第8話 ルキウスのために
わざわざご注進してくれる物好きな使用人もいないから、ティルにはまったく伝わらなかった今日の一大イベントがある。
館中の使用人たちまで観客だか野次馬として呼ばれているのだから、さぞかし自信があったのだろう。
そして、その目論見は上手くいった。
ティルだけが知らなかった。
ティルだけが、除け者だった。
「ルキウスが初めて魔術を使う、そのお披露目?」
「……っ!」
「当たりかな」
「どうして、それを……」
「当てずっぽうというか、ただのカマかけだったんだけどさ。まあ、パテルが僕に気を使って伏せそうな事情、それくらいしか思いつかないし」
うつむいたパテルに、ティルはむしろ明るく語りかけた。
「ってことは、先生からの伝言には詳細も含まれてた?」
「いえ、今日の授業がないことだけ伝えておけと」
「そっか、そっか。じゃあ、パテルは他から聞いたんだ」
「はい。今朝方、同僚からこっそり教えてもらって……わたし以外の使用人はこの時間みんな集まっていると思います」
「そのことは、父上も知ってる?」
「おそらくは」
やれやれだよ、とティルは漏らした。
「僕は、ずいぶんとみくびられてるわけだ」
「……ティルさま」
「心配しなくたって、ルキウスの失敗を望んだりしないよ。もし兄弟揃って魔力不全症だったら男爵家断絶の危機だ。そうならないためにも、ルキウスなら、ちゃんと魔術が使えるってことが周知されるのはいいことだし」
ルキウスの置かれた事情を鑑みるに、おそらくは先生の初授業より先に、母の要望や子爵家の伝手で魔術の勉強を始めていたはずである。
万が一にもティルと同じ症状であれば、そしてそれが隠せない場面で露呈したら目も当てられない。失敗作だった長男の二の舞は避けたいはずで、だから今日のお披露目には十分以上に準備をしてきたはずなのだ。
使用人たち、あるいは領民も集めて、まともに魔術の使える次男ルキウスを喧伝するための機会を作った。
そんなところか。
さきほどの大歓声は、それが上手くいった証拠だろう。
使用人たちの前で、集められた領民たちの前で、まだ五歳のルキウスが見事に魔術を使った。
ティルには出来なかった魔術を、正しく使いこなしてみせた。
出来の良い次男がいれば、ラグラン男爵家は安泰だ。そう知らしめるための素晴らしい機会になった。
大成功だった。
そのはずだ。
本当にそれだけか?
ティルは不意に、自分が大きな見落としている気がして不安になった。気を利かせてか気を遣ってか、ティルを現場に呼ばなかったのも、意図的に情報が伝わらないようにした――箝口令でも出したのかもしれないが――のも理解はできる。
残酷だから。
哀れだから。
めでたい場で、失敗作が癇癪を起こされても困るから。
可哀想な長男にそんな場面に居合わせることを推奨するほど悪辣なつもりはないから。
どれであっても、理屈は通る。
だが、それに先生が加担するのは不可解だった。
少なくともこの一年、ティルはゲイリオス相手に、それなりに信頼関係を培ってきた自負はある。
弟ルキウスのお披露目という大事な場から、兄であるティルをあえて除外する。
ゲイリオスが、ティルにこうした処遇なり所業なりがされると知っていれば、朝方の連絡時点で何かしら教えてはくれただろう。
先生には、ある種の嫌がらせとも見えるそうした空気感を前に、くだらんと一蹴してぶち壊すタイプの苛烈さがある。
だが、パテルは先生からの伝言に、理由は含まれていなかったと口にした。
そこに嘘はないとティルは思った。
授業を休止する段階では、ゲイリオスは詳細を知らされていなかったか。あるいは先生すら口をつぐむ理由があったか。
いや、魔術関連の話であれば、ゲイリオスに伏せておくのは無理だ。
まがりなりにも先生は元宮廷魔術師だ。こと魔術については一領主に過ぎない父より造詣が深く、無視できないほどの権威であり、頭越しに物事を進めてしまっては揉め事の原因になりかねない。
であれば、先生は知っていて、黙ることを選んだのか。
いったいどれくらいティルは書斎前で立ち尽くしていたのか。今日のお披露目会のことを黙っていたことがよほどうしろめたかったのか、パテルは口を結び、ただティルが我に返るのを待っていた。
考えごとに没頭していたせいで時間の感覚が狂っている。なんとなく、廊下の窓から差し込む光の色が変わっている気がする。
一時間くらい考え続けていたのかもしれない。
ティルは傍らで耐えるように待ち続けたパテルに謝ろうとして、視線の先に輝くものを見た。
ガラスを突き抜けて差し込んできた陽光が、彼の髪を煌めかせる。
「おにいさま!」
「やあルキウス。嬉しそうだね。何か、良いことでもあったかな?」
「うん! ぼく、まじゅつをおしえてもらったんだ!」
そこにいたのは、弟であるルキウスだった。
無邪気な笑顔で駆け寄ってくるルキウスを、ティルは抱きとめた。
最近はずっと顔を合わせる機会がなかったからか、ルキウスはひときわ嬉しそうだった。
ルキウスは、ティルに懐いているのだ。
ティルの方も邪険にしたりはしない。
「おにいさま、どうして? ぼくのおひろめかいに来てくれなかったの?」
「それはね……」
「それは……?」
どう答えようか、ティルは少しだけ考える。
意地悪な答えも思いついた。ルキウスの頭越し、廊下の先に見えた彼らへ嫌味のひとつぶつけてもよかった。
だが、ほっぺたを膨らませて、自分にも見てほしかったと拗ねる弟を傷つけてまで口にしたいことでもない。
「僕がいかなくても、ルキウスなら上手くやれるって分かってたからだよ」
「むー」
「実際、みんな驚くくらい上手にできたんだろう?」
「うん!」
ティルとルキウスは、以前はよく話をしていた。
弟のためにテーブルゲームを作ったり、一緒に遊んであげていた時期もある。
どこかのタイミングから接触の機会が減っていって、ここ最近はすれ違うことすら少なかった。
それが母に近しい侍女や使用人たちの仕業なのは分かっていた。
兄の部屋に来たがるルキウスに、ティルは勉強で忙しいからと説得したり、当人の教育スケジュールを調整したりして、顔すら合わせないように画策していた。
「えっとね、ぼくね、おにいさまがずっとがんばってるって聞いて……」
「魔術の勉強のこと?」
「うん。それでね、ぼくもやってみたいって言ったら、おかあさまがね」
この一年は特にそうで、食事の席すら引き離されて、寂しそうな顔のルキウスに黙っていられず、ティルも何度か声をかけたりはしたのだ。
だが、その場にはだいたい母エリザベートが同席していて、彼女の意向が優先された。
貴族教育の一環、といわれてしまえば否はない。
異を唱えようにも、頼りの父はほぼ不在である。
ラグラン男爵領の防衛のためか、あるいは王都に呼ばれているかで多忙な父の姿がない以上、この館の最高責任者は母になる。
その母がティルとルキウスの交流を望んでいないことが明らかだから、使用人たちはそれに従う。
「おにいさまにないしょでべんきょうして、じょうずにできたら、きっとおどろいてくれるよ、って。ルキウス、よくがんばったな、って頭をなでてくれるって」
「そっか」
なるほど。
上手なやり方だ、とティルは苦笑しかけて、表情を制御してみせた。
自分を上目遣いに見つめてくる弟の、その純粋な目を曇らせたくはなかった。
「ね! ぼく、できたよ! すっごくがんばったんだ! だから……」
魔力不全症の発覚で、長男ティベリウスが落ちこぼれと示された。これも大きかった。
パテルを通じて多少の協力は得られるが、基本的に使用人たちはティルのために最低限の働きしかしてくれない。
貴族である事実、領主の長男である事実には違いはないのだけれど、そうした対応をされる以上は母の意向の影響があるはずだった。
もちろん、一月のうち父は何度かは帰って来る。
そのとき要望すれば、使用人たちのふざけた態度や怠惰は、すぐさま改善されただろう。
ティルはそれを良しとしなかった。
パテルから直訴を勧められても、この状況を諾々と受け入れた。
ルキウスは何も知らない。
純粋で、優しくて、頑張りやの弟の笑顔がまぶしかった。
「よく頑張ったな。じゃあ望み通り、頭を撫でてあげよう」
「……っ!」
輝くような銀の髪の毛。
さらさらで、ふわふわで、撫でているこっちの指が楽しくなってしまうやわらかな手触りに、少しだけ力を入れてわしゃわしゃと乱してやる。
ティル以外にそんなことをされることはないのだろう。
ちょっとだけ乱暴な撫で方なのに、ルキウスはむしろ楽しげに歓声を上げる。
ひとしきり撫で心地を楽しんだティルが、仕上げとばかりに、弟の美しいシルバーの髪を指ですいてやった。
「よしよし。けっこう苦労しただろう?」
「え? ううん、そんなに……あ、でも先生はほめてくれなかったかも」
ティルは現状を、ルキウスを次期領主にしようとする動きの一環と捉えた。
家中がそのために一致団結しているのなら、それに水を差すべきではない。
それがラグラン家長男としての判断でもあった。
魔力不全症の件で、ただでさえ傷ついているティルが、家の中ですら不遇をかこっていることに、事態に気付いたパテルは怒った。
それからティルは叱られた。
文句も散々言われた。
それでも動かなかったティルに、パテルも最後には折れた。
ティルはこういう未来もありうると思って、覚悟していた。
「ルキウスは、選ばれたんだな」
「え……? 先生も、同じことをいってたけど、どういういみ?」
「あはは」
「おにいさまがそうやって笑うの、ぼくあんまりすきじゃない」
「ごめんごめん。ルキウスはすごいなって、そう思ってるだけだよ」
ルキウスのためだからと。
あの可愛い弟の邪魔をしたくないからと。
廊下の先で、ルキウスの名を呼ぶ声がした。
声の主は母だった。目を細め、口元は微笑を浮かべている。
そのやわらかな眼差しは二人に注がれているようで、実際にはルキウスにしか向いていないのがティルには分かる。
ティルはため息を飲み込む。
「ほら、向こうで母上が呼んでるぞ」
「えっ。でも、これでやっと、おにいさまといっしょにあそべるって……ぼく、そのためにがんばったのに!」
不満そうに口を尖らせた弟に、ティルはまた頭を撫でてやった。
ゆっくりと近づいてくる母が、優しい声でティルの名を呼んだ。
「ティベリウス」
「はい」
「悪かったわね。ルキウスのわがままを聞いてもらって」
「いいえ、可愛い弟のためですから」
「そう。いい子ね」
ティルはにっこりと、母エリザベートは穏やかに、こんな言葉を交わしあった。
そうしているあいだも、ルキウスは兄の体にぎゅっとしがみついている。
廊下の先から近づいてきた母のほかに、先生と、父の姿まである。
父がいつ屋敷に帰っていたのかは知らない。
少なくとも昨日は不在だった。
父と先生の顔は、どこか深刻そうに見えた。
ルキウスは目を伏せていて、ティルは怪訝そうにし、母だけが微笑んでいる。
「久しぶりに顔を合わせたんです。僕の部屋で、ルキウスと遊んでも?」
「これから忙しくなるから、ダメね」
「この様子だと、ルキウスは僕と遊ぶために勉強を頑張ったみたいですけど」
「言葉が足りなかったわね。忙しくなるのはあなたよ、ティベリウス」
「はい?」
「ゲイリオス様、説明はおまかせしますわ」
「……うむ」
「分かりましたね、ルキウス。あなたのお兄様は多忙なのだから、手間を掛けさせてはいけませんよ」
一度、弟は何かを訴えるようにティルへと目を向けたが、やがてあきらめたように腕から力を抜いた。
自分から離れた弟と入れ替わるかたちで先生と父とが近づいてきた。
靴音がいやに大きく聞こえた。
母と弟は、そのまま廊下の向こう側に消えていった。
窓から差し込んでいる光は少しだけオレンジ色に染まりつつある。
自分とメイドと父と先生、四人が無言で立ち尽くす廊下は、ひどく静かに感じられた。
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