第6話 後継者の資格
「この一年、先生はいろいろやってくださった。過去の症例も探してくれたし、どうにかならないかと手を尽くしてくださった。でも、どうにもならなかった。単なる落ちこぼれであれば、どれだけよかったか。最終的な結論が、体質だからどうしようもない。これじゃあね……。父上も失望しただろうね」
教師として、ゲイリオスの教え方は上手だった。
彼の授業には書斎に収められていた書物を何冊読んでも実感できない魔術についての学びがあった。
ティルが魔術が使えないことが発覚してからも、先生の講義は続いた。
実践的な使い方や、場面に合わせた動き方、戦闘での考え方に、日常における便利使いの仕方まで知識の伝授は多岐に及んだ。
無駄な時間だったとは思わない。
学ぶことには意味があったし、魔術の勉強そのものはたいへん楽しかった。
思えば一つのことに、こんなに熱心に、こんなに夢中に取り組んだのは、彼がティベリウス・ラグランとして生まれて初めてのことだった。
ティルにとっては意義のあることだったが、先生にとっては時間の、あるいは人生の浪費だったかもしれない。
惜しみなく披露してくれた先生の知識は、広く深く果てしなく、あらゆることに精通していた。
基本的な問いに答えられなかったこともなく、ティルなりの疑問にも真摯に答えてくださった。
だからこそ申し訳なく思う。
「で、でも、魔術が使えない貴族の方もいるって、以前……」
「一応、そう言われているね。でも実際のところ、本当に魔術が一切使えない貴族なんていないんじゃないかな。……僕みたいな例外を除いては」
これは先生にも言われたことだ。
どんなに不格好でも、下手くそでも、弱くても、貴族であれば初級魔術の行使くらいはできて当然である。
とはいえ、魔術が使えることを自慢できるのは、中級以上の魔術を十全に使いこなせるようになってからとも言える。
「剣を振れるのと、剣で戦えることの違いかな。剣を振れる……本当にただ素振りするくらいしかできない人間が、騎士の前に歩み出て、自分も剣を使えますと自信満々に手は挙げないだろう? で、僕は剣を握ることすらできないってわけ」
「その例でいくと、ティルさまは自前の剣を持っていることはすでに証明されているわけですよね。魔力さえあれば貴族として認められると、以前……」
「普通の貴族であればともかく、うちは領地持ちの男爵家だからさ」
これが最大の問題だった。
一般的な貴族であれば、残念だったねと深刻そうな顔をするだけでよい。
だが、彼はティベリウス・ラグランである。
僻地ではあるが広大なラグラン男爵領、その領主の息子なのだ。
「領主は、領地への守護魔術が使えなければならない」
それが領主として、領土を収めるための条件であるから。
当然、後継者にも同じ能力が求められる。
「僕に魔術が使えないったこと、もうちょっと早く知りたかったな」
期待してしまった。高望みだった。当たり前のことが出来なかった。
最初から分かっていれば、こんな気持にならなくても済んだだろう。
「後継者はルキウス様、ですか」
「十中八九そうなる。問題は、これからの僕の扱いかな。時期を見て廃嫡なのは間違いないんだけど、この年齢で家から追い出されるのはさすがに困るな」
「……落ち着いていらっしゃいますね」
「この一年ずっと頭にあったからね。いまさら慌ててもどうしようもないし。ただパテルには悪いと思ってる」
「なぜです?」
パテルもメイドらしいものの言い方をするものだ。
ティルは分かりきったことを、あえて口にする。
「そのまま行けば次期男爵の専属メイドだったのに、廃嫡予定の落ちこぼれのお世話係ってことになったからね。出世の道が絶たれたといってもいい」
「それはまあちょっと損した感がありますが」
「あはは」
「やっぱり、お給金下がりますかね」
「それより失職の心配した方がいいんじゃない? 僕が家から追い出されるなら、パテルは普通にクビになると思う」
「ええっ、そんなあっ」
「ごめんね」
パテルは何かいいたげに口を開いたが、声は出てこなかった。
お気になさらず、も、そんなことをおっしゃらないで、も、なんとなく言いたくなかったのだろう。
かといって、責任を取ってくださいと軽口を叩くのもあんまりだと思ったのかもしれない。
気安い態度を取るようで、案外気遣いのできるパテルだったが、今後路頭に迷うかもしれなくて戸惑っているはずだ。
しかしながら、ティルにもそれほど余裕はなかった。
ティルの廃嫡は既定路線だ。
彼が体質的な魔術不能者であった事実は、後継者レースにおいては致命的な欠陥である。
これが強固な絆で結ばれた領主一族だけの話であれば、あるいは円満な家族関係が構築されていたならば、弟に後継者の座を譲って、ティルは気楽な放蕩息子として第二の人生を目指せば済んだ。
問題は弟を溺愛している――あるいは、弟以外には興味のない母エリザベートの動きである。
さらにいえば、母の背後で蠢動していそうな隣接地の領主家、エンディール子爵が何を考え、どう動くかがティルは恐ろしかった。
母方の祖父ではあるが、生まれてから一度として、ティルはエンディール子爵と顔を合わせたことがない。
覚えていないだけで、赤ん坊の頃に挨拶をさせられた――ということもない。
もちろんティルの記憶が正しければ、の話ではあるが。
一方、弟ルキウスは母が子爵領へと帰省するたび同行し、子爵とは何度も顔を合わせていている……らしい。
ティルの誕生時にはお祝いを手紙一つで済ませた祖父は、弟の誕生時には大量の贈り物を馬車で送りつけてきたのは、なかなか笑える話だ。
ルキウスが楽しそうに土産話をしてくれた限りでは、エンディール子爵は立派な髭もじゃで、孫に甘いだけの、人の良さそうなおじいちゃんである。
とはいえ、二歳だか三歳だかのルキウス相手に欲しいものがあったらなんでも買いなさいと金貨数百枚を与えようとしたあたり、老練な貴族といっても孫の可愛さには抗えないのだなあ、金のある領地の貴族は孫への小遣いも派手だなあ、と当時のティルは軽く考えてしまっていた。
とんでもなかった。
少ししてから使用人たちの内緒話に耳をそばだてて気がついたのだ。
あれはエンディール子爵による父への嫌がらせの一種だと。
貧乏領地に嫁いだ娘エリザベートのために、そこで育つ孫のために、少しでも生活を楽にさせてあげようとする子爵からの施し。
本来の意図がどうであったかは知らない。
それを考える意味もない。
ただラグラン男爵領が他の地域より相対的に貧乏なのは事実だし、気ままで贅沢な暮らしが出来ないことも正しい。そしてその贅沢な贈り物が、使用人たちの態度や当家への見方、父への風評に若干の影響を与えた。
僻地ゆえに貧乏領地として有名なラグラン領の生活向上のため、エンディール子爵からの援助の申し出がある。
いや、援助の申し出自体は昔からずっとあったらしいが。
もともとは祖父――先代ラグラン男爵が戦死したことに起因する。
若くして男爵位を受け継いだ父だったが、悲劇やら不運やらが重なり、期日までの借金返済の目処が立たなくなった。
結果、政略結婚をせざるを得ない立場に追い込まれた。
強引に押し付けられた結婚相手は、エンディール子爵令嬢エリザベート、つまりティルとルキウスの母である。
そして裕福なエンディール子爵家と、貧乏なラグラン男爵家は結ばれた。
この対比がより鮮明になったのが、ルキウスの誕生以降だ。
嫡男であるティベリウスの誕生時にはさっぱり没交渉だったのに、次男ルキウスが生まれてから状況が変わったわけだ。
金回りが良いこともあり、母と弟の立場はだんだんと強くなっていった。
これに連動するように、ティルの周囲に寄りつくものはどんどん減った。
もともと変わり者の評判があったことも災いしたのだろう。
ティベリウス・ラグランは男爵家の嫡男である。
だから本来ならもっと取り巻きがいても、今後のために取り入ろうとする使用人がいてもおかしくなかった。
しかし、弟の誕生を機に、領内でのティルの扱いは悪化の一途を辿った。
父は後継者にティルを望んでいたようだが、魔力量の差は大きく、やはりルキウス様が継ぐ方が良いのではないか、という空気が強まっていった。
そこに来て、昨年の、長子ティルの魔力不全症の発覚である。
後継者は弟に決まりだ。ティルですらそう思うのだから、損得に敏感な平民の使用人たちの態度は露骨に変わろうものである。
最後まで近くに残っていてくれたのは、最初から世話役だったメイドのパテルだけであった、というわけだ。
話を戻そう。
貧しいながら国王陛下の信頼厚きラグラン男爵と、裕福ながら宮廷政治から弾き出されたエンディール子爵。
長男に後継者を期待した父と、溺愛する弟の栄華を望む母。
危ういながらも均衡状態が保たれていたなか、ティルが魔力不全症であるという爆弾が発見されたのだ。
あと一押しすれば、状況は確実になる。
誰かがそう考えてもおかしくはない。
ティルとて、エンディール子爵からすれば血を引いた孫にあたる。
弟との扱いの差があれど、さすがに暗殺までは考えてはいないだろう。
ティルの聞くところによれば、母もルキウスが生まれるまで実家には連絡を取っていなかったそうだ。
あるいは想像もつかない理由や事情が他にもあるのかもしれない。
とにかく、こうなった以上、ティルが暗殺される可能性は低い。むしろ魔力不全症が明らかになる前より、現状の方が命の危機は少ないのかもしれない。
じわじわとラグラン男爵の家中に影響力を浸透させようとする動きからして、祖父は決して馬鹿ではない。
穏便かつ正統な方法でラグラン男爵家を、しいてはラグラン領を併合しようとしている。
それは母を嫁がせた経緯と結果からも読み取れる。
だからこそ、のちのち妙な対立軸を作りかねないからと、無能な長男を穏便な形で追い出すのは十分ありうることだった。
もちろんティルをラグラン家から追い出すといっても、身一つで寒空の中放り出すという意味ではない。
ティルはまだ八歳の子供だ。しかも魔術も使えない無能である。
そんな相手が家から出されて野垂れ死にでもしたら、あるいは下手に暗殺するより風評が悪いだろう。
ティルが女子であれば、修道院へ入れられるパターンもありえた。しかし貴族の男児の穏便な放逐先となると、すぐには思いつかなかった。
座敷牢で一生幽閉生活よりは、勘当されて市井に養子に出されるくらいが多少マシだろうが。
せめて魔術が使えたのなら、追放から成り上がる未来も期待できた。
師であるゲイリオスの半生のように、一介の冒険者から宮廷魔術師に選出される大躍進を夢見たこともある。
けれど、そもそもティルに魔術が使えたならこんなことにはなっていない。
先の見えない状況に不安をいだいて、うだうだと書斎にこもって落ち着かない気持ちを誤魔化しているのが、ティルの現在なのであった。
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