4・嫌な予感がします!
「うわぁっ!?」
「きゃっ!?」
曲がり角から飛び出してきた人物と、見事に衝突してしまった。
私の手からは本が、相手の手からは大量の書類が離れ、盛大な音を立てて廊下へと散らばっていく。
「い、ててて……」
「もっ申し訳ございません、奥様! お怪我はございませんか!?」
衝撃で尻もちをついてしまった私の上に、慌てふためいた男の声がかけられる。
顔を上げれば、そこには青ざめた顔をした執事長がいた。
「ええ、怪我はないわ。こちらこそごめんなさい」
微笑みを浮かべて返事をしながら、差し出された手を借りて立ち上がる。
「いいえ。私の不注意でございますので……」
執事長はそう言って、私の落とした本を拾ってくれた。床に残ったのは、私とぶつかったせいで撒き散らされた大量の書類。
「あ、私も拾うわ」
執事長が拾い始めたのを見て、私もその場にしゃがみこんで手を伸ばした。
「そんな、奥様にそのような雑用をさせるわけには——」
「気にしないで、落としたのは私のせいでもあるんだから」
恐縮する彼を制して、私は書類をかき集めていく。
その最中、発注書と思われるものが目にとまった。
見る限り、この屋敷で使う食材の発注書だろうか。様々な品名と発注する数量などが整理されて、何枚にもわたってまとめられているようだ。発注書と思われるページ数の振られた書類が、いくつもあることに気づく。
(……あら?)
なんの気なしにページ順に集めながら、目を入ってきた数字の並びに強い違和感を覚えてしまった。
「これ……計算が違うわ」
「はい?」
「ペン持ってる? 貸してもらってもいい?」
「は、はい。どうぞ、お使いください」
執事長は懐からペンを取り出してくれる。
私は執事長の手からそれを受け取ると、書類をはじめから見直しながら素早く余白に計算式を書き走らせた。
「多分、一つ隣の数字と間違えて計算しちゃったのね。ここをこうして……最初からぜんぶ計算しなおしたら……。正しいのはこっちの数字だと思うわ」
簡単に説明しながら、私は書類とペンを執事長へ差し出す。
書類の数値と私の計算を見比べた執事長の顔が、みるみるうちに驚愕のものへ変わっていた。
「ひ……! ほ、本当だ……!」
(よかった。お役に立てたようね)
貴族学院での成績は兄ほど振るわなかった凡人だが、それなりには真面目に授業は受けていたのだ。
これくらいの計算はわりと朝飯前である。
のだが——。
「私が何日にもかけて確認したものを、たった一瞬で間違いに気づかれるなんて……! なんて優秀な!」
「へえっ!?」
なぜか執事長はきらきらと瞳を輝かせ、頬を紅潮させたまま私の手を握りしめてきた。
「わ、私なんてただの一般人よ!? うちの兄なんて、こんなのコンマ零秒で処理するんだから……!?」
「そんなことはございません! 旦那様はなんと素晴らしい奥様を娶られたのでございましょう……!」
「ええええ……」
こんな些細なことで、いたく感激したとでも言うような眼差しで見つめられると困る。
本当に、私は兄妹に比べて出来損ないの、ただの一般人なのだから。
「お、お役に立てたのなら何よりだわ! それじゃ! 自室に戻るわ!」
私は執事長の視線から逃げるように、慌ててその場を立ち去ろうとしたのだが……。
廊下の曲がり角の陰に、クイン様が立っているのが目に入った。
壁に背を預けて腕を組んだ姿勢で、真っすぐに私を見ている。
(……っクイン様!? いつからそこに……!)
驚きを隠せないまま、私の視線とクイン様の視線が交わった。
クイン様は目を瞬かせると、ほんの一瞬だけ口元をゆるめたように見えた。
だが、すぐに踵を返されたせいでわからなくなってしまう。
(な、なに……今の……。笑った? 見間違い? まさか機嫌を損ねたわけじゃないわよね……?)
混乱収まらない頭を働かせ、私は必死に考える。
空気になると誓ったはずなのに、彼に姿を見せてしまった。
それだけではなく、他にも何か致命的なミスを犯してしまったような、そんな感覚が拭いきれない。
(なんだろう、嫌な予感がする〜!)
背中に嫌な汗が流れるのを感じながらも、私は自室へと逃げ帰ったのだった。




