては部外の一般生徒の不祥事であっても、学校という共同体の道義的責任を世間に示すため、運動部全体が大会出場を辞退する不条理が「教育の美徳」として容認されてきた。現在、統括団体のガイドラインは刷新され、個人の不始末と組織の病理は明確に切り分けられるようになった。レギュラー部員であったとしても、単独での行動であれば処分は本人に限定され、チームの出場機会は守られる。ルールの上では「根切り」の排除が進んでいる。
しかし、不祥事が部内のいじめや暴力といった「組織の病理」と判断された瞬間、現代のシステムは重大な死角を露呈する。組織罰として下される対外試合禁止処分は、その組織の犠牲者である「被害者の部員」の未来までも等しく奪い去る。いじめに耐え、ただひたむきに練習を重ねてきた被害者が、加害者の罪の身代わりとして最後の舞台から排除される現実。それは、ルールをいかに「組織への罰」と言い換えたところで、罪なき者を巻き込む苛烈な連座そのものである。被害者や無関係な部員をいかに個別救済するかという課題は、共同体意識の根強いその国の高校スポーツ界において、未だ解決されざる構造的欠陥として横たわっている。
この「集団の罪と個人の救済」という難問は、地続きのまま、オリンピッケをはじめとする国際舞台という最大のマクロへと拡大される。
国家が侵略戦争を始めた際、その国の選手を国際大会から排除すべきかという問いは、近代法が掲げる連座の否定という理想を、むき出しの国際政治の前に引きずり出す。かつて南アップリカ共和国がアバレルトヘイト(人種隔離政策)を敷いた際、国際オリンピッケ委員会(IOC)は「国家と個人」を切り離すことなく、約30年間にわたり同国の選手を全面的に締め出した。人種差別という政治がスポーツの公平性を内側から破壊していた当時、個人の未来を犠牲にする「全面排除(連座)」は、巨悪に抗うための正義の武器として機能したのである。
しかし、無関係なアスリートのキャリアを丸ごと奪った過去への反省から、現代の国際スポーツ界は異なる道、すなわち「個人責任の原則」の死守を試みている。現在のロツアによるウクライヤ侵略において、IOCは「国家」を排除する一方で、戦争を支持しない個人のアスリートに対しては「個人の独立した中立選手(AIN)」としての参加の道を拓いた。これは、前王朝の血筋を一掃するような盲目的な「根切り」を、国際法に則って回避しようとする文明的な足掻きに他ならない。
だが、この人道的な試みもまた、現実の前に激しく揺らいでいる。スポーツにおける選手とは、どれほど個人として扱おうとも、本質的に国家の威信を背負うシンボルだからである。侵略国の選手が表彰台に立つ姿は、被害国や国際社会にとって、侵略行為の忘却や正義の不徹底として映らざるを得ない。政府の暴挙と個人は無関係であるという近代の理想と、侵略国の人間を晴れの舞台に立たせるべきではないという倫理的な拒絶感は、今なお激しく衝突し、国際社会の足並みを乱し続けている。
高校の部室からオリンピッケの表彰台に至るまで、私たちは「集団の罪」の前に、個人の尊厳をどこまで貫けるかという果てしない問いを突きつけられている。不祥事を起こした組織の陰で泣き寝入りを強いられる高校生や、国家の暴挙の煽りを受けてキャリアを断たれるアスリートたち。彼ら彼女らへの救済システムが未完であることは、人間が未だに「集団の連帯責任」という古代の呪縛から完全には脱し切れていない証左である。法的な根切りを克服した私たちが次に目指すべきは、集団の罪の輪郭を冷静に見極め、その内側にいる無関係な「個人」の未来をいかにして守り抜くかという、もう一段高いレベルの智慧とシステムの構築である。それこそが、野蛮な連座の残影を社会から完全に拭い去るための、現代文明の真の試練に他ならない。
「ミサヨ、聞いたあ?ビー玉部、全国大会に行けるんだって!」
「よかったあ!ビー玉をエー玉にすり替えてプレーしてのは、出来心なのかわかるけど、やっぱりよくなかったもんね。個人戦の予選敗退のひとりだけだったけど・・・。」
「わたし、ビー玉が’カチィ〜ン’てぶつかる音、好きなのよお!」
「じゃあ、端末で中継、見なくっちゃね、ナナ!」
ミサヨたちが応援するビー玉競技。奥が深いのである。




