第9話 選ばれしもの
その先にあった会話は、決して楽しいものではなかった。
眉間にシワを寄せたまま、無言でゲイリオスが話す合間に頷く父と、慎重に言葉を選ぶ先生の、苛立ち混じりのなんともいえない険しい目つき。
隣で聞いていたパテルが激昂しなかったのは不幸中の幸いだった。
それまでにした現状把握のやり取りがなければ、当主や偉い師匠相手にも罵声が飛んでいた危険性が高かった。
ひととおりの話を聞いたパテルは目を伏せ、拳を握りしめている。
一方、ティルは天を仰いだ。
二年猶予があると思ったのは浅はかだった、と。
「つまり……今月末までには、僕にこの家を出ていけと」
「そうは言っておらん。断れるだけの名分が立たなかったのだ」
「ええ、ええ。先生がそうおっしゃるのでしたら、そうなのでしょう。そして父上もそれを良しとした」
「……ああ」
その指示というか説明するのが父ではなく、師であるゲイリオスが任された理由にも納得するしかなかった。
ゲイリオスが謝罪する声には申し訳なさより怒りが勝っていた。不本意なのがひしひしと伝わってきて、ティルは一瞬だけ笑いそうになった。
普段の顔色の悪さを打ち消すように、顔に赤みが混じっている。
本日行われたルキウスの魔術のお披露目会は、ゲイリオスにとって相当腹に据えかねるものだったらしい。
それはそうだろう。
一年教えてきた生徒の将来を閉ざすための、それを幼子に理由も意図も理解させないまま実行させる、周囲の大人たちの醜悪さと直面させられたのだから。
「すまぬ」
「いえ。僕のためにしてくれたことですから。それに……」
ティルは皮肉な笑みを隠さなかった。
「全部、僕が無能であったことが悪いんです」
申し訳ありません、と父に頭を下げる。
父は困惑と、罪悪感と、無力さと、いくばくかの悲しみを目にたたえ、その苦悩に満ちた表情から、呻くような声を返してきた。
「そうではない。そうではないのだ」
「何が違うと?」
「あいつは……エリザベートは、お前を恐れている。だからこそ、こんな手段を取ろうと考えたのだろう」
「へえ、それは嬉しいですね」
「……どういう意味だ?」
「僕が母上からそんなに意識されていたなんて、初めて知りました」
ティルに対する母からの言葉や態度は、生まれてから昨日までどこか冷淡なやり取りの記憶しかない。
ついさきほどの応答ですら、随分と機嫌がいいのだな、とティルは内心びっくりするくらいだった。
なるほど。ティルは力なく微笑んだ。
母は愛するルキウスの将来を考えた結果、ようやく無関心だったもう一人の息子を視界に入れることになったらしい。
パテルが横からいたましそうな視線を向けてくるのを気にせず、ティルは肩をすくめてみせた。
敵意でも、憎悪でも、無関心よりはマシだ。そんな言葉がある。
とてもじゃないが、そんなふうには割り切れなかった。
「父上の望むとおりにします。僕に選択権はありませんから」
「……ティベリウス」
ゲイリオスが語り、父がそうせよと命じたのは、ティルがこの家を離れ、他領にある静養地へと向かうことだった。
対外的に発表する名目としては、こうだ。
重い病におかされたラグラン男爵家長男ティベリウス・ラグランは、魔物の少ない穏やかな地域で身と心を休め、ゆっくりと療養する必要がある。
最初に話が持ち上がったのは一年近く前、つまりはティルの後継者としての能力に疑義が生まれた頃であった。
「静養、療養とは名ばかりの、実質的な追放処分ですか」
「それは……違うぞ」
「ええ、さっきの話からすると、それ以下でした」
この話がもちこまれた当初、父はこれに頷かなかった。
ゲイリオスも馬鹿げているとして一蹴した。
一年間、ゲイリオスは自分の伝手を使い、あちこちで事例の調査や、改善する方法がないかと探し回ってくれた。
父もティルの後継者としての立場を維持すべく、家中の声や領の内外からの干渉を跳ね除けてくれていた。
だが、その限界が今日だったらしい。
魔術のお披露目会は成功した。成功しすぎた。
ルキウスが今日使ってみせたのは、単なる魔術ではなかった。
使い手が少ないがゆえに失伝したとされていた光属性の魔術であった。
そんな馬鹿な、とティルは漏らしたが、確かめたのはゲイリオスだ。
母や子爵による仕込みや誤魔化しではなく、真実、光の魔術を成功させたのだろう。
光属性の魔術。
失伝したはずのそれを、ゲイリオスが詠唱と呪文を手に入れてきた。
ティルも一応試したが、やはり使えなかった属性。
詠唱や呪文が間違っているのでは、と考えもした。
地水火風どれにも長けたゲイリオスにも使えなかった、使い手を選ぶ属性。
光。
それこそが、ルキウスの得意属性であった。
母はいつから知っていたのだろうか。
知った瞬間、狂喜乱舞したに違いない。溺愛する息子の属性が光だったのか、光属性であると知ったから愛情深くなったのか。
とにかく、弟ルキウスは選ばれたのだ。神だか、運命だかに。
そして母に。
ひとつが選ばれるということは、他のものは選ばれなかったということだ。
ティルは、選ばれなかった。
「これがありがちな物語であれば、僕は失意とか絶望によって危険な闇の力に目覚めたりするものですけれど……」
「吾輩はそれでも構わんが、そうした予兆はあるか」
「微塵もありませんね」
「だろうな。お前はそういうタイプではない」
才能ある弟が、偉大な光の属性に目覚めた。
同時に、無能だった兄が、嫉妬なり怒りなりから禁忌の闇に魅入られる。
祝福された弟は光の道へゆき、鈍色の兄は奈落へと転がり落ちてゆく。
ありがちなストーリーだけど、そんなことにはなりそうもない。
あらゆる属性の魔術について、この一年、ゲイリオスとさんざん試したのだ。
闇属性は使えなかったけど、闇落ちくらいはできるかな、とティルはひとり胸の内だけでつぶやく。
それもまたよくある話だ。だが、ルキウスはいい子だと知っている。ティルがここより闇落ちして何を目指すのか。
誰かに復讐するほどひどい目にあってはいない。現状への不満を訴え両親や王家に反旗を翻す意味もない。
ただ己が無能であった。それによる結末を他人のせいにできるほど、ティルは幼くは振る舞えなかった。
「僕の名前を使いたいと、そういうわけですか」
「すまん」
「謝られても……父上は男爵なのですから、ひとりの貴族として、その家臣である僕に命じればよいのです。ラグラン家のために尽くせ、と」
「すまぬ……」
それがなぜ、男爵家長男ティベリウス・ラグランをわざわざ他領に向かわせ、その地で預かってもらうことになるのか。
今すぐ、そうせねばならないのか。
ゲイリオスすらそんなティルの不遇を許諾するのか。
「もっと、わがままを言っても、よいのだぞ……」
「父上を困らせるのは本意ではありませんから」
光属性のかつての使い手は、王族の始祖であった。
そして、光の魔術は失伝した。現在は誰にも使えない。使えなかった。
今日までは。
「父上も、ひどいお顔ですね」
「すまぬ、ティベリウス。俺が不甲斐ないばかりに」
「不肖の息子相手に、そんなに謝るものではありません。父上はラグラン家の家長として、男爵として、一貴族として毎日頑張っておられるのですから」
本心である。
尊敬もしている。
ただ、これを伝えることで、父の表情が歪むのも分かったうえで伝えた。
ティルは嘆息した。
「だが、あやつのはかりごとをもっと早く察しておれば……!」
「そうやって原因を探していくと、僕の無能に帰結するので」
「我が息子、ティベリウスよ。これまで、俺とお前で……こんなにも、本音で語ったことが、あっただろうか」
「まあ父上は口下手なうえ不器用で意地っ張りですからね」
「む」
こんな軽口を交わしたのはいつ以来だろうか。
ティルは小さく笑った。
父は眉間のシワをますます深くした。
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