2・必要なのはドレスや宝石じゃありません!
私が陣取った客室——もとい私の新しい自室は、クイン様の部屋から遠く東に離れた日当たりのいい一室だった。
広々とした室内に、ふわふわの天蓋付きのベッド、猫足のソファ。アンティークなライティングデスクまである。
昨日の旦那様の部屋に比べたら簡素ではあるが、さすがは公爵家の客室だ。元地方貴族からしてみれば、ここはもはや天国に等しい。
(実家の私の部屋なんて屋根裏だったし、雨漏りしたままで直してすらもらえなかったのよ? それに比べてここは明るいし清潔だし最高〜〜!)
無事に一夜が明け、私はベッドの上で幸福を噛み締めていた。
そのとき、部屋の扉をノックする音が聞こえてきた。
「奥様、失礼いたします。朝食をお持ちいたしました」
ノックとともに室内へ入ってきたのは、この屋敷のベテランメイド長、ノエラさんだった。
くるみ色の髪を頭の後ろでお団子にまとめた彼女は、いかにもしっかり者なお姉さん、といった感じだ。年は、私よりも一回りは上だろう。
昨日私がこの屋敷へやってきた時に初めて顔を合わせたばかりではあるのだが、昨日に比べて今朝の彼女の表情は暗く重たい。
おそらく、「初夜から別室で過ごすことを余儀なくされ、冷遇されている新妻」を哀れんでいる、といったところだろうか。
(どうしたものかしら。上手く伝えないと、クイン様に抗議でもされたらたまったものじゃないわ。せっかく手に入れた楽園を失いたくない……)
あれこれ考えを巡らせていたのだが、ふとノエラさんの持っているトレーの上のものに目が吸い寄せられてしまった。
「おはようございます、ノエラさん! ……わぁ、すごく美味しそう……!」
ほかほかと湯気を立てるスープに、焼きたてのパン、かりかりのベーコン。新鮮なサラダまである。
(すごい! 豪華だわ!)
実家ではふかふかのパンを食べる家族を横目に、私だけ冷えてカチカチになったパンを出されていたのだ。
目の前に置かれた豪華な朝食に、私の目はすっかり釘付けである。
「食べていいんですか……!?」
「え……、ええ。奥様のためにご用意したものですから」
「ありがとうございます……!」
(なんて素敵な朝食なの……! 嫁に出て良かった!)
いそいそとトレーの置かれたテーブルの前に座ると、私はありがたく朝食を口へ運ぶ。
幸せの極みだ……。
もう二度と実家には戻りたくない。こんなおいしいものを食べられるのなら、私はここで一生空気として生きていく。
「奥様……。昨日、旦那様が奥様に冷たいお言いつけをなされたことは、わたくしたち使用人の耳にも入っております。それなのに、こんなにも気丈に振る舞われて……」
「もふ?(何て?)」
口いっぱいに広がるパンの香りとふかふかさを堪能していると、何やらノエラさんが涙ぐんでいた。
「傷ついて……おられ、るのです……よね?」
パンを頬張る私と、ノエラさんの瞳がかち合う。
彼女の瞳に宿る色が、同情から困惑へと変わっていくのが私にもわかった。
私はごくりとパンを飲み込むと、彼女の懸念を払拭すべく笑顔を浮かべた。
「いいえ、まったく。むしろ、クイン様には感謝しておりますわ」
「え……っ?」
ノエラさんがぽかんと目を見開く。
私は胸の前で両手を組み合わせ、うっとりと目を閉じて語り始めた。
私の旦那様はいかに寛大で素晴らしい方なのか、彼へのリスペクトの気持ちをしっかりと伝えなくてはならないだろう。……彼女を味方につけるためにも。
「私は、兄妹に比べて出来損ないの一般人でございます。日々お忙しく、国を守るために働かれているクイン様のお邪魔になることは避けたかったのです。それなのにクイン様は、『妻として振る舞わなくていい』とおっしゃってくださった……! これ以上の慈悲がありましょうか……っ!」
「は、はぁ……? で、ですが、それでは奥様があまりにも不憫で……」
「不憫だなんてとんでもない! ですのでノエラさん、お願いがあります。私の毎日の食事はすべて、この部屋に運んでくださいませ。食堂に行ってクイン様の視界に入り、お食事を不味くさせることは避けたいのです」
「お部屋で……お一人で食べられるのですか……?」
「はい! それと、おいしいお菓子とたくさんの本を貸していただけたら、私は世界一幸せな妻になれます!」
力説する私に、ノエラさんはしばらくの間口を開いたまま呆けた様子だった。
けれど、やがて目元をうるませると、組み合わせていた私の手をしかと握りしめてきた。
「なんて……なんて健気な……! 本来でしたら、豪華なドレスや宝石を買い漁っても良いお立場だと言うのに、旦那様のため、自ら自室にこもられるなんて……!」
「ドレスも宝石も必要ありません! むしろ必要なのは快適な部屋着です!」
「奥様……っ! わかりました。このノエラ、奥様の健気なお気持ちに全力でお応えいたしますわ! まずは、シェフに特製のおやつを作るように伝えてまいります!」
「本当ですか!? ありがとうございます!」
とりあえず、メイド長を味方にすることに成功したらしい。
そこからの数日は、まさに夢のようだった。
朝は小鳥のさえずりで目覚め、美味しい朝食をいただく。
食後はふかふかのソファで、書庫から借りてきた小説を読破。
おやつの時間になれば、シェフ特製のさくさくしたクッキーやクリームのついたシフォンケーキが、紅茶とともに運ばれてくる。
(最高……! 私、もしかしたら前世で相当な徳を積んだのかもしれないわ!)
実家での生き地獄のような日々が嘘のようだ。
家族からの見下されるような視線を向けられることも、「無能だ」「出来損ないだ」と罵倒されることもない。
ただ静かで平和な時間が過ぎていく。
しかし、私は『お飾り妻』としての本分を忘れたわけではなかった。




