第4話 魔術師ゲイリオス
彼は無言のまま、まっすぐにティルを見ている。
口を開く直前、ティルは先方の名前を知らないことに気がついた。どういう身分なのか、どんな人物であるのか、外見や状況から判断するしかない。
ティルの家であるここラグラン家の家格はあまり高くはない。
もちろん男爵であり領主の座にもある父は、そこらの貴族よりは格上ではあるのだが、少なくともラグラン領そのものは田舎扱いされており、他領の人間からは低く見られたり侮られがちである。
そんなラグラン男爵が頼める家庭教師の格も相応のものになる。中央、つまり王都方面の伝手に頼んだらしいが、それこそ父の権力ではたかが知れている。
すなわち、眼前の五十代前後と思われる魔術師然とした男性は、田舎の男爵に息子の家庭教師をしてくれと頼まれて単身来てくれた人物と推測できる。
高い地位にあるはずがない。
名高い魔術師であるはずがない。
と、思いつつも、あまりにも雰囲気があり、どう見てもティルの知る父より大貴族っぽさをまとっている風格なので、ティルはこの方はもしかしたら自分の家庭教師ではなく、単に同じタイミングだが別件で男爵家を訪れただけの賓客である可能性もあるな、と気を引き締めた。
ティルも一応、七歳の誕生日を境に、貴族として名前だけは登録されている。
男爵の子であるため、今のところは爵位のない貴族、あるいは準貴族として扱われる立場にある。
眼前の人物は、ティルよりは格上だろう。
少なくとも、そう扱うべきだと判断した。
「遠路はるばる、ようこそお越しくださいました」
ティルは自分から挨拶した。
「僕――いえ、私は、ティベリウス・ラグランと申します。お客様のお名前を伺ってもよろしいでしょうか」
「吾輩はゲイリオスだ。ラグラン男爵より、長男の家庭教師を頼まれた」
「……このたびは、未熟な私のため、この僻地よりの招請に応じていただき深く感謝いたします」
「ふむ」
低い響きだが、やはり、よく通る声だった。
発声だけでも分かることはある。
強烈な自負。プライド。そして、上位者としての態度。
そして続く言葉に、目線に、何もかもがティルを試すような重圧があった。
「ふざけた小僧だ。言葉も、表情も、何もかもが賢しい」
病的な顔色の悪さと裏腹に、眼力がすさまじい。
どうするのが正解かわからないが、何もかも見透かしてくるような鋭い視線に目を背けなかった。
表情がどこまでも真剣で、あまりにも真顔で見つめてくるものだから、ティルも同じような顔をするしかなかった。
にらめっこの時間である。
案内役の青年も、隣に控えていたパテルも、誰も声を発せない。
それから一分ほど無言の時間が続いた。
玄関先で何をやっているのだろう、とティルは表情を崩さず困っていた。
「くっくっく」
不意にゲイリオスが相好を崩した。
「なるほど、手に負えないと男爵が泣きついてくるわけだ」
「……お戯れを」
少しばかりのショックだったが、ティルは顔に出さなかった。
ただ目を伏せた。知らぬ間に父からは問題児扱いされていたらしい。
それは分かる。
分かるのだが、それはそれとして落ち込む自分がいる。
ゲイリオスは鼻で笑った。
「以前より相談されておったのだ。自分の子供はどうやら天才であるが、どう教育をしてよいかわからないとな。吾輩の専門は魔術であって教育ではないと何度も断ったのだが、運良く……いや、運悪く暇が出来てしまったがゆえに、しばらくのあいだ家庭教師を務めてやることにした」
思わぬ言葉に、ティルはつい顔を上げてしまった。
「なるほど。実に賢しらで、嫌な目をした子供だな」
「申し訳ありません」
「その目。その目だ。お前、その吾輩を尊敬している目をやめろ」
「は……」
「先ごろから今にいたるまで、吾輩が、お前に対し、なにか一つでも尊敬されるような要素を見せたか?」
「……それは、その、先達には敬意を表するべきと思いますが」
「ガキがそんなこと本気で思うものかよ。そういうのはな、何度も失敗して、自分の足らなさを自覚している大人がやるものだ。ひとを舐めたら相応に痛い目を見ると知っている人間の考えだ」
ゲイリオスは皮肉そうに口の端を釣り上げた。
「男爵が困った理由は分かった。お前は自分を天才だと思っているか?」
「いいえ、まったく」
「の、ようだな。実際、天才は自分を天才と思わぬことも多いが」
ティルの返答がお気に召したのか、それとも逆か。
ゲイリオスは男爵家の館に入ることもなく、教え子となる七歳の子供を見下ろしている。
教師役となるべき魔術師殿は、この場で話を続けるつもりらしい。
案内役は困惑した表情を見せたが、対話を遮る気まではないようだ。
着地点が見いだせないまま続く問答に、ティルは覚悟を決めた。
「ではお前にとって天才とはなんだ?」
「僕みたいな凡人には理解が出来ないもの? でしょうか」
一瞬だけ、ゲイリオスが眉間にシワを寄せる。
「本心か? 子供は自分を天才だと思うものだ。出来るからではない。やったことがなくても、やればできると信じるからだ。お前にはそれがないらしい。天才でもなく、凡人でもない。頭が良いだけの、知恵が回るだけの、賢しい子供だ」
「はい、先生」
「……隣のメイド。吾輩に言いたいことがあるなら言え。今なら何を言っても聞き流してやる」
後ろに控えていたパテルが、見えない位置ですごい顔をしていたらしい。
パテルの代わりに謝罪をしようとしたが、ゲイリオスの目線ひとつで、ティルはもう動けなかった。
「あの」
「早く言え」
「は、はい! その、ティルさまの年齢で、大人より頭が良いとか、知恵が回るって、それを天才っていうんじゃ」
「頭のいいガキなんぞ珍しくもない。たとえば貴族に生まれただけの子どもが、昼間から酒場に入り浸る三十歳のごろつきより物を知っているとか、計算が早くできるとして、それがいったい何の役に立つ? その程度、学べば良いだけのことだろう。環境の差、性格の差で片付けられる程度のことに過ぎん」
「は、はあ」
「天才とは、そうした比較の外側にいるものを指す。そいつらは凡人が歩ける道の先にはおらん。そいつらがいるのは、空の上、海の底や天の果てだ。たまに崖の下にいることもあるが。とにかく、凡人がたどり着けぬ場所に存在している。天才とはひとにぎりの選ばれたものだ。我々と違ってな」
気難しそうな魔術師殿は、天才には一家言あるらしい。
選ばれたもの。
彼にとっては、それが天才の定義らしい。
「では、彼らは何に選ばれたのでしょうか」
「神々や、運命といったものに」
ティルは返ってきた答えに満足した。安堵すらした。そんなティルを見て、ゲイリオスは口元を歪めた。
ひるがえって、とゲイリオスはティルを見おろした。
「なるほど歳の割に賢いお前は、ボンクラどもには天才にしか見えんようだ。しかし吾輩にはそうは目に映らん。ただ優秀なだけの子供だ」
「ありがとうございます」
さりげなく父をボンクラ扱いされたことはいったん脇においておこう。
返答か態度が気に食わなかったのか、ゲイリオスは舌打ちをした。
「可愛げがないな」
「お言葉ですが! ティルさまはたいへん可愛らしいです!」
「パテル」
「良い。今なら聞き流すとさっき言った」
ゲイリオスはつまらなそうに目配せをして、案内役に館の扉を開けさせた。
ようやく館内へとお迎えさえてもらえるらしい。
最悪、問答の結果次第ではこのまま帰ってしまう可能性もあった。そうなれば父もラグラン男爵領、ついでにティルの面目も丸つぶれだったはずだ。
とりあえず、最初の試験には合格したというか、お眼鏡にはかなった、と見てよいだろう。
案内役の先導に、ゲイリオスが歩き出した。
失礼と思いつつも、ティルは呼び止めた。
「ゲイリオス様」
「授業は明日の朝食後からだ。場所は……今日中に適当に決めておく。あとで使いのものにでも聞け」
先生は颯爽とローブをひらめかせ、館内へと足を踏み入れた。
当面の間この館で生活するため、客間か、宿泊用の部屋を用意されているはずだ。
そもそも父が不在であるこのタイミングの到着も、ティルこと男爵家嫡男ティベリウス・ラグランの資質を、自分の目で確かめたかったからだろう。
この短い間に、ティルにも分かったことが三つある。
ひとつ。先生は、天才が嫌いであるということ。
ふたつ。先生にとって、僕は天才足り得ないと認められたこと。
「ねえパテル」
「ティルさま。あの、どうして笑ってらっしゃるのですか?」
「……そうだね。どうしてだろう」
みっつ。どうやら僕は、父から愛されているらしいこと。
「勉強、頑張るか」
「おお! ティルさまにしては珍しくやる気ですね!」
この日よりティルは一年のあいだ、謹慎中の宮廷魔術師ゲイリオスを師として魔術を学ぶことになる。
ティルは、魔力について記された書物の文章を再び思い浮かべた。
貴族は誰しもが魔力を尊ぶものである。
王国内の地に封じられた領主とその一族は、特にそうだ。
なぜならば、領主こそ、魔術に長けていなければならないからである。
一般的な貴族であれば、魔力さえあればよい。
魔術が使えるかどうかも、それほど気にしなくて良い。
もちろん魔術が使えるにこしたことはないが、血筋として魔力を保っていれば許容範囲といえる。
しかし。
領地を任せられた貴族、領主の一族であれば話が変わってくる。
各拝領地には、その地を守るため受け継がれた重要な魔術がある。
領地を守るための大規模魔術が使えること。
これは、領主の地位――爵位と領地の双方を正しく受け継ぐために、王国が定める諸条件のひとつに制定されている。
ティルに魔術を学ばせるために教師をつけた。この事実は、後継者としての教育を始めようと父が判断したことを意味している。
本来、貴族が魔術を学び始めるのは、もっと遅くても問題ない。
十歳に初めて魔術に触れることもある。これは王立学園に入学を許される年齢を基準にした場合だ。
あるいは、ティルと同じく七歳からの場合もある。これは王国貴族として名前を登録されるのが、七歳の誕生日以降だからである。
魔術の名家を自負する家系や、高位貴族の家に生まれたのなら、もっと早くから魔術を学ぶこともあるだろう。
領主にとって大事なのは代々継承された魔術を行使可能かどうかだ。
一般的な貴族であれば、系譜と魔力さえあれば魔術が不得意でも問題ない。
ただそれだけの話なのだ。
そして。
男爵家嫡男ティベリウス・ラグランは、ここから希望に満ちた未来が始まるのを予感した。
しかし、予感は予感に過ぎなかった。
現実はそう上手く行かないものだ。
この日からわずか数日で、ティルはそれを思い知らされるのであった。
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