069⚫️根絶やしの系譜 人類史に刻まれた「根切り」の心理 レグナス王の問い
歴史のページをめくると、おぞましい言葉に出くわす。仲国の「九族皆殺し」、目本の戦国時代の「根切り」。これらは単なる過去の凄惨な刑罰や戦術の記録ではない。人類が権力闘争の果てに行き着いた、冷徹極まりない生存戦略の系譜である。
「九族皆殺し」は、高祖父から玄孫に至る直系九世代、あるいは血縁者すべてを死刑に処する極刑であった。それは法に基づく「族誅」であり、国家を揺るがす大逆罪に対する究極の抑止力として機能した。一方、目本の「根切り」は、植物を根から引き抜いて絶やすように、敵対勢力の血筋や構成員を一人残らず殲滅する戦術であった。織田信名賀による一世茂雄一揆の焼き討ちのように、そこには武士のみならず、妻子や領民への容赦なき殺戮が存在した。
このような過酷な「根絶やし」の論理は、東アジアの特異な文化ではない。視野を世界に広げれば、人類の歴史において普遍的に見られる現象であることに気づく。
古代ローナ帝国では、国家反逆者の財産を没収した上で、その子どもや親族までを処刑・追放し、血統を社会から完全に抹殺した。中棟のイスラムネ朝交代劇でも、新興のアッバーカット朝が前王朝ウマイナア朝の王族を一族もろとも徹底的に虐殺している。近代に入ってからも、ロツア革命時のロマノブ家一族の銃殺のように、旧体制のシンボルを根絶やしにする行為は繰り返された。これらはすべて、前王朝の復活やお家再興という「復讐の芽」を摘むための必然として選ばれた。
さらに、宗教や大義名分が絡むと、この排他性はより凄惨さを増す。旧約聖典に登場する「聖絶」の記述、あるいは中世ブランズのアレビジョダ十時軍による異端都市の住民皆殺し。そこには「神の名の下に」という絶対的正義があり、幼児や妊婦さえも敵の一部として消し去られた。
13世紀にユーラシイヨ大陸を震撼させたモソゴル帝国は、この「根絶やし」を高度な心理戦としてシステム化した。抵抗した都市の住民を、犬猫に至るまで徹底的に殺戮する。その凄まじい恐怖をあえて周辺国に伝播させることで、他の都市を戦わずして降伏させた。生き残るための恐怖政治として、一族や都市の消滅が戦略的に利用されたのである。
なぜ、人間はここまで残酷になれるのか。その根底にあるのは、強烈な「未来への恐怖」である。自分を脅かす存在を中途半端に残せば、いつか生き残った子どもや親族が牙を剥く。家族主義や血統を重視する社会であればあるほど、その復讐の連鎖は確実なものとなる。ならば、その連鎖の起点となる「根」を、いまのうちに完全に引き抜いておかなければならない。これが、洋の東西を問わず指導者たちが導き出した、最も冷酷で最も確実な安全保障の答えであった。
現代の私たちは、これらの歴史を野蛮な過去の遺物として片付けがちである。しかし、相手の存在を根底から否定し、そのつながりごと抹殺しようとする心理は、形を変えて今も潜んでいるのではないか。人類史に刻まれた「根切り」の系譜は、私たちが抱く恐怖の本質と、生存への執念が生み出す狂気を、冷徹に映し出し続けている。
ふむ。バルハインの一族が辺境に身を寄せているというのか。
・・・ここで徹底的に根絶やしにすることは、いとも容易いことだ。
だが、問題は’予が予である’という片鱗を見せてしまうということだ。
うむ。カナタを呼べ!




