第5話 落ちこぼれのティル
「今日はどこに隠れていますか……。ああ、ティルさま、またこんなところに。お行儀が悪いですよ。だらしなく床に座って」
「パテル、放っておいてくれない?」
「そういうわけにもまいりません。わたしはティルさまのメイドですからね」
ティルはわずかに皮肉っぽく笑った。一年前にも似た会話をしたな、と。
ため息も聞こえただろうが、パテルはそれについては何も言わなかった。
思い出すのは、ゲイリオス卿と最初に顔を合わせた日のこと。
あれからおおよそ一年が経った今。
二人が思い描いた未来とはずいぶんと違った結果になってしまった。
ティルは腫れ物のように扱われるようになっていた。
いや、そもそも、以前から腫れ物扱いはされていたのだ。
正確には、もとから使用人受けの悪かったティルに、貴族として落ちこぼれという属性が付与されたことで、男爵家における居場所がより狭まった。
こんなところだろう。
「パテルは何の用? 授業の時間だから呼びに来た、ってわけじゃないよね。理由は聞いてないけど、今日の予定は突然なくなったはずだし」
「それは、そうなんですけど」
パテルは腰を下ろした。ティルの隣に。
ティルはだらしなく書斎の机にもたれかかっていた。いつもなら読書にふけるティルも、今日ばかりは埃の舞う室内をぼんやり眺めていた。
普段であれば、今の時間はゲイリオスから魔術について学ぶ時間だった。
それが今朝になって、いきなりキャンセルの連絡が来た。
この一年間、この時間にゲイリオスが魔術の講義をしなかったことはないし、ティルもサボったことはない。
だから、ゲイリオスに外せない用事か、あるいは講義を休まざるを得ない事情が出来たのだろう。
いつも顔色の悪い先生のことだ。
体調問題でなければいいけれど、とティルはわずかに心配しつつ、持て余した時間を埋めるために書斎に足を運んだのだった。
普段のパテルは、なるべくティルの目を見て話す。
そんな礼儀正しいメイドも、今日はティルにならってか、前を向いたまま声を返した。
その可愛らしい横顔をちらりと覗き見て、ティルはまた嘆息する。
「やっぱりダメでしたか」
「そうだね」
少しばかりの沈黙のあと、パテルが続けた。
なるほど、気を遣わせてしまっていたらしい。
「ティルさまは……どうなるんでしょうか」
「残念ながら、父のあとは継げそうにないね」
「平民であるわたしにはよく分からないんですが、ティルさまには魔力があるんですよね?」
「らしいね。だからこそ、先生も首を傾げておられた」
「魔術って、魔力があれば使えるもの……でしたよね」
「と言われてるね」
ティルが生まれたときも、魔力量はきちんと計測していた。
父からも聞かされたし、かつてティル自身の目にした光景でも相違ない。
貴族にとっては魔力の有無が大事だが、領主ならば魔力量も重要になる。
だからこそティルも生まれてすぐに計られたし、弟ルキウスの生誕時にも同じ道具で計測していた。
以前、初代を一万としたとき、平民の魔力持ちは五とか十くらい、といった雑な比較をしたことがある。
ティルが思い返すに、自分の数値は百はあったはずだった。道具の目盛りを信じるならば、弟は三千を超えていたと思う。
なお、いつぞや開いた書物の記述を信ずるならば、百を超えていれば一般的な貴族の魔力量としては悪くない数値ではある。
ただ単純計算で三十倍である弟より、ティルの才能が劣っているだけだ。
しかし、問題はそこではない。
魔力があれば、魔術は使える。それがこの世の理である。
魔力は無色の燃料であり、魔術は万人が扱える技術なのだから。
ティルには魔力がある。それは先生も認めるところだ。
魔術を発動できなかったことで故障を疑い、あらためて魔力計測用の道具を別に取り寄せてまで父と先生の前で再度確かめたのだから、ティルに一般貴族と同等の魔力量があるのは間違いなかった。
「先生曰く、必要なものは三つ。魔力と詠唱と呪文。正しく発音した詠唱により体内の魔力を正しく動かし、呪文により定義された魔術を発動する」
魔力と詠唱と呪文。
この三種の組み合わせにより、世界に対して超常の現象を呼び起こす。
これこそが魔術の行使のプロセスである。
「本当にこの三つだけで魔術が使えるようになるなら、学園に通ったこともない平民に広まっていてもおかしくない。詠唱も呪文も必ず口にするものだから、その場面に居合わせれば、魔力持ちなら誰でも真似ができるわけだ」
たとえば、と前置きして、ティルは人差し指をピンと立てた。
「小さき炎よ、我が指先に宿れ――『灯火』」
「ティルさま!?」
パテルは驚き、これみよがしに言葉を紡いだティルの顔を、それから指先を見た。
もちろん、何も起こらなかった。
先生との授業中はパテルは近くにいなかったはずだが、この詠唱が火の初級魔術であることは知っていたらしい。
「こんなに紙だらけの場所で火の魔術は良くなかったね。どのみち僕の詠唱だと発動しないんだけど」
「びっくりしました」
ティルがいま唱えた魔術は小さな火を指の先に発生させるだけで、手元にマッチやライターがあれば不要な呪文である。
攻撃魔術である『矢火』と同じく初級に分類される。
この言葉を繰り返すだけなら、ティルにだってたやすいことだ。
あえて言うなら、『灯火』の発音だけは普段耳馴染みがなく若干難しいかもしれない。しかし耳が良いひとなら、二度三度聞くか、何度か試せば簡単に真似できるだろう。
「詠唱と呪文だけじゃ意味がない。魔力の運用あるいは構成が重要になる。貴族が王立学園で何年もかけて学ぶのは、そして魔力持ちの平民が見様見真似でたやすく使えるようにならないのは、この三つ目こそがもっとも難しいから」
魔術において本当に難しいのは、詠唱と呪文に魔力を重ねることだ。
先生の言葉を借りるなら、体内の魔力を正しく運用することでもある。
詠唱は体内の魔力を、魔術用に変換するために必要で。
呪文は、その魔力を外界に顕現させる――世界に働きかける力ある言葉だ。
詠唱は人によって、あるいは狙いによって細部が異なることもあるし、流派やアレンジもありうる。属性や効果を具体的に、あるいは抽象的に設定するためのオプションやパラメーター指定にもなりうる。
一方の呪文は、たとえばスイッチを押すとか、トリガーを引く行為に当たる。呪文を唱えることで、世界にその魔術の効果を発生させるのだ。
だから発音は正しく、明瞭でなければならない。
詠唱は構え、呪文は必殺技の名称のようなもので、しかも使うにははっきりと声にする――叫ぶ必要がある、と考えると分かりやすいかもしれない。
使ったらまず間違いなく相手に気づかれるが、相手に聞こえないほど不明瞭な発音だとそもそも発動してくれない。
ティルは発音や発声の問題かもしれないと悩んで、授業外では早口言葉の練習までしていたが、意味はなかった。
いや、口は滑らかに動くようになったから完全な無駄ではなかったのだが、魔術の発動という点では効果を奏しなかった。
「笑っちゃうよね。最初は誰も気づかなかったんだから。父上はおろか、先生ですら僕がそうであることを完全に見誤っていた」
「ティルさま」
「魔力がある人間は、自分の体内にある魔力のことが分かるらしいよ。どうしてできないのかと先生に首を傾げられるまで、僕には理解できなかった。なんのことを言っているのか、それがどういう概念であるのかが、これっぽっちも噛み合わないんだからびっくりしたよ」
魔力不全症というらしい。
貴族でも、ごくまれに生まれるのだそうだ。自身の魔力のことをまったく感じ取れない不具の人間が。
魔力不全症と診断された人間は、魔力を有してはいるのだ。
道具を使えば魔力の有無は誰の目にも明らかになる。
しかし当人は、その魔力をさっぱり認識できない。
一切認識できないものを運用することは難しい。
だから、ティルには魔術が使えなかった。
先生曰く、もとより魔術行使においては魔力の運用が一番難しいという話だった。
それでも『灯火』は初歩の初歩、どんな落ちこぼれでもそのうち使えるようになる魔術の入口らしい。
ティルには最初からそれに挑戦する資格がなかった。
そういうことになる。
「最初の頃、体内に魔力があるとか、使うとか、認識するとかって、どういう感じなのかを先生に尋ねんだよね。あのときの先生の形相ったら、絵画に描いて飾りたいくらい凄まじかったよ。怒ってるのか、憐れんでいるのか、悔やんでいるのか、人間の苦悩を全部一度で表現したみたいなすっごい顔だった」
「ティルさま」
「僕をたとえるなら、尻尾があるのに、動かし方が分からない可哀想な猫みたいなものなんだろう。猫に尻尾が生えているみたいに、僕は体内に魔力を持っている。普通の猫は自分の尻尾を感覚的に動かせるけれど、僕にはそれを動かすことが出来ないでいる――そこに尻尾があることすら認識できない」
不意に、人間に尻尾ってサイヤ人じゃあるまいし、と良くわからない例えが思い浮かんだが、パテルに通じそうになかったから飲み込んだ。
良くわからない言葉が脳裏をよぎるのも、いつものことだ。
書斎の明かりは、古めかしい魔道具によるものだった。これは電気ではなく魔力で動く照明器具らしい。
不思議なことに、ティルはこうした自動化された魔道具なら使うことができた。
館のなかにいくつかある魔道具を使うとき、不自由しなかったのだ。
だからこそティルが七歳になり、実際に魔術を使おうとするまで、魔力不全症であることに気が付かなかったとも言える。
魔力はある。だから魔道具が起動できる。
でも、どうしても自力では魔術が使えなかった。
これは魔道具が本来人間がする魔力行使と発動を、内部の機構によって代替しているからと思われた。
魔術の発動も、魔道具を起動することも、同じく魔力を使うことなのに、ティルには前者だけができない。
先生も頭を抱えた。父もしかつめらしい顔で黙り込んだ。
ティルは思いつくかぎりのことは全部試した。どうにもならなかった。
ひとによっては、親和性の高い魔術属性を持つことがある。
たとえば初代が水を得意とした大魔術師の家系は、子孫もだいたい水属性魔術を得意としていることが多い。
特に、極端に偏った一属性を得意とする貴族の家系には属性の加護がある、なんて言い方をすることもある。
近年、最年少で宮廷魔術師に抜擢された《炎獄》の一族、ウルバーン家は火の加護を持つことで有名であった。
彼らは初代から現当主、その長男である《炎獄》にいたるまで、例外無く火の最上級魔術の使い手として知られている。
一方で、水や土の魔術はほとんど使えないが、これは魔力量の問題ではない。
先祖代々火属性に特化している血筋であるがゆえに、他属性への不得意が如実に出た好例である。
ティルは当然、地水火風の四属性を最初に試した。
ラグラン家の初代はとりわけ土魔術が得意だったらしく、ティルの父も祖父も、揃って土魔術のエキスパートであると聞いたことがある。
人づてに聞いた母の得意属性は風で、エンディール子爵家は風魔術に秀でた家系らしかったが、どちらも加護があると言われるほど特化はしていない。
風だろうが土だろうが、結果は同じだった。
四属性以外の属性もあるため、それらも先生からひととおり教わった。
雷や氷といった使い手の少ない希少属性にも手を伸ばしたし、禁じられた闇魔術にも一縷の望みをかけた。
様々な知識は大量に集まったが、出せる結論は変わらなかった。
得意とか不得意といった属性や傾向の問題ではなかったことが、あらためて証明されただけだった。
基礎であり土台であり入口である、自分自身の魔力の認識ができない。
この症状だか体質があるかぎり、自力で魔術を使うことはできない。
これがティルと先生の出した結論だった。
魔道具が使えることをもって、魔術が使えると言い張ることはできない。
一年間どうあがいても、ティルには魔術が使えなかった。
結局、できないことは、できないままだった。
ティルとゲイリオスは一年かけて、ゆっくりと諦めたのだ。
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