第7話 七つ前は神の内
「とはいえ、あと二年は猶予があると思うんだけどね」
「えっ。ずっと深刻そうなお顔をしてらっしゃるので、もっと近い話かと」
ティルの廃嫡は既定路線だが、それを周知したり届け出を出したりと、現実的な手続きには時間がかかる。
諸々の影響を鑑みるに、実際に廃嫡が確定するのも、処遇が定まるのも、おそらく二年先になるとティルは考えている。
二年後に何があるのか。
弟ルキウスが七歳になるのである。この七歳の誕生日を迎えたかどうかが、王国貴族にとっては重要なのだ。
ティル、そしてラグラン男爵家が所属する王国においては、爵位を持つ貴族の子女は七歳になった時点で、正確には届け出の提出と国王の認定をもって、ひとりの貴族として正式に登録されることになっている。
ルキウスはまだ五歳だ。
貴族としてまだ登録できず、現状では後継者としての資格を得てはいない。
しかし、これは時間が来れば解決する問題である。
「二年はあっという間だよ。この一年が一瞬で過ぎていったようにね」
「そう、ですか」
「だから早いうちにどうやって生計を立てるか、その算段をつけないと」
「え?」
「ん?」
「まさかティルさま、お一人で暮らすおつもりで?」
「一番ありえそうなのが領内のどこか、たぶん魔の森近くの開拓地の村長とか押し付けられ――もとい、任されるんじゃないかな。腐っても鯛というか、落ちこぼれでも男爵の息子だからね。ほら、知っての通りうちの領地は貧乏だから」
ラグラン領が貧乏な理由の七割くらいは、魔の森と呼ばれる危険な森林地帯に面しているせいだと、ティルは考えている。
正直なところ、エンディール子爵が、このラグラン領をわざわざ欲しがる理由がさっぱり分からないのだ。
緩衝地帯として面倒を引き受けてもらっていると感謝するならまだしも、色々と画策してまで手に入れて嬉しい土地ではないように思われる。
それともラグラン領のどこかに、魔の森の存在から生じる面倒ごとを上回る魅力的な資源なり儲け話でも眠っているのだろうか。
「気ままな放蕩息子はさせてもらえない、ってことです?」
「これが七歳より前に発覚してたら、届け出も出されず、最初からいなかったことにされていてもおかしくなかったから、ギリギリだったよ」
「……えっ」
「魔術が使えずとも、僕の名前はすでに貴族として登録されている。男爵家の息子であると同時に、誉れ高き国王陛下の臣下のひとりでもある。だから、それなりの待遇は必要だし、相応の働きもしなくちゃいけない。貴族だからね。まあ僕に爵位は与えられていないけど」
「はえー」
「パテル、よく分かってないときの顔をしてるけど」
これが高位貴族の場合、つまり公爵とか伯爵とかのお偉いさんなら、高位の爵位以外にも大量の爵位を持っていたりする。
爵位は血脈と婚姻によって子孫に受け継がれてゆくけれど、爵位持ちの貴族同士が結ばれた結果、複数の爵位を一人が受け継ぐことはままある。
その場合、一番偉い爵位を名乗ることが通例となる。
たとえば男爵位、子爵位を同時に所持している公爵がいても、普段は公爵としか名乗らない。
普段使わない爵位、あるいは余っている爵位を子供に名乗らせることもある。
先程の例に従えば、長男には公爵を、次男には子爵を、三男には男爵をそれぞれ振り分けて譲渡したり、相続させることが多い。
あるいはまず長男に子爵位と土地を任せ、公爵が亡くなったとき嫡男が公爵位を改めて受け継ぐ、みたいなこともある。
領地と紐づいた爵位があれば、その領地の経営を任せると同時に、その爵位を名乗らせるのが分かりやすい。
爵位の誇示は、防衛や経営の責任者であることを示すことでもある。
たとえばラグラン領が、いつかエンディール子爵領に吸収合併される日が来るとしよう。
その場合、ルキウスがラグラン男爵と名乗り、エンディール子爵領になったこの館周辺を治める、みたいな話になるはずだ。
三十年、いや二十年後くらいには現実になっていそうで、ティルは想像しながら苦い表情をした。
パテルが慰めるような顔で、真横から見つめてくる。
「あ、いえ、爵位がなくても貴族ではある……んですよね?」
「一応、そういうことになってるね」
貴種の扱いについては、貴族制を持つ国の成り立ちや統治システムの運用にも左右されるが、我が王国ではそう定められている。
これは貴族の初代がそれぞれ偉大な魔術師であったことの影響だろう。
青い血という言葉があるが、魔術や魔力という要素があることで、生まれや血脈の価値が、それが無い世界よりも強く意識されていると考えられる。
「貴族の子も貴族ではあるんだよ。爵位がないから準貴族扱いされたり、騎士爵より下の扱いされるけど」
「はえー」
「やっぱり分かってない? というか、わかりにくいかな。この感覚」
「……魔力があるから、ですよね」
「そう。魔力があるからこそ平民とは違う扱いをされる。魔力の維持と継承は権利であり、義務でもある。七歳になると、貴族として登録される。ただ魔力があるだけの平民と区別するためにも」
ここにはあからさまな制度の穴がある。
登録制である以上、七歳になってからも、貴族として登録する届け出を出さなかった場合は、貴族の子であっても貴族として扱われない。
嫡子や非嫡子、私生児との後継者争いを回避する場合、ここで家長が届け出を出さなければ良いのである。
名前の登録がなければ、その子供は貴族にはなれない。
家長が届け出を出し、その名前が王国から正式に認められたかどうか。
これが大事なのだ。
普通に考えると、生誕時に即登録したほうが漏れがないはずだ。
だからこそ、七歳を基準にしたことと、届け出制に決めたことは何らかの理由があったと考えられる。
規則ができた背景までを細かく記録している蔵書は、ティルの知る限りラグラン家の本棚には見当たらなかったし、王国の建国記にもそれらしい記述はなかった。
だから想像することしかできない。
たとえば、過去に運悪く後継者に恵まれなかった貴族がいたとする。
どうしても自分の家に伝わる秘術を継承したいが、これが実子には不可能であった場合、こっそり他家から融通してもらったり、あるいは魔力持ちの平民を養子にするなどして、経歴をロンダリングできるのではなかろうか。
そして、それが必要な状況が現実に存在したのではないか。
もちろんこれを裏付ける情報などない。ティルによる、そうした状況ならありうるだろう、という推測にすぎない。
貴族は偉大なる祖の血筋を尊ぶ。その血脈の一貫性が曖昧になるのは、権力とか権威が揺らぎかねない疑惑だった。
魔術という超常の力が実在し、さらにそれが血脈に受け継がれる性質を持つ。
魔力を受け継ぐこと、その血縁の価値が権力基盤となっている王国においては、あるはずのない、あってはならない裏切りといえる。
だから、そんな可能性は存在しないのだ。
――ということにしておく。自分の将来への不安を考えていたら、ちょっと危険な想像をしてしまった。忘れよう、とティルは遠い目をした。
ともかく、この理屈で言えば、ティルは去年から正式な貴族だし、弟のルキウスはまだ五歳なので貴族ではないわけだ。
だから先んじてティルを排除する大義名分は、「まだ」立たないわけである。
「ティルさま、なんか怒ってます?」
「いや、感心してるんだよ。よくできた管理システムだと思う」
「管理システム? ええと」
「気にしないで。こっちの話だから」
力の、つまり血の流出や散逸を防ぐための仕組みだ。
戦場で暴れ回った危険な魔術師たちを貴族として取り立てて統治に役立て、その子孫を国家の運営、領土防衛のために組み込んだ。
力ある魔術師たちのまとめ役が王国を興したのだ。尋常ではない強さもあっただろうが、それ以上に誰より頭が回ったのだろう。
「うーん」
「なに、パテル。妙な顔をして」
「いえ、その、ティルさま。最近あんまり隠さなくなりましたね」
「何を?」
「頭の良さを。ああいえ、ひけらかしているというわけではなく!」
「……そうかな」
「はい。以前までは、その、一応は年相応の子供として振る舞おうとするつもりはありましたよね。賢い子供アピールをしていたというか」
「……うっ」
「でも、ゲイリオス様に師事するうちに化けの皮が剥がれたというか」
「言い方」
「でもでも」
「自覚はあるよ」
遠慮だとか躊躇であるとかをしている余裕がなくなったというか、先生相手には演技をする意味がなかったといえる。
これでもティルは、幼いころから子供らしくないと見られていて、使用人から不気味がられていたことを気にしていた。
パテル相手には素で喋ることもままあったが、人間、理解が及ばない存在が目の前にいると思ったとき、恐怖するか、そうでなければ排除を選びがちなのだ。
「あと、わたしにそんな難しい話をされても」
「ごめん」
「ゲイリオス様相手には通じるんでしょうが、こちとら学のない平民ですからね! 以前、しゃべっているほうが考えがまとまるから、パテルにはあいづちだけお願いって言われたのでそうしてますけど、わたしが内容をしっかり理解していると思わないでくださいよ!」
「ごめんて」
「じゃあ、ティルさまがさっき何が言いたかったか、簡単にまとめてください」
「魔術が使えなくても僕は貴族だし、二年くらいしたら無理やり独り立ちさせられそうだから、今のうちに何か良い金策考えないとなー、てすっごく焦ってる」
「ほら! それくらいわかりやすく言ってくださいよ!」
「ええ……」
余計な話をしすぎたかもしれない。
いいかげん書斎を出ることにして、ティルはゆっくりと立ち上がった。慌てたパテルがそれに続いた。
わずかに背伸びして、部屋の入口にあるボタンを押す。
天井から照らしていた、白く澄明な感じのする魔力光がだんだんと薄れてゆく。
完全に真っ暗になる前に、二人は書斎をあとにした。
実はこの館では、廊下や客室、居間やティル、ルキウスの寝室も含め、ほとんどの場所がロウソクやランプで明かりを取っている。
ティルはこれを原始的とは思わない。火で明かりを取るのは、人間にとっての文明であり進化の象徴そのものだからだ。
たとえ電気や、その先のエネルギーが発展しようとも、火の力はあらゆる場面で活躍することを、ティルは身にしみて知っている。
館内で照明その他の魔道具が設置されているのは、この書斎と父の執務室、あと普段は使われないいくつかの部屋だけだ。魔力持ちにとって便利な道具でも、平民に使えないのでは意味がない。
誰でも使える科学的な技術、たとえば白熱電球が広まると良いのだが、魔力が実在する社会では逆に難しいのだろうか。
いや、発明か発見されるなら、ガス燈の方が先か。
少なくとも、現時点でもどこかで石炭は使われているだろうから。
と、また益体もないことを考えている。
白熱電球もガス燈も、今生においてティルはまだ見たことがない。そんな言葉があることも知らない。
なのに、ざっくりとした概念であるとか、具体的な使い方はなんとなくイメージできる。
魔術は使えないのにね、とティルはひとりごちた。
独り言に反応しなかったパテルに先んじて、ティルは書庫の外に出た。
何か、家の中の様子が普段と違っている気がした。
違和感を持ったティルが立ち止まり、パテルは不思議そうに小首を傾げた。
「どうなされました?」
「いや、これは……」
パテルは何も感じていないようだった。見回してみたが、特別、何かが変わっているわけでもない。
書斎の前の廊下には人の姿はなく、近くの部屋の扉もいつも通りに閉ざされている。
この書斎は執務室の近くにある。だからとても静かな場所だ。廊下も静謐さに満たされていて、ひんやりとした空気が漂っている。
数秒遅れて、わああああっ、と遠くから歓声が聞こえた。
「今のは、外かな」
「中庭はそちらではありませんが」
「たとえば、鍛錬場のあたりとか。ほら、館の敷地の外にあるでしょ」
「ああ、なるほど……?」
パテルは頷いたが、納得いっていない顔だ。
廊下の窓ガラス越しにも伝わってくる大歓声である。
訓練中の騎士なら大声は出すかもしれないが、あんなふうにはしゃいだりはしないだろう。
一人や二人の歓声ではなかった。大人数の眼の前で、旅芸人の一座がものすごいパフォーマンスを見せたのだろうか。
いや、そんな面白そうなイベントが有るなら、パテルはティルに見に行きましょうと誘っているはずだ。
そういえば、とパテルに尋ねる。
「なんか、誰ともすれ違わないけど」
「……そうですね」
「パテル、なにか知ってる?」
「その」
「なるほど。僕には伝えにくかったことか。だから、わざわざ書斎にまで足を運んでくれたわけか」
あはは、とティルは微笑んだ。
「……ティルさま、あの、わたしは」
「先生の急用もそれかな?」
パテルは言い淀んだ。それだけで十分だった。
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